■このままじゃもう戻れないのかな?

 家についた途端に雨が降ってきたから、お母さんが運がいいだなぁ、とホットミルクを出しながら言った。ざあざあと勢いよく叩きつける雨粒のせいで窓ががたがたと揺れている。中途半端に引っかかった留め金がサッシに擦れているんだ。お母さんも気がついたんだろう、食器を洗ってた手を休めてぱちん、と窓を閉めた。がたがたと悲鳴を上げていた留め金がすぐに黙った。お母さんの手にかかると皆黙っちゃうみたいだ。
 少しするとお父さんが帰ってきた。頭の先から足の爪先までびちょびちょで、青い胴着が色を重たそうに変えてて、お母さんが悟空さ!って悲鳴を上げた。
 「悟天ちゃん、タオル持ってきてけろ」
 「はぁい」
 お父さんにうろうろしないように叱りつけて、お母さんは部屋に代わりの服を取りに行ったみたいだ。どたばたと走り回る音と、勢いよく扉が開かれる音がする。僕はお母さんに言われたとおりにたたんで詰まれてたタオルを掴んで、お父さんの所まで戻った。
 「お、ありがとな悟天」
 「何してたの?修行?」
 「おう」
 がしがしと頭をタオルで拭いてると、着替えの服を持ったお母さんがやっと戻ってきた。お父さんの足元には大きな水溜りができてて、きっと靴の中も雨でいっぱいなんだろうな、と思った。
 「瞬間移動して帰ってくりゃよかったのに!」
 「いや、近かったからよ」
 上の胴着を脱いで玄関で絞りながらお父さんはへへ、と笑った。てきぱきとお母さんが体をタオルで拭いて、上着をかけてあげたりして、なんだか僕を相手にしてるみたいだと思った。
 「ああーなんだ、もう、こんなに体冷え切っちまって!まったく悟空さは!」
 「わりぃわりぃ」
 靴を脱いで逆さまにすると、びちゃびちゃと雨が滴り落ちた。タオルを床に敷いて足の水気をふき取って、本当なら風呂にはいらにゃなんねぇんだろうけど、とぶつぶつ言うお母さんに導かれるままに部屋に向かう。
 「そうだ、悟天ちゃん。悟飯ちゃんが心配だから、わりぃけど傘持ってってくれねぇか?多分ビーデルさんも一緒だろうから、2本持ってくだ」
 「あ、ならオラが瞬間移動で」
 「悟空さはまず自分の体を見れ!風邪引くだよ!」
 ひょこりと扉から頭を覗かせるお父さんを叱りつけて、お母さんは言った。僕はわざわざ雨の中兄ちゃんを迎えにいくのは嫌だったけど、水でびちょびちょになって帰ってきた兄ちゃんの世話をするお母さんが大変だろうな、と思って渋々頷いた。
 この間新しく買ってもらった長靴と外套を着ればいいべ、と言われて、確かに、と思った。この間買ってもらった新品があるんだ。
 それを着るとなると話は別だ。どれだけ酷い雨でもどんとこい!って感じ。雨がすごく楽しい玩具のように思えて、僕は自分の部屋に走った。
 一回しか履いてない長靴を履いて、外套を目深に被る。これで傘をさせばへっちゃらだ。
 いってきます!って叫んで大人用の傘を2本抱えて、自分の傘を差して飛び上がる。体を縮ませていけば、ほとんど濡れなかった。少し腰が濡れたけど、外套に覆われて全然濡れない。自分が無敵になった気分で、僕は飛んだ。目指すは兄ちゃんの通う学校だ。



 「あーっえーっと、悟天くんだ!」
 「誰だ?」
 「悟飯くんの弟くん!」
 学校の入り口で兄ちゃんの友達に会った。名前を忘れちゃったけど、金髪の髪の長い男の人と、金髪で髪がビーデルさんみたいに短い女の人だった。僕を見つけた女の人は久しぶりだね!って笑いながら僕の頭を撫でた。
 「え、ええと、兄ちゃんどこにいますか?」
 「あ、もしかしてお迎え?いいなぁ悟飯くん。あたしもこんな可愛い弟欲しい!んー悟飯くんねぇ・・・もう帰ったんじゃないかな?見た?シャプナー」
 女の人がくるりと振り返って男の人を見ると、知らねぇな、と首を傾げて言った。
 「でも教室には多分いねぇんじゃねぇか。・・・あ、そういやビーデルと一緒に補習じゃないか?」
 「ああ、そういえば、確かに」
 男の人と女の人は頷きあうと、少し笑った。補習ってなんだろう、と僕がじっとしていると、お姉さんがもう一度僕のほうを向いて言う。
 「悟飯くんはね、この間テストの最中にビーデルって子と悪い奴懲らしめに行って、そのせいで今そのテストやってるの。あと10分ぐらいすれば終わると思うから、あそこに座って待ってたら?」
 女の人が指差したのは入り口の扉のすぐ隣にある椅子だった。うん、わかった!とそっちに歩き出そうとすると、おい、っていう男の人の声と一緒に外套の後ろの首元を掴まれて、一度息が止まった。
 「ちょっとシャプナー何やってんの!」
 「悪い!大丈夫か?ごめんな、ところでよ、お前が持ってる傘って悟飯とビーデルの分か?」
 男の人が指差してきたのは僕が抱えてる僕には大きすぎる大人用の傘だ。僕が頷けば、にやっと一回口を歪めて笑った。トランクスくんが悪巧みするときによくやる笑い方にそっくりだった。
 「悪いんだけどよ、俺とこいつ、傘持ってきてねぇんだ。一本でいいから貸してくれねぇか?あとで悟飯に絶対返すからよ」
 「ちょっとシャプナー何言ってんの」
 「いいじゃねぇか。俺らは濡れずに済むし、あいつらだって相合傘で帰れるんだぜ?一石二鳥だろ」
 相合傘ってなんだろうか。僕がぼーっとしていると、男の人は笑ったまま手を拝むように合わせた。
 「頼む!きっと悟飯も友人のためにお前が行動したって聞いたら喜ぶぜ?それにきっとビーデルも悟飯は喜ぶって!な?」
 「なんで兄ちゃんとビーデルさんが喜ぶの?」
 「なんでもだ」
 僕はその勢いに押されて、言われるがままに一本傘を渡してしまった。ありがとよ!って男の人は言って、女の人はもう、と困った声をあげながら僕の頭を撫でて、飴を一個くれた。待ってる間に食べてるといいよ、と笑っていた。
 男の人と女の人は一本の傘に二人で寄り合いながら入って、わあわあ騒ぎながら雨の中を行ってしまった。狭い、とかどこ触ってんの、とか女の人がすごく叫んでいた。
 僕は言われたとおりに椅子に座って、飴玉を口の中で転がしながら兄ちゃんたちを待った。あの二人の背を見ながら、足をぶらぶらさせて待った。
 兄ちゃんが出てくるまでの間に5人ぐらいの人が出て行った。二人組みの女の人が僕を見てかわいい!って飴玉をくれた。あの女の人から貰った飴玉はもう食べちゃってたから丁度良かった。
 そうやって飴玉を口の中で転がしてると、ようやく兄ちゃんとビーデルさんが出てきた。「ねぇ、問7って答え何て書いた?」「え、僕は2番にしたけど」「嘘、わたし3番にしちゃった・・・」
 「兄ちゃん!」
 「悟天!」
 僕が走っていくと一回ぎょっとしたように身を竦めて、兄ちゃんは僕を見た。どうしてここに?って顔が全部語ってるような表情だった。
 「迎えに来てくれたんじゃない?雨降ってるし」
 「ああ、そうか。ありがとうな悟天」
 頭をぐしゃぐしゃ撫でてくれる兄ちゃんの手をしばらく黙って受け止めて、兄ちゃんのための傘を一本差し出す。最初は2本あったんだけど、金髪の髪の長い男の人が一本持ってっちゃった、ってことを説明すると、兄ちゃんは何故か顔を真っ赤にして「シャプナーの奴・・・っ!」って唸った。ビーデルさんは平気な顔してたけど、耳が真っ赤だった。
 「ねぇ兄ちゃん、相合傘って何?」
 「いや、何でもないよ。ええと、か、帰りましょう、ビーデルさん」
 兄ちゃんは僕の手を引いて、傘をビーデルさんに押し付けた。ビーデルさんは傘を受け取って、目を白黒させて兄ちゃんの肩を掴む。
 「ちょ、ちょっと!悟飯くんはどうするの!」
 「いえ、僕は飛んで帰りますし、ビーデルさんと帰る方向違うじゃないですか」
 しどろもどろに答える兄ちゃんにぐいっと顔を近づけて、ビーデルさんは、悟天くんは悟飯くんに持ってきたのよ、この傘、とゆっくりと言った。なんか怒ってるみたいだ。
 「いや、でも傘って基本的に一人用ですし」
 「二人で入ればいいんじゃないの?あの金髪の男の人、金髪の女の人と一緒に入ってたよ」
 僕が言うと、兄ちゃんはもう一回、「シャプナーの奴・・・」と唸った。今度は重い、憎憎しげな声だった。
 兄ちゃんが考え込んでいる間に、ビーデルさんはぱっと兄ちゃんの手に自分の手を絡めて、二人で一緒に雨の下に躍り出た。ビーデルさんに「悟飯くんのほうが背高いんだから!持って!」と傘を押し付けられて、兄ちゃんが慌てて傘を持つ。二人で寄り添うように雨の中を歩いていくから、僕はその背を追い掛けるのを一瞬忘れてしまった。悟天くん?ってビーデルさんが僕を呼んだ。
 ようやくビーデルさんと兄ちゃんが心配そうな顔で僕を見ているのに気がついて、そう、こういうとき、空気を読んで大人はどうするんだっけ?
 僕は二人を置いて飛び上がった。そう、こういうのは若い二人に任せて、だ。
 「悟天!?」
 「兄ちゃん、ビーデルさんを家まで送るんでしょ?僕先に帰ってるよ!」
 兄ちゃんの返答も聞かずに僕は豪雨の中を飛んだ。風のせいで外套のフードが取れたけど、そんなこと気にならなかった。見ただろうか、今の兄ちゃんの顔!
 兄ちゃんが帰ってきたら、御礼が欲しいぐらいだ。兄ちゃんの分のおやつを貰ってもいいだろうか。
 傘が風で飛ばされそうになったけど、懸命にしがみ付いて僕は家に向かう。兄ちゃんが嬉しそうだっていうのに、僕はなんでかわからないけど、凄く寂しくてたまらなかった。
 ビーデルさんに兄ちゃんが取られてしまった!僕は少し前に始めてビーデルさんに会ったことを思い出した。兄ちゃんに初めて舞空術を教えてもらったときのこと。
 あの時、僕はビーデルさんが嫌いだった。ビーデルさんが大声出して兄ちゃんに近づくと兄ちゃんはすっごく困った顔をして、ごめんなさい、って謝るからだ。ビーデルさんは兄ちゃんを苛めてるんじゃないかって思ったけど、兄ちゃんはビーデルさんが怪我したとき、すっごく怒ってたから、兄ちゃんはビーデルさんが好きなんだな、って思った。兄ちゃんが好きなものは僕も好きになりたかったから、ビーデルさんのことが好きになった。
 でも、でも今はどうだろう。ビーデルさんのことは好きだけど、どうしても大好きにはなれない気がする。本当なら今だって、兄ちゃんと一緒に帰ってるはずだ。新品の外套も雨靴も、今は泥だらけだ。どうしても泣きたくなったから飛びながら泣いた。雨がたくさん降ってたから、自分が泣いてることに気がついたのは家の中に入ってからだった。お母さんとお父さんがびっくりしてたけど、どうしても涙が止まらなかった。
2009/3・30


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