■Yパーティ 2

 ドランゴはレックが好きだった。バトルレックスという種族の性質で、強いものしか信用しない気高い生き物であるが故に、最も敬愛するテリーを打ち負かした存在、と言われれば好きにならない訳が無かった。その上レックはパーティの中で唯一ドラゴン職についているので、ドランゴはレックから常にドラゴンの空気を感じ取っており、たまに同種族に対するように接することさえあった。テリーが一番好きだろうと言われていたらが、最も身近に感じていたのはレックかもしれなかった。
 
 宿屋に泊まるときパーティメンバーでありながら魔物であるドランゴは厩舎に置かれた馬車の中で大人しくしているしかなかった。ルーキーなどの小さな魔物はレック達の持つ荷物袋に潜んで部屋まで行けるのだが、いくらなんでもドランゴは大きすぎた。ふかふかのベッドなどというものはレックの地元であるレイドックでしか味わえないものだ。
 いつもの通りに馬車の中で丸くなっていると、その扉に値する布がばさりと捲られて、レックがひょこりと頭を覗かせた。手には分厚い肉の塊を乗せた皿を持っていて、ドランゴが目を覚ましていることに気が付くとにかっと笑ってほら、ご飯と言いながら馬車の中に乗り込んでくる。
 「この村って上質の肉が取れるらしいから、奮発して買ってみたんだけど、美味いかな? 今日はドランゴにすっごく助けられたし、お礼がどうしてもしたくてさ」
 そう言ってドランゴの顔の前にごとりと皿を置く。外側だけを焼いた完璧なレアだ。ドランゴの好みを把握している。
 ドランゴはふんふんと小さな鼻を動かしてその肉の匂いを嗅いだ。喋られずとも一応人間の言語は少しは理解できた。どうやら美味しい肉らしい。匂いで違いを判別してみようかと思ったが、やはりそれには大した匂いは無いらしい。
 「レアで良いよな? 俺はドラゴン職についてた時はミディアムとかより生肉の方がなんか美味く感じたんだけど、やっぱり人間の舌とドラゴンの舌って違うのかな? 胃も頑丈になるし、ドラゴンってやっぱり凄いよなぁ」
 どうやらドランゴが食べ終わったあとの皿を持っていくまでここにいるつもりらしい。ドランゴはレックが離れるのが寂しかったのでゆっくり食べようと考えついて、肉の塊をのんびり味わって咀嚼しようとした。人間の好きなように加工されているせいでドランゴが好きな血生臭さがあまり無くて少しがっかりしたが、上質なのは確かなのか、ドランゴはのんびりと舌鼓を打つ。
 「美味いか?」
 「グルルル・・・」
 喉を鳴らせばよかったぁ、とレックはほっとしたように笑う。寝転がるドランゴの背に凭れかかり、しばらくじっとしていた。何かしたのだろうかと思う反面、どうせ喋れないのだという諦めのせいでドランゴは目の前の食事にだけ気をつかおうと決めた。レックはしばらくドランゴの背に寄りかかっているかと思うと、なぁドランゴ、とぽつりと聞いた。
 「やっぱり人間が食いたくなったりするのか?」
 答えを聞いているのかどうか、ドランゴは判別がつかなかった。レックのその言葉は自分自身に問いかけるようでもあったからだ。ドラゴンは血に酔いやすい。魔物の中でも頂点に立つほどの強さを持った魔物であるせいか闘いの血が騒ぐとたまに我を失うことさえあった。ドランゴン職も然りで、ドランゴは闘いの終わった直後に一人で呆然と立ち尽くしながら、目だけが魔物を追おうとする獣と化しているレックを見たこともあった。完璧に意識が魔物になるわけではないので、それについて悩むことも多いのだろう。ドランゴはよく分からなかったが、黙って肉を頬張り続けた。こういう風に己に一人きりで問いかけてくる人間は、大抵一人で考え込みたいだけなのだ、ということを最近ドランゴは気づいた。彼らの役に立つならば、この背ぐらいいくらでも貸そうと思う。
 「魔物の力と向き合おうって、思ったんだけどなぁ。・・・どれだけ強くなれば、俺は自分に打ち勝てるんだろう。そうしたら、セーラのことも・・・」
 ぽつり、ぽつりと呟かれる言葉がどんどんと消え入っていく。ドランゴはそれを黙って聞き、食事を終えてからも無理に声を上げずに静かにレックを待った。
 「結局、成長してるもんだって勝手に思ってたけど、根本的なところはなにも・・・変わってないんじゃないかって思うんだ。たまにさ。こんなに強くなってるのに、やっぱり俺は俺でしかないわけで・・・いや自分が自分以外になるのはそりゃ無理だけど、そういう意味じゃなくて、もっと根本的な意味でさ・・・・?・・・・・駄目だ。自分で何言ってるのか分からなくなってきた・・・っ!」
 ぐわあああ、と頭を掻き毟り、レックはがばりと身を起こした。「ドランゴ、ちょっと外行って戦わないか!」
 べろりと皿を舐め上げて、ドランゴは満足そうに一度喉を鳴らした。戦うのは大賛成だ。ふんふんと嬉しそうに鼻を鳴らしながらレックの腹に鼻面を押し付けて了解の意を伝えると、レックは皿を手にとって、じゃあ行こう、と一足先に馬車を出た。ドランゴもその背を追って、ご同輩の悩みのために精一杯働こう、と上機嫌で吼えた。

 2009/12/12 ドランゴシリーズレック編




 亡くなった母の形見のブローチが手から離れて行った瞬間、一度心臓が止まってしまったかと思った。一人きりで過ごすようになって、村の人達は随分と優しく接してくれるけれど、どうしても胸にぽっかりと空いた空洞が苦しくてたまらない。そんな時は母が手作りで作っていた木彫りのブローチを眺めて時間を過ごした。その時だけが、唯一一人じゃないと思える時間だったからだ。私の生活を支えてくれているのは、その小さなブローチ一つだけだったのだ。
 そんな大切なブローチを、どうして外で取り出してしまったのだろう、と愕然とした。織物の仕事に疲れて一度外の空気を吸いに出てきて、ふとポケットに入れたままだったブローチを取り出した瞬間、疲れのせいで力が入らなかったのか、指からぽとりと零れ落ちてしまった。丁度真下にあった石にぶつかって、かつん、と高い音を立てて、あっという間にそれはどこかに見失ってしまう。
 悲鳴を上げる暇も無く、音も立てずにそれはどこかへ行ってしまった。驚きと恐怖で足がすくんで、世界に一人取り残されたような気持ちになる。周りを見回してもどこにもない。
 「えっ・・・・うっ、嘘・・・!嘘!」
 地面にしゃがみこんで、短い草を掻き分け母のブローチを探す。すぐ近くに茂みがあったけれど、その向こうは小さな崖になっている。まさか、そんな隙間を通って崖から落ちたのだろうか、と考えに辿りついた時には、もう私の体は走り出していた。

 魔物が出る場所まで落ちていたら、と想像もしたくない可能性が見えてきて、ぽろぽろと涙が零れてきた。あれがなかったら私はこれからどうやって生きていけばいいかも分からない。どうして私ばかりがこんな目に。
 「ううっ、ううう」
 手にかすり傷が無数にできるけれど、それすら今は気にならなかった。さっき自分が立っていた丁度真下にあたる場所へたどり着き、生い茂った葉や木の枝を掻き分けていると、ふと、近くの茂みから足が突き出ているのが見えた。
 「・・・・・ひっ?!」
 人の足だ、と思う反面、いや、何故こんな所に、靴だけじゃないのか、とも思う。でも黒いブーツは白い包帯の巻かれている足に嵌められていた。
 恐る恐るその先を見てみようと身を乗り出すと、倒れている人の頭に近寄っていた鳥がバサバサと強く羽ばたいて飛んでいってしまった。キャ、と甲高い悲鳴を上げてしまうと、それに返事をするように、一度だけか細い呻き声が聴こえてきた。
 「あ・・・」
 生きている人だ、と思って近寄れば、そこには私よりも2,3歳年上らしい男の人が倒れていた。これといって怪我はないようだったけれど、顔色は物凄く悪くて、悪夢にでも魘されているようだった。
 「ぐっ・・・・ぁ、あっ!」
 突然、ばっと身を起こし、荒い呼吸を吐きながら男の人は目を覚ました。汗びっしょりで、凄く苦しそうな顔をしている。格好を見るからに旅の人のようだけれど、もしかしてこんな所で野宿でもしていたんだろうか。すぐ近くに村があるのに。
 「あの・・・」
 「・・・・・っ?!ひっ・・・」
 その人は私を見た瞬間身を竦めて明らかに怯えた表情を見せた。でも少しして落ち着いたのか、あ、と呆然とした声を零して、私をじろじろと見つめた。そして辺りを一度見回すと、数秒固まった後、ははは、と乾いた笑い声を上げた。
 「はは、ははははは、あはははは!」
 「あ、あの、大丈夫・・・ですか?」
 「ああ、いや、すまない。驚かせてしまって。・・・そうか、僕は・・・」
 男の人は自嘲するような笑みを口に浮かべて、ふらふらと立ち上がり、すまなかった、と謝って立ち去ろうとした。私はその背中を呆然と見ていたけれど、気が付いたら男の人の腕を掴んでその背を引きとめていた。
 何をしているのだろう、と思っているのに、口はまったく違うことを喋ってしまう。
 「たっ、旅の人ですよね?私の家で休んでいきませんか?何も無い家ですけど、是非!」
 「いや、その・・・」
 「何か用事でもあるんですか?」
 男の人は私の顔を見て、苦しそうに眉間に皺を寄せて、何か、誰かの名前を呼ぶようなまねをした。そして首を横に振り、いいや、と呟く。
 「・・・実は僕は、・・・今までの記憶が無いんだ。気が付いたらここにいて、・・・迷惑をかけると思うから、すぐにここを出て行くよ。・・・できればここがどこか教えてくれないか」
 「ここはライフコッドです。じゃあ、何か思い出すまで、私と一緒に暮らしてくれませんか?」
 何を言っているのだろう。私はそう思っているのに、口が私と切り離されたように勝手なことを喋る。男の人もぽかん、と私を見下ろし、「本気で言っているのかい?」と優しく聞いた。
 「突然会った見ず知らずの男を家に泊めようなんて正気の沙汰とは思えないな。君は自分の安全について考えないのか?僕の言った事が全部嘘かもしれないだろ?お父さんやお母さんはどうする?」
 「お父さんとお母さんはいません」
 「・・・それは・・・・・・・・それこそ、なおさらだ」
 「私は貴方の言ったことを信じます。それとも、貴方は両親を亡くして傷心の娘を手篭めにするような悪人なんですか?私はそうは思えません。嘘を吐くならもっと上手くやるはずだし、それ以上に私を襲うなら今すぐやるはずです」
 「君は」
 「ターニアといいます」
 男の人は私をじっと見つめた。私も静かに彼の眼を見返す。私は内心戸惑っていたけれど、どこか深い、静かな部分はまるで風の吹かない日の湖の水面のように穏やかだった。不思議な気分だった。男の人は黒い黒檀の瞳をしていて、きっといろんな人から愛されたのだろう、と思えた。優しい色をしていた。
 「僕は・・・僕はレックと言うんだ」
 「レック、レックさん」
 それでも、レックさんの目の奥には深い恐怖の色が焼きついていた。目の前にいる私のことすら怯えているようで、私は心臓がどくどくと高鳴るのを感じていた。この人はきっと、何か特別な人だ、と感じていた。きっと大変なことが起きるかもしれない、とも思った。でも、それでも私はこの人を引きとめなければいけないと思った。この人を助けなければいけない。何か大切な使命のようなものさえ感じていた。
 「じゃあ、ついてきてください。案内します」
 「ありがとう・・・・?ん」
 ふと、レックさんはしゃがみこんで、何かを拾い上げた。私が無くした母のブローチだった。




 ごんっ、と痛そうな音を立ててお兄ちゃんがベッドから落ちた。肩を竦めて持っていたカップからお茶を零すのは防げたけれど、慌ててテーブルにカップを置いたらやっぱり零してしまった。それよりも心配なのはお兄ちゃんで、くるりと振り向けば、自分のベッドから落ちたお兄ちゃんがずるずるとシーツごと床に落ちてくところだった。
 「お兄ちゃん・・・」
 生まれてこのかたずっと暮らしてきたお兄ちゃんだけど、寝相の悪さはどうにも直らないみたいだ。まだ寝ぼけ眼で、床に座り込んだまま、うう、と小さく呻き声を上げている。
 「大丈夫?」
 「んー」
 大きく欠伸をして、お兄ちゃんはのろのろと立ち上がる。シーツをベッドの上に戻して、体を捻って軽く体を動かしてから、くるりと振り向いて私に笑いかける。
 「おはよう、ターニア」
 「おはよう、お兄ちゃん」
 そして変わらない平安な毎日が始まる。

 2009/12/16



 がさがさがさ、と目の前にある背の高い雑草を手で掻き分けながら、ハッサンはすぐ鼻の先を先導する。二人で狩りに出かけるときに、ドランゴが先導すると、背の高い草が鼻先に当たるのがくすぐったく、得物を見つけてもくしゃみをしてすぐに逃がしてしまうからだ。
 久しぶりに肉食いたいなーと言ったレックの言葉を発端に、最終的にメンバー内で二人ずつのコンビに別れ誰が一番大きな得物を捕まえられるかを競争することになった。グループ決めは公平に、チャモロの故郷であるゲントに伝わる遊びの一種である阿弥陀クジで決定した。大柄なハッサンとドランゴが同じグループになった時点で優位性は高くなったのは必然だが、一人旅を長い間続けてきたテリーや、自給自足で生きてきたチャモロも狩りの才には長けている。ルーキーとコンビの決まったレックの合図で方々に散り、たった今、その競争の最中である。
 「でけぇ得物っていっても・・・この近くじゃ鹿か・・・熊とかか?」
 「ぐるるる」
 「わかんねぇか」
 首を傾げて喉を鳴らすドランゴに苦笑を零し、ハッサンは意気揚々と先に進んでいく。近辺の魔物は弱いものばかりなのか、足元に現れてはドランゴの姿に恐れおののき、不思議そうに鼻面を近づかせたドランゴの熱い息にきゃーっと高い悲鳴を上げて逃げていくばかりだった。
 おっと、と小さく呟きハッサンは片手でドランゴを制した。ドランゴは素早くその場に伏せ、ハッサンが少し開けた草の茂みの隙間からその向こうを覗いた。
 「でけぇな・・・お前とタメ張るんじゃえか」
 「ガル・・・」
 向こうに見えるのは小さな泉で喉を潤している熊の姿だった。その姿は小さな山のようで、鋭い爪が地面を抉っている。今は座り込んでいるが、立ち上がればドランゴより少し大きいかもしれない、とさえ思うほどの巨躯だ。
 「よし、俺は向こうに周りこむから、お前はここで待機してくれ。合図を出したら挟み撃ちだ」
 こくり、とドランゴは一度頷くと、ハッサンは体に似合わぬ俊敏な動きでさっとその場を離れた。盗賊や武闘家の経験があるせいか、足運びの賜物か、音も無くすぐに景色に紛れた。
 面倒見のよい大男は何かと予想を裏切る行為が多い、とドランゴは思っている。強面で初めて会った少女には泣かれるほどだというのに、思いやりがあり体を張って仲間を守る。ドランゴは人間だがハッサンに対して尊敬の情を抱いていた。たまに見せる間の抜けたことさえなければまったく見上げたものなのだが。
 ふと、ちょうどハッサンが向かいの茂みに到着したらしい。そっとドランゴに向けて手を上げた。ドランゴは身を起こし、今すぐ飛びかかれるように後ろ足に力を入れた。ハッサンの手信号が合図を送る。ドランゴはその場から勢い良く飛び出し、目の前の熊の胴体に向けて口を大きく開け、その腹部に思い切り牙を付きたてた。
 痛みなのかそれとも抵抗しようと試みたのか、熊は一度方向を上げると鋭い爪をドランゴの顎へと数度たたきつけ、結局なんらダメージが与えられないことに気づくと、ドランゴの赤い眼球へとその爪を振り下ろしてきた。
 するとその寸前でハッサンの飛び蹴りが熊の腕に直撃した。めしめしぃ、と骨の軋む音を立てて、熊の全身がむりやり捻られる。数度身を捩ったが、結局熊は力尽き、どさりとその場に崩れ落ちた。
 ドランゴが牙を抜き、口を胴体から外せば、牙に熊の毛が絡みついて気持ちが悪かった。ハッサンが熊が死んでいることを確認してから、手際良く狼煙を上げた。そしてドランゴを泉に誘導し、そこで牙に絡まった毛をこそぎ落としてくれた。
 そうこうしているうちに方々から仲間達が戻ってきた。皆良い得物を獲ることはできなかったらしく、ドランゴとハッサンが捕らえた熊を見て、口々にそれを褒めた。
 「・・・なんだ。牙で喰い殺されてるな。ハッサンを褒め損した」
 「んだとゴラァ!確かに止めをさしたのはドランゴだが俺も活躍したっつーの!」
 憎まれ口を叩くテリーとの会話で笑い声の溢れる中、レックがドランゴの頭を撫でながら、ドランゴはすごいな、とまるで自分のことのように喜んでくれた。その笑顔を見れたのでドランゴは十分に嬉しく、やっぱりハッサンは凄いな、と思ったのだった。

 2009/12/17



 ミレーユはたまに、歌を歌った。小さな、単調の歌だ。子守唄よ、と彼女はすぐ隣でまどろむドランゴに言った。彼女はいつでも優しい声音で、透き通った水のように涼やかで、美しかった。ドランゴでさえ、彼女が「うつくしいもの」だということを知っていた。
 彼女の子守唄を聞くと、魔物さえ眠った。しばらく前、彼女が何を思ったか、突然『遊び人』という職業についた時のことだ。戦いの途中にふと天啓でも得たかのように、レックの命令を無視して歌い始めた。と、言っても、レックは常にパーティのメンバーに、自分で考えて行動するように言い渡しているので、別に命令を無視したというわけでもないのだが。それでも、突然歌いはじめたミレーユに、その場の全員が驚いたものだった。
「小さいころ、テリーによく歌って聞かせたのよ」
 テリーだけではない。彼女は、彼女が愛した全てのものに、その歌を歌ってあげた。ガンディーノで攫われ、牢獄の中で泣く子供のために。子供を亡くした大人のために。死にゆく老人のために。
 特別、上手いというわけではなかった。ただ、しばらく聞いていると、まるで目に見えない父と母が、自らの傍らで見守ってくれているかのような温かさがあった。それだから子守唄というのよ、と眠りそうになるレックに教えた。
「レックも、小さいころはきっとレイドックの王妃に子守唄を歌ってもらった経験があるんじゃないかしら?」
「でも、魔物でさえもミレーユさんの子守唄で眠ります」
 チャモロは乾いた木の枝を焚き火にくべながら、少し微笑んで言った。
「もしかしたら、全ての生命の根源に語りかけるほどの力が、あるのかもしれませんね」
 そうだとしたら、それは凄いことだ。ドランゴはぼんやりとした頭で思った。奏でられる優しい、少し寂しい子守唄に聴き入るドランゴは、ゆっくりと息を吐く。背に寄りかかるレックを起こしたくなかった。その様子に気づいてか、ミレーユがその綺麗な手をそっとドランゴの頭に乗せ、労わるように撫でた。
「そんな崇高なものじゃないわ。きっと、もっと単純なものよ」
「じゃあ、なんだと思いますか?」
「そうね・・・・・・・・・・それはきっと、母の愛だわ」
 思いに耽るような声音で、ミレーユは言った。言葉は夜の帳の落ちた空気をそっと震わせた。それでもけして形は残さず、あっというまに夜の美しさに溶けた。
「眠るという自らを無防備な状態にするときに、傍にいるということを、教えているんだわ。夢の中にいても、大丈夫だと。一人じゃないと。その思いやりが、思いの強さが、優しさの欠片が、人の手によって伝わっていったのね」
 ミレーユはうとうとと瞼を下ろしそうになるドランゴへふと微笑みかけ、既に眠ってしまったレックを見て噴出した。そうね、その形も、一種の子守唄なのでしょうね、と囁く。ドランゴは、夢の世界に半分飛び立って行ってしまった意識ではその言葉がよく分からなかったけれど、ミレーユの言っていることはきっと正しい、と思った。その方がいい、と思った。ミレーユの子守唄は、誰にでも平等に与えられる母の愛だとして、それ以上素晴らしい結論があるだろうか?頭を撫でるミレーユの綺麗な指が、そっと離れたのに気づきながら、それでもなくならない子守唄をすぐ傍で聞いて、ドランゴは眠った。温かさは、ずっとなくならなかった。

 2009/12/21
2010/9・11


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