■Yログ 5

 どろりと濁った空気の中で、ぶ厚い層になったような魔力の壁の存在に気がついて、バーバラはふと、振り向いた。バーバラの夢の中には、バーバラの血に巡る魔力を溜めてきたかつてのカルベローナの大魔女の意識が蠢いている。その空間の中、無理やり中に入り込もうとする、なにか、わるいものの気配を感じて、バーバラの中の全てが殺気立っていた。
「・・・・・・・・・・・・・ほぉ、これは、面白い」
 暗闇の奥の奥のほうから、悪い夢かと思うような、低い、淀んだ男の声がして、バーバラは思わず自分の腕を抱くようにして蹲った。恐怖という感情がバーバラを一瞬にして埋め尽くすかのような恐ろしさだった。多くの魔女が見えない姿のままバーバラを守ろうと辺りを浮遊する。
 突然、バーバラの正面にある魔力の層に、水滴が落ちたかのような波紋が浮かんだ。分厚い壁がまるで柔らかいシーツのようにぶよぶよと蠢くと、それに連動するかのように空気そのものが軋みを上げて震えた。声にならない魔女達の悲鳴が上がって、バーバラは思わず耳を塞いだ。と、その決断は正しかったようだ。突如としてバーバラを守る繭は硝子が叩き割られたかのような音を立てて砕けた。劈くような悲鳴と空間がぐしゃぐしゃに砕け散った音でバーバラの体が震える。そのバーバラだけが存在を許された場所に、ずるりとそれは入り込んできた。
 黒い甲冑に黒い兜を被った大男は凶悪な形をした武器を軽々と片手に持ち、赤く鋭い眼球をじろりとバーバラへ向けた。浅黒い肌に浮かんだ翠色の刺青は蛇のように男の体に絡まって、一瞬蠢いているかのような錯覚を受けたが、それは悪魔というものが身体に直接入れた魔術刻印だろうか。一瞬見て、バーバラはこれが本当に危険なものだと判断した。
「まぁ所詮この程度か・・・しかし人間一人の中にこれほどの魔力が入るとはな・・・見縊っておったわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「誇るがいい、女。使いこなせるかどうかはさておき、これほどの密度の魔力を溜め込めるその肉体、魔族にも匹敵するものだとな」
「で・・・・・・・出て行きなさい」
 バーバラは吐き捨てるように呟いた。大人しい態度を取っているが、これは酷く危ないものだ、と本能で分かる。十中八九これは悪魔で、自分、いや仲間に危害を及ぼす存在かもしれない。それは許さない。仲間を守るのが、仲間としての自分の使命だと、バーバラは思っている。
「私はカルベローナの子、バーバラ。ここはお前のような悪しき存在の居て良い場所ではない!早々の立ち去れ、悪魔!」
 バーバラの意思を受けて、周りを覆った空気が一斉に震える。ごうごうと鳴り響く空気の悲鳴は、バーバラの魔力の強さを現している。闖入者の赤い外套がごう、と翻り、男の足がかすかに後ろに引き戻される。
「ほう?」
 男はそれに驚いたかのように目を見張ると、改めて目の前の小さな大魔女をじろじろと見た。風で舞い上がる娘の橙色の髪から、バーバラの赤い眼を食い入るように見つめると、うん? と小さく声を上げた。
「面白い奴だな」
 そう呟いた瞬間、男はバーバラの眼前にあっという間に移動していた。息を詰める暇も無い。男の大きな手がバーバラの首から胸部にかけて鷲づかみにし、男の顔近くに引き寄せられる。呼気すら感じてしまいそうな距離に迫った男に悲鳴を上げるのも忘れて、バーバラはその男の眼球を互いに見合った。
「なんだ、その男、好いているのか」
「・・・・・・・っ? ・・・な、ぁ・・・・!」
 次の瞬間、バーバラはそれを誰のこと言おうとしているのか察して、咄嗟に魔力を開放した。現実であればマダンテであるが、ここは夢の中であり、魔力も自分だけのものではなく、今まで亡くなってきた大魔女達の魔力がある。開放された魔力は悪魔さえも、さすがに逃げ出すほどの大爆発を引き起こす。
 目の前が真っ白になり、体を掴んでいた男の手も消えた。視界が戻るときには、いつもの真っ黒い繭が戻っている、はずだった。
「ふ、ふは、ふははははははははっ!」
 それよりも先に、男の哄笑がバーバラに届いた。男は体の半分を失っていたが、バーバラが見ている、中であっという間にもとの肉体を取り戻した。ベホマズン、とバーバラは唇でその大魔法の音をなぞった。
「ふふふ、人間とはかくも面白きことよ・・・愛、希望、夢・・・なんと素晴らしいことか。美しいく強いものこそ、この私に壊されるかいがあるというものだ・・・」
「う、う―――――うううううう」
「そう呻くな、虫けらよ。お前は虫にしては良い虫だ。愛玩ようにもなる虫というのも、人間にもあるものだろう?・・・ふふふ、良い見つけ物をしたな。娘。また会おうではないか。現実の世界で会えるとき、お前の愛する男も共にあるのだろうな?」
「れ―――――レックに、何かしたら、許さないんだから・・・・・・っ」
「そう慌てるな。ふむ、レックというのか。面白い奴だ。現実の生き物であるくせに、あいつには『夢』が無い――――私が手を出せぬ人間など、この世にいただろうか。ふふ、ふふふ面白い・・・面白いガキだ・・・ああいう奴こそ、私直々の手で奈落の底まで突き落としがいのあるというもの・・・」
 男はにんまりと唇を歪めると、外套を大きく翻させ、バーバラの繭からようやく出て行く。がしゃ、がしゃ、と繭の殻を踏み砕く音がして、男はようやく外へ出た。
「ああ、そうだった。―――――お前も悪くは無かったぞ、娘。しかし惜しい。もっと貪欲に生きてみるがいい。あの男の妻になる夢でも持ったらどうだ? そのときには私がお前の手となり足となり、あの男を永遠の悪夢の中に連れて行ってもいいのだ。そう、お前とあの男の、永遠の楽園を、私が作ってやろうではないか」
「黙れっ!・・・・・・・・消えてっ」
 バーバラの悲鳴に応えるように、あっという間に彼女を守る繭は再び作り上げられた。分厚い魔力の結界の中、偉大な魔女は静かに泣いた。仲間達との別れを思って。悪魔の言葉に誑かされてしまう恐怖のせいで。
「・・・ごめん、ごめんね、あたし、強くなりたいよ・・・」
 嗚咽を飲み込み彼女は一人、遠い夜明けを待つ。

 2010/02/05 



 デスコッドは常に夕暮れの色に満たされている。だというのに空気は生暖かく、柔らかな死の匂いで包まれていた。咲き乱れた花は雪解け水に育まれたものなのに、寒さというものを感じない。乾燥した空気が山肌を縫って轟々と吹きすさぶ。シンシアのスカートが翻った。
「ここを降りたらどうなるのかしら」
 崖下を覗き込みながらシンシアは言った。ソロはその傍らに立って、シンシアを一緒に眼下を見下ろしている。聞かれてもソロには答えられない。彼も彼女も気が付いたらこの村に居たのだ。この村以外の場所など知らないし、知る必要も無い。何せ夢の世界なのだから。
「レックはここじゃないところから来たんでしょ?この村を降りたら何があるの?」
 シンシアは風を孕んで揺れる髪を押さえながら振り返る。二人の少し背後に立っていたレックは、少し考える風にして、「マルシェっていう村があるんだ」と、答えた。
「一年に一回、バザーをやっていて、近くの王様も来たりするんだ。結構賑わうし、お祭りみたいなものなんだけど、見ごたえはある。今はやってないと思うけど」
「へぇ。楽しそう。行ってみたいな」
 シンシアはそう言うと、目を輝かせて傍らのソロを見上げた。意味が分からないのか、ソロはシンシアを見返して、不思議そうに首を傾げる。その様子をにやにやしながら見て、レックはどこ吹く風とでも言うようにさらりと助言する。
「そうだな。魔物が強いし、一人は危ないし。ソロに連れて行って貰うといいな」
「えっ」
「ね、約束だからね」
 もう約束されているのか。ソロの返答も聞かず、シンシアは笑って言う。
「レックに連れて行ってもらえばいいんじゃないか?」
「俺、こう見えても結構忙しいんだぞ?」
「ほら、ね、約束」
 彼女は強引にソロの手をとると、その小指を絡めた。
「一緒に行こうね」
「-―――――――うん」
 まるで嗚咽でも噛み殺すような声を上げて、ソロはゆっくりと頷いた。その指ごと空いた片手でシンシアの華奢な手を握り、その温度に安堵の溜息を漏らす。
 どうしたの、突然甘えて、とシンシアの優しい声が零れるのを聞き届け、レックはその場から離れた。流石に邪魔者になるのぐらいは分かる。落ちない夕日を背に、レックは自分の居るべき場所に戻った。



 2010/02/10



「レック兄ちゃん、朝だよ」
「・・・・・・・おお」
 ベッドの上に馬乗りになって、レックスは青年の顔を覗き込んでいた。こんな姿、この宿を切り盛りすることになっているビアンカに見られたが最後、レックスは吊るし上げにされるだろう。王子さまが何だ。彼女は女王様なのだ。
 レックは腹の上にレックスを乗せたまま上半身を起こし、のろのろとベッドの上に胡坐をかいた。
「うー、ねむ・・・」
 ぐいーっと身体を捻り、レックは自分の目をぐしぐしと擦る。レックスが既に用意した洗面器を差し出せば、うー、ともう一度唸って顔を洗った。ビアンカの用意したタオルで顔を拭き、ふぁーと一度大きく欠伸をする。脱いでおいた橙色の布を一度身体に巻きつけるように袈裟懸けにして、青い上着に袖を通す。それを一緒にベルトで止めて、剣を持ったときに手の皮が擦りむけないように包帯をぐるぐると巻く。と、そこまでの準備をしてから、まだレックスが自分のベッドの上に座り込んで自分をじっと見ていることに気づいた。
「どうかしたか、レックス」
「んー・・・」
 聞けば、少年はちらちらと余所見とレックを見ることに忙しく目を動かし、ゆらゆらと左右に揺れた。落ち着きの無い具合は子供のそれなのだが、レックはこの子供がただの子供ではないことを承知していた。王子様で勇者様だ。レックだって同じなのだが、レックは自力でこの勇者という力を手に入れ、レックスは生まれた時から勇者だった。選ばれた存在なのだ。ただレックはその素質があっただけで、選択したのはレック本人だ。その差は大きい。レックは哀れみとは言わないが、この小さな身体に一体どれ程の覚悟を背負おうとしているのだろう、とレックスを見るたびに考える。
「言ってくれないと分かんないぞ」
「レック兄ちゃん、次いつ来る?」
 レックスの声はどこでどう聞いても寂しがる子供の声だった。レックはきょとん、とした顔でじぃっとこちらを見てくるレックスを見返して、くっ、と喉で笑った。
「なっ、なんだよ、笑わなくてもいいだろー!」
「いやぁ、レックスに好かれて嬉しいんだよ」
「ぐ・・・」
 レックがそう言うと、レックスは何故か顔を真っ赤にして言いよどむ。もごもごと口の中だけで何かを言って、うーうーと唸るだけだ。
「奥にいる魔物を倒せるぐらいになるまでは、多分通う嵌めになりそうだな、とは思うな。まだ・・・俺は力が足りない」
「兄ちゃんでも、まだ足りないの?・・・お父さんより強いのに」
 レックスの声は本当に驚いた風だった。レックスは本能で、レックの強さを察知している。レックの強さはレックスには到底届かないもので、それは勇者としても含め、レックスは本当にレックを尊敬しているのだ。そんな子供の反応に、レックは素直に頷く。
「ああ。むしろ、十分な強さなんて無いと思うけどな。まだまだ、俺は強くなれるさ」
「そんなに強くなってどうするの?レック兄ちゃんはさ・・・・・あのさ、たまに、自分の持つ強さって、怖くなったりしない?」
「・・・・・・・・・」
 レックは俯いた子供の頭を見下ろして、ふぅん、と内心納得の声を上げた。この子供が恐れているのはそれか、いや、他にあるのだろう。ただ、これはほんの少しの断片。この子供の怖いものの、一つに過ぎない。
 じっとするレックスの頭をわしわしと力強く撫でくりまわし、「レックスはいい奴だなぁ」とレックは呵呵大笑した。
「ぶ、わ、あ、なん、なんだよう!」
「俺、あまり頭良くないんだ」
 それがどうしたというのだろう、とレックはレックスの掌から逃げて、ぐしゃぐしゃになった頭を適当に直した。寝癖がついてても特に気にしたりはしないのだが、それをビアンカに見つかると櫛で撫で付けられるのだ。ぺたっとした髪だとお坊ちゃんみたいで嫌だ。レックを見上げると彼は眼を細めて眩しそうに自分を見ていた。その鼈甲のような柔らかな色の目に見蕩れる。
「今まで色々できないことがあったんだけど、強くなればその何十分の1ぐらいは、できるようになると思わないか?できないことをそのままにしてぼけーっと見てるのだけは嫌なんだよ。ただこれは俺の悪あがきなんだ。でもその悪あがきが、到底手の届かない場所にいる奴に、ほんの少しだけでも一泡ふかせられたら、頑張ってよかった!って思うし、やったかいがあるだろ?」
「・・・手の届かない場所にいる奴って、誰?」
「え、あ、うーん、・・・・・・・そうだな。神さまとか?」
 唐突に出てきた、まぁ確かに手の届かない存在の名前にぎょっとしながら、レックスは敬愛する男の顔を見る。別にそんな人だと思ったことは無かったけれど、もしかして神さま嫌いなんだろうか、と思う。
「レック兄ちゃん、神さま嫌いなの?」
「まさか。俺は俺なりに神さまは尊敬してるぞ。こんな世界作ってこんな運命考えるぐらい頑張るなんて、並大抵のことじゃないしな。だから俺は、そんな神さまの努力に報いるために、こんな頑張ってるんだよ」
「・・・ふぅん」
 頭悪いとか言ってるから確かにどうしようもないことを言っているのは分かるけれど、レックスは彼が言うように彼がただの馬鹿とは思えなかった。
 いつの間にか準備を終えて立ち上がるレックの背をぼーっと見送りながら、レックスは無意識に大声を上げていた。
「次!次にレック兄ちゃんが来るまでに、僕、もうちょっと強くなってる!だから、今度手合わせしよう!」
「ん、いいぞ。じゃ、俺も次までにはまた強くなってるからな!負けないぜ」
 レックはそう快活に言うと、部屋から出て行った。ビアンカと話す声が聴こえてきて、ばたん、と扉の閉まる音がする。入れ違いにタバサとゲレゲレが部屋にやってきた。ベッドメイキングをしに来たのだろう。
 双子の兄の顔を見て、タバサは不思議そうに首を傾げた。
「お兄ちゃん、誕生日とクリスマスがいっぺんに来たみたいな顔してるよ?」


 2010/02/10



 ごぉーん、ごぉーん、と息が詰まりそうな音がどこか遠くで鳴っている。これは鐘の音だ、とレックは思った。夢の世界でレイドックの兵士選抜の時に、その召集を告げる鐘。それ以外にレックは鐘の鳴る音を聴いた事が無い。
 それなのに、どうしてこんなにも息が詰まるのだろう。心臓が早鐘のように鳴り打ち、身体には嫌な汗が吹き出る。喉が軋んで声が出ない。
「あれはお前の妹が死んだ弔いの鐘だ」
 忘れてしまっただろう? とどこからか聞こえてくる声はそう言った。どろりと濁った空気の中、生温い空気だけがどこかから吹き込んで来ている。人の話す声、彼女が死んだことを悲しむ声、哀れむ声。おかわいそうに、セーラ様。まだお若いのに。あんなに元気だったのに。愛されていたのに。
 それを、何か布のようなものに包まって、俺はそれをどこか遠くで起こっているもののように聞いている。俺? 俺じゃない。僕だ。僕、だけが。
「・・・セーラ」
「そうだ。お前の妹だ。お前と血の繋がった、唯一無二の、偽物の妹などと比べ物にならないぐらい、お前の大切な、お前が最も大切にしようとしていたお前の妹だ。その葬式を行なうことを告げる鐘が鳴っている。お前は妹の屍骸に別れの言葉を言いに、教会に行かなければならない。もうすぐメイドがやってくる」
 重苦しい鐘の音が止まない。ベッドの上で涙を堪えて妹の死から目を逸らし続けようとする小さな子供の姿ある。それを遠いところで見ている。
 俺と、悪夢を統べる悪魔が。
「あれが、お前の原型の悪夢だ。あの子供は毎日毎日、それこそあの田舎の村に引きこもっている間もずっと、ただひたすらに妹の死を夢想して苦しんでいた」
 お前には無いのか? 悪夢はそう耳元で囁く。
「やり直したいと思う日々は。力が及ばず手が届かなかったことは」
 お前の、その苦しむ姿が見たい。そう言って男は笑った。


 2010/02/14
2010/9・11


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