眼は、音も立てずにゆっくりと交わされる。それは俺達が一人きりではないという事実、それは俺達が生きているという証拠。何も持たないのに背を伸ばして、立派に生きているという気になっている。
俺達がどこに還るかなんて興味ねねぇよ、と黒髪を風に靡かせて、男はニヒルに笑った。
どうせ死ぬのは戦場だ。他人の屍の上で生きるのなら、還る所なんて無いに決まってる。
言いえて妙だ。戦火から絶え間なく吐き出される灰が宙に舞うのを追いかけても、どうせどこにも行きつけない。ふと気づけば目の前に男の顔が迫っていて、そいつにしてはやけに珍しく、触れ合うだけのキスをする。続きは帰ったら。子供に教える親のようなセリフだと思った。どこにも還れやしないはずなのに。触れた指先はすぐに解ける。恋仲のようだと思ったし、同時に迷子のガキのようだと思った。
■タレ飯
最初、唇を子供のぽてっと厚い口に押し付けると、同時に手の甲が痛んだ。少し顔を傾けて自分の手を視界の端に捕らえてみれば、子供の幼い四つの指に付いている小さな爪が、俺の肉に食い込んでいた。唇を少し離すと、どいて、と小さなか弱そうな声が聞こえた。額をこつりと当てて、その数センチメートルの間をもって、小さく名前を呼んだ。たーれす、と子供は一度鳴いて、そして黙った。
■4タレ
口の中が切れたとかそういう次元じゃない。胃液が逆流していて、一緒に吐き出した血液と混ざった黄色い液体を床にぶちまけた。苦いと思えばそれはすぐに血液の味に早変わりするし、体のどこが痛いというには痛みを感じる所が多すぎて、頭の中で梵鐘でもガンガンと打ち鳴らされている気分だ。床に這い蹲って激痛に身悶えする姿は、基本的に見る側だったのに!ゆっくり歩み寄ってきた男が、ふぅん、と一度詰まらなさそうな声を上げた。
「立てよターレス」
じゃり、と男が踏みしめる足元で、砂を噛む音がする。立ち上がれるほどの力も残っていなかったので、黙って蹲っていると、男の赤い尾がなめらかな動きで俺の首に絡みつき、無理やり頭を引っ張ってきた。額から垂れた血液が、男の赤い尾を更に赤く、どす黒く変色させる。むしろ楽しそうに眼を細めた男の赤い隈取が、奇妙に歪んだのを見た。男の眼球は、昼間に見たときは太陽のようだと思ったのに、今、この状況になってみれば、満月を彷彿とさせた。それでも自身が猿にならないのだから、結局紛い物だ。男はもう一度、低く柔らかな声で言った。
「立て」
命令に従う必要なんざ無い。俺は喉に絡みついた血液と痰を飲み込んで、口に残った血液混じりの唾を吐いた。びちゃ、と男の足元に落ちる。一瞬、自分が死ぬことを想像したが、赤い猿は鮮やかに、むしろ楽しそうに笑っただけだった。
「それでいい」
なにがだ、馬鹿野郎。首に巻きついていた尾が外れたと思ったら、男の握り締められた拳が脳を揺さぶった。また一方的な攻撃が始まるらしい。子供に似て、喧嘩となると容赦がない。いや、子供がこいつに似たのか。抵抗しようにも腕も足も動かせないので、無様に地面に倒れると、男の足が俺の頭を踏みしめる。「立て、ターレス」無茶言うな化物が。俺にそっくりな顔をした猿が、煌々と眼を輝かせて俺を見下していた。
■43+カカ
幼い体躯を丸めて眠る姿は丸っきり猫、いや、変わりのない黄金色の髪からすると、ハリネズミだろうか。気持ち良さそうに眠っているのを見ていると、無意識のうちに手が伸びていて、背中を覆う長い髪に触れていた。ハリネズミの体毛とは違い、柔らかみがあり、どちらかというとその質量のせいでもさもさしている。やっぱり猫か。胡坐をかいた足の上に寝せていると、小さく唸りながら一度寝返りを打つ。口を中途半端に開けて、無防備ににも熟睡しているようだ。頭を撫でていた手をどかそうとすると、小さな手が俺の右手の薬指を親指を掴んだ。
起きたのだろうかと思ってそれを見ると、どうやら寝ぼけているらしく、眼は微かに開けているくせに、ぼーっとした顔のまま動かない。んー、と小さくぼやくと、俺の手の甲に頭を擦り付けてきた。何をするのかと思うと、俺の手を掴んだまま、再び夢の中に旅立ったらしい。頭を太腿に押し付けて、また規則正しい呼吸が聞こえてくる。
「・・・・・・」
一連の動作が愛しくてそれを眺めていると、向かいのソファからじとりと睨んでくる視線があった。顔を上げれば、カカロットがソファの上に三角座りをしてじっと見てきている。
「なんだ。やらねぇぞ」
「ちげぇよ・・・!」
サードのことを慮ってか、カカロットの声は押し殺したように小さい。それでもサードが少し動いた。へたっていた尻尾がふらりと動いて、しかし結局ぱたりと落ちる。やはり猫っぽい。猿だったはずなのだが。
「おい」
「ん?」
「・・・今のサードに変なことすんなよ」
何を言い出すのやら。しかしカカロットは敵意をむき出しにして俺を睨んだままだ。はっと鼻で笑う。
「カカの変態」
「んなっ!?そりゃてめぇだろうが!!」
あ、と思うより先にカカロットの怒声が部屋を震わせた。流石にこんな大声出されてもぐうぐう寝てる戦闘民族ではないと言うべきか、ぱっとサードが身を起こす。小さくなっても身のこなしは素早い、というか小さくなって更に素早くなったというか。
「・・・・・?・・・・はぁ!?なんで俺お前の膝の上にっ、いっ!?」
「部屋行って寝なおそうぜサード。ここカカロットいてうるせぇし」
「ええええお前許可なしに勝手に抱いてたのかよ!!変態!変態!!」
ぎゃあぎゃあ喚くカカロットを無視して、片手でサードを抱え込む。尻尾だけが健気に俺に抵抗していたが、観念したのかついにへたりと力を無くして垂れた。
■タレ2
「別に逃げたって良いんだよ」
「・・・何がだ」
「僕から」
「誰が」
「ターレスが」
「―――――意味がわからねぇな」
「怖くないの?」
「怖いのは好きだ。強い生き物なら特に」
「・・・・そういうのだから、早死にするんだよ」
「おい、人のトラウマひっくり返すなよ」
■43
「たまに、お前の泣き顔が見たくなる」
「・・・はぁ?」
「お前が辛そうな顔をして、何すれば良いか分からなくて、どこに行けばいいかも分からなくて、ひたすら俺だけに縋ろうとする瞬間の顔が、たまらなく好きだ」
「・・・お前って、今更だけど趣味悪いよな」
「それを言うならお前もだろ。なんてったって俺達、同じ生き物なんだからよ」
「本当に、たまにだけど、それを怪しく思う」
「おいおい、つれないこと言うなよ。ああ、いや、でも、もし違う生き物だとしても、いいかもしれねぇな」
「なんで」
「そうなった暁には、お前を力ずくで俺のものにできる口実ができるからさ」