■寂しく簡素でぎこちない世界 (ビー→←飯(すれ違い(タレ飯前提
なにもかんがえたくない ひ が。
くちびるがその声を辿って、微かに動いた。呼吸をする音、密やかに上下する胸元、その、じっと注がれる視線から、いつから逃げられなくなったんだろう。
何も考えたくない日があるの。
彼女は何を知ってるんだろう。どこまで知ってるんだろう。ただ、自分だって、彼女だけ愛せればよかったと、ずっと思ってたのに。
「あなたは愛されるひとだから」
膨らんだ腹の中にある新しい命に、そっと彼女の肉越しに触れると、一度動いた気がした。汗をじとりと額に浮かべて、彼女は小さく笑った。ぼくの好きな笑顔ではない。ただ、打算的な、女の笑みだった。ぼくは、初めて彼女が何者だか分からなくなる。
指先を絡めて、その細い指の先に乗る小さな爪にキスをする。
「ぼくは」
彼女は微笑んでいる。
「今、君が誰だか分からなくなってるんだ」
「そういうものなのよ、女って」
少し前、私はただの子供だったから。彼女は己の腹を撫でて、言った。
「赤ちゃんができて、図太くなったんじゃないかしら。死んだお母さんが言ってた。女って、母親である自分と、女でいる自分と、二人いるんですって。幻滅した?」
彼女の細い喉、細い腕。意思の強そうな黒い二つの双眸。仄かに赤く染まった頬。黒い短い髪。全てが愛しい。
「幻滅なんて」
「わたしは幻滅したわ。母親になるのも、女になるのも嫌だった」
彼女の瞳は、ただ僕を映している。写真機のような感情を持たないレンズのような瞳で。母親という生き物、女という生き物に、今彼女は変貌を遂げている最中なのだ。蝶に例えれば羽化の時?でも、彼女のいうその変化が、それまで美しいものだとは、ぼくには到底思えない。
「あの学生時代、悟飯くんと、シャプナーと、イレーザとただ楽しいあの日々に、戻りたいわ。貴方に愛されて、貴方を愛しているだけで十分だったはずなのに。・・・ねぇ、私、貴方を独占したいのかもしれないわ」
彼女は、細い指で僕の指を握った。昔はもっと強いはずの握力は、しばらくのうちに弱って、まるで子供のそれに思えた。
「この子を産んだら、もう耐えられない。あなたを私と家庭で縛り付けてしまいそう。あなたがどこかに行くのが許せなくなる。意地汚い、わたし、こんなふうになりたいんじゃなかったのに」
ぽろ、と彼女の頬から涙が零れた。あっという間に横へすべりおちて、枕の上を少し濡らした。ぼくはそれを見て、ただ泣かないで、と祈った。
「貴方の手が私と子供を守るだけであればいい、なんて思ってしまうのが、怖い。嫌なの。耐えられないわ。貴方が好き」
「ぼくだって」
「いやなおんなだわ」
彼女は泣いた。いつもの、気丈な彼女じゃない。弱く、ひどく壊れやすい、どこにでも居そうな女の姿だった。ぼくは彼女の美しい指にもう一度キスをして、その一つを誓った。
「嫌な女じゃないよ、僕は君が好きだ。愛してる。君からずっと離れないし、どこにも行かない。君を絶対に裏切らない」
「ごめんね」
彼女は謝る。何を謝るんだろう。何に謝るんだろう。ぼくだって、もう、君以外いらない。君と、この子の幸せ以外、なんも望まないよ。
「だから泣かないで、ビーデル」
「ごめんね、ごめんね」
世界から貴方を奪ってごめんね。
■悟空の派生メンバー
「お前は誰にでも優しいから」
カカロットは不貞腐れるような声を上げて言った。
「結局俺達が損するんだ。いつだってよ」
ソファの上に押し倒されて、腹に頭を押し付けられて、吐く息が服越しに当たって熱い。不意をつかれて、タックルされるようにしてソファに倒れたから、足が変な方向に捻られていて痛いのに、カカロットの奴はまったく動く気配がない。
少し前に赤いあいつが隣の部屋からやってきて、オラが助けを求めると、「いい気味だ。もう少し困らせてやれ、カカ」なんて言って、今はテーブルを介して向かいのソファに寝転がってる。皆してオラを苛めてるみたいだ。何したっていうんだ。ぜんっぜんわかんねえ。
天井の電灯に寄ってきてる虫に行方を目で追っていたけど、いい加減飽きてきた。カカロットは拗ねてさっきからずっと口聞いてくんねぇし、何より腹の上でごそごそ動くもんだから凄くくすぐったい。何を怒ってんのかわかんねえから、とりあえず話してくれるまでじっとしてたけど、そろそろ我慢の限界だ。子供みたいな真似すんなよ。オラのくせに。
「なー、なんなんだよ。オラが悪かったよ」
「何が悪いのかわかってねぇんだろ」
「だってんなこと言ったってわかんねぇんだからよぉ、教えるかやめるかしてくれよ、カカ」
腹減ってきたし・・・。あとカカに抱きしめられてるせいで暖かくて眠くなってきた・・・。
「お前はさ」
もそもそと腹に顔を埋めて、聞き取りにくい声でカカが喋った。
「すぐ知らねぇ他人のために喧嘩に手ぇ出して、わざわざ危ない道歩いてくるから・・・」
「なんだ、おめぇオラのこと心配してくれたんか」
「あのなぁ」
ゆっくりと、這い登るように不貞腐れたカカが顔を近づけてきたから、堪えられなくて笑った。オラのこと心配して、いつもあんな飄々としてるくせに、こんなガキっぽくなるんだもんなぁ。にかっ、って笑うと、カカはもう、なんか普段じゃ見れないような、泣きそうな凄く困った顔をした。
「くそ、お前には誰も勝てねぇんだ・・・卑怯だ・・・」
「なんだよ、実際組み手したらおめぇが勝つじゃねぇか」
「そのくせに馬鹿だ・・・」
だから何なんだ。いきなり馬鹿って言われたぞ。笑い声が聞こえると思ったら、向こうのソファで赤い尻尾が揺れてた。
「カカ、悟空の笑顔一つで負けるお前もそうとう馬鹿だぞ」
「盗み聞きしてんじゃねーよ変態!」
「それはお前だ」
カカロットが手近にあったクッション掴んで向こうのソファに投げつけたから、ようやくそれで体を起き上がらせた。足を捻ったまま同じ体勢でいたから滅茶苦茶痛い。カカロットの全力投球したクッションを片手で楽々受け止めてる赤いのに、そういえば、あいつはどうしたんだ、って聞いたら、にやにや笑いながらさっき赤いのが出てきた扉の方を指差した。
「寝てたから三つ編みしてやった。怒って来ないってことは多分寝てるな」
「・・・・・・」
超サイヤ人の3段階目のあいつを寝てる間に三つ編みにする赤いのが一番危ない道歩いてると思うと、カカロットが微妙な顔してオラを見てた。
「オラだってそんなイタズラしねぇよ」
「いや、お前がやったらぜってぇ気づくだろあいつも・・・」
■それがとても美しいものだということをしっている(43
空気は乾燥しているのに、みっしりと漂うその殺意が、なんとなく重苦しく感じる。それでも、息がしやすいと思ってしまうのが、少し悲しい。
荒涼とした大地の、その地平線にいくつも煙が立っていた。青い空を燕が一羽横切っていた。逃げていったのが帰ってきたのかもしれない。もしくは、さっきの戦いの中をずっと隠れて、今ようやく動き出したのか。
「あー、いてぇ」
頭から血を垂らしながら、げんなりした様子でカカロットが呻いた。大の字に寝転がって、体中は細かいかすり傷だらけだ。ぼろぼろになった胴着が、風が吹くたびにばらりと捲れた。
岩に腰掛けてじっとしていた赤い男も、ふと気がついたように口をもごもごさせると、ぺっと何かを吐き出した。血の塊が乾燥した大地にたたきつけられる。不味い、と男は不機嫌そうに言った。
その様子をぼんやり見ていると、突然頭から血が垂れてきた。体温と同じのせいか、目に入りそうになるまで気がつけなかった。頭の傷は小さくても派手に血が出る、と確かブルマが言っていた気がした。確かに、腕で拭ってもたちまち溢れ出てくる。立ち上がると血が足りなくなっているのか頭がくらくらした。
「なんだ、平気か?」
「ああ、まぁ、これくらいなら」
傷の大きさは判断できなかったが、とりあえずそう言っておいた。立っているより座った方がいいか、と思ってもう一度座って、岩にもたれかかる。空が青かった。空気が冷たいけれど、不思議と嫌な気分じゃない。戦いの気分が抜けきっていないのか、少し体が熱かった。
「帰ろうぜ」
「瞬間移動しろよ」
「腕がうごかねぇ。おい、赤いの、お前やれよ。殆ど無傷だろ」
カカロットはそう言うと、目を瞑って黙ってしまった。もしかして寝ようとしているのかもしれない。赤い奴は置いてくぞ、くそ、とか悪態をつきながら、カカロットを肩に担いだ。
「行くぞ。動けるか?」
ああ。咄嗟に声が出なくて、俺は一度頷いて立ち上がる。一瞬目の前が真っ暗になったけれど、すぐに元の景色が目に飛び込んでくる。
生き物のいない世界。俺達が守ったけれど、その代わり色んなものを奪った景色。暴力だけで解決された場所。怒りと憎しみと、戦いへの狂気で満たされた、俺達の生きるべきだったそれ。
美しい、なんて思うのは、やはりおかしいんだろう。
「平気か」
「・・・大丈夫だ」
いつの間にか、すぐ隣に赤い獣の毛に覆われた男が立って、俺と同じ方向を見ていた。こいつはこれを見て、どう思うだろう。きっと、俺のように美しいとは思わないはずだ。
太陽が沈みかけている。赤褐色の大地が、血の海のように赤く染まっていた。サイヤ人が幾度も見続けてきたような景色だ。でも、俺達はそんな場所をもう見ないことを祈っている。この掌が触れるものが、柔らかく、愛しいもので満ち溢れることを願っている。
「綺麗だな」
「・・・・そうか?」
「お前がそう思うなら、俺だってそう思うさ」
赤い男が零した言葉に、俺は少し笑ってしまった。結局、同じ所を堂々巡り。結局、俺達は同じものなんだ。俺の目に映る世界は、お前と同じ色をしているのか?
ふと、俺が赤い男の顔を見ようとそっちを向くと、ほぼ同時に男が俺を見た。そしてそのまま、静かにキスをしてきた。普段の、何かを喰いちぎるようなものではなく、カカロットと悟空の奴がやるような、子供の遊びみたいな触れるだけのキスだ。それはもちろんあっという間に離れて、次にそいつは俺の額を舐めた。血が垂れている所を。
「最近気づいたんだが、俺達は何があろうと自分たちのことは否定しないようにできてるんだ。基準の男が、単純な作りをしてるからな」
頭をとんとん、と指でたたきながら、男はにっ、と笑った。
「色んなところを見てきたが、何が醜くて何が綺麗かなんて一々考えてねぇよ。だから多分、この世の全てが、どんな状況であっても、命があるだけで美しいものになるんじゃねぇか?」
単純で簡単な答え。命の消え去ったこの大地のどこに命があるっていうんだ、と思ったら、男は笑って言った。目の前にあるだろ?
俺は驚いて、それを見た。落ちかけた太陽が照らす、男のその顔を。
「帰ろう」
男が俺の手を取って言った。くせぇこと言ってんじゃねぇよ、と、カカロットが小さく言うと、男が一度だけ体を揺らした。丁度腹に当たってた肩がめり込んだのか、カカロットがぎゃっ、と変に潰れた悲鳴を上げた。
■ブウティメ
その生き物の中は、命というものを持つためかとても暖かかった。肉というには弾力性に富みすぎた、どろりとした肉色をした壁が、ずるりと悟飯の体を取り囲もうとしている。
体に力が入らなかったし、既に脳味噌は悟飯の意識と切り離されたかのように、思考することをやめていた。意識が朦朧として、全ての記憶が曖昧になってくる。吸収って、そうか、いや、だめだ。なにもかんがえられない。からだがおもい。
血肉の匂いで満たされたその場所は、ただでさえ弱っている状態の悟飯にとっては、さらに精神を弱くさせるためのものでしかなかった。呼吸をすることすら困難になりはじめている。瞼が重く、いっそ眠ってしまいたかった。しかし、悟飯には未だ外界で様々なもののために戦う父の姿を忘れることはできなかったし、死んでしまった愛しい生き物のために、安息のなかで一人何もしないまま敵の力になることが許せなかった。
目を開けていても、そこに見えるのはゆっくりと収縮を繰り返す魔人の肉壁だけで、ただ遠くに、どこまで続いているのか分からない暗闇に覆われた空洞が続いているだけだった。先に吸収された師や、弟達を救わなければならないとも考えたが、悟飯の居る場所からはけして彼らを見つけることはできなかった。
ふと、悟飯の倒れ伏す前方の肉の塊がずるりと蠢いた。悟飯の見つめる先で、それはあっという間にこの体の主である魔人の形を作り上げた。眼球のあるであろう窪みの中に煌々と輝く赤い目玉が、霞む眼でこちらを睨んでくる悟飯の目を見る。知能を持った魔人は、一度だけ悟飯を嘲笑うよう口を歪めて見せた。
「眠いだろう?悟飯」
ブウは優しげな声音で言った。先ほどまで命を奪い合う殺し合いを続けてきた相手に対して使うには、あまりにも慈愛に満ちた声だった。
「疲れただろう?苦しかっただろう?私には分かってしまったんだよ悟飯。お前の記憶が私には見える。戦うのが嫌だったんだろう?何かを守るのはいつだってお前やお前の父親だ。その周りから伝わってくる、無言の縋る声が嫌だったんだろう?」
もう戦わなくていいんだよ、悟飯。口角を吊り上げ、囁くようにそれは言う。
「もういいんだよ無理をしなくても。弟達と一緒に眠ってしまえばいいじゃないか。かつて母の胎内にいたことを覚えているか?あの頃のお前はこんなこととは無縁の人生を送るはずだった。かわいそうになぁ、悟飯」
己を見下してくる魔人を見上げ、悟飯は落ちてくる瞼を止めることはできず、そのまま静かに目を閉じた。どろり、どろりと脳味噌が蕩けていく感覚の中、悟飯は言った。
「ぼくは・・・そんごくうのむすこだ。・・・・・・ぜったいに、きさまのような、惨めなばけものなんかに・・・くっしたりは、しない」
戦うのが嫌だった?それは事実だ。痛いのも、他人が傷つくのも嫌だった。自分が誰かを害することも嫌だったし、大切なものを奪われるのも嫌だった。でも、けして、あの父と母との間に生まれたことを、後悔なんてしない。
ほら、すぐ父さんがやってきて、お前なんかすぐ倒してくれる。そうしたら、ぼくらは。
ずるり、と悟飯が肉壁に包まれる瞬間、ブウは悟飯の口元が微かに笑みの形をつくるのを見た。くだらない。なぁ、孫悟飯。私はお前がこの世で一番強かったことを知っているんだぞ?あの男がお前より上な訳、けしてありえないんだ。
それでもなお父親というものを信じるか?哀れで愚かな子供。なら、お前を吸収したこの私が、お前の大切に思うあの男を、八つ裂きにしてチョコレートにでもしてやろうじゃないか。
そうしたら、父親を食べることになるんだ。嬉しいか?嬉しいだろう孫悟飯!世界で最も敬愛する男をチョコにして食べれるんだから!
やがて来るであろう暗い喜びに浸りながら、ブウは再び己の肉体に戻った。今目の前にする最後の敵は、どれほど美味しいのだろう、と舌なめずりをしながら。
■魔王と半人(ピッコロと悟飯の毅然とした関係について
今日学校で怒られちゃいました。
唐突に神殿を訪れてきたピッコロの唯一の弟子は、瞼を閉じたまま無表情で、しかし声だけは困ったふうに言った。
ピッコロの感知している中で、悟飯は学校という教育機関の中から出ると、一度自宅に戻り、そしてそのまま一直線に神の座する神殿へと文字通り飛んでやってきた。外で毎度のように瞑想するピッコロを一度見つけると、先に建物の中へと入り、悟飯がやってきたことに気づいて奥の書斎から出てきたデンデ達と挨拶を交わした。ピッコロさんと少し話をしたら帰るという旨を伝え、そしてようやく悟飯は敬愛する師のもとへと顔を出した。
「こんにちは。少しお話してもいいですか」
「ああ」
ピッコロは目を伏せたまま簡単に答える。悟飯のいうお話というのはけしてピッコロに対して深い相談を持ちかけている訳ではないことは、この二人にとって既に認識済みだ。母や友人にあまり言いたくない、日々の簡単な事象を悟飯が一方的に話すだけの「お話」である。ピッコロはその悟飯の話の区切りのいいところに、簡単な、短い相槌を打つだけだ。瞑想の邪魔になることは百も承知だが、ピッコロは己の弟子に何か力になれるようなことがあれば自分にできることなら貢献しようとする。それの結果がただの「お話」を聞いてやることで解決されるならば、己が拒否する必要はないと考えている。悟飯はもちろんそれを理解しながら、その好意に甘えている。ピッコロの、無愛想だが自分を慮ってくれる行為が嬉しくてたまらなかった。ピッコロが真面目なせいで、普通の人ならば相槌を打つだけで結局話を半分も聞いてくれてないということもなく、最後には一言だけ、自分を思いやる言葉を聞くのも好きだった。
悟飯はピッコロの隣に腰を下ろし、ピッコロの真似をするように足を組んで瞑想の形を取った。幼い頃ピッコロに修行させられたときによくやらされたことだった。精神統一、と言われても幼い自分にとっては自分の体に何が起こっているかなんて理解できなかったし、こんなことやってるぐらいなら組み手をやった方がいいんじゃないかと思っていたほどだ。
「何についてだ?」
「学校で、体育っていう授業があるんです。多分、若い頃に肉体作りをやって健康な体を作るためとか、勉強漬けで固まった体のストレス解消とか、そういう意味を持ってると思うんですが・・・ランニングをしたりチームに分かれてゲームをしたりするんです」
これほどその「体育」という授業に違和感のある生徒もいないだろう、とピッコロは思った。もちろん、かつてのセルゲームが終わってからというもの、悟飯がしっかりとした修行というものに取り組んだ姿を見た覚えはない。しかし今更何が肉体作りだろうか。ピッコロは頭の隅でそんなことを考えながら、先を言うように沈黙をもって悟飯を促す。
「それで、僕って多分、常人離れした身体能力があるじゃないですか。・・・どれぐらい、普通の人と差があるのかまだ図りかねてるんですけど・・・。それで、今日チームに分かれてゲームをしたんですが、その時に相手が・・・多分、ズルしたんですよ」
「具体的には」
「えーと、足を掛けられたんだと思います。僕、気づかなかったんですけど。それと一緒に突き飛ばされて、それでまぁ、転んじゃって」
後ろの言葉になるにつれて、悟飯の言葉がぼそぼそと聞き取りづらくなる。「すみません、みっともなくて」と申し訳無さそうな声が零れて、ピッコロはそれを嘲笑した。
「くだらん。そんなゲームで。どうせ変に思われないように自分で転んだんだろう」
「まぁ・・・それで、友達がそれを見てたみたいなんです。授業の最中だったんですけど、その人が僕を突き飛ばした人に殴りかかっちゃって・・・僕はなんともなかったので、騒ぎを起こすのはやめたかったので友達を止めたんです。まぁ、怒ってくれたのは嬉しかったんですけど。見間違いだよっていって、因縁つけちゃった友達が怒られる嵌めになっちゃったんですけど。そして、授業が終わって、僕は友達に謝ったんです。怒ってくれたのに、嘘吐き扱いしてごめんって。でも、そいつが言うには、別に自分が嘘吐き扱いされたのは構わないんだけど、僕が・・・何も言わないのが気に食わないって」
目を閉じているせいで悟飯の表情は伺えないが、ピッコロの隣で微かに笑ったような気がした。
「なんで怒らないんだ、って怒られちゃったんです。実際、怪我はなかったし、痛くもなんとも無かったので、一応そのことを言っても、やっぱりそいつは怒ったままで。そのとき、一緒にいた女の子が言ったんです。悟飯くんって、自分のために怒らないよね、って。どう思います?」
それからしばらく、悟飯は黙った。おそらく今回の「お話」はこれで終わりなのだろう。どう思います?という言葉がどういう意味なのか、ピッコロは十分考えた後、ゆっくり答えた。
「確かにその気はあるな。お前が今まで怒ったのは、全て他人のためだ。お前が初めて戦いに巻き込まれた時も、セルゲームの時でさえ。オレはお前がそんな人間であることをよく知っている」
「でも、他人のためにしか怒れない人間って、裏を返せばどこまでも自己中心的な人間だと思いませんか?自分の親しい人のためにしか怒れないんです。僕は」
「どちらにせよ、お前の知り合いである女はお前を侮蔑した訳ではないだろう。他人のためにだけ怒れる人間がそこまで悪い生き物のようには思えんが」
ピッコロさんは優しいですね、と悟飯は言おうかと思ったが、ただでさえ邪魔になっているのにこれ以上話を長引かせるのも申し訳ないな、と思って悟飯はおもむろに立ち上がった。太陽が沈みかけている。海のように広がる雲が、夕焼けに照らされて柔らかな紅に染まっていた。
「ありがとうございました。ピッコロさんに会えてよかった」
「悟飯、お前が誰かのためにしか怒れない人間だというならば、その他人を慮って自分を犠牲にするのをやめろ。お前が傷つくことによって傷つく人間がいるのだということに気づけ。愚か者が」
きょとん、と悟飯は微動だにしない師匠を見下ろして、ああ、やはりこの人には敵わないな、と何度目になるかわからない結論に至った。僕が傷ついて傷つく人の中に、貴方は入っていますか?と悟飯は心の中だけで問いかけて、結局口に出すのはやめた。
「さようなら、また今度」
あの日のようにどうでもいいことばかりに一喜一憂する僕に、それでも静かに一緒にいてくれる貴方との関係がずっと続けばいい。またどうでもいいことで弱くなる僕の言葉を、貴方が同じ声音で肯定してくれることを祈って!