■始まりの鐘の音は知らぬ場所から鳴り響き
ターレスという男が嫌いだった。元々面識が無いに等しい男だったが、その顔は見慣れた父親とそっくりであったし、声さえも父親に似ていた。ただ笑い方と、そのほの暗さを孕んだ二つの目が、一目で判別できるほど父親と似ていなかった。
自分が産まれたのは戦いの中だった。悟飯の体内で胎児のように体を丸め、生まれる瞬間を目を瞑って待っていたことを、よく覚えている。己が生まれたのは悟飯と同じ時だったが、目を開き己の意思で両足で地を踏みしめたとき、自分の感情は全て憎しみと悲しみで覆われていた。ただ目の前にいる己の世界の異物を、その憎しみの対象を殺すことだけで頭が一杯だった。
ターレスはあの時の自分によく似ていた。殺す対象のことを心から憎んでいた。何もかも許すつもりはなかった。ただ、敵の嗚咽を聞くことだけが愉悦へと変貌する世界に立っている。そんな悪夢を生きている。
ターレスという男が、嫌いだった。
父親が死に、異物は消え、戦いの中産まれた自分は結局元の悟飯から排除された。すでに分離された超サイヤ人である自分とを含め、この世に『孫悟飯』は三人になった。
何も不安感や嫌悪感はなかった。もちろん、強大な力を常に内に抱え込む自分自身には不安があった。自分に何かがあって、この力を使いこなすこともできず、以前のように調子にのって大変なことを引き起こしても、今の自分を力ずくで止められる人は居ない。父親はもちろん居ないし、ピッコロさんでさえ今の僕を抑えることなんてできないだろう。もう、耐えられなかった。
僕は結局、安穏と過ぎる日々を毎日眠って過ごすことにした。食事や入浴、最低限の生活を送るための行動以外を、この世に産まれる前、悟飯の中でじっと、暖かいものに包まれる気分で眠っていることを思い出しながら眠った。幸いなことに、超サイヤ人の姿であるというだけで常に力を発散させるせいか、常に睡魔が付きまとっていたから、眠ることは苦ではなかった。悟飯の中と違って、この世で僕を包んでくれるものは今は無かったので、代わりに毛布の中に蹲って眠った。
僕より一段階前の超サイヤ人である悟飯は常にその姿でいる『悟飯』として修行をしていたから、睡眠時間はほぼ悟飯と同様だった。僕に、修行すれば睡魔もなくなるよ、と言ってきたが、僕はそれを辞退した。戦いのために産まれた僕が、そんなに長い時間起きて何をすればいいのか、良く分からなかったからだ。
1年経って、僕は自分の力が段々、ほんの少しずつ弱くなってきていることに気づいた。体が鈍っているのだ。それは当然のことで、一日の大半を眠って過ごしてきた僕が永遠に最強のままでありえる訳が無かった。悟飯達も勉強ばかりしているから、もしかしてこの力が減った影響は悟飯から受けているのかもしれない、とも思った。はっきりとしたことは分からなかったけれど、僕はそれでも構わなかった。
段々力が減ってくると、同時に睡眠時間が減ってきた。大半を寝て過ごしていた僕は、眠ろうとしても中々寝付けなくなって、それが逆にストレスになり始めていた。僕はついに諦めて、お母さんの手伝いをすることにした。僕が洗濯をするお母さんに、何か手伝いがしたいと申し出ると、お母さんは目を丸くして驚いた。眠くないのか、病気か、と色々聞かれたけれど、結局最近立てるようになった悟天の世話を頼まれた。シーツを広げようとしてもすぐ破いてしまうからだった。
悟天が生まれた瞬間、僕は分娩室の前のソファで眠りこけていたから、何があったかは分からないけれど、ぐうすか眠っていた僕を起こして、悟飯達が僕に生まれたての赤子を見せてくれた。きっと僕が触ってしまったら怪我をしてしまうのではないかと思ったから、僕はそれを見て、かわいいね、と一言言った。そしたら、無理やり悟飯が僕に赤子を押し付けてきて、慌てて僕は悟天を抱いた。重さも何も無いような、あまりにも小さな生き物だった。それをすぐに悟飯に返して、それ以降、僕は悟天に触っていない。
悟天は、僕がずっと眠っていたから、昼間に突然やってきた僕を見て、「にぃちゃ、ねむ、ないの?」と言った。良く分からなかったけど、うん、と頷いた。記憶の中の悟天とは見違えるほど大きくなっていたから驚いたけれど、触れてみればあの時と対して変わらない、ふわふわとした弱い子供のままだった。
僕がしばらく悟天と遊んでいると、悟飯が階段を下りてやってきた。僕の姿を見つけると、驚いたように目を見開いて、「起きたんだ」と少しほっとした声音で言った。
「うん、眠くないんだ」
「そう、でも、安心した。あんなに寝てると腐っちゃうよ。あ、そうだ。起きたならちょっと遊びに行こうよ。今息抜きに飲み物取りに来たんだ。白いのもいい加減集中力なくなってきたし。ね、行こう」
どうやら超サイヤ人と一緒に勉強していたらしい。僕があの時からずっと外に出ていないから、散歩ついでに周りも探索しよう、という話になった。僕が、悟飯の記憶があるからこの辺りのことは分かると言っても、悟飯は柔らかく笑った。
「1年あれば結構変わるものもあるよ」
「・・・・・そうだね」
僕は頷いた。その言葉の意味が、なんとなく理解できたからだ。僕は今になってようやく気づいた。時間は過ぎている。着実に。
悟飯も、お母さんも、自分の人生を過ごしているんだ。僕は。僕は?
僕の記憶は、ずっとあのまま、お父さんが死んでしまったあの瞬間から止まっている。よくやったな、悟飯。よくやったな。
顔色が悪いよ、まだ、どこか具合悪い?と悟飯が聞いた。僕は首を振る。僕だって、いつまでもこのままで居たくはなかった。苦しいだけだ。こんなの。
確かに、家の周りは結構変わっていた。大まかな部分は変わっていないけれど、一年前一緒に遊んだ動物が死んでいたりして、少し悲しかった。でも、同時にその死んでしまった動物の子供に会った。
話を聞いているうちに、色々と変わったものも知った。クリリンさんと人造人間18号が結婚したことにも驚いたし、あの時の赤ん坊だったトランクスの成長した具合だとか。セルを倒したことになってるミスター・サタンのことだとか。
いろんなことを話して歩いているうちに、近くを流れる川の源泉があった場所の近くまで来ていた。人気の少ないパオズ山の、その中でも特に動物も寄り付かない、静かな場所だ。一年前とまったく変わっていない。
「あっちに、ターレスがいるんだ」
「・・・・・ターレス?」
悟飯が突然、丘になっている方向を指差して言った。その出された名前が想像もしていない人物のものであったから、思わず訝しげな声になってしまう。記憶の中で、お父さんとそっくりの顔をした色黒のサイヤ人が浮かび上がる。今よりもっと幼い頃、仲間に怪我をさせ己を痛めつけ、お父さんと戦った男。神精樹という星のエネルギーを吸い取る化物のような木を地球に植え付けたかつての敵だったはずだ。
僕の不審そうな意を汲み取ったのか、悟飯と超サイヤ人の悟飯は声を揃えて、「別に今は何もしないよ!」と言った。そこでようやく、自分が右拳を握り締めていることに気づいた。ふつふつと湧き上がってくる憎しみが、あっという間に霧散していくのを感じた。
「丁度半年ぐらい前に来たんだ。前お父さんに倒された後、実は生きてたみたいで。お父さんはターレスが生きてたことを知ってたみたいだったけど」
「死に掛けてるところをお父さんが見つけて、悪いことしなければ見逃してやるって、見逃しちゃったんだって。最初ターレスは地球を攻めに来たんだけど、ほら・・・ベジータさんも居るし、僕だって結構強いしね」
顔を見合わせて、悟飯たちはちょっと笑った。
「今はなんか、やる気なくして一人で宇宙船に住んでる。たまに街にも遊びに行ってるらしいよ。悪いことはしてないって言ってるけど」
「あのね、ターレスの宇宙船の中、凄いんだよ!」
「そう、すっごいいっぱい本があるんだ。しかも、見たことも無い内容の、色んな言語の本。翻訳できる機会もあるし、面白い本も沢山あるんだ。勉強にも使えるし」
「ね、今度一緒に行こうよ。今は僕らの方がターレスより滅茶苦茶強いから、何も心配いらないし」
僕は信じられなかった。ターレスが改心したとかっていうよりも、あの時の敵を、こんなにもあっさりと信用している悟飯達に、だ。
未だ、数年前に戦った敵とはいえ、僕の心の中に渦巻く思いは憎しみだった。あの男がお父さんにした仕打ちを思い出すだけで腸が煮えくり返そうだというのに。その瞬間、僕は理解した。
彼らの、憎しみという感情を全て僕が受け取ったのではないかと。
その一つの事柄を理解した瞬間、一気に腹の奥の暗い部分が冷たくなった気がした。じくじくとした痛みを持ちながら、ぐずぐずとその重みを増している。
遅くなってきたからそろそろ帰ろう、と悟飯が言った。そしてさりげなく僕へと手を伸ばしてきた。その手が触れそうな瞬間、僕は気づかない振りをして、そうだね帰ろうと悟飯の手を避けて歩き出した。一刻も早く、こんな場所から離れたかった。ターレスの話をする悟飯達が嫌だった。あんなに、楽しそうに。僕は今にも吐き出してしまいそうだった。
憎い。憎い。憎い!
結局、ターレスの宇宙船にはその二日後行く羽目になった。本当はあの日の次の日に行く予定だったらしいが、お母さんが呼んだ家庭教師が来るらしくて、悟飯達は勉強漬けになっていた。結局、僕もなんだかんだで勉強する羽目になって、一人別室で本を読んで過ごした。とにかく次の日が憂鬱で、明日も家庭教師が来ればいいのに、と思った。
ターレスの宇宙船へやってくると、既にスカウターで察知したのか、ターレスが入り口に立った瞬間に扉を開けて出迎えてきた。記憶と変わりの無い父親とそっくりな顔を見上げれば、ターレスは「また来たのか、変な奴らだな」と呆れた声をあげた。
「変な奴って失礼だな」
「お邪魔しまぁす」
悟飯たちはターレスの横をすり抜けて宇宙船の中へ入っていく。その背を目で追っていたターレスが、ぽつんと突っ立っている僕に目を留めた。
「初めて見る顔だな。・・・いや、顔は見てるな、二人も」
「くだらないことを一々話さないでよ」
くっと笑みを噛みながら呟くターレスを一蹴して、僕は吐き捨てるように言った。ターレスは僕を目を眇めつつ見て、ふうん、と一度納得したように頷く。
「何」
「いや、なんでも。入るだろ?悟飯達なら突き当たりを右の部屋だ」
「分かるよ。僕だって悟飯だもの。それと、馴れ馴れしく悟飯って呼び捨てにしないで。不愉快なんだけど」
「そりゃ申し訳ないね悟飯くん」
僕がきっと睨みつけると、ターレスは一度笑って、両手を降参の意を示すように上げて、左側の通路に行ってしまった。僕はその背中を睨みつけながら、悟飯達の向かった部屋へと向かった。
確かに、ターレスの宇宙船には色んな本があった。町の図書館にもこんなにないだろう。ホイポイカプセルのようだけれど、書物を圧縮して必要な部分だけ的確に抜き出した、おそらくターレスが自分で作った論文集があって、悟飯の部屋にある参考書よりよっぽど分かりやすかった。
その日は本を読むだけで終わった。読んでも読んでも終わりがない気さえしていた。こんな部屋があと6つはあるっていうか驚きだ。生きているうちに読み終えられるだろうか。僕が本を読みふけっていると、悟飯がにこにこしながら見つめてきていた。
「どうしたの」
「ううん、やっぱり、僕らって一緒なんだなって思って」
本を読むのが好きなところだとか、と悟飯は笑う。そんな些細なことで喜ぶ悟飯が不思議だったけれど、胸が温かくなった気がした。
窓から差し込む太陽の光りがだんだんと赤みを増してきた頃、悟飯がそろそろ帰ろうと言った。丁度ずっと閉まっていた扉が開いて、ターレスが顔を出す。帰るよ、と悟飯が一言言うと、ああ、と一言返す。悟飯と超サイヤ人にの悟飯が先に外へでていくのを見て、僕も出ようとした途端、僕の手首がターレスに捕まえられた。
僕がターレスを見上げれば、ターレスは僕をじろじろと見つめ、ふうん、ともう一度納得するような声を上げる。
「触るな」
「お前が、超サイヤ人2って奴か」
ターレスは僕を無視して言った。僕が無言で見返せば、ターレスはにや、と口を歪めた。
「だから何」
「いや、超サイヤ人を見ただけでも驚きだったんだが、それのさらに上がいるなんてな。珍しかっただけだ」
ターレスは僕から手を離し、そして跪いた。僕と顔の高さを同じぐらいにして、ふっと優しく微笑む。僕はその顔から目が離せなくなる。なんだ、何だその顔。そんな笑い方をするのは、ターレスじゃない、お父さんじゃないか――――。
ターレスはお父さんとそっくりな顔で、そっくりな声音で、優しく言った。今思い出しても吐き気がする。ゆっくりと、穏やかな声で、僕へ一言問いかけた。
「悟飯、人殺しは楽しいか?」
目の前が真っ赤に染まり、思考が停止する。喉がきっと軋んで、目が見開かれるのを感じた。僕の行動は迅速だった。降ろしていた手を握りしめ、目の前の男に向けて振り下ろす。
殺す。殺してやる。この野郎、お父さんの顔で、
おとうさんのかおでなんてことを―――――。
「やめて悟飯!」
叫んだのは、僕だった。地面まで降りている孫悟飯が、黒い目を大きく見開いて、僕を凝視していた。隣の碧の目をした僕も。
なんで、なんで止めるんだ。
目の前の男の顔は既に父親のものではない、憎い敵の顔をしている。なんで殺さないんだ。痛めつけないんだ。だって、だって。
「悟飯!」
だって。だってだってだってだって、おとうさん、おとうさんが、ぼくが、 ぼくが!
涙が溢れるのを感じた。ぼくができることは敵を排除することだけなのに、ぼくが、ぼくが。
ターレスは一度微笑んで、浅黒い拳を振った。僕は動けない。腹部に大きな拳がめり込むのを感じて、そのまま僕の視界は暗転する。
2009/4・18