■まだ会えぬ人を思って



 目が覚めればそこにあるのは今までずっと見てきたような、それでもどこか視点の違う、のっぺりとした白い天井だった。ぐうぐう寝続ける悟空を見下ろし、そっとその場から離れれば、気配を察知してそのまた向こうで寝ていたはずのカカロットが起きた。ゆるりと開いた瞼の隙間から、自分と同じ蒼い眼球が覗いている。じっと睨まれたかと思うと、まだ眠いせいなのか、いかにも不機嫌そうな声を上げられる。
 「・・・なんだ、どこか行くのか」
 「ああ。ちょっとな」
 カカロットは、すぐに目を閉じ、一度欠伸をすると、するすると隣で眠る悟空に擦り寄って、うんうん鳴いた。暖をとろうとしているのか、それとも悟空のなかにでも入りたいのか、それとも寂しいのか切ないのか、俺にはまったく分かりはしないが、自分自身同士でべたべた引っ付きあっているのを延々と見るのも大して面白くも無いので、最初の予定通り、俺は踵を返して外へ出た。
 界王様に用意してもらった一軒家から出れば、相変わらず変な色をした空がゆっくりと蠢いている。朝も昼も夜も分からないが、生き物としての習性が残っているせいか、不思議と睡魔はあった。界王様曰く、寝る必要などその気になれば無いらしいが、悟空を初め俺達が特殊なのか、要らないはずの食事もしっかりとっていた。
 天界には現世で様々な功績を残した英雄が、死んだ後も延々と修行を続けて、ただひたすらに強くなることを望んでいる。セルとの戦いのせいで、いや、むしろ自分が蒔いた種のせいともいうべきか、爆発に巻き込まれて死んでしまうという最後だったが、俺達も同じようにここに送られた。その修行の最中に、ぽっと出てきたのが俺だった。
 記憶はどちらかといえばカカロットのものを多く貰っている。だからカカロットの抱く感情も、思いも、まるっきり理解していた。理解していたからといって自分もそれと同じく悟空に恋焦がれるなんてことは無いのだが、何かと不思議な気分だ。
 カカロットから分離して、一つの個体になってから、まだ10日も経っていない、と思う。老いもしなければ死ぬことも無いこの世界では、時間の感覚というのが曖昧だ。精神と時の部屋に入っているような気がする。
 天界に浮かぶ小さな惑星が、広い空間の中に点在している。視線を巡らせれば、近くの惑星で早くも修行を始めている人物を見つけた。肌の青い、見たことも無い異星人らしい風貌だ。見ていて変な形、とも思うのだが、良く考えれば、あの青い異星人にとっては俺達のような人間こそ見ていて変な形、と思うのだろう。そういう形に囚われるからまだまだ若造なんじゃな、とか界王様が笑っていたのを思い出したが、きっとあのまま死なずに生きていたら、きっと一生会うことの無かったものだろう。形に囚われるとかそういう問題ではない気がする。
 普段から体に圧し掛かる地球の何倍もの重力も、この身になってからは何も感じなくなった。体が軽い。臓腑から力が湧き上がってくる。何にも負ける気がしない、というのが本音だ。この姿を見たら、きっと悟飯だって、ベジータだって驚くだろう。
 だが、そんなことはもうきっと有りえないのだろう、と思う。界王様曰く、この姿になれるのはこの天界でだけで、現世でこの姿になろうものなら1分も持たないだろう、と言われた。体が無い、精神だけの形だからこそ限界が無いのであり、肉体の中にこの力を無理に押しとどめようとすると、すぐに体を壊す嵌めになるらしい。それに、地球のことは、もう悟飯たちに預けた。もう、俺がなんやかんやと手を出す必要は無い。これからは、若い世代が、孫悟空の守った世界を守っていくのだ、と本能が告げていた。
 別に、厄介払いをしたわけではない。むしろ、厄介払いをしたのは地球の方だろうと思う。ブルマが言っていた通り、俺が居なくなってから地球は平穏無事らしい。さすが、頭のいい奴の言うことは格が違うと思った。戦いを求めるせいで災厄が地球を襲い、自分がいるせいで地球が被害を被る。自分が居なくて悟飯やチチやブルマたちが幸せに過ごせる日常ができるのならば、それでいいじゃないか。
 闘うことが好きなのだったら、死んで本望、これから死なない体で永遠に闘う日々を送ればいい。限界の無い体で宇宙最強になればいい。結果手に入れたこの力も、いつ使えばいいのかも分からないほど、強大で尊大だ。もうどこへ行けばいいのか、どこまで行けるのかも分かりはしない。
 俺は何の気なしに、ぽーんと一度飛んでみた。地面から縁の無い空中に浮かんで、ゆっくりと飛躍する。伸びた髪が生まれた風を孕んで翻る。どこまでも続くような空中を、ただ進む。飛ぶ。跳ねる。
 天界の構造なんてさっぱり知らないが、淵があるなら見てみたいと思った。自分の限界が知りたかった。強さの末に手に入る孤高なんて、別に欲しいわけじゃない。俺が欲しかったのは全力で戦える相手と、強い自分だ。その一つは手に入れた。あとは自分さえ手が届かない、目標になるような強さだった。それが無ければ意味が無い。強さがあったって戦えなければ意味がない。飛ぶ。飛躍する。跳躍する。最後を見てみたい。終わりが見てみたい。強い敵が欲しかった。




 「お」
 重い、と悟空は呟こうとした。その言葉も空気になって溢れた。胸の上に圧し掛かる金色の頭が、ただひたすらにぐうぐうといびきをかいている。今更バスが乗ってこようがビルが倒れてこようがへっちゃらな頑丈な肉体を持っているが、いかんせん自分自身というものは別格らしい。精神を共有しているせいなのか、それとも何か引力のようなものでもあるのか、胸の上に押し付けられるカカロットの頭がやけに苦しく感じる。それでも、苦しい!死んでしまう!というわけでもないので、無理やり起こそうかそれだけが躊躇われた。
 天界に温度というものは無い。暑くも無く、寒くも無く、そもそも死んでいるのだから感覚がないのかもしれない、と今更思う。だから様々な世界から集まった英雄は、自分の好き勝手な格好をしている。ビキニでそこいらを歩いている奴がいると思えば、頭の先から足の爪先まで何かもこもことしたコートで覆っている奴もいる。触れば体温というのも感じるのだが、暑苦しい!とも寒い!というのも無い。カカロットの体温は心地が良かったので、またもう一眠りしようかとも考えてしまうぐらいだった。
 しかし眠るのにもそろそろ飽きた。それでも更に気がつけば、カカロットの両手は自分の腰をがっちり抱きかかえている。起きない限り動けない。これはいよいよ困ったと、力ずくでカカロットの体を引き剥がせるであろう新しい自分の分身の方を見ようとすれば、そこにあるべき長い金髪がどうにも見えない。
 「あれ?3?」
 名前をどう呼ぶべきかも未だ決まっていないので、界王様があの超サイヤ人3段階目になった姿を見て『ふむ、言うなれば超サイヤ人3といったところじゃな』というのを引用して、英語読みでスリー、と呼んでみる。それでも返事は無く、仰向けの状態で視線を室内に巡らせても、どうにもそいつがいる気配はない。
 「おい、カカ、起きろよ」
 「なんだ?どうかしたかぁ」
 間延びした声でカカロットはごそごそ喋った。それでも顔を悟空の胸に押し当てているせいで、少しくすぐったい。喋っているせいで熱い息も心臓の真上にかかって、思わず笑ってしまいそうになる。
 「あいつがいねぇ」
 「なんか・・・散歩に行ったっぽいぞ」
 「散歩?」
 どうして知ってるんだ、と思えば、頭の中にふとカカロットと3の交わした会話が浮かんできた。無意識のうちにカカロットの記憶を見ていたらしい。起きたなら退いてくれ、と思うが、カカロットは動く気配が無い。
 「どこ行ったんだ?・・・近くに気配がない」
 「だから散歩って、」
 そこで一度カカロットは言葉を切って、突然がばりと体を起こした。眉間に皺を寄せて、ん?と不思議そうな声を上げる。
 「・・・・どこだ?」
 「気配が希薄だ。滅茶苦茶遠くじゃねぇか?」
 瞬間移動の要領で3の気配を探ってみるも、一定の方向はわかるのだが、何処に居るのか、何をしているのかさっぱり、というかまったく分からない。気配を探って分からないなんて、どんだけ遠くにいるというのだ!二人はぎょっとして顔を見合わせた。そもそも自分の気配だ。誰よりも分かるに決まっている。それが分からない?重症だ!
 二人は慌てて飛び起きて、寝床に使わせてもらっている家から出た。辺りを見回しても当たり前だが気配欠片も見当たらない。地平線もない膨大な空間を二人で唖然と見回して、自分の半身がどこかになくなってしまうその消失感に絶句する。
 「お?なんだお前ら今起きたんか?寝坊にも程があるぞ。今何時だと思って・・・」
 「界王さまっ!いいところに!!」
 同じ顔した自分の弟子が、二人まったく同じポーズで呆然と立ち尽くす姿を見つけ、界王は溜息混じりに言った。二人とも癖のある髪型に更に寝癖をつけている。まったく間抜けな格好だ。儂の弟子なんだから身だしなみに気をつけい、とかなんとか言おうとしたが、それは二人の悲鳴に奪われた。
 「オラが迷子だ!」
 意味が分からん。




 勝手気ままに飛んでいくと、ついに惑星が見えなくなった。それでも不可思議な空はどこまでも続いていて、終わりが見えない。人間の大人サイズのカラフルな鉱石のようなものが空中に浮かんでいるだけで、人が住んでいる気配は無くなった。
 振り返っても惑星は見えない。人の気配のまったくない、ただの空間に辿りついてから、俺はようやく足を止めた。その場に停止してみても、空が微かに動いているせいで、自分がもしかしたら動いているのかもしれないという錯覚を覚える。上か、下か、右か、左か、どこかへ落ちていくような感覚。驚くべき孤独。音の無い世界。
 ぼんやりとそこで立ち尽くして、これ以上進むか否かを考えた。淵が見たいと思ったが、いかんせん淵があるものかどうかも怪しくなってきた。天国や地獄のように、ずっと下がっていったらいつの間にか地獄だった、みたいに、天界の横方向へ延々と移動していったら、何かまた違う世界に着くのではないか、と期待した。誰も知らないその世界に、もしかしたら会ったことも無いような強い奴がいるのではないか、と考えた。
 ふと、背後に気配を察知して、俺はその場で振り返った。何も無い空間の中に、突然人が現れた。瞬間移動だ、と感知する。ぴたりと空中で静止したのは、見たことの無い年老いた男だった。肌の色はレモンのような黄色で、髭を下でみつあみにして結っている。老人は、俺の姿を見て、なんじゃ、男か、とがっかりした声を上げた。
 「珍しくこんな世界の端っこでふらふらしている奴がいると思って見に来てみたら、まさか男だったとは!恋人に振られた女性を期待しとったんじゃが、なるほど世界は惨酷なものだ。お前もそう思わないか、若者よ」
 「はぁ。・・・そこまで若ぇつもりはねぇんだけどな。じいちゃん、何者だ?」
 「ここにいるんだから英雄に決まってるだろ」
 老人はそう言って胸を張った。薄い、骨と皮だけにしか見えない、よぼよぼの肉体だった。
 「ここにゃ何も無いはずだが、お前さんこんなところで何してるね?」
 老人はじろじろと俺を観察しながら、訝しげに聞いてきた。俺はこの爺ちゃん、滅茶苦茶強いのだろうか、闘ってくれないだろうかと考えていたので、思わず答えが出てこなかった。
 「・・・いや、ここの終着点が見てみたくて」
 「終着点なんか無いぞ。天界には」
 「えっ・・・そうなんか」
 がっかりした声が出たせいか、爺ちゃんは変なものを見るような目で俺を見て、なんだ、変な奴だのぉ、と素っ頓狂な声を上げる。そんなにストレートに言わなくても、とぼんやり思った。
 「ここの世界の淵なんか見てどうするんだ?あれか?自分探しの旅のつもりか?それならお前さん、流石に来すぎだろ。天界の中心点から多分いくつか銀河を過ぎよったぞ」
 銀河というものがどれほどの距離なのか分からないので、ふぅん、と適当な相槌を打ちながら、何も無い、と言われたこの世界の先を見る。地球ならば地平線があるのだが、そもそも続く地面がないせいか、どこまでも空も地面も無い空間だけが広がる世界。
 「なぁ爺ちゃん、あんた強いのか?俺といっちょ勝負してくれねぇか」
 少しの好奇心に任せて、俺は爺ちゃんを誘った。天界の英雄達が集う場所を見ていたうちに、この爺ちゃんはいなかったはずだ。あの英雄達には悪いが、俺はすでに自分が負けるような相手を見つけられなかった。この老人はどうなのだろう。自分の声がはしゃぐのが分かった。
 「無茶言うない。残念だが儂は強いとかそういう英雄じゃない。ただ瞬間移動とあと少しの変わった力を持ってたから、祖国の人間を助けられたってだけだ。お前さんが望んでるような強い奴なんかじゃない。おいこら!拳を下ろせ!」
 必死で止められて、俺はしぶしぶ諦める。なんという腕白な小僧だ!と爺ちゃんは悲鳴を上げたが、俺ががっかりしているのを見て、苦虫を噛み潰したような顔をした。
 「そんな悲しそうな顔をするんじゃない。幸福が逃げよるぞ。強い奴は色々居るだろう。そいつらと闘え」
 「・・・悪いけど、本気を出し合って闘える相手がいねぇ」
 溜めていた言葉を吐き出すと、爺ちゃんは目を見張り、俺をじろじろと見た。俺は弁解することもなく、それをじっと見返した。俺が言ったのは本当だった。もう、俺と対等に闘える奴なんて、居ないのだ。悲しいことに。
 俺が沈黙するのと対照的に、爺ちゃんはにかっ、と笑った。そうくよくよするでない若人よ!地球でよく見かけた酔っ払いのおっさんの台詞だ。
 「強い者の元には強い者が現れる。それが強者の宿命なのだよ」
 「なんだそれ」
 そう、そういえばブルマもそういうことを言っていた。だが、俺は既に死んだ身だ。強い奴に会えると言うことは、滅茶苦茶強い奴かこれから死んでくるということだろうか。爺ちゃんはにやにやしたまま俺を追いやった。天界の中央へ向けて。
 「ええい若い奴がなんやかんやと駄目だしするでない!そういうのが世界の理、逃げられない運命だ!いつかお前の手も届かないような強い奴が、きっとお前と出会うだろう!」
 「それ、いつの話だ?」
 「近いうち、近いうちだ。若ければいつまでだって待てる!会わなければよかったと思うほど強い奴だ。今更後悔したって遅いのだ」
 爺ちゃんの言葉はインチキ占い師みたいな言い方だったけれど、俺の心はすでにワクワクしていた。爺ちゃん、それはいつ、としつこく問う俺に、爺ちゃんは言った。
 「いつかは会える、そしていつでも会えるものだ。しかしお前がこんな誰もいないこんな所で一人でぶらぶらしていたら、強い奴も会おうとも思っても会えやしない!さぁうちに帰れ!そして修行して強くなれ!」
 





 「あ」
 「お」
 瞬間移動で戻ってみると、今こそ瞬間移動しようと指を自分の額に押し付けていた悟空とカカロットと目があった。触覚を前に垂らしている界王様が、なんだすれ違いになるところだったな、と笑った。
 「なんだよおめぇどこ行ってたんだよ!」
 「いや、その」
 「滅茶苦茶遠くに行くならもっと事前に言えよ!」
 両方からわんわんと吼えられて、思わず口を噤んだ。本気で心配したのだ、と両目が語っている。思わずにやついてしまった。
 「なんだよ何笑ってんだよ」
 「いや、お前ら、可愛いなと思って」
 「・・・3、何かあったのか?」
 自分自身を可愛いと思うなんて初めての経験だった。カカロットの奴も、きっと悟空をこういう気分で見ているのだろう。心配そうに見てくる悟空の視線に耐えられなくて、ははは、と声を上げて笑った。
 「なっ、なんだよなんか面白いことでもあったのか?」
 「あった」
 「なんだ?」
 「言わない」
 カカロットと悟空は顔を見合わせて、力ずくで聞き出してやる!とまったく同時に飛び掛ってきた。さっきと打って変わって本気の攻撃に、口が緩む。楽しくて仕方が無い!
 突然の行動についていけなかった界王様が、お前ら意味分からん!と悲鳴を上げて、さっさと退散していってしまう。二人の攻撃を受けながしながら、笑った。確かに、今の自分でも良く分からない。何か寂しかったはずなのに、今はもう、まったく気にもならないのだ。
2009/8・17


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