■やさしくあやめて

 「俺が死んだらどうするんだ?」
 何の気なしに零れ落ちた言葉は想像以上に寂しいものに思えた。休暇を利用してどっか絶景でも見に行くか、とどこかロマンチストな旦那に連れられてやってきた草原に、人の影はまったく無い。青々とした草原が広がり、名前も知らない花があちこちに咲いている。その無造作さは、人間の手にまったくかかっていないことを意味していていて、逆にとても美しいもののように思えた。
 遠くに見える高い山の残雪によってここまで吹いてくる冷たい風は、春の陽気と合わさって心地よい。人造人間とはいえ、幼い頃、本当に幼い頃、弟と共に鬼ごっこをしたことを思いだした。
 「なんだって?」
 「俺が死んだら、お前どうするんだ?」
 風でめちゃくちゃになる髪の毛を押さえて私が問えば、大声で再び質問を繰り返す。帽子を片手で押さえる旦那の髪に、白髪が混ざっているのが見えた。忌々しい。もう一度、昔のように髪を全部剃ってしまおうかと思う。
 「どうするって?」
 「いや、お前年取って死なないだろ?だからさ、俺が死んだ後、どうやって生きるのかなーと、思って、さ!」
 旦那はそう言いながらぴょんぴょんと軽快な身のこなしで、なだらかな原っぱを駆け上がっていく。その体に老いは見えないのに、それでも昔よりはずっと、きっと、弱くなってしまったんだろう。
 精神的な意味で、も含んで。
 昔のアンタは、そんなこと考えたりしないのに。
 「お前は美人だから、多分今でも嫁に貰ってくれる奴、たくさんいると思うぜ」
 「はっ、年取らない人間なんて化物、嫁に貰ってくれる奴なんてお前ぐらいだよ」
 「そうかぁー?」
 さわさわと葉が擦れあう音が、波の様に広がっていく。漸く旦那に追いつけば、丘からその下を一望できた。なだらかな平原に、金色の稲穂がゆれていて、赤や青の原色の屋根を乗っけた白い家が、ぽつぽつと立っている。腰の曲がった老婆が、長年連れ添ったであろう老人にサンドイッチを差し出して、木陰で一緒に食べているのが見えた。白い犬と戯れて泥だらけになる子供、また違う所では羊が群れを成して白い毛の塊を作っている。
 「お前はずっと綺麗だ」
 恥ずかしい言葉をさらりと吐いて、旦那は笑った。その口元の皺も、昔は見た覚えはない。
 「ばーか」
 それなら、それなら、あんたはずっとかっこいい。優しくて、強くて、私が世界で一番誇りに思う男だよ。
 そんな恥ずかしい台詞、絶対言えやしないけど。
 「アンタは絶対、殺させない」
 「何言ってんだよ。死なねぇよ!お前もいるし、俺もそれなりに強いだろ?それに俺には世界最強の親友もいるしな!」
 にっ、とクリリンは笑った。
 そういえば、いつからアンタのその笑顔を見るようになったんだっけ。数え切れないほどの時間を一緒にいたけれど、それすらあっという間だ。きっとアンタが死ぬ時も、こんな幸せな時間ですら、一瞬のように思えるんだろう。
 「もしもあんたが年取って死ぬ時が来たら」
 それが、今は少しだけ寂しい。
 「アタシをあんたの手で、壊してよ」
 「ええ?できるかな」
 お前を手に掛けるなんてこと、俺には多分できねぇよ、と愛しい男が困った声を上げる。
 「やるんだよ、バーカ」
 失敗したらタダじゃおかないんだから。
 そう、いくら神さまにだって、あの男にだって殺されてやらない。あんた以外に殺されるなんて絶対にごめんだからね。
2009/3・30


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