■蜜月の残したもの



 突然、と言ってもいいほど、前振りも無くカカロットが悟空に身を寄せた。ソファに座る悟空の膝の上に跨るようして座り、その少しだけ高い位置から、悟空の額に唇を寄せた。唐突な自分自身の甘えに驚きながら、悟空はどうした、と優しく聞いた。こういう時、大抵カカロットは弱っている。どれほど強くなったって、そういうものからはどうしても逃げられない。人間の形をしている限り、そういうものから無縁にはできないものだ、といつか誰かが言っていた気がする。
「少しだけだから」
 その言葉が意味するものは分からない。カカロットはそう囁いて、悟空の瞼にもキスをする。子供を相手取るかのような優しい手つきで、カカロットの掌が悟空の顎を撫ぜた。猫だったら喉を鳴らしてしまいそうな柔らかい動作で、悟空は黙ってそれを受けた。するすると首まで下がり、周りこむように後頭部を掴まれる。カカロットの唇は瞼を離れて頬へと下がり、最後に唇に辿りついた。ちゅ、とあまりにも間の抜けた音が立って、数センチのみ距離を開けて、カカロットと悟空の視線が絡む。結局何を求めているかもその眼の内から察することはできず、カカロットの目が離れた。
「エロいことしよう」
 不思議な誘い言葉だと思った。単純すぎて、よく分からなかった。ただ、うん、と頷いた。
 意味が分からないわけではなかった。カカロットが何をしたいのか、何がしたいのか、悟空に何をしたがっているのか、悟空は察していた。だいたい分かっていた。それでもカカロットが望むものが与えられるのなら、それを与えてやろうと思った。カカロットには今、自分しかいないのだということを、悟空は本能的に悟っていた。



 フリーザを倒して、名前も良く分からない星へと飛んで、二人きりでしばらく歩いた。カカロットは何かを見るたびにしきりと「闘うか?闘おうぜ」と興奮していたが、何度もそれを悟空が諌めると、いつの間にか言葉を無くして、とぼとぼと悟空の後ろをついて歩くようになった。その星に住む住人と交流が持てても、カカロットは長い間黙ってそれを見ているだけだった。
 食べ物などを調達してくる悟空が帰ってきてから、カカロットは悟空に寄り添って、「闘えそうな奴はいたか、強い奴はいたか」ととにかく聞いた。たまに、悟空達が住んでいる小さな家は、カカロットの気でぎしぎし悲鳴を上げていた。
 それからどこの星に向かっても、カカロットは血に飢えた獣のごとく、目をぎらぎらとさせて、多くの生物の中から自分の眼鏡に敵う敵を捜し求めた。それをしない間は、悟空を抱いて眠った。
 ぬくもりを求めて不安がる獣の子供のようだ、と悟空は思った。幼い頃見つけた猛獣の子供のように、悟空が胸に抱けば、擦り寄るように身を捩り、小さく喘いだ。血の匂いがしないから寂しがっているのだ。
「カカロット、このままじゃ駄目だ」
 この姿はただのサイヤ人だ。オラたちはサイヤ人じゃない。地球人だ。そう言えば、カカロットはそんな悟空をじっと見定めるように見つめ、そうだな、と小さく呻くだけだった。苦しそうで見ていられなかった。



 カカロットは悟空の首を貪るようにがぶりと噛み付いてきた。それでも極力犬歯を立てないよう、本当に獣の子供のような甘噛みだった。じゅる、と唾液を啜る音が聞こえて、悟空は耐えられず熱い息を漏らした。いつの間にか、二人で酔いしれていた。戦いの名残を二人で惜しんだ。確実に、この夜で一つ、自分たちが何かを失うということを本能的に知っていた。
 足を絡めあい、冷たい空気から逃れるように二人で身体を押し付け合い、その間に生まれる熱を愛した。生まれては消えていく命の名残を、溜息混じりに悔やんだ。これでさえ自慰に過ぎないと人は言うだろうか。カカロットはそんなものに興味はなかったし、ただ音も立てず死んでいく、自分自身の内に流れる戦闘民族の血だけを哀れに思った。誰もこんな血必要としなかった。あるだけ無駄だった。人が口を揃えて望むのは平和だけだった。排他されるべき獣の血は、ここから一体どこへ行くのだろう。
「悟空」
 頬を寄せ合い、冷えた空気を振り払うように熱い息を吐きながら、カカロットは悟空を呼んだ。親を呼ぶ、迷子の子供の声のようだ、と二人は同時に思った。自分の息子が、べそをかきながら己を呼んだときを思い出した。あのような愛しい命をはじめ、優しい生き物はすべて、カカロットを除外する。
 悟空は冷たい床の上に放っていた自らの腕をのろのろと上げて、カカロットの頭を抱え、自らの肩に押し付けてやった。じわりと浮かんだ汗が肌の上で混ざる。呼吸が肌で感じられて、視界の端で満月の光のような優しい金色が、自分の手によってぐしゃりと荒れた。
「わかんねぇけど、父ちゃんとか、父ちゃんの友達とか、悪い奴だったと思うか?」
 悟空は一瞬迷って、ああ、と一度頷いた。何が良くて何が悪いのか、そう判断することは難しいこととは思うが、サイヤ人は悪だったはずだ。戦闘をすることでしか繁栄できない民族を指差して、人が善だと言うだろうか。悟空はそうは思わない。今だって今までだって、自分の強さを人が見たとき、彼らの反応はいつだって畏怖でしかなかった。
「死ぬべきだったと思うか?」
「いいや」
 その言葉だけはすぐに反応した。死ぬべき生き物はいない、と無くなった祖父は言っていた。死んでしまう生き物も、死ななければいけない生き物もいる。しかし死ぬべき生き物はない、と彼は言っていた。悪い奴だから殺す、というのは、良い奴だから殺す、という理由と同義だ。良いも悪いも決めるのはその人の判断である。だから、死ぬべきものなんてない。
 悟空の肩で、ゆっくりと息を吐き、カカロットは少し躊躇いながら聞いた。
「じゃあ・・・俺は一体何を・・・・・・・・・何のために、生まれたんだろう・・・」
 呻くような言葉を呟いて、カカロットはゆっくりと身を起こした。悟空は床に倒れ伏したまま、自らの上に乗るカカロットを、ぼんやりと熱で潤んだ目で見た。暗い影になっていて、カカロットの表情はぼんやりと歪んでいたが、自分が今までしたこともないような辛そうな顔をしていた。
「これから俺は、何を倒していいんだ?」
 フリーザを倒して、そしてこれからどれほど強大な敵が現れるというんだろうか、とカカロットは聞いた。宇宙で最も強い、とフリーザは言っていた。フリーザを倒すためだけに生まれたようなものであるカカロットは、これから一体、何と闘うことを望めばいいのだろう?
 悟空はじっとカカロットを見上げ、その俯かれた顔のなかでも輝く蒼色を捉えた。影を含んで翠色からさらに深い色に変わっていたカカロットの眼球は、行き場を亡くして虚ろに彷徨った。
「カカ」
 名前を呼ぶと、声は掠れていた。嗚咽を上げるような声を出してしまった。カカロットの頭へと再び手を伸ばし、その頭をゆっくりと引き寄せる。吐息の触れ合う距離に寄せて、その蒼色を見た。悟空の眼球の中に何を見たのか、カカロットは黙ってそれを見た。
「オラは、お前に会いたかった」
 だから、自分が生まれたことを許せ、と悟空は言う。カカロットはその言葉を聞いて、心底安心したように詰めていた息を吐いて、わかった、と言った。唇で啄ばむようなキスを数度交わし、二人はもう言葉を交わす間も惜しいとでもいうように、静かに貪りあった。夜は音もなく去って、少しの間だけ、二人の居た場所に熱を残した。



 エロいことしよう、とカカロットが誘うと、悟空はやだよ、と撥ねた。あまりにも馬鹿な台詞に辟易しながら、悟空の正面に座っていたセカンドは噴出しそうになったコーヒーをテーブルに置いた。重いマグを慎重に置きながら、せめて夜、人気のない時に誘ってくださいよ、と忠言を入れる。
 悟空の座るソファの隣で、カカロットはあからさまにむすっとした顔をして、自らの膝を抱きながら唇を尖らせる。
「前はすぐに良いって言った癖に・・・」
「あれは特別だろぉ!」
 慌てて悟空が声を荒げるが、カカロットの言葉は既にセカンドの耳にしっかり入ってしまったらしい。お熱いことで、と息子は肩を竦めると、カップを片手に新聞を持って出て行ってしまう。その背中をあわあわと顔を蒼くしながら見送った悟空だが、すぐさま背中にかかる馴れた体重に目を丸くした。
「人気の無い、だと。今その通りじゃないか?」
「夜じゃないだろ」
 悟空はそう言いながら甘えてくる半身に苦笑を洩らし、その柔らかな金髪をぐしゃぐしゃと撫ぜる。あの時とは違う柔らかで暖かな空気が、彼らの間に生まれた温度を慈しむように包んでいた。
2010/1・12


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