■彗星は綺麗な水鳥を射抜けない



 湖の畔で縊り殺されている白鳥を発見のは可哀相なことに南斗の慈母星であるユリアであった。子供と遊ぶか散歩をするかでしか暇を潰す術を知らない娘は共をつけて少し離れた湖に歩いて向かったのだが、その畔で首をおかしな方向に捻じ曲げられた真っ白い鳥が無惨にも放置されていたのを見つけた。明らかに人の手にかかって死んだ生き物を、ユリアは共の者が止めるのにも関わらず素手で地面を掘って鳥を埋葬してやったそうだ。泥まみれで帰宅したユリアを見て、その場に居合わせたシンが共にいた女を殴り倒したという話をレイはそのとき妹への誕生日プレゼントを考えている状態で話半分に聞いていた。つまり興味が無かったのである。
「シンが女に手を出したことに驚けばいいのか、ユリアとやらが鳥を埋めたことを驚けばいいのかわからん。よく覚えて無いが、前もそんなことあったんじゃないか? その女、いつも猫やら犬やら埋めてるだろう」
「私が言いたいのは縊り殺されていた白鳥のことだ」
 シュウは努めて冷静に答えた。正直に言えばレイの言うとおり南斗六聖拳と呼ばれる中の1人が容易く一般人に手を上げるような人間であることは問題だ。しかしそれより気になるのは鳥の方だ。死んでいるのが犬猫であれば車に轢かれたものが大半であるから何がどうしたということはないのだが、白鳥、しかも人が殺意を持って殺しているというのが気に掛かった。
「白鳥がどうかしたか? ああ、息子と見に行く約束でもしてたのか」
 鈍感というべきか思案が足りないというか、シュウは口を一度開きかけて、静かに閉ざした。本当は気付いているのではないかとさえ思う口ぶりでなんと言えばいいか惑う。
「まぁ、そんな所だ。随分と美しい白鳥がいると、シバが言っていたからな・・・・・・」
「まぁ来年になればまた違う白鳥が来るんじゃないか? それに死んでたのは1羽だけだったんだろ。まだ他にもいるかもしれん」
 シュウはそうだな、と頷いて、ゆっくりと立ち上がった。足で椅子の位置とテーブルの位置を確認して、そこからはまるで目が見えないことを感じさせぬほど滑らかに入り口へと向かう。
「妹のプレゼントを考えるのも兄としては大切なことだが、水鳥拳を使う拳法家として鍛錬を怠らぬのも大切だぞ」
「分かってるよ」
 ふっと微笑んでシュウは部屋を後にした。ソファにごろりと寝転がって去年あげたものや彼女へのプレゼントで悩む知り合いのことを思い出しながら、レイは少しだけ首の骨を折られて死んだ鳥のことを夢想した。シュウが何を言おうとしていたかは薄々勘付いてはいたのだがそれをやったのが誰で一体何を考えて鳥を殺したのかというのはあまり考えたくは無かった。肌寒くなってきたので窓を閉めようかと立ち上がりかけると夕暮れの空をちらりと星が流れた。落ちながら光ることしかできぬ、と心の中で哀れんだ。星を哀れんだのか人を哀れんだのか、レイには判断がつかない。



 鳥を縊り殺したのはその鳥が群れの中で最も美しく処女のように真っ白だったのに腸が煮えくり返ったからだ、とユダは問われればそう堂々と答えただろう。しかし幸か不幸かユダに白鳥のことを問う者はいなかった。シュウとサウザーは薄々勘付いているようだったがシュウはあえて何も言わないようで、サウザーはそもそも興味が無さそうだった。誰の思慕でも情でも興味が無いのだろう。愛を笑って足蹴にする男である。自分を慕ってきた女に手を出せと優しく囁いて、夕飯の煮立ったスープの鍋の中に手を突っ込ませるような男だ。自分に向けられた愛さえこのように溝に掃いて捨てる男が他人の恋愛事情に口を突っ込む気はないのだろう。
 恋愛事情? 否否、これは単なる憎悪である、とユダは口紅を弄びながら自嘲した。好意と悪意を履き違えて痛い目を見るのは御免だ。俺は頭が良いのだ! しかしユダは可愛さ余って憎さ百倍という言葉を知らなかった。そして今日もまたあの湖に足を運んで水辺で休む白い鳥を見てまたぎちぎちと爪を噛むのだった。
 嫌いならば来なければ良かろうものを! と心の底ではわかっていながらあの美しく羽ばたこうとする鳥が脳裏から剥がれず心がかき乱されて仕方が無いのだった。こうなれば一匹残らず殺してやろうと踏み出せば、「よう」と暗闇から声がした。
 声のした方を向けば湖の畔の大きな木の根にごろりと身体を預けてレイが寝ている。ぎょっとして目を見張ってもレイは微動だにせずに騒ぐなよ皆が起きるだろうと、まるで白鳥の仲間のような口ぶりで謳った。
「いや、貴様ここで何をしている、レイ」
「俺はレイじゃない」
 どこからどう見てもレイだろうがこの野郎と殴りかかろうかと思ったがレイではないと嘯いたレイは「俺は昨日お前に殺された白鳥の幽霊だ」と飄々と笑った。
「はぁあ?」
「俺の仲間が今日も殺されちまう気がしてここでお前を止めるために待ってたのさ」
 ならば何故そこまであの男に似ている、とユダは喚き散らしたくなったが、レイがまるで猫のようにしなやかに立ち上がり、ゆったりと伸びをするのに見蕩れて言葉を無くした。うっとりと微笑むレイは妖艶な女にも見えた。ユダが言葉を無くして憎しみでわなわなと震えるのにまるで音も無く近寄りって笑う。レイの手がユダの手を捉えて、白鳥の癖に真っ黒い髪に添えさせた。豹の毛のように滑らかな質感にユダはぶるぶる身体を震わせて、レイ、と小さく喘いだ。
 レイではないと言っていたのもすっかり忘れて、ユダはもう片方の手もレイの頭に添えて、音も無く彼の首に指を這わせた。
「もう一度縊らせろ。お前の、苦しむ声を、俺に聞かせろ」
「できるものなら」
 レイはふっと微笑んで、次の瞬間には獣を彷彿とさせる敏捷さで彼の手が真上に振り上げられた。空中に真空を生み出す刃がユダの顔の真横を奔る。ユダは反射的に身を引いていた。ユダの綺麗に結われたみつあみが無惨にもバラバラにされて宙を舞った。レイはげらげら笑ってもう片方の手を真横に振る。ユダの身体があった場所を、空気が切り裂かれる悲鳴のような音だけが薙いだ。
「きさ、まぁあああああああああっ!!」
 ユダが叫んで白鳥が飛び立つ。寝入った獣が起きて悲鳴を上げて散り散りに去っていった。ユダの掌が逃げ惑う白鳥の腸を突き破り一匹仕留めたが、すでに、レイはまるで重力を感じさせぬほどの美しさで宙を舞っていた。木の上にすとん、と降り立って、無様に地面に立ち尽くすユダを嘲笑う。
「俺はあんなただ美しいだけの弱い鳥ではない」
「何が白鳥の幽霊だ! お前もすぐ死んでしまえ! 死んでしまえ!」
 まるで負け犬の遠吠え、駄々を捏ねる子供と一緒だ。レイはそんな醜い言葉もまるで意に介さぬように、柔らかく笑うばかりだった。身体のひしゃげた白鳥の屍骸が、無様にユダの手に張り付いている。
2011/7・11


TOP