■グラッド
ぐしゃりとコミカルな音を立てて、まるでスイカのように破裂した頭部を見て、そうだやっぱり夏は来てるんじゃないか!兄貴海行きましょうよ、と叫びそうになってしまった。
俺が一人有頂天になっている間、兄貴は豚の悲鳴を聞いてご満悦。海に行くより楽しそうである。あんなに嬉しがるのならば兄貴の為に毎日人間をどこからか連れ攫って謙譲してもいいくらいだ。でも、人間を引き摺るのは骨だから多分やめる。それに俺が楽しくない。兄貴が愉しんでいるのを見るのは大好きだけど、兄貴が愉しんでいる時は俺を見てくれやしないのだ。ねぇちょっとはやく殺して俺とダンスしましょうよねぇねぇ駄々捏ねるガキみたいにこの血の海でごろごろ転がってもいいんですけど、ああくそなんで人間って物は命なんてどうでもいいものがあるんだろう。そんなものより螺子とかボルトを突っ込んだ方が、まだ楽しいのに、もちろん、俺が。
■グラッド(1月1日)
「げ」
引き攣った兄貴の声に、両手両足の関節を外した男から視線を外して振り返れば、兄貴は空を睨んで小さく、「降ってきやがった」と毒づいた。
黒い空からちらちらと街灯の光を反射して白く光るのは、もちろん雪だ。冷たい空気の中を我がもの顔でひらひらと墜落してくる。
「あにきー暖めてくださいよぅ」
「そいつの関節触ってみ。発熱してっから」
「え、マジですか。うわ、ほんとだ。熱い。さっすが兄貴!見聞・・・検診・・・?」
「博識」
「それだ!」
兄貴は「あーあ、なんでこんな日までこのアホとつるんでなきゃいけねぇんだろうなぁ」とぶつぶつ言いながら足元に転がした死体を踏みつけて一人暗い路地裏へとずんずん進んで行ってしまった。こんな日?俺は分からないながらも、血のにおいあふれる小道で兄貴の背を追った。
「こんな日ってなんですか?今日何かの記念日?」
「あーあ、ったくほんと、美人の死にたがりの女と過ごしたいってぇのに」
「なんなんですか兄貴ー」
■Tamder of you,you cannot save someone.(やさしいあなた、貴方は誰も救えやしない。)
関節を全て逆に曲げ続けて、もはや人間とは思えない形へ変貌した人間を見下ろして、俺は満足感に浸っていた。いっそ殺せ、と人間と目玉が訴えかけてきていた。そう見ないでくれ恥ずかしい。
それに、この満足感を、形の無いものを破壊するという行為でうやむやにしたくない。おそらく激痛で転げ周りたいだろう男を見下ろして、俺はなんとなく、笑った。楽しかったからだ。楽しいなら笑おう。自然の摂理だ。
「なぁにやってんだぁ?グラハム」
間延びした声で背後から近寄ってきた兄貴は、一人でにやにやと笑っていた俺の背後から覆いかぶさってきた。首にかけられた兄貴の腕から、すぐ真横に兄貴の顔がきているせいで、緩やかに香る葉巻の匂いと血の匂いが俺の頭を麻薬のように駆け巡っていく。衝天しそうなほど舞い上がった俺の頭を、一度、銃声が突き破った。見れば、兄貴の右手が持っている銃口から放たれた弾丸が、俺が関節を滅茶苦茶にした生きた肉塊(いや普通の人間も生きた肉塊か)の命を奪っていた。痛みで地面をがりがりとひっかいた男の指からはがれた爪が、魚の鱗のようにアスファルトに散乱していた。
「趣味悪いなぁお前」
「ラッドの兄貴に言われるとは心外です!悲しい・・・いや嬉しい話をしよう!」
「何が嬉しいんだよ」
「兄貴が慈母のように優しいからです!」
俺の台詞に苦虫を噛み潰したような顔をして、ラッドの兄貴が小さく「訳わかんねぇ」とあきれた声を上げた。俺はにこにこ笑ったまま、兄貴の顔を見上げた。しかし、悲しい話かもしれない。きっと俺は誰かに関節めちゃくちゃにされて、死んだほうがマシだなんて状態にはならないだろうから、きっと兄貴の優しさを享受るすことはないだろう。
「悲しい、悲しい話をしよう!ハンカチ片手に聞くがいい!」
馬鹿か、と兄貴が笑った。兄貴の優しさに俺が涙が出そうだった。
■ラドルア・ラドルア・ラッド&リカルド
あ、と一度零した私の声を耳ざとく聞きつけて、ラッドは私を抱きしめたまま動きを止めた。どうした?耳元で囁かれる低い声にぼんやりと聞き入って、目の前で少しはねた銀色の髪を指で掬う。
「フランツ・グリルパルツァーという人を知っている?」「いや、知らん」ボクシングの人には詳しいのに。私はちょっと笑った。その知識の偏りが、ラッドらしいと思ったのだ。「オーストリアの劇作家の人。この前本で読んだの」
「はぁん。で、それがなんかしたのか?」「キスする場所にそれぞれ意味があるらしいの」私の首筋に唇を押し付けて、ラッドの動きが止まった。
「へぇ。あってるのか?」「さぁ、どうかしら」くすくすと私が笑えば、ラッドがぱっと身を離した。子供のようにむくれた顔がやけに可愛らしくて、私は少し突き出された唇に噛み付いてみた。首のキスは欲望。唇は当たり前だけれど、愛情だった。
夢を見た。噎せ返るような血の匂いがして、あたりはとても暗い。普段ならばなんとも思わないのに、やけに悲しくて、苦しい。
恐怖はまったく無くて、ただがらんどうな入れ物の中に放り込まれて、私はただ一人泣きそうになっていた。
空気は生温く、足元は覚束ない。
「何してんだ?あんた」
唐突に声を掛けられて、私ははっと顔を上げた。暗闇の向こう、一人の少年が立っている。
ここがどこかしってる?
私は問いかけようとしたけれど、何故か声がでなかった。喉に触れてみるけれど、特に何もない。薄ぼんやりとしか見えない少年は、不思議そうに首を傾げて、「あんた、花嫁かなんか?」と聞いた。ふと気がつくと、私はあの列車の時と同じ、真っ白いドレスに身を包んでいた。あの列車のことは、思い出したくない。寂しくて、切ない。悲しみで一人で死ねそうなほどだ。しかしそれはラッドが許さないだろう。
「ラッド・・・」
今度はちゃんと声が出た。私の嘆く声に、ぴくりと少年が動いた。「俺を知ってるのか?」
え?
私が瞠目する向こう、少年はじっと動かないまま、問いかけてきた。「あんたの名前は?」
ルーア。
私の喉は音を発さない。暗闇の中、少年は顔を顰めて、しかしすぐにその表情を笑みに変えた。
「答えてくんねぇの?じゃあ、また会ったら教えてくれよ」
私は必死に頷いた。私が少年に歩み寄ろうとした瞬間、ずるりと目の前から暗闇が去っていく。夢が覚めるその前。瞼の裏の死のような黒色。私は知る。手を伸ばした向こう、そこに私の最果てがあった。
「フランツ・グリルパルツァーって知ってるか?」
唐突に問われた親戚の問いに俺はきょとりと瞠目して、「オーストリアの劇作家?」と問い返した。知ってるのか、と驚きと嫌そうな感情の入り混じったラッドさんの声に噴出しそうになりながら、その人がどうかしたのか聞いてみる。実際の所、俺が実際に知っているわけじゃなくて、シャムが知っていただけなんだけれど。
「いや、別に深い意味はねぇよ。俺薄学なんかな、って思っただけだ」
「で、結局薄学なんですか?」
「・・・分からん。っていうかよぉ、そんな劇作家とか、お前興味あったっけ?」
「いえ、別に」
「ふーん・・・」
何か考え込んでいるのか口数の減ったラッドさんを見て、俺はフランツ・グリルパルツァーについての知識を掘り返した。ふと、少しだけ頭に引っかかった言葉に、「あ、でも、その人が書いた作品で好きな言葉がありますよ」とラッドにふっかけてみようと思った。
「何だ?」
「ザッフォーというものから、『生きることがもちろん人生の最高目標である』」
俺の言葉に目をきょとん、と見開いて、すぐ後に凶悪気にラッドさんは笑った。
「ふぅん。女だったらいいな、そいつ」
どうやかこの話題は良かったようだ。ちょっと笑って、「まぁ、そんなに名前が知れてるわけではないと思いますから、気にしないでいいんじゃないですか?」と言ってみる。ラッドさんはそんなもんか、と納得しながら、椅子から立ち上がり、部屋から出て行こうとした。その途中、くるりと振り返って、至極真剣そうにラッドさんが言った。
「・・・そいつ、男だよな?」
「フランツなんて女がいたら、困りますよ」
俺は久しぶりにけらけらと笑った。
■グラッド
例えばその眼球におとなしく収まっている綺麗な蒼色した小さな色彩が、空か海からきたものだとしたら、おそらく断固とした意思を持って、南極の氷だろう、とグラハムは思った。シャフトから以前聞いた話だったのだが、氷というものは冷たければ冷たいほど青さを増すらしい。そして冷たすぎる氷は熱のように熱い。まるで兄貴のようではないか。
そんな考えを真摯にシャフトに語ってみても、つまらない顔した舎弟の男は「ははぁ、グラハムさんはチョコレートかキャンディかと問われたらケーキと元気よく答える子供のようですね、合点しました」と呆れた声をあげるばかりであった。顔に続いて言うこともつまらないので、グラハムは手に引き摺るモンキーレンチで男の腹部を殴りあげた。昼間に喰ったサンドイッチを嘔吐しやがった。貧弱な奴である。飯も禄に食えないスラム街の少年少女に謝るがいい、とグラハムは思った。街角で貧困に喘ぐ子供達に寄付金を、と叫ぶ大人と自分が重なって、己が聖人君子のように思えた。笑える。こんな優しい俺になら、兄貴も惚れ直すかもしれない。思いつきは確信に変わり、苦しみに悶絶するシャフトを放置してグラハムはルッソ邸へと散歩に出かけた。
グラハムは大抵毎日がハッピーである。なぜならばと問われればもちろん世の中には俺の手の届かぬ巨大で難解な塊が俺に解体されるのを今か今かと待ち続けているから、としか言い様が無い。美しいものを生まれたままの姿に戻す行為を愛してる。かつての友人とひょんなことで以前会ったとき、まぁ一杯、と小さなレストランで昔の話にでももつれ込もうとした。だがかつての同胞である薄汚れた男は今通う情婦の淫蕩さについて長々とグラハムに語るだけであった。そんな過剰ともとれる男の自慢話に耳を傾けながら、まるで男が女を解体しているかのような錯覚に陥った。グラハムは解体作業の幸福感は、己の友人にとっては女を抱いているかのような幸せ具合なのだろう、と理解した。それならば己は毎日性交の快楽を受け続けているのだ。なんと幸せなことだろうか。
その難解な塊の対象のうちに、己の崇拝するラッド・ルッソはいた。いつまでたってもボルトが緩められぬ。悔しくもあり嬉しくもあった。手の届かぬ。手は届いているだろうか。グラハムは分からない。解体できない。むなしい。切ない。恋をしているかのようである。
優しい俺が貴方のために来ましたよ、とラッドの私室への扉を開ければ、ラッドは大して驚いた風もなく、綺麗にさらりと拒絶した。
「優しいお前はつまらん。帰れ」
挨拶もなしに帰宅命令である。じゃあ兄貴はどんな俺が好きですか、俺に酷くされたいですか、愛して欲しくないですか。
「お前の愛は解体することだろ?グラハムちゃん」
ラッドは薄笑いするだけである。
「生憎お前の優しさに触れて全身ぐにゃぐにゃになりたいなんて思ったことは一度もねぇんだよ」
グラハムは衝撃を受けると共に、じゃあどんな俺が好きですか、解体する俺は嫌いですか、と扉の近くで一人狼狽した。グラハムのテンションは最高潮であった。手に持つレンチは関節を求めて空中を踊った。ラッドは綺麗に笑って見せた。
「俺が一つ一つ教えてやらねぇとわからねぇのか?」
がらん、と掴み損ねたレンチが床に落ちた。両手は何かを求めて空中を彷徨い、結局ぼろぼろと泣き出したグラハムの目から零れる涙を救うのだけで精一杯になった。
「貴方を愛したいです」
「ならそれに答えることだ」
悠然と椅子に腰を下ろしたままの男は、至極静かに言った。女々しく泣き続けるグラハムを、舌先だけで嘲笑っていた。グラハムは未だに男に届かない。