■海上にて
無音に近い大海の中、遠くで響いていく潮騒の音に混じり、足元で船が軋む音がした。麻痺して潮の匂いが分からなくなっているが、おそらく塩分濃度の高い空気を肺一杯に吸い込めば、冷たく湿った空気が口内を満たした。はぁ、とたっぷりと息を吐けば、気持ち体が海に満たされた気分になる。
「何をしている」
「お?」
突然掛けられた声に目を見開き、くるりとその場で反転してみると、船内へ続く扉の柱に体を凭れかけたヒューイが甲板に一人立つエルマーを静かに見つめていた。
「自然と一体化してみようと思って」
「・・・お前は・・・・・・・・・」
呆れたような声と溜息がヒューイの口から吐き出されたが、顔は微かに微笑んでいる。相変わらずの友人の言葉に呆れながらもエルマーらしい、と楽しがっているのだろう。無意識のその表情に、エルマーは嬉しげににこにこと笑った。
「不老不死になったというのに、変わらないな」
「そうかな?まぁ、あんまり実感もないんだけどなぁ」
肩を竦めてエルマーは笑った。一度セラードの頭部が破壊された所を見たとはいえ、実感が無いのは事実だ。何故かと問われてしまえば、『死なないから自分が死なないのかということが分からない』といったところだろうか。
そんな暢気なエルマーを苦笑しながら見つめ、ヒューイは嘲るように囁いた。
「じゃあ、ここで一回お前を殺してみようか?」
「なにで?」
それが冗談と捕らえるのが普通であろうに、生憎長年の付き合いである彼らはそれが冗談では無いことを知っている。それに死ななくなった今、殺されるぐらい、と捉えるのが不老不死の考えなのだろう。エルマーはぎぃぎぃと鳴り続ける床の上でバランスを取りつつ、可愛らしげな動作で首を傾げて見せた。
「生憎銃とか持っていないからな」
「じゃあ絞殺とか?苦しそうだねぇ」
うへえ、と変な悲鳴を上げながら、エルマーが業とらしく両手を上げる。ヒューイは片手を顎に添えて少し思案した後、ああ、と懐に手を入れ、革製の鞘に納まる凶器を取り出した。
それは現在本土にてヒューイの帰りを待つモニカの愛用の凶器、三角錐剣であり、一度腕を刺された覚えのあるエルマーはあれ!と驚いた声を上げてヒューイの持つ刃を指差した。
「モニカのじゃん、それ」
「ああ。借りてきた」
「断ったの?」
「当たり前だろう」
苦笑しながら、ヒューイは鞘からそれを抜き取る。月光を浴びててらてらと光る刃はかつての『仮面職人』の持ち物であったかのように狂気を孕んでいるように見える。
「刺殺?」
「絞殺だと苦しいだろうが、刺殺だと痛い」
「そりゃそうだ」
あはは、とそれでもからからと笑うエルマーを呆れたように見やり、ヒューイはどうする?と悪戯気味に口に笑みを乗せる。
「やってやろうか」
「ヒューイ」
エルマーは困ったように笑い、にぃ、と笑うヒューイの顔を人差し指でゆるりと指差した。
「それ、作り笑い」
指摘された途端、ヒューイの顔から全ての感情が取り消される。ふっと溜息を吐きながら、「まったくお前には嘘ができないな」と呟いて三角錐剣を鞘へと収めた。
「私にお前が傷つけれるわけが無いだろう?」
「・・・うわぁ、やばい、凄い嬉しい」
片手で顔を隠しながら、エルマーが珍しく顔を紅潮させる。珍しく面と向かってそんなことを吐いたヒューイをからかうことも忘れ、どうやら恥ずかしがっているらしい。
「まったくもう、モニカに会ったら自慢したくて仕方なくなっちゃうじゃん」
「残念だが、私はモニカも傷つけれないが」
「うわっひどっ、俺のときめきを返せ!」
「いい歳してときめきとか言うんじゃない」
相変わらず一刀両断される返答に、とても幸せそうににこにこと愉快そうに笑うエルマーをヒューイは呆れたように溜息を吐きながら見やり、そして刃を持った方と逆の手を緩やかに差し出した。
「そろそろ戻ろう。お前に風邪をひかれると、馬鹿は風邪をひかないという言葉が確実に迷信になってしまうからな」
「えっ・・・俺はヒューイがその迷信を信じているのに驚くべきか、それとも俺を地味に馬鹿だって言ってることに傷つくべきか・・・どっち!?」
「驚いて傷つけばいいんじゃないか?」
差し出された手をエルマーが握れば、風に当たっていたというのにエルマーよりヒューイの体温の方が低く、ヒューイの手にじわりとエルマーの体温が沁みていく。
不老不死になんてなってしまっても、いつだってエルマーの手は太陽のように熱く、握り締めたその手は優しく強かった。
2008/1・19