■軋んだ音を立てて砕けた
唐突に、頭の片隅で誰かの悲鳴が聞こえた。誰かの、というべきではないのは分かっている。その声はまるっきり自分自身と同じ声をしている。癇癪を起こすような、女のような悲鳴ではなくて、獣の唸り声、むしろ雄叫びと言った方が近いかもしれない。言葉になりきっていないその獣の唸り声は、すぐに収まるかと思えば、段々とその音量を増していた。ずきりずきりと脳の片隅が痛みを訴えてくる。思わず立っていられなくなって、重い足を引き摺って、なんとかベッドへと移動した。シーツの上に転がって、頭を抱えて蹲る。放っておけば治るだろうと想って、毛布に包まってその痛みをやり過ごそうと考えた。
じっと身を丸めて、暗い部屋の中で息を潜めていると、今度は血の匂いが香ってきた。噎せ返るような血肉の匂いだ。油の焦げるべたりとした、焦げ臭い匂いと生臭い血の匂いが混ざって、酷い匂いがする。胃液が逆流しそうになって、溜まらず息を止めた。ついに瞼も重くなってきて、目も開けていられなくなる。死んでしまうかもしれない、と想った。死んでしまえばいい、とも思った。
悟空!
いつだって想うのは奪われた自分自身だ。体の半分がねこそぎ奪われて、何もかもが足りない。暖かさも、太陽の匂いですら!俺には血と、肉の焦げる匂いがこびり付いてしまって、もう、戻れない。あいつに戻れない!
涙が零れて、喉がきりきりと痛み始めた。嗚咽が零れて、子供のように泣いた。頭の中で響く唸り声も、痛みも、血と肉の匂いも酷くなるばかりなのだ。
「悟空・・・」
寒くて凍えてしまいそうだった。指先が麻痺していて、まるで指が無くなってしまったような気さえした。瞼が開けられないから、自分の手が本当にあるのかも確認できない。死んでしまう。悟空がいないから死んでしまう。
お前のなかにずっと居たかった、生まれたくなんてなかった。どんなに強い敵と闘えるとしても、お前が居なきゃ意味がないのに、お前がいなきゃ、なにも―――――。
その時、人の手が毛布越しに俺の頭を撫でた。泣き叫んでいた声がぴたりと止んで、痛みが止まった。みるみるうちに指先に血が巡って、熱が生まれた。血生臭い匂いもどこかへ消えた。
「カカロット、何してんだ?」
「・・・・ごくう・・・」
瞼を開けて、思わず泣いた。何も怖いことなど何も無いはずなのに、涙が溢れて止まらない!こめかみに触れていた悟空の手が、静かに動いて俺の頬へと触れた。悟空は笑っていた。俺を見下ろしながら、無邪気そうに。
悟空。名前を呼んで、その手に一度触れた。爪と関節、骨や筋を確かめるように指先でなぞって、その掌にキスをする。
「たのむ、おねがいだ、どこにも行くな」
泣いて懇願すると、手首の隣から見える場所で、悟空は一度笑みを深くした。悟空は頷かなかった。否定もしなかったし、承諾もしない。ただ一度だけ、にっ、と不敵に笑った。
「悟空」
「カカロット」
言葉を遮るように悟空は俺を呼んだ。はっと息を飲んでしまいそうなほど、しなやかで強い、孫悟空の声だ。俺はまるで託宣でも受ける殉教者のように、言葉を呑みこんで、悟空の言葉を待った。悟空の目は夜の空のように、どこまでも静かで感情が見えない。俺達の眼球が昼の空の蒼だというのなら、悟空の目の色は夜だった。戦火を吸って肥大化し、どこまでも戦いを見下ろす蒼よりも、どれほどの死体が積みあがろうと、綺麗にそれを照らす月を孕む夜の色が、どれほど美しいというべきか!
「悟空!」
俺はたまらず名を呼び、身を起こした。ベッドに座る悟空の肩を掴んで、ベッドに押し倒す。ぎしりと軋んだスプリングが一度俺を非難した。
「俺は、お前が俺のところにいてくれるのなら、お前を殺したって構わねぇぞ・・・!」
俺が唸れば悟空は笑った。俺の馬鹿みたいな台詞を一度だけ嘲笑う。
「カカロット、おめぇは誰も殺せねぇよ」
「殺せる。お前のためだったら、」
「カカ」
悟空はそう言うと、一度だけ首を振った。初めて俺を拒絶した。あまりにもあっけなく、短く俺の首を刎ねる。
「カカ、おめぇはおめぇ自身が想ってるより、寂しい生き物だ。だから絶対に一人になんかなれない」
「おめぇだけがいてくれれば寂しくなんか!」
「そういうこと言うなよ」
悲しいだろ、と悟空は一度言って、それきり黙った。夜の空のような眼球は、閉じられた瞼の向こうに隠されている。じくじくと痛みがぶり返してきた。噎せ返るような血の匂いがする。頭がかっと熱を持って、むきだしになった悟空の首から、目が離せなくなる。悟空、と名前を呼んで、その首に噛み付いた。
軟い皮膚を破り、肉の向こうに歯を食い込ませた。あまりにもあっけなく肉は千切れて、口の中にあっという間に血液が溢れた。今更、さっきから香る血の匂いは悟空から香るものだったのだと理解しながら、先ほど自分が呼んだ、悟空、という言葉が、あまりにも泣いているように聞こえて、思わず笑った。頭の痛みは一層増して、もう耐えられない。噛み付いた肉をそのまま喰いちぎって、悟空の肉を飲みこんだ。千切れた半身のその欠片が俺の体の中に戻った、と俺は喜んだ。このまま全てを食べきったら、もう一度一人に戻れるんだな、と想うと、喜びで体が震えた。それでも頭の中の悲鳴は止まることをしらない。
泣き喚きながら悟空の首に再び噛み付くと、一度だけ伸ばされた悟空の手が、俺の頭に触れて、子供でも撫でるように、一度だけ優しく俺の頭を撫ぜた。
「悟空」
好きだ、と言った。悟空は知ってるよ、とでも言うように、一度だけ頷いた。むき出しになった肉が収縮して、飛び散った血液が悟空の顎を濡らした。
「・・・・・・・・・・・う・・・」
ベッドの中で自己嫌悪しながら、掌にあるどろりとした液体を睨む。ベッドの近くに置いてある棚からティッシュ箱を持って、それをさっさと拭った。アホだ。俺はアホだ。アホというより馬鹿だ。むしろ変態だ。
丸めたティッシュをゴミ箱に突っ込んで、しばらく自己嫌悪。反省する。起きた時からずっと頭の中にがんがんとフォースとサードからの苦情が殺到していた。最低だとかこの変態とかなんとかかんとか。しょうがないだろ夢なんだから!!お前らだって見たい夢とか好きに選択できんのかよ!!もういいだろ分かってんだから!!っていうか人の夢勝手に見るなよ!!と色々言い返したが、見ようと想わなくても見ちまったんだよとかそんなんいっつも考えてるから弱ぇんだよとかそれ確実に関係ないよなってことまで一気に叱られた。
「くそ・・・・なんだっていうんだよ・・・!」
しかも起きてみると、夢の中であった頭の痛みとか本当にあるから参った。今更気づくと、どうやら今夜は満月らしい。きっとそのせいだ。実際にあいつにこんなことしちまうなんてこと、ぜってぇに、無い!
というか、どこから夢だったんだろうか?何故か悟空の声は朝から聞こえない。もしかしてサード達のように呆れて、悟空の場合は無視しているのかもしれない。だが、夢の中とはいえ、悟空の肉を喰えたのは嬉しかった。あのまま全て食べ終わっても至福だっただろう。ベッドの上に寝転んでそう夢想すると、やっぱり変態じゃねぇか!とサードの叫び声とげらげら笑うフォースの声が聞こえてきた。
匿名希望の某方のみお持ち帰り可能
2009/6・25