■貴方のための俺の人生だ!
 
 
 
 宗教っていうのは元々よくわからないものを神様の力扱いにして恐れ崇め奉ることから始まったのよ、と博識な姐さんは言う。俺はなんとなくその後に続く言葉を予想しながら、そうなんですか、と相槌を打った。姐さんは俺のために林檎を剥いてくれて、そして甘い紅茶も淹れてくれた。兄貴が知ったら怒りそうだと思いながら渡されたものを素直にしゃくしゃくと食べていると、ルーア姐さんはいつの間にか俺の顔をじぃ、と見つめて、でも、とか弱い小さな声で囁いた。
「ラッドはよくわからないものじゃないし――ラッドは人間よ」
「姐さんはラッドの兄貴を崇拝してないんですか?」
 俺が小首を傾げて問いかけると、姐さんは紅茶を飲もうとした手を止めて、またティーカップをテーブルに置いて、俯いた。
「意地悪な質問はやめて・・・・・・」
「はい。すみません」
 俺が兄貴を神様のように崇拝している自覚はあったが、それ以上に姐さんが兄貴を崇拝しているのは、俺だって分かっていた。誰よりも兄貴に殺されたがっているのは姐さんだ。その強さと殺人狂である点を、もっとも肌で感じ取ってもっとも愛して、そして崇拝しているのは姐さん自身だった。
「グラハム」
 姐さんは恐る恐る、と言った風に顔を上げて、俺の顔を伺うようにして見た。美しい二つの眼球がつやつやと濡れていた。柔らかそうな唇に白い肌、ブロンドの髪が姐さんの肩をさらりと零れる。その柔らかい女の肉体に孕んである、兄貴の愛した狂気が彼女を一層いい女にしていた。
「私が憎い?」
 兄貴は姐さんを抱いただろうか。あの人殺しの両腕で抱きしめてキスをして肌を嬲り、舌で彼女の肉体を嘗め彼女の子宮を愛しただろうか。俺はそこまで妄想しながら、へへへ、と笑って見せた。
「まさか。俺は姐さんが滅茶苦茶好きですから」
 本当のことを言ったのに姐さんは何故か悲しそうだった。悲しそうに、そう、と一度頷いて、ありがとう、と言う。そして最後にごめんなさい、と言うのが不思議で、俺はとりあえず林檎を食べた。蜜のたっぷり入った甘い林檎だった。



 姐さんは何かを勘違いしている。と思う。俺は勿論兄貴が好きだ。尊敬して敬愛して崇拝して愛してやまない程度に、好きだ。でも姐さんのことを愛している兄貴が好きで、姐さんに愛されている兄貴も好きだ。姐さんに取って代わって兄貴の愛されポジションに立つなんてそこまでのことは勿論言わないし、羨ましいと思うことが無いとは言わないが、姐さんになりたいとは思わない。俺には俺のこのポジションが与えられているし、姐さんにはできない兄貴と一緒にいる方法がある。憎い訳が無い。
 だけど、姐さんにそう言われて、その後からずっと胸がむかむかしてどうしようもなかった。林檎で胸焼けってするものなんだろうか? 兄貴とぶらぶら裏道を歩いてこの間見つけた美味い飯屋に行って、その後気ままに散歩している最中も不思議と気分は優れなかった。
 廃工場にたどり着いて、奥にある俺が寝床にしているスペースまで兄貴は歩いて、ぎしぎしうるさいソファに座る。なんか調子悪いのか? と兄貴は葉巻を取り出して銜えながら俺にそう聞いた。俺はむすっとした顔をしていると自覚しながら、昨日あったことを話した。
「出すぎた話だとは思いますけど」
「まぁその通りなんじゃねぇのか」
 はん、と兄貴は見下すように笑った。怒られる、か気持ち悪いと言われるかでびくびくしていた俺は思わず固まってしまった。ですよね、と言いかけて、そろりと覗きみた兄貴の目が綺麗で見蕩れた。兄貴は少し考えるふうに地面を見ていた。
「お前は俺のことが好きなんだろ、グラハムちゃん」
「はい」
 おっと素直に言いすぎた。しかし兄貴は華麗にスルーして顔色一つ変えずに、「ルーアのことを愛してない俺のことだって変わらず好きなんだろ?」と言った。
「ルーアじゃなくて他の奴を愛してる俺だって好きになれんだろ?」
「・・・・・・そう、ですね」
 ふむ。それは考えたことは無かったが、確かにそうかもしれない。俺が頷くと、続けて兄貴は言った。
「でもよぉ、例えば俺が愛してないルーアだとか、俺と係わり合いの無いルーアとかはよ、お前、別に好きじゃねーだろ」
「・・・・・・」
 それは。そうかもしれない。
 兄貴が愛しているからルーア姐さんが好き――と言われたら、その通りかもしれなかった。
「でも、それは、俺が姐さんを憎む理由には、ならないと思いますけど」
「本当にか」
 兄貴は紫煙の向かい側でにやにやと笑っていた。
「俺に愛されたくねぇの?」
 嘲笑するような兄貴の声を聞くと胸が苦しくなる。別に、誘っているわけじゃないんだ。兄貴はただ俺をからかっているだけだ。だというのに、俺は興奮が抑えられなかった。脳裏に愛し合う姐さんと兄貴が浮かんで、それでまた興奮するのを感じた。
「お、俺は」
「変態だな、グラハムちゃんは」
 それにかわいそうだ。兄貴はそう言ってふわりと紫煙を吐き出す。俺は体中に嫌な汗が噴出すのを感じながらまたその目に見蕩れていた。人の肉を切り裂く人食い鮫の並んだ牙を見ていた。それに殺される俺を夢想して、泣きそうになっていた。それが俺の望む至高の幸福だった、はず、なのに。兄貴の幸福こそが俺の幸福だったのに。
「俺の人生は、兄貴のための人生なのに」
「お前の人生なんざいるか」
 兄貴は笑っただけだった。俺の汚い涙は兄貴の紫煙を孕みながら床に落ちる。姐さんのごめんなさい、は謝罪じゃなかったのだ。俺を哀れんでいたのだ。知らないまま尽くしたかった俺を。勘違いを守り通したかった、馬鹿なガキを。
2011/2・23
ぽふさまへ


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