■暗闇に落ちていた不動のななつ
部屋に入ってからの一言目は呆れきったような溜息だった。しかもそれはフォースとサードが同時に吐いたものであり、廊下を通りかかったファーストが不思議そうに彼らを見て、それでもやはり何事も無かったかのように通り過ぎる。悟飯の一部である彼はそろそろ今起こっている事件に感づきはじめていたが、セカンドの肩を持って何も言及する気はなかった。とりあえず父親達のためにバスタオルや着替えを風呂場に用意しておくためにそそくさとその場を去っていく。
フォースとサードが覗き込んだカカロットの部屋は人っ子一人見つからなかった。一度ベッドに寝かせたのだろう、シーツが捲られていたが、それだけだ。開けっ放しになっている窓から冷たい夜の風が入り込んでいる。
「逃げたなあの野郎…」
「この短時間でカカロットが悟空を攫って逃げれるもんなのか?」
「もしくは悟空がカカロットに唆されてあいつを連れてどっかに逃げたか…」
フォースはぐるりと室内を見回してから、一度瞼を閉じて地球上にある気を丁寧に探った。しかし自分に類似した気の気配がまったく見つからない。さっさと探索を打ち切って、同じように気配を辿っていたサードに、「もうやめようぜ。めんどうくせぇ」と進言する。
「でもよ…」
「明日の朝でいいじゃねぇかもう…久々に動き回って満足してるし、こういう時はさっさと寝るに限る」
カカロットに向け切れなかったやる気をサードに向けて散々発散したせいで、フォースもサードも互いにぼろぼろだった。密かに怒っていたサードも実力の違うフォースに肉薄し、あちこち怪我塗れだ。じゃあ風呂にでも、とサードが反転し部屋から出て行こうとすると、フォースがその首根っこをがっと鷲づかみにする。ぐえっ、と悲鳴を上げたサードのことも気にも留めず、フォースはずるずると彼を連れて自室に向かう。
「…え、寝るんだろ? なんで俺もお前の部屋に行かなきゃならねぇんだ…!?」
「マジで寝るだけだから変な心配すんな。期待に答える気はあるけど、どうする?」
そう言われてしまうと下手に何も言えなくなる。風呂を沸かす用意をしていたファーストがそれを廊下の端から眺め、馬鹿馬鹿しくなって再びリビングに戻った。下手に関わらない方が、こういう時は正解なのだと知っているのだ。ばちん、とフォースの部屋の鍵が閉まる音がして、それと同時にファーストはテレビの電源をつけた。
「お前は……カカロット?」
生きているクリリンに会ったのはこれがカカロットにとっては初めてのことだった。カカロットの記憶の中、自分のものではない記憶、つまるところ『孫悟空の記憶』の中には勿論大親友であるクリリンの記憶が呆れるほどいっぱい詰まっている。しかし、それは孫悟飯の記憶であり、カカロットの記憶ではない。カカロットの記憶は、クリリンが死んだ直後から始まっている。だからフリーザを倒し、地球に戻ってきてから生きているクリリンを見たのは、これが初めてであった。
夜中にこっそりとクリリンに会いに亀仙人の家に侵入したとき、クリリンは丁度寝る寸前だった。ベッドの上に腰掛けて、窓の向こうにいるカカロットをきょとん、と見る。その視線を今まで何度も受けてきた記憶はあるのに、カカロットはこれが初めてクリリンと交わす初めての言葉になることを知っていた。
「なんだ? どうしたんだ? こんな夜中に。あ、とりあえず入れよ」
「クリリン」
親友はいつもと変わらず、優しくカカロットを中に招きいれようとする。窓の向こうで立ち尽くしたまま、カカロットはクリリンを呼んだ。クリリンは不思議そうに首を傾げ、そして何気なく立ち上がると、部屋の明かりを消した。何をしているのかと見ていると、彼はぴょんと飛び上がり、すぐに窓の外に出てきた。薄い布製の靴を履いている。そして窓を閉じると、窓の下にぺたん、と座って、カカロットに座れよ、とすぐ隣を指し示してみせる。カカロットは言われるがままにのろのろとクリリンのすぐ隣に腰を降ろした。背中を家の壁につけて、ぼんやりと二人で空を眺める。月が無くなった夜空でも、今日は星が酷く輝いていた。ぼんやりとそれを見上げていると、クリリンがいつの間にか自分をじぃ、と見つめていることに気づいた。
「カカロット、お前、やっぱり悟空に似てるなぁ」
「…そりゃ」
「悟空から分裂したとかは聞いたぜ。サイヤ人って分裂すんだなぁ。知らなかった。さすが宇宙人ってか」
くっく、とクリリンは笑う。記憶と変わらないその笑顔を、どこか遠くで眺めている気分だった。こんなによく笑う男だっただろうか。いや、笑っていた。悟空の一言にすぐ呆れて、笑い、分け隔てなくどんな奴とも仲良くなれる、そんな素晴らしい親友だったのだ。そんな男を、自分は死なせてしまった。目の前で。
「クリリン、おれ」
「ありがとな」
びくり、と何かに怯えるようにカカロットの肩がはねた。暗闇の中、引き攣った眼球がゆっくりとクリリンを見る。その、恐怖に歪んだ蒼色を、クリリンはぼんやりと綺麗だと思った。
一度死んでしまったことなんて、今生き返っているのだからそう気にすることではないのに。自分なんかのために、この親友は深い傷を負ってしまった。カカロットが言おうとしていることを感じ取りながら、クリリンは少し笑った。謝るべきなのは俺だ。俺がもっと注意していれば。この友人をここまで傷つけなかったのに。
「俺は信じてたぜ。お前がフリーザをぜってぇに倒すってな!」
だから、これだけだ。これだけを言っておきたい。俺はお前に救われた。地球はお前に救われた。それを誇りに思ってほしい。俺が一度死んだぐらいで、そんなに囚われないでほしい。
「やっぱりお前は俺の自慢の親友だよ、悟空、―――っと、カカロットだったか。まぁ、どっちもかわらねぇだろ」
「クリリン」
「ありがとな、本当に。お前が生きててくれて良かった」
「ごめ、ん」
ついに耐えられなくなり、ぼろ、とカカロットの眼球から大粒の涙が溢れた。すまねぇ、俺が、おれが。そう、最強の男とは思えない弱弱しい悲鳴を上げながら、カカロットはクリリンの小さな身体を抱きしめた。自分の肩があっというまに濡れるのを感じながら、クリリンはやさしくその背を撫でる。
「もう気にすんなって。今こうやって、生きてるじゃねぇか」
くだらん感傷だ、と男はそう吐き捨てた。じとりと湿った空気の充満するトレーニングルームには常に重力がかかっている。その中に一人立つ黒髪の男は引き締まった小さな背をカカロットに向けたまま動かない。
「そもそもお前の存在はサイヤ人としての最終形態、いや、違うな。理想の姿だ。純粋な怒りのみで構築された精神と強靭な肉体を併せ持つ、まさに宇宙最強の存在だ。そんな生き物が一人の人間の死によって、何年間もたった一匹の生物への憎しみで苦しんでいるなど、馬鹿馬鹿しいにも程があるぞ、カカロット」
それをぼんやりと見つめながら、男の言う言葉を半分程度にしか聞いておらず、カカロットは静かに座り込んでいる。男はカカロットなど一瞥もせずに、床に転がっているダンベルを持ち上げる。ぎしっ、と肉の軋む音がしたが、それでも気にせずに男はそれの上げ下げを繰り返す。
「フリーザは死んだ。もはや奴など俺達にとっては虫けらのごとき弱さだ。何故貴様は奴を瞬殺できるほどの力を持ちながら、それでも奴の幻影を追い続けている? 貴様はあれから一歩も進めていないというのか? セルという強大な存在すらお前には獲物として見れなかったのか? ふん、だとしたら貴様にあれほど期待していたセルも哀れなものだな」
「いつも同じ夢を見る」
男の言葉を遮って、カカロットはぽつりと呟いた。男も黙り、ただ静かにトレーニングを続けた。
「血の池の中からクリリンの死体を引き上げるのに必死になってる。いや、本当は、クリリンが死ぬ所から夢は始まるんだ。目の前にはフリーザが居て、クリリンが空中に吊り上げられて、毎回、同じだ。同じ方法でばらばらになって、クリリンが血の池に沈む。オレは何度もフリーザを殺す。蹂躙する。憎しみだけで奴を殺す。目が覚めるまで、フリーザを殺し、クリリンの死体を捜す。それだけだ」
ぽつぽつと呟かれるその夢の内容を告白するカカロットは、まったくの無表情だった。カカロットの手がトレーニングルームの床に触れたかと思うと、ばきっ、と簡単に床のタイルが剥がれる。それを横目で見て、男は自分の妻が怒る姿を想像して溜息を吐いた。
「本当は、これは悟空の記憶なんだ。なんてったってオレは、クリリンが死んだ後に生まれたんだから。でも、クリリンが死んだ記憶は、オレが受け持った。悟空のために、オレが奪った。フリーザへの憎しみに囚われて、クリリンに一生かけても拭えないような罪悪感を抱くのは、俺だけでいい。サードやフォースにだって、やる気はない。オレだけがそこから離れなければ、悟空達はどこまでも強くなる。弱い奴のことなんて考える必要ないからな」
「お前はいいのか」
「オレは」
フリーザを殺せていなかった。それが口惜しい。
無論、最初は逃がしてやろうと思った。あんな滓野郎に悟空が手を出す義理なんてないと思ったからだ。それでも、サイヤ人の本能が奴を殺せと叫んでいた。カカロットはそう言って、剥がしたタイルをぐしゃりと握りつぶす。溢れた気でそのコンクリートはいとも簡単に燃え滓に変貌し、ぼろぼろになって床に落ちた。
目を開けると自分の肩にカカロットや寄りかかってすうすうと寝息を立てていた。悟空はそっと洞窟の奥から外を見て、まだ夜だということを確認してから、ふぅ、と溜息を吐き、後頭部を壁に押し付けた。
さっきまで見ていた夢は、カカロットのものだ。それは分かった。クリリンと会話したことや、ベジータと会話したことを黙っていたのは別に良い。分離した自分たちとはいえプライバシーというものはちゃんとあるのだ。何でもかんでも自分に報告しろとは言わない。しかし、カカロットが自分から記憶を奪っていたとは知らなかった。
「馬鹿だな、おめぇは…」
自分自身とはいえ、こんな馬鹿だとは思わなかった。もしかして自分もそれぐらい馬鹿なことをしてたりするのだろうか、と思いつつ、肩に乗るカカロットの頭に自分も頭をぶつけてみる。しばらく男が起きる気配は感じられない。
起きたら説教だからな、と悟空はそっと頭の中で言い含めれば、う、とカカロットが小さく呻いた。
2010/4・2