■凍える寒さのなかに見つけたひとつ
カカロットが変だ、と、突然離れにやってきた悟空が言った。
円卓を囲んで悟空、サード、フォースが向かい合っている。テーブルの上には悟飯から分離したファーストが用意した飲茶が湯気を立てて三つ、置いてあった。中央に置いてあるお茶請けは既に無くなっている。
「変?何がだ?」
肘をつきながらフォースがどうでもよさそうな声で聞いた。実際、元々は同じ生き物であった彼らにとって、同胞の異変はどうでもいいものではない。が、フォースは悟空の言う『カカロットの異変』が分からなかったのだ。
事実、派生した彼らには共通した意識が通っている。感情や思考などは雰囲気だけなら読めるようになっているのだ。フォースが感じる中では、カカロットを特におかしいと思うことは無い。毎朝会っているが、それでも何も思うことはなかった。
すでに椅子に座ったまま船を漕ぎそうになっているサードも、フォースと同様らしい。一度眉間に皺を寄せたが、促すように悟空へ視線を向けた。
元々一人であった彼らにとって、一番感情を察知しやすいのはやはり源である悟空だ。悟空が「おかしい」と言うなら間違いではないのだろう、と思う。しかし、問い返された悟空は、ぐっと息を詰まらせると、ぼそぼそと呻いた。
「何が、って言われると、なんっちゅーか・・・」
「ふーん」
悟空もよく分かっていないらしい。ずずず、と飲茶を啜り、フォースは今朝見たばかりのカカロット思い出す。確か今はセカンドと修行に行っているのだったか。その合間を縫ってやってきた悟空は、むずがゆそうに顔を顰めて、椅子の上に縮こまっていた。
サードはぼんやりと、眼を開けたまま寝ているような顔をしながら、「異変ね」と小さくぼやく。
「いつからだ?」
「いつからぁ?うーん・・・」
「お前が気づいたのは?」
「んー、3日ぐらい前じゃねぇかな」
3日前、と言われても、その日特にこれといって何かあった覚えはない。修行をして、定時に瞬間移動で荷物運びの仕事をするのが、最近の常になっていた。暇を持て余していた派生した彼らは、悟飯の薦めで、田舎の物資を運ぶ手伝いをするようになっていた。仕事というにはあまりにも簡単で大雑把の上に、毎日仕事があるわけでもない。しっかりした仕事につかなくてもいいから、というチチの訴えで悟飯が斡旋したのだった。それほど金が手に入るわけでもないので、収入は一日の食事分と言っても差し支えないほど微量なものだ。だが悟飯も仕事をしているので、こつこつ貯金もできる余裕もできている。
もともと物欲が無いのが幸いしたのかもしれない。
「なんで変だと思ったんだ?」
「え、うーん、なんつーか、・・・変、じゃねぇか?」
「わからん」
問いに問いで返されて、フォースは一言でそれを潰した。常に悟空達を監視するようにはできていないので、実際カカロットがどこで何を過ごしていたか、などというのは分からない。変、というのも悟空に言われなければずっと知らなかっただろう。
「まぁ、どうせ単純なことだと思うけどな。俺達が気にすることといえば、飯のことか修行のことだろ」
「飯なぁ・・・何もないと思うけどなぁー・・・チチの飯は相変わらずうめぇし」
「じゃあ修行かぁ?」
そもそも、何が変なのかもよく分かっていないのだ。悟空だけがうんうんと唸っている。そんな本体の健気な様子をぼんやり見やり、フォースは両手を上げた。
「わかった。まぁ、実際何も分かってねぇんだが。とりあえずカカロットのことは悟空に任せる」
「え・・・、へっ?」
「異変がなんなのか、分かったら教えてくれ。その変な部分の解決は手伝ってやるよ」
なんだよそれぇ、と悲痛な声が悟空から上がった。すでにうとうとと瞼を下ろしかけているサードの背中を叩き、フォースは外へと促す。これから組み手でもするのだろう。サードも、ゆっくりと立ち上がると、悟空に一度手を振って、居間から出て行ってしまう。一人椅子に座ったまま、悟空は自分達の背中を見送った。
「なぁ、ファースト、あいつら冷たくねぇか?」
「・・・悟空お父さんも、あんま変わりませんよ」
空になった湯のみをお盆に載せて、台所に引っ込もうとしていたファーストはそう言って少し笑った。そうかなぁ、なんて不貞腐れたような声を背中で聞いて、ファーストはおかしくてたまらなかった。自分のことが一番分かっていないのは、誰も同じらしい。
「おかしい・・・」
地平線に沈む夕日を見ながら、カカロットは地を這うような声を零した。両手を顔の前で組み、荒涼とした荒地の高い岩場に腰を下ろし、数秒動かない。超サイヤ人特有の蒼と緑の入り混じったような二つの眼球に、夕焼けの橙色が混ざっていて、セカンドはそれを綺麗だと思った。
「おかしい・・・」
セカンドは何も言わず、近くの抉られた大地に土を戻すという作業を続けている。昼からこの夕方にかけて、二人は延々と殺し合いすれすれレベルの組み手に没頭していた。没頭したがっていた。
今朝、セカンドは麻痺した頭に鞭打ち、アルバイトとして雇われているとある塾での仕事を終わらせようとしていた。先日行なった生徒のテストの丸付けをしようと思い、机に向かった瞬間、控えめなノックがセカンドの私室の扉から聞こえてきて、そして、なぁセカンド、と珍しく覇気のないカカロットの声が聞こえてきたのだ。
「おかしい・・・よなぁ!?セカンド!!」
「はぁ、おかしいですねぇ」
カカロットはセカンドの返事を聞いて、はあぁぁぁぁ、と重く長いため息を吐いた。綺麗だと思った二つの眼球は瞼で遮られ、その上両手で覆われた。カカロットはまた、おかしい、と唸る。
「なんか、なんなんだぁ?なんだっちゅーんだ、セカンド」
「何がですか・・・」
カカロットの言葉にならない喘ぎ声に肩を竦めて、セカンドは地面に土を戻すことを諦め、カカロットの前へと跳躍した。ぴたりと空中で静止すると、背後からの夕日を浴びて、カカロットにセカンドの影がかかる。ううん、と眉間に皺を寄せるカカロットの顔を見て、お父さん、とセカンドは呆れた声を出した。
「疲れてるんじゃないですか?」
「疲れてはいねぇよ。むしろ暴れてぇ。本気で誰かとやりあいてぇから、今日おめぇに頼んだんだぞ?」
カカロットは、朝から仕事に追われるセカンドに手を合わせて頼み込んだ。今日一日だけでいいから、思いっきり戦わせてくれ、と。サードとは実力が離れすぎているし、フォースとは言うまでもない。そして何故か、悟空には会いたくないという。
珍しく、強気なカカロットが殊勝な態度でお願いをしてきたので、敬愛する父親のため、セカンドは急いで仕事を知り合いの臨時講師に預けた。普段真面目なセカンドであったから、その臨時講師も返事一言で了承したのだった。
セカンドとは丁度実力が拮抗している。どちらかといえば僅差でセカンドが上回っているのだが、それの方が丁度良かった。しかも幸か不幸か、セカンドは普段の修行をしていなかったことも相まって、二人の実力差はほぼ無きに等しい。荒野は荒れに荒れていた。
「どうしよう、なぁ、どうしよう?」
「どうしよう、と言われましても・・・」
悲しいことに自分は医師ではない。もっと医学の方にも手を出していれば、と今更後悔している。本体の悟飯であれば自分よりも知識はあるのかもしれないが、当の悟飯は今教授として大学で講演会の真っ最中だ。
カカロットの顔は少し蒼褪めていた。どこか悲痛なまでの面持ちだ。両目を覆っていた手が離された瞬間、セカンドがもしかしたら泣いているかもしれない、なんて推測を立ててしまいそうになるぐらいには。勿論泣いているわけが無いが。
カカロットは手を己の口に当て、少しの間じっとしていた。
実を言うと、セカンドはカカロットが何について悩んでいるのか分かっていない。むしろ、何に苦しんでいるのか、と言うべきか。セカンドは何も知らないまま、ただ頼まれたことだけを真摯に受けて了承した。ストレス発散をしたいのだろうか、などと最初は思っていたのだが、どうやら違うようだ。『孫悟空はストレスを感じない』。あの人はストレスなどというまやかしのようなものには囚われない。セカンドはそれを知っている。
セカンドの知る限り、カカロットの様子は何かを彷彿とさせた。この行動、状況を、どこかで見たことがある、気がするのだ。セカンドは座り込んだ父親を見下ろし、閉じていた口を少し開けた。数秒止まり、ゆっくり尋ねる。
「何か怖いんですか?」
びく、とカカロットの肩が撥ねた。ビンゴである。セカンドは眼を見開く。カカロットの眼球が、ゆっくりとセカンドを捉えた。青い双眸同士が、影の中で絡んだ。セカンドはカカロットが瞬きするのを捉える。一回、二回。眼球を縁取る短い睫毛が、微かに震え、眉毛がみるみるうちに八の字に歪んだ。
「・・・セカンド、おめぇさぁ、」
カカロットは、ぼそぼそと聞こえにくい声で何かを聞いた。セカンドは自分の眼球が限界まで見開かれるのを感じながら、できるかぎり笑みの形をとれるよう努力した。それでも、笑顔は引き攣ってしまったようだ。セカンドの顔を見たカカロットの顔が、あ、やばい、地雷踏んだか?とでも言いたげに引き攣った。
「似たような台詞を、聞いたことがありますね。結構前に」
「あ、ええと、わりぃ」
「いえ」
誰にこんなこと聞かれたんだ?とカカロットは思いながら、静かに怒りを抑えるセカンドを待った。一度深呼吸をして、はい、大丈夫です、とセカンドはきりっと顔を正す。切り替えが早いのは流石だ。カカロットは心の中で感嘆しながら、「それで、どうなんだ?」と聞いた。
「・・・明らかに僕が不機嫌になったっていうのに、よく聞こうとしますね・・・」
「え?あ、そっか。悪ぃ」
「ま、いいですよ。お父さんですしね」
セカンドは肩を竦めて、少し笑った。諦めの、というよりは普通にそのことを可笑しがっているようだ。カカロットはなぜそう笑うのか理解できなかった。そして、セカンドが逆光の中で微かに遠いどこかを眺めるような眼をしたのに気づいた。
「そうですね・・・本当のところを言うと、あります。今はありませんけどね」
「ふぅん・・・」
「サイヤ人って元々、戦闘民族ですし、そういうことはあるんじゃないですか?そこまで気に病むことじゃありませんよ」
カカロットはその言葉を聞いて、逆に眉間に皺を寄せ、そうか、と一言呟く。そんな父親の様子に溜息を吐きながら、それで、どうなんです?とセカンドは聞いた。
「誰を殺したいんですか?カカロットお父さんは」
あまりにもあっさりと問われた言葉から眼を逸らし、カカロットは黙った。夕日は既に地平線に沈もうとしている。日に焼かれた空が紫から蒼に燻り始めていた。十数年も前に無くなった月が、暗闇の中で己を嘲笑っているのではないか、と思った瞬間、ざわりとカカロットの脳内が粟立つ。カカロットは目の前に立つ己の息子の顔が、見たことも無い、誰か知らない、何か別の生き物のように見えて、溜まらず両目を手で覆った。カカ、と悟空の声だけが柔らかく鼓膜に焼き付いている。おとうさん、とセカンドが呼んだ。答えの声の代わりに、嗚咽のような唸り声が零れた。
2009/5・24