■言葉が潰えぬのならこれほどにまで
悟飯、とピッコロは彼の家の中に声を投げかけて、それに対して表へ出てきた人間の姿を見てから、しまった、と心の中で舌打ちをした。「なんだ、ピッコロか」と冷たい声を吐き捨てたのは少年の母親であった。女とは思えないほどざっくばらんとした口調で、緑色という人間とは大抵思えない肌をした異星人を冷たく見やる。
「悟飯ちゃんは高校の試験で忙しいってぇのに、手間かけさせるんじゃねぇ。探してるんだったら今すぐ悟飯ちゃんを帰して、勉強させてけろ」
次男坊が生まれてから、勉学というものに対して息子達に強要させる姿勢が弱まったはずだというのに、彼女がぴりぴりしているのは長男がついに都の方の学校に入学することが決まったからだろう。かつて長男を攫った者として凶暴な獣を相手にされるような対応をされていたピッコロも、ここ数年ようやく人扱いされるようになったとはいえ、何故か今日の応対は最近のものとは思えないほど険がある。ピッコロは、そこで小さく首を捻った。彼女が自分に敵愾心を見せるのは分かるが、先ほどの言葉の意味が判らない。
「帰して?悟飯は家でベンキョウをしているのではないのか」
「はぁ?どの口が言うだか!さっき悟飯ちゃんが気分転換におめえさのとこに遊びに行くって言うてただぞ!どうせまぁたくだらねぇことで喧嘩でもして、悟飯ちゃんに逃げられたんだべ?うちには帰ってねぇだ。そんなことしてるぐらいなら勉強しろって、あんなに言っただのに!」
彼女は憤懣を露にして言った。眉間に皺を寄せて、きっと己よりも頭何個分差があるかも分からない異人の顔を睨みつける。ピッコロはそんな激怒する母親から目線を逸らし、彼女が暮らす家の両脇を見た。ふん、と一度溜息まじりに鼻を鳴らし、邪魔したな、とさっさと彼女に背を向けて、そのまま飛び上がって行ってしまった。
ぽかん、とした顔をしてその背を眺めていたが、結局自分の愛する息子の行方が分からないことに気づき、彼女はその背に、すぐ悟飯ちゃんに帰るように言えよ!と叫んだ。返事は返ってこなかった。
青い空を飛来してくる影を見つけて、悟飯は寝転がってる格好から咄嗟に起き上がった。予想した通り、通常の人間よりも体が大きい緑色の肌をした男は、川辺に寝転がる悟飯の姿を見つけると、白い外套を翻してしなやかに着地した。てめぇ、と声を荒げると同時に、悟飯は柔らかく挨拶をする。
「こんにちは、ピッコロさん。散歩ですか?」
「阿呆が。貴様を探しに来てたんだ」
「へぇ!それは珍しい。デンデに何かあったんですか?それとも、何か危ないことでも?」
悟飯はそう言って、自分の師を座りながら見上げることが不躾だと思ったのか、それとも座ったままだと首が痛いことに気がついたのか、素早く立ち上がった。ピッコロは喃々とした弟子の言葉にあからさまに顔を顰め、握りめた拳を悟飯の頭部に振り下ろした。といっても本気で殴ったわけではなく、いわゆる「躾けのための小突く」程度である。常人にやれば数10mは優に吹っ飛ぶほどの威力なのだが、それを難なく頭で直に受け止めた悟飯は、痛い、と小さく悲鳴を上げた。
「貴様の家に行った途端、母親に叱られたぞ。お前の母親は俺が貴様と誑かしたんだと思ってやがる」
「事実じゃないですか。僕、ピッコロさんに誑かされてますし」
「冗談言うな」
「すみません」
流石に酷い冗談だとでも思ったのか、悟飯は素直に頭を下げた。それでも顔を上げた語飯はにやにやと口を歪めて笑っていて、ピッコロが気味悪そうに、何だ、と問えば、いえ、と悟飯は吹き出す。
「お母さんに怒られるのって悪くないでしょう」
「・・・・はぁ?」
「いえ、すみません。こっちこそ冗談です」
それでも悟飯は笑うのをやめない。片手で口元を押さえるようにしているが、効果はまったく発揮されていないようだ。ピッコロがじろりと睨めば、ようやく笑うのをやめた。ガキだったころはきつく睨めば泣き出すような奴だったのに、とピッコロは内心舌を打つ。そっちの方が良かったのかと問われればそれは否だが、歳を食って強かになったのは個人的には厄介になった、とも言えると思う。この子供は父親と違って賢しい分、そこが厄介に拍車をかけている。
「それで何の御用ですか」
「お前の顔を見ようと思って来た」
「それは、・・・嬉しいですね」
「だが、お前の家で門前払いを喰らった上に、ベンキョウを休むために俺を口実に使ったことに俺は滅茶苦茶怒ってる」
「すみません。機嫌直してくださいよ」
「じゃあまず笑うな」
悟飯が再び肩を震わせて笑おうとするのを頭を掴んで凄んでやれば、悟飯はなんとか笑みを噛み殺した。そんな弟子の顔を睨んでいたが、ピッコロはふと足元に当たったものに気づいて、その視線を下へとずらした。石に挟んで固定してある。手作りの釣竿だ。ピッコロが悟飯を探し出したのも、孫家の前に置いてあった釣竿が無くなっているのに気がついたからだった。悟飯が行きそうな手近な川を上流に向かった飛んで行けば、それらしき気配を察知できた。悟飯はベンキョウをサボって、悠々と魚釣りに勤しんでいたというわけだ。
「息抜きも大切ですよ。修行と同じです。滅茶苦茶動いたら、必ず休息を取らないと。最近知ったんですが、2日休まず体を鍛えて、1日しっかり休むと、ずっと鍛えているよりも筋肉が飛躍的につくっていう修行法があるらしいですよ?」
「お前の修行法なんざ知るか。というか、なんで突然釣りなんだ?そんなに好きだったか?」
「ええ。お父さんの思い出って釣りか修行かぐらいしかないので」
さらりと言われた言葉に身を翻すと、悟飯は不思議そうに首を傾げてピッコロを見上げているところだった。何かしましたか、と視線が訴えている。ピッコロはそうか、と返しただけだった。何か言うべきだったのかもしれないが、ピッコロにしたって何も言えることはない。そう、例えば慰めを言うのなら、悟飯に「それを言うなら、ピッコロさんってお父さんやお母さんの思い出、一つも無いんでしょう?」と言われるのが関の山だ。彼は人に哀れまれるのが嫌いだ。自分が誰かより恵まれていない、なんて考えていないからだった。
悟飯は父親に誇りを持っていたし、他の家庭の親子の方が恵まれているとは思わない。彼は父親と共に命を賭けた戦いを尊んでいたし、父親と過ごした時間というのは何にもかけがえの無いものであったと思っている。ここで何かを言うのは間違いである、とピッコロは熟知している。
「面白いのか?釣りって」
「面白いですよ」
ピッコロが問えば、悟飯は心から純粋にそう思っているように言った。恐らく父親というのも関係なく、釣りが好きなのだろう、と推測する。ピッコロは釣り、というものがどういうものか知識では知っているが、実際にやったことはなかった。そもそも水を飲んでいるだけで生きていられるのだ。魚を食うことがないのだから、獲る必要がない。
悟飯は枕代わりに持ってきていたビニル素材で加工されたクッションの隣に置いてあるボックスの、そのまた隣から釣竿を取り出し、ピッコロに差し出した。
「やりますか?」
いいや、と断る理由も無かったし、やったことがない未知の物に手を出すという知的好奇心に負けないほど、ナメック星人は愚鈍な生物ではなかった。
釣りをする、といっても釣堀でもないし、そうぽんぽん釣れるものでもない。これなら素手で獲った方が早いだろう、と思えるほど魚は餌には引っかからなかったし、悟飯も釣る気がないのか、釣竿を石に固定させたまま野原にごろりと寝転がっていた。
ピッコロもそれに習い、野原にごろりと寝転がってみる。どうせ釣竿に魚が食いついたら、二人とも気配を察知して、すぐに釣り上げることができる。ピッコロは途中から、別に悟飯は魚が取りたいというわけではないのだ、ということに気づいた。
寝転がって空を見てみると、常に自分がいるはずの天界からでは下に見える雲が、やけに高いことに気づいた。いや、今ここで軽く跳躍してみれば、雲なんて簡単に触れることのできるものなのだが、こうやって地面に寝転がっていると、まるで永遠に届かない、非常に遠くにある存在のような気がしてくる。季節は最近夏になりかけているので、青々と茂った木から零れる木漏れ日がちらちらと頬を撫でた。
温かい空気を押し流すように、少し冷たいぐらいの風が吹いていて、気温の変化に強いナメック星人にとって気にするものでもない温度も、丁度いいものである。悟飯もうとうととまどろんでいるようで、しばらく沈黙が続いた。
「そういえば、・・・おい、起きてるか?」
「はい。かろうじて」
「・・・寝るか?」
「いえ、平気です。どうぞ」
促され、ピッコロは言葉を吐こうと息を吸ったが、もしかして悟飯はあまり寝ていないのだろうか、と考え、思わず声を出すのを躊躇ってしまう。あのベンキョウ好きの母親のことだ。もっと幼い頃の悟飯に行なっていたスパルタ教育のように、寝る間も惜しんでベンキョウさせているのでは。
その思いを察知したのか、悟飯は苦笑しながら、昨日は9時間寝ましたよ、とさりげなく呟いた。安心すると同時に、自分達は言葉を交わさずとも勝手に慮ったことを理解できるようになったのだな、と思った。
「・・・ご、」
悟天の様子はどうだ?やはり強いのか?とピッコロは当たり障りのないことを問おうと思ったが、再びピッコロは言葉を亡くした。今度は言葉を無くした理由が分からないのか、悟飯はピッコロの途切れた言葉にふと目を開けて、不思議そうに隣の男を伺う。ピッコロは眉間に皺を寄せて、何か思案しているようだった。悟飯は、それがもしかして突然思い浮かんだ、神としての自分が思いも寄らない重大な何かに気がついたからなのか、それともむしろ問おうとした質問に関することで、何かまた新しい発見でもしたのかと思った。こういうときは無茶に聞かない方がいいかもしれない、と思って少し待つ。隣の知識人は、高い空を睨んでいるかと思えば、視線を不安気に空中に彷徨わせたりと忙しない。
「悟、飯」
呟かれた言葉は次男坊の名前ではなく、隣の長兄の名だった。はい。悟飯の声が返ってくる。
「流石に、何でも質問が分かるわけじゃないですよ?ピッコロさん」
悟飯が言うと、ピッコロはがばりと身を起こした。分かってるんじゃないか、と非難するような視線が悟飯に注がれる。その視線を黙って受け止めて、悟飯は笑う。それはただの経験からくる憶測ですぎない。
長い時間を一緒に過ごした仲であればよくある、「そう言うと思った!」という奴だ。だからといって全て相手の言うことが分かるのはただの超能力者である。悟飯は自分がそんな特殊な人間になった覚えはまったく無い。
「でも、心配しなくとも僕はピッコロさんのこと大好きですよ」
「心配なんかするかっ!」
思わずピッコロが叫べば、川の中を悠々と泳いでいた小魚達が一斉にどこかへ泳ぎ去っていくのを、同時に二人で察知する。歯を食いしばり屈辱で顔を歪めるピッコロの顔を見て、思わず悟飯は盛大に笑ってしまった。これではもう、魚が釣れるなどありえないだろう。
「どうして心配しないんですか?」
悟飯は意地悪くそう聞いた。こういう時ピッコロは普段の師匠面して逃げることができない。魚が逃げてしまったのはピッコロのせいだからだ。だからいつものように悟飯の問う柔らかで優しい、それでいて恥ずかしい台詞を叩き潰して、この場から退散することはできない。
「・・・そんなこと、言われなくても分かってるからだろうが。ガキの頃から、何度聞いたと思ってやがる」
「でも、口から聞きたいでしょう?愛の台詞とかは、特に」
気障な台詞を堂々と吐くようになった年頃の少年を見下ろして、ピッコロは眩暈がしそうだった。自分が知らないうちに子供はいつの間にか成長を遂げている。それこそ、言葉なしでは分からない程に。
2009/8・25