■ロマンチストクオリティ
期待している、と初めて友好的な言葉を投げかけられた時、家康は反射的に唾でも吐き捨ててしまいたいような心境だった。
そもそも石田三成は周りを見ない男であった。それは自他共に認める石田三成の特徴であり、それを良く見るか悪く見るかは本人次第と言ったところだ。石田三成にとっての世界は敬愛する豊臣秀吉、その右腕である竹中半兵衛、それらの束ねる豊臣軍、そしてそれ以外に分類される。といっても彼にとって尊重できるものは豊臣秀吉と竹中半兵衛の二人のみであり、豊臣軍は詰まる所彼らの道具であり、己もまた道具である。そしてそれ以外の敵対する軍、竹中半兵衛にとって無価値である軍はいずれ豊臣に潰されるべきものである。それは日ノ本というこの国を初め世界ですらその範疇に治められる。視野が狭いという話ではない。南蛮から伝わる遠眼鏡とやらで至近距離のものを見るようなものだ。
その石田三成にとって、徳川軍もさして判別されるようなものではない。豊臣に潰されることなく傘下に入った、つまり豊臣である。石田三成にとって徳川軍はかつての敵国ではなく、豊臣の下っ端のようなものであった。半兵衛の策をかき回した大将である徳川家康、その配下である戦国最強とも名高い本多忠勝でさえ、三成にとっては一兵卒と代わりはない。別に視野に入れずとも問題がないのだ。なぜなら彼にとって見るべきものは豊臣秀吉、竹中半兵衛のみであり、それに仇名すものを全て切り捨てればいいだけのことなのだから。
だからこそ、徳川家康が豊臣配下でありながら大将面しているのは三成にとってとんでもないことであった。天辺にいるものが豊臣秀吉であればよい、その隣に立つのが竹中半兵衛であればよい、とそこまで単純であればまだ良かったのだが、三成はその敵に対して酷く敏感であった。陰口を許さない点もまた面倒極まりない。傘下でありながら徳川軍は豊臣の中でも異質の存在である。何故なら豊臣は武勲のために集う集団であったが、何故か徳川は絆という目には見えないもののために集う者たちが多かった。それ故に、徳川軍の兵士は信頼し、心を預けるものにしか従わない。その意固地で頑固な岩のようなものは三成を苛立たせた。徳川は半兵衛の策を徳川家康を通して従う。その面倒臭さといったら! 何故徳川を使うのか、面倒なのだから殺せばいいと半兵衛に進言すると、何万人殺さなければならないと思うんだい、と彼は涼やかに笑った。
徳川兵士は金に揺るがない。武勲に跪かない。報酬に頭を垂れない。それが気味が悪い。徳川兵士は家康に従う。その違和感が気持ちが悪い。あの男の何に惹かれるのか、三成には理解できない。王者は秀吉がいればいいのだ。それが世の理というものだ。
豊臣秀吉がおり、竹中半兵衛がおり、豊臣軍は日ノ本で最も強い軍隊となっていた。その輝かしい道を辿る三成にとって、徳川軍だけが、ただ心に暗雲を呼ぶ忌々しいものであった。
それに較べて当時の徳川家康は酷いものであった。幼い頃からの処世術である人との接し方に磨きがかかり、家康は己の希望を叶える術である「絆」というものに命と信頼をかけることに徹した。家臣も己に向かって心中をそのまま吐露するものを近くに置き、侍女でさえ家康に面と向かって意見を述べることのできる者を重用した。家臣と取っ組み合いの喧嘩でさえしたものである。徳川軍は日を追うごとに強固に、そしてたくましい信頼関係の築ける軍へ成長していた。それは豊臣傘下へ下ることがあってもまた、静かにその根を伸ばしていく。徳川家康という木を中心に、その意思は根強く徳川軍を纏め上げることになった。しかしそれは時として諸刃の剣のなり家康の心を無慈悲に切り裂いていく。それは豊臣軍傘下として名を上げれば上げるほど、傷ついていくものであった。
半兵衛の忠実な手駒として戦で名を上げるということは戦で人の命を散らすことに違いない。それは力なきものは切り捨てるという方針に従い、稀に敵軍の補給物資を絶つため村々を襲うことも含まれていた。人との絆を尊重すればするほど、家康は大切なものから次々に手の内から失くしていく。だというのに本丸へ戻れば賞賛の嵐である。気が狂いそうなその矛盾の中、家康はそれでも己を殺し続けた。
ひとはひとであり、また己もひとである。豊臣秀吉もまた、ひとだ。その兵たちも。家康は武勲を上げ、半兵衛からの直接的監視も入らぬようになってからは、できる限り人を生かすことに徹した。敵兵も味方も、民草も。どれほど時間がかかろうと、ただ豊臣に反逆したと言われ己の兵が傷つかぬよう、慎重に丁寧に戦を運んだ。神経の擦り切れるような日々であったが、それをまた信頼が徳川軍を強固にする結果となった。豊臣が天下を統べたら、きっと戦も終わる。ただその戦が終わってから、少しでも人が多く生き残れるようにするしかない。この間の日々が家康をまた老成させるきっかけになったが、そんなことはどうでもいい話だ。
家康は豊臣に認められるようになってから、豊臣の重鎮とも親しくするようになった。そこに打算的な意思がなかったかと問われれば、否、とは言えなかっただろう。そうでなければ無理をしてひとの繋がる輪を広げようとはしない。家康はその頃三成とも接触を図ろうとしたが、だいたいは無駄骨に終わった。三成の目には秀吉と半兵衛しか見えていない、と大谷が言うので、その通りなのだろう、と判断した。長く豊臣にいる大谷の言うことを、家康はだいたいはそのまま鵜呑みにした。嘘を吐き人の不幸を喜ぶようなあまり褒められる男ではなかったが、大谷はその頃家康の不幸を大層幸せに飲み干していたものだったから、それなりに家康に話をしてくれていたのだ。
半兵衛が戦死してから家康の負担は増えた。有能な軍師を失くした豊臣であったが、彼の残した策は生きていたので、それに則り国取りが進められた。徳川は豊臣傘下として主な本州平定に尽くすよう命じられた。豊臣秀吉と石田三成が本丸から動かないからだ。家康はただ単に豊臣秀吉は左腕を失うのが怖ろしいのだろう、と思った。半兵衛といい三成といい、秀吉の腹心は誰もかれも線が細く弱弱しい男だ。それに半兵衛は三成をよく目にかけていたので、三成と共にいたいのだろうと判断した。そう、豊臣秀吉もまた、人だ。そう思っていた。
本州平定も間近、という頃に家康は大阪城へ呼び出された。そこで告げられたのは世界へ進出するという話であった。聞けば、本丸ででは既に準備が進められていたそうである。家康に本州平定を進めさせていた間、この男は世界を見ていたのだ。家康は頭を鈍器で打たれたかのような気分であった。
「貴様は奥州平定の後、世界への軍に加わってもらう」
その言葉の後、家康は何を言ったか、憶えていない。ただ、断ったのだと思う。三成が今にも切り付けそうな顔で身を乗り出したのを、視界の隅で見た。何かかにかでっちあげ、本州を平定し続ける、と言ったのだと思う。秀吉にはそれを認められたようであるし、三成も怒りを収めていたようだ。上手いこと言えたようだった。それでも秀吉との謁見を済ませ、城から出る廊下を歩いていると、どこかふわふわと落ち着かない気分であった。真っ直ぐ歩けているか、不思議だった。
「家康」
唐突に、背後から声をかけられて、家康は振り返った。廊下の先に三成が立っている。愛刀は手に持ったままだ。何故腰に差さないのだろうか、とどうでもいいことを思った。
「どうした、三成」
「―――顔色が悪いな。今にも死にそうだぞ」
幽鬼のようである三成にそんなことを言われても、と家康は内心ごちる。しかし口はいつの間にか笑みを作っていた。
「心配してくれるのか。珍しいな」
「貴様が下手を打ってこのような時に死にでもしたら秀吉様の妨げとなる。それだけは許さん」
「はは、すまん、そう、怒るな。いや、ありがとう、三成」
心と口がバラバラだ。いや、バラバラだと、思いたい。こんな時に感謝の情が湧くなんて、おかしいと思わないのか。そう思った。いつから反射的に人に対して友好的な感情ばかり浮かぶようになったのだろう。生まれつきではなかったはずだ。きっと。
三成は家康を胡乱な目で睨みつけていた。常に太陽のように明るく笑う男が、このようにあからさまに疲れている所など初めて見た、と思う。今まで家康をこんなにもまじまじと見たことがあっただろうか。三成は何故かそんなことを考えた。そうだ。そもそも、秀吉様と半兵衛様以外をこんなにも近くで、このように見たことがあっただろうか。いや、なかった。あのお二方を見てさえいればよかったからだ。家康は思っていたより幼かった。随分と若い。己と歳も近いように見える。鍛えられた身体は己の体と違いたくましく男らしい。かきあげられた前髪はつやつやとしていた。
「なんだか、正面から初めてお前を見た気がするな」
ぽつり、と家康が呟いた。同じことを考えていたので、三成の指が何故か痙攣したようにぴくりと震えた。家康はじぃ、と三成を見つめ、「秀吉殿のことだが」と口火を切った。
「秀吉様がどうかなさったか」
「世界進出の話、いつから?」
「半兵衛様がいらっしゃった時からだ」
三成は答えた。
「半兵衛様がお亡くなりになられた次の日に私はこれから動くよう命を受けた」
家康はそうか、と答えた。表情はそっと微笑んでるようであったが、三成には無表情に見えた。そんなにも、まえから。家康は吐息を零すように小さく、そう喘ぐ。そして、わかった。と身を翻した。またいつか、とそう家康らしい別れの言葉を言って、男は三成に向けて歩き出す。その短い黒い髪と、多くのものを背負い豊臣に貢献し続けた背を三成は見送って、一言、
「家康、貴様には期待している」
そう、言った。家康は振り返らず、歩みも止めず、ただ消え入るような「ああ」という言葉を残して、階下に下がっていった。三成はその太陽のような背に、豊臣の永遠の栄光にも似た何かを、確かに、感じ取ったのだった。
豊臣秀吉はひとではない。家康はそう言って手甲を腕に嵌めた。人の道から外れてしまった。わしが勘違いしていたのだ。言い聞かせるようにそう呟いて、一度、大阪城を振り返る。護衛としてついてきていた忠勝が、静かにその背を見下ろしていた。君主が人ではないとそう言ったのは、織田信長に続いて二人目だった。家康がひとでないというのなら、忠勝にとっても豊臣秀吉はひとではない。石田三成はなんなのだろうかと忠勝が思えば、家康は「三成は」と小さく、ぽつりと声に出す。
「ひとを絶つのならわしは繋ぐだけだ」
それが答えのようだった。忠勝はただその背に追従する。石田三成にとって豊臣秀吉が絶対であるように、本多忠勝にとっても徳川家康は絶対だ。それは三成にとって神のように崇拝するものであることとは違い、忠勝にとって家康は守り支えるべき存在であるということ。ただそれの違いであったが、忠勝は三成のようになるつもりはない。忠勝はひとだ。ならば三成はなんなのか? 忠勝は大して興味はなかった。家康に問う必要もなかった。
2010/9・14