■夢の中に落ちてゆく 2
好きという感情は人が思うより難しいものだと、ターレスは思っている。実を言うと、ターレスは地球に来て、一度死に掛け、そして地球を脱出し、広大な宇宙の海を漂い、様々な星へ流れ着くまで、「好き」という感情を知らなかった。
そこまで興味が無い感情だったのだ。
そもそもサイヤ人に人を愛する、愛でるという感情は無い。子供を愛しく思う感情さえない。力が無い生き物が悪で、強い生き物が正義だ。それなら子供さえ悪になるし、むしろ目の前を這いずりまわる虫けらと同義だ。無論、ターレスの親だってターレスをそう感じていたと思う。ターレスは実の親に会ったことはない。たとえ会ったとしてもは、道ですれ違ったことぐらいはあったかもしれない。だが、確実に顔は知らない。どうせ下級戦士であろうから、男は己と同じ顔をしているだろうし、女はセリパみたいな顔をしているだろう。もしかしたら死んでいるかもしれない。量産性の機械のようなものだ。ただ、その中に詰まっているものが油やバッテリではなく、血液や内臓であるというだけで。
気に入る生き物というものは、少なくはなかった。宇宙を数名の部下を引き連れて自由気ままに暴れまわってきたのだ。勿論部下は気に入っていた。嫌いな生き物とわざわざ宇宙船の中に密閉されて我慢できるわけがない。だが、好きというのとは少し違う。ターレスにとって部下は丁度いい駒や盾でしかなかったし、勿論部下にとっても的確な命令を与えてくれる上司でしかなかっただろう。関係はどちらかといえばサイヤ人にとってのフリーザのようなものだった気がする。そこまで崇拝はしていなかったし、勿論そこまで上下関係であったわけではない。むしろ悪友のような関係と言った方が、あっている気さえする関係だ。
なら、孫悟飯はどうだろうか?ターレスの思考は毎回毎回そこで壁にぶち当たる。
気に入っているか?イエス。
守りたいと思うか?ノー。
守られたいと思うか?ノー。
愛しいと思うか?イエス。
好きか?
答えは何度も見失ってしまう。愛しいという問いにイエスと答えられるのならばその答えは好きに直結するのかと言えば、それは否だ。ターレスを含むサイヤ人はプライドがあった。戦闘民族という誇りがあった。それ故に、戦いが絡むとけして負けることは許せない体質にある。
ターレスは敗北していた。死に一番近い場所まで追いやられた。ゴミのように地面に転がり、空から一番遠い場所から、敵を見た。体が動くことができないのに、敵がまだ生きているという事実がこれほどおぞましいとは知らなかった。ターレスは恐怖を知った。屈辱を知り、そして憎悪に身悶えた。孫悟空が憎かった。
孫悟飯は孫悟空の息子である。誰がどう見ようと孫悟飯には孫悟空の面影があった。父譲りの癖もある。ターレスは孫悟空を苦しめることができるのならば孫悟飯を殺したって構わないと思えるような生き物だった。
それでもターレスは孫悟飯を愛しい生き物だと思った。子供が好きだというわけではない、と思われる。ターレスは幼い頃から、自分よりもっと幼い子供を塵のように殺し続けてきていた。勿論それは肌が青かったり橙だったり、人とは遠い生き物も含まれていたが、人間に近い形をしている生き物だって殺してきた。孫悟飯を愛しいと思ったのは、別に少年愛やらそういうものは含まれて居ないはずだ。
強いから?利用価値があるから?それなら他にもいる。わざわざ子供に手を出す必要は?自分の好きなように調教がしたいから?自らの手で強い戦士を育てたいから?
どれも的を得ているようで得てはいない。不可解なことばかりだ。理解ができない。確実に毒されている。生温い空気に。
ターレスが返答に詰まっているのを見て、悟飯はほっと息をついた。お祖父ちゃんの嘘ではなかったらしい。それなら今からやり直せるということ。悟飯は静かにターレスを見返して、微かにたじろぐ男を見た。
「その、前はちょっと、かっとなってごめん。僕はターレスが何を考えてるかとかわかんないんだけど、前は言いすぎたし、コーヒーとか、マグカップとか、投げつけちゃって、熱かったでしょ?それで、その、謝りたいん、だけど。その、ごめんなさい!」
ええい、もう一気に言ってしまえ、と悟飯は頭を下げた。そのまま早口で言葉を紡ぐ。今ここで頭を上げてターレスの顔を見て、物凄く睨みつけられていたらどうしようもないと思ったのだ。
「あの後色々考えて、やっぱりサイヤ人とか地球とかの価値観って違うと思ったし、ターレスだってあんなこと言ったのは、別に超2を怒らせるつもりはないんじゃないのかなぁっておもって、いや、でも、もしかしたら怒らせるつもりだったのかもしれないけど、その、とにかく、なんていうか、僕もターレスも認識が甘かったんじゃないかな、って思って!あ、その、それで、超2に会ったんだけど、超2はもう怒ってないみたいだから、その、ゆ、許してくれる?」
しどろもどろに吐かれた言葉を一気に受け止めて、ターレスの頭は崩壊寸前だった。何故自分が謝られているのだろうか。いや、もしかしてこれは「付き合ってくれますか?」「ごめんなさい」っていう意味なんだろうか。それにしても話が回りくどすぎる。
ターレスが黙っていると、深々と下げた頭を微かに上げて、悟飯が上目遣いにターレスを見上げた。ターレスが変なものを見る目で己を見下ろしているのを見て、悟飯もようやく不思議そうな表情を作った。
「・・・あ、えっと、その・・・ターレス?」
「ちょ・・・ちょっと待ってくれ。考える時間をくれ」
片手で悟飯を制して、ターレスは空いた手で自分の頭を押さえる。数秒止まって、ようやく事態が把握できた。どうやら、「ターレスが孫悟飯が好き」ということがバーダックから悟飯に伝えられたことは確かだが、情報の行き違いによってターレスの好きというのは「恋愛の好意」ではなく、「友愛の好意」だと取られているらしい。
「よし、分かった」
その事実によってターレスはこれからどうするか、だが。
頭を上げた悟飯は不思議そうにターレスの顔色を伺っている。
これからの対応としては、素直に己も謝罪して、何事も無かったかのように以前までの関係を持続させることだ、とターレスは判断した。別にターレスは悟飯と愛し合うなんてことが最適だとは思わない。気に入った人間に気に入られるのは勿論嬉しいが、だからといって手篭めにしたいとは思わない。かつての己の部下との関係のように一定の友好関係を築くことができれば万々歳だ。むしろ簡単なことで関係を破綻させてしまう恋愛関係などもっての外である。自分の「恋愛の好意」が気づかれていないのならば、そのまま隠し通すべきだ。
そう思った途端、ふと空中に浮かぶ悟飯の背後に、悟飯と同じぐらいの背丈の少年の姿を見つけた。少年は右側の腕で同じぐらいの背丈の少年を担いでいて、もう片方の空いた手を口元に持ってきて、その人差し指を笑みの形を作っている唇に押し当てている。よくある「黙っていろ」というジェスチャーだ。おそらく右手で担いでいる少年は戦いの果てに気絶させた超サイヤ人の孫悟飯だろう。ぴくりとも動く気配が見えない。
超2はターレスに視線を注ぐ悟飯の背後に、数十メートル距離を開けて立っている。気配を完璧に消しているので、悟飯が後ろを振り向かない限り超に気づいたりはしないだろう。ターレスが目を見開くなか、超2は唇に当てた指を離し、片手で「続きをどうぞ」といった風にターレスを促した。
どういうことなのか、とターレスが硬直していると、超2の口がゆっくりと動く。その瞬間、ターレスは体の性能が良いサイヤ人の視力を呪った。超2の口は明らかに「言え」という一言を示している。
言え、と言う言葉が「何を言え」という意味なのか、ターレスは本能で察知した。超2はターレスの本音を直接聞いた唯一の孫悟飯だ。あの言葉の意味が「友愛の好意」ではないことぐらい百も承知な筈である。つまり、今ここで告白しろと命令しているのだ。あの子供は。
ぞっと背筋に冷たいものが這い上がるのを感じ取った。脅迫だ。それもとんでもなく姑息な!ターレスは眩暈が起こるのを感じた。
「どうしたの?」
悟飯が心配そうな声を上げる。普通ならばこんな距離にいたら、超2の存在にも気づくはずである。それでも、悟飯に気づいた様子はまったく無い。超2と悟飯の繋がりが希薄だからだろうか、と思う。超1ならばさすがに気づくのだろうが、当の本人は超2に痛めつけられて気絶中だ。助け船はない。ターレスはにやにやと笑う超2の視線から逃げるように、目の前の悟飯の肩に掴みかかった。両手でまだ幼い子供のものである方を固定すると、悟飯の目が大きく見開かれる。少年が見たその姿はターレスだっただろうか、それとも無くした大事な人の姿だったのだろうか、ターレスには分からない。
悟飯はターレスの手から逃れるようにもがくことはしなかった。ぴたりと静止したまま、じっと見つめてくるターレスの眼球をまっすぐ見返した。ただ、攻撃されるのかと思って反射的に上がった両手が、中途半端に上がって、止まっている。
たーれす?と不思議そうな、柔らかい声が上がった。敵に向けてあげる声ではない。信頼した、仲間を心配するような声だった。ターレスはこれからどうすればいいか分からない。触れた肩は熱を持っていた。生きている人間の体のものだった。今まで触れてきた生き物は、これから力を込めて殺すだけだった。愛した生き物をどうすればいいのか、サイヤ人には分からない。
ターレスが視線を微かに上げると、空中に静止している超2が冷たい目でターレスを見ていた。見下すというよりは観察するような、冷たい科学者のような視線だ。さぁ、これからどうする?と目が語っている。これから?ターレスは子供の体を見た。
黒い髪の毛が風に揺れて靡いている。黒い眼球が、まっすぐにターレスを見ていた。幼い手は空中で止まっていて、無言のまま何をしたいのか分からない一人の異星人を見ている。ターレスの導く答えはすぐに途絶えてしまうのだ。
固まるターレスを少し見ていた悟飯が、ゆっくりと体をターレスに寄せた。ターレスの肩口に頭を押し付け、幼い両腕をターレスの首に回して、両手をターレスの頭部に当てて、抱きついた。もはや添えるだけだったターレスの両手が、今度は空中で静止する。
「大丈夫だよ」
何が大丈夫なのか、ターレスは分からない。悟飯の手が、子供をあやすようにターレスの頭を優しく撫でた。
「人を好きになったのって、初めてなの?」
好きなら、抱きしめてあげるよいいよ、と悟飯は言った。抱きしめて、抱きしめてどうするのか?何の意味があるのか?絞め殺すことしかしたことはない。それでも、ターレスは導かれるようにその両手を悟飯の背中に当てた。幼い、それでも均等に筋肉の付いた、戦いの中に身をおく子供の背中に掌を押し付けて、そして一度、撫でた。
「好きだ」
一度言う。確信をもって言った。癖のついたその髪の毛を撫でて、悟飯も言った。
「僕もターレス、好きだよ」
「子供のままごとじゃあるまいし」
何年生きて、あんなことやってるんだ。超2は低く吐き捨てる。どうせまだ、悟飯はターレスの好意が友愛の好意だと思っているに違いない。抱きついて頭を撫でてやるのだって、ターレスが親に一度も愛されたことがない生き物だということを本能で察知したからに過ぎないんだ。
頭を撫でられたのだって、今の悟飯が初めてだろう。
空中で抱きしめあう二人を見る超2の目からは、どう見てもあの二人は親子にしか見えない。でも、僕らにとってのお父さんは孫悟空だけ。ターレスとの関係は悟飯は親でターレスが子供だ。何も知らない人殺ししか能のない生き物に友愛と恋愛を教えている。
ターレスが嫌いだった。ターレスという男が嫌いだった。元々面識が無いに等しい男だったが、その顔は見慣れた父親とそっくりであったし、声さえも父親に似ていた。ただ笑い方と、そのほの暗さを孕んだ二つの目が、一目で判別できるほど父親と似ていなかった。
自分が産まれたのは戦いの中だった。悟飯の体内で胎児のように体を丸め、生まれる瞬間を目を瞑って待っていたことを、よく覚えている。己が生まれたのは悟飯と同じ時だったが、目を開き己の意思で両足で地を踏みしめたとき、自分の感情は全て憎しみと悲しみで覆われていた。ただ目の前にいる己の世界の異物を、その憎しみの対象を殺すことだけで頭が一杯だった。
ターレスはあの時の自分によく似ていた。殺す対象のことを心から憎んでいた。何もかも許すつもりはなかった。ただ、敵の嗚咽を聞くことだけが愉悦へと変貌する世界に立っている。そんな悪夢を生きている。
ターレスが嫌いだった。これからだってずっと嫌いだろう。超サイヤ人2の孫悟飯は敵をけして許しはしない。
きっとこれからだってずっと許せないのは、自分がいつだって子供でいたいからだ。孫悟空の息子でいたいからだ。大人になるのが嫌だ。だからターレスが嫌いだ。子供のターレスが嫌いだ。愛を享受できない僕。愛を知らないターレス。自己嫌悪だ。大嫌いだ。
ようやく目を覚ましたのか、担いでいた超1が目を覚ました。僕の肩に手を置いて、ゆっくりと起き上がる。そこが僕の上だということに気がついて、うわぁ、と悲鳴を上げて、そしてターレスと悟飯が抱きしめあっているのを見て、またうわああ、と悲鳴を上げた。煩かったので口を閉じさせた。
「な、なん、なんっ、なにあれっ!」
「お腹空いた。帰ろう」
「ちがっ、そんな、いや、ちょ、ご、ごはん!そんな奴のどこがいいの!」
涙ながらに叫ぶ超1はけっこうウザったい。力ずくで担ぎ上げて、そのまま家へと飛んだ。どっちにしろ優しい悟飯は誰も嫌いにならない。誰も裏切らないし、見捨てない。ターレスだって愛してあげるに違いない。それが友愛だろうと恋愛だろうが享受するだろう。僕は関係ない。どうでもよかった。どうせターレスは悟飯を殺せない。僕らから悟飯を奪えない。
「楽しみだね」
「な、何が?」
知らないうちに、口が笑っていた。どこか心もうきうきしている。決まってるじゃないか。僕は笑った。
「いつか僕らもターレスが好きになるのかな?」
「、っ、う、うそだ・・・っ!そんなこと」
「僕らだって、孫悟飯だし」
僕が言うと、超1は顔を青くして、突然暴れ出した。
「そんなことになるぐらいならあいつを今すぐ殺してやるっ!」
「暴力反対じゃないの?」
「お父さんやピッコロさんよりターレスを選ぶ日なんて永遠に来なくていいっ!」
どいつもこいつも大抵病気だ。勿論僕も含めて。そうだね、と僕は頷く。僕の世界を支えてくれるのはお父さんだけで十分なのだから。それでも、一つだけ楽しみなこともあった。ターレスの奴が僕を愛してくれるのならば、僕も誰かを愛せるようになるのだろうか?その日になったら、僕は本当に全てのものから命を奪うことができなくなるんだろうか?少し怖くて、少し楽しみだ。でも、少なくとも今よりは、確実に僕は僕を少しは好きになれるはずだ。
「あと一つ楽しみなことがあるんだけど」
「・・・何?」
「勿論、ターレスが僕らを裏切った時、前回の悪口分の復讐も込めて、どう苛め抜いてやろうかな、と思って」
冗談のつもりで言ってみると、超1はさらに顔を青くして、馬鹿、そんなことしちゃ駄目だろ!と叫んだ。どうやらターレスに惚れる日も遠くは無いらしい。僕は超1に見えないように笑って、お使いの帰りを待つお母さんのところに急いで飛んだ。
日が暮れて、夜が迫っている。月から逃げるようにして、僕らは帰る。大猿なんて真っ平御免だ。知識に埋もれて眠るのだって、悪い生活だとは思わなかった。戦いのない世界を生きることが、夢だなんて誰にも言わせはしない。
2009/5・4