■ある日の迷える子羊

 その事実に気が付いたのは時計の針が丁度午後3時に向かった時のことだった。

 父が死に、しかしそれでも強く生きる母の姿を心配した己の前身である悟飯。その超化した姿である一人が、「お母さんを連れて街に行こう」と言い出したのだ。
 悟飯はそれはいいね!と笑顔で応じ、多数決というよりも自分自身の勢いに押されたのだろう、いつの間にか自分もそれに頷いてしまっていた。
 以前から貯めていたお小遣いのお金でお母さんに似合う服でも買ってあげよう、という提案に反対する理由も無く、僕らはお母さんを抱き上げて近くのそれなりに大きな町へと飛んで行った。
 僕らの計画では、まず元の形である悟飯がお母さんに付き合って買い物に行き、その間に遊びに行ってくると称して、超化一段階目の自分がプレゼントを買いに行く。それじゃあ自分は?と聞いてみれば、たまには息抜きしなきゃ、と自分とそっくりな顔が二つ同時に笑った。どうやら自分の出る幕ではないらしい。
 しかし、ずっと自由行動ではいけないから、ということで自分は超化した悟飯と共に遊びにいって、たまに母親の所にも顔を見せにいくというよく分からないパイプ役にさせられた。居場所は悟飯の気を探ればいいということで。


 やることもないのでぶらぶらと公園を歩いた。道をすれ違った老婆が、小さく微笑んで会釈をしてきたので、それに釣られて頭を下げる。彼女を導くように歩く黒い大きな犬が、ふん、と一度鼻を鳴らした。
 遠くに石でできたオブジェが立っている。それを囲むような噴水に、並べられたベンチ。会社の合間を縫って休憩しにきたのか、スーツを着た男性が居眠りをしていた。遊ぶ子供を笑いながら見守る母親や、父親に肩車をされて騒いでいる子供がいる。
 これが僕らが守った世界。これがお父さんが救った世界。
 そう考えると、こんな当たり前の事象がとても美しく、綺麗で、とても清清しいもののように思えた。お父さんのお陰であの子供は父親と遊んでいられるし、母親も子供の成長を見守っていられる。老夫婦は残りの人生を幸せに満ち溢れさせて過ごすし、くだらないことに泣いたり笑ったりするんだ。
 僕は彼らを見ながら、近くの木陰に入った。日差しは強くないけれど、少し蒸し暑い。木陰に入ると別世界のようで、風が一気に涼しくなった気がした。
 何をするわけでもなく、それを見ていた。あの子供はお父さんと一緒にいられて幸せなんだろうな、とも思ったし、大きくなったらお父さんから離れてしまうけれど、でも年老いた父親のために色々とやるんだろうな、と思った。なんて美しいんだろう。お父さんはこんな世界が好きだったのかな。
 戦いもない、この世界が、好きだったんだろうか。
 よく分からない。あんなに戦うのが好きだったのに、こんな平々凡々とした世の中を愛していたんだろうか。僕には分からない。僕には理解できない。人の幸せに貢献することが幸せだなんて思うような人じゃないはずだ。きっと。
 でも、でも好きだったんだろうな。全部。
 ふと、僕が座っている場所の丁度正面に時計を見つけた。2本の針が、丁度真上と右側を向いていて、きっちり90度を保っている。三時だ。そろそろお母さん達のところに行かなきゃ。
 そう思って立ち上がると、気づきたくなかった事実に気が付いた。
 悟飯の気配が探れない。
 えっ、と意識しないままに口から声が零れた。
 360度から感じられる人間の気配。人が多すぎてむしろ一つの集合体にさえ思える。針の音を聞き分けるぐらいの集中力を持ってしても、どうしても気配が探れない。
 何で!?確かに、普段から僕らは気を最小限に留めて生活していた。それは悟飯も、超化した悟飯も、僕も含めてだ。だから気が人間に混ざってしまうのは仕方が無い。
 でも、僕が悟飯達の気配を探れるように、定時になったら気を抑えないようにして察知させる手はずになっていた。11時にもそうやって教えてくれたし、1時にだって悟飯は分かりやすすぎるほど強く居場所を教えてくれた。
 しかし、定時の3時になっても悟飯の気配は人に紛れたままだ。もしかして忘れているんだろうか、と思って5分、10分と待ってもどこか一箇所で爆発的に気が膨張するのが感じられない。
 こういうときは・・・どうすればいいんだろう。僕が自分から気を開放させれば異変に気がついて超化や悟飯が来てくれるかもしれないが、困ったことにお母さんだって気がある程度分かるのだ。お母さんのためを思ってこんなに面倒くさい計画まで立てたっていうのに、心配かけては本末転倒だ。
 もちろん、プレゼントを探してる超化の邪魔にはなりたくない。でも、こんな禄に知らない町で、たった一人で・・・・。
 そういえば、こんな状況のことをなんていうのだっけ。自分には縁が無いものだと思っていたが。
 「君、迷子かね?」
 「そうだ、迷子だ・・・」
 後ろから掛けられた言葉にはっとして手を打つが、突然やってきたその答えが一体どこから来たのか分からず、慌てて振り返る。
 公園の木を背後にしていたので、男は最初木に隠れるようにして立っていた。黒い髪の毛のおじさんで、口を囲むような口ひげがある。黒いサングラスを掛けていて、その顔の作りをどこかで見たような気がするのだけれど、全容が分からないのでなんともいえない。
 「・・・?」
 「君・・・私とどこかで会った覚えはないか?」
 僕が訝しげな視線で見ると、男は唐突にそう言い出した。僕は基本的に町に来ないから、きっとそれはないだろうと思う。お父さんの友達か、家族ぐらいしか面識が無いはずだ。もしかして、僕と悟飯を勘違いしているのかもしれない。まぁ、元が同じ人間だから勘違いというのもおかしい気がするけれど。
 「多分、人違いだと思いますよ。確かに、おじさんのことを見たような気もしますが」
 「あ、そ、そうか?はっはっは、まぁ、私は有名だからな!テレビで見たこともあるだろう」
 おじさんは腰に手を当ててふんぞり返った。どうやら有名人らしい。テレビをあまり見ないのが仇になったな、と僕は心の中で舌打ちする。もしも大々的な有名人なら、知らないだけで変な子供扱いされるかもしれない。
 「あ、テレビに出る方なんですか?ごめんなさい、僕の家、田舎の方なので、よく分からないんです」
 とりあえず先手を打っておく。少し世間知らずでも許してくれるだろう。おじさんはそれにほほう、と業とらしく頷くと、驚くことに僕の頭に手を乗せて、そしてそのままぐしゃぐしゃと掻き撫ぜてきた。
 「はっはっは!謝る必要はないぞ少年!帰ってからお母さんに聞いてみるといい。きっとすごーく驚かれるだろうからな!今度会ったらサインをしてやってもいいぞ。悪いが今持ち合わせのペンと色紙が無いんでな、まったく残念だ・・・」
 おじさんは一人で勝手に語り出して、一人で勝手に悲しがっていた。他人のために悲しがれるなんて、この人はきっと善人なんだろう、と僕は思う。まぁ、善人でもないと有名人になれないか。悪い方での有名人じゃなければ、だけれど。
 おじさんの手がようやく僕の頭から離れた。逆立つようになっている癖っ毛がぐしゃぐしゃになっていることが分かっていたけど、直すのを忘れておじさんの手を目で追ってしまう。
 「ところでどうした、お母さんとはぐれたのか?」
 「ええ、まぁ・・・そんなところです」
 はぐれた、というか・・・まぁ、はぐれたのか。戻れなくなったんだから。僕はおじさんと会話をしながら気配を探り続けた。まぁ、心配になったらお母さんが悟飯に聞いてくれるだろう。そして思い出したらすぐに居場所を教えてくれるに違いない。
 ぼんやりしていると、突然腰におじさんの手が回された。何事か理解できずに硬直していると、ぐいっと上に引き上げられ、どうやらおじさんの肩に乗せられた。何なんだ一体。意味が分からない。このおじさん、もしかして悪い方の有名人なんだろうか。警察を呼んだ方がいいんだろうか。
 「ほら、お母さんは見えるか?」
 「えっ・・・」
 どうやらこの公園内で母親とはぐれた迷子という認識らしい。まぁ、僕ぐらいの年齢の子供が街一個レベルでうろうろできないと踏んだんだろう。当たり前の判断だけれど、僕は自分が認識する以上に慌ててしまったらしい。平常心を保たせて抑えていた気が漏れ出した。ばちっ、と青い火花がすぐ近くで爆ぜた。あっ、と声を上げるよりも早く、おじさんの頬の近くで気が小さく爆ぜる。ぱんっ、と軽い音を立てておじさんの頬に傷ができて、みるみるうちに赤い血が頬を垂れた。
 うわああ、と口から悲鳴を上げるのも忘れて、僕は顔面蒼白になってしまう。ああ、ど、どうしよう、とりあえず落ち着け。
 すぐに青い電撃を消すことに成功したが、僕はいつこの化物、とか罵られて投げ飛ばされるか気が気じゃなかった。投げ飛ばされてもすぐ着地できる自信はあったけど、おじさんが何と言うかが怖くて仕方が無かった。
 「・・・あっ、あの、ごめんなさい、僕、降ります。その」
 「い、いや、そうか?お母さんはいいのか?」
 おじさんの声は震えていたが、おじさんの手は僕を支えたまま離れなかった。僕はそのことに驚きながら、近くにはいないみたいなので、いいです、と繰り返し言った。ようやく地面に降ろされると、おじさんの頬が予想よりも深く切り裂かれているのが見えた。どうすればいいのかさっぱり分からず、僕は次に何を言えばいいのかと必死で言葉を探した。う、うわぁ、うわぁ、と悲鳴しか出てこない。
 「君・・・」
 「はっ、はい、その、ご、ごめんなさい。顔・・・」
 「凄い静電気体質なんだな」
 ・・・・・・・・・えっ。
 おじさんは真面目な顔でそういうと、そんなばちばちいってたら色々大変だろうなぁ、と頷きながら顎をさすって、もう一度僕の頭を撫でた。静電気体質って・・・っていうかそう思うのに頭撫でるの!?触れたら怪我するとか思わないの!?
 なんなんだこの人。意味がわからない。都会の人って青い火花散ったら静電気って思うんだろうか。わからない・・・。
 「おや、君、あそこの三人組は君の家族じゃないか?」
 「はぁ・・・・・へっ!?」
 振り向けば、お母さんと悟飯、超化が目を丸くして僕のことを凝視していた。なんでここに?と思えば、先ほど平常心を崩して漏れ出した気のことを思い出した。きっと水道管が破裂したような気の噴出に驚いてやってきたのだろう。
 「君の家族だろ?君にそっくりだ」
 「あ、ああ、はい、まぁ」
 「良かったな少年!ではさらばだ!」
 おじさんはそう言うとさっさと走って行ってしまった。結局誰だったのか分からないが、とりあえずそれよりも悟飯たちだ。僕は慌てて三人に駆け寄る。お母さんが無事でよかっただ!と僕を抱きしめた。僕もその背中に腕を回して、心配かけてごめんなさい、と謝る。お母さんから離れて、超化にプレゼントは買えた?と小声で聞けば、うん、と大きく頷かれた。
 「さっきの人、誰?」
 「分からない。有名人らしいんだけど。サングラスかけてたし。あ、でも別に悪い人じゃないよ」
 「なんでだっこされてたの?」
 「えっ」
 悟飯が首を少し傾げて言った。見てたの!?と言えば「降ろされる瞬間だけど」と超化が答える。「肩車されてたの?」と悟飯が笑った。
 僕は二人の問いを聞きながら、顔に熱が溜まるのを感じた。耳まで真っ赤になってるに違いない。涙まで出そうになった。こら!苛めちゃなんねぇぞ!とお母さんが二人に同時に拳骨を食らわせたけれど、二人の心配をするどころではなかった。
 「楽しかった?」
 悟飯が僕の片手を握って笑った。まぁ、と僕が小さく頷くと、悟飯と超化がにやっと顔を合わせて、計画大成功!と笑った。
 僕が分からず二人を見れば、悟飯が今回のお母さんをびっくりさせる計画の全容を明らかにしてくれた。
 お母さんを元気付かせるのも目標だったけど、同時に僕に骨休みさせることも含まれていたらしい。二重のドッキリだったわけだ。
 「こういうことすると、一番率先して仕事するの、超2だからね。たまにはぶらぶら暇させてみようかってことで」
 「僕らも超2が楽しそうなのを見ると楽しいし」
 ねー、と彼らは同じ顔をして笑った。なんだそれ。ぷっ、と僕は堪えきれずに笑った。
 「僕だって、君らが楽しそうだと楽しいのに!」
2009/3・31


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