■門扉はまだ開かれない
 


 キャプテンのマネだね、と木暮くんに言われたときはドキッとした。否定できなかったからだ。結局自分だけの必殺技が欲しくて、皆や網波さんに手伝ってもらうことになって、円堂さんや色んな人に励まされて、必殺技のキッカケも見えてきた。指先が触れる程度にまではやってきた。
 それでもまだ、ひっかかっているものがあった。それを越えないと、多分掴めないんだ。豪炎寺さんや吹雪さんにあったあの、今までの試練のように、今まさに俺が直面している問題。
 どうして俺は代表に選ばれたのか。俺の何を買われたのか。俺の何が必要だったのか。俺に何がひつようだったのか。
 俺が、円堂さんのために、できることって、なんだ?
 深みに嵌まるともう抜け出せなかった。練習が終わってベッドに入ると、いつもその問いが頭に絡まる。何が足りないのだろう。イギリス代表の人の言っていた覚悟? 俺の実力? どうして円堂さんはあの必殺技を手に入れられたのだろう。
 俺は耐えられなくて身を起こした。チッ、チッ、と規則正しく動く時計を月明かりでなんとか確認して見て見ると、夜の11時だった。廊下からはまだ灯りが漏れていた。少し起きることにした。
 南のリゾート地だったから寒くはなかったけれど、一応タオルケットを持って外に出た。一階では久遠監督と響木監督が何か話してるみたいだった。廊下を抜けて、二回のテラスへ行った。波の音がエコーしている。綱波さんがいるかもしれないと思ったけど、勿論いなかった。黒い海の遠くで何かが光っていた。まだ、この島は起きているようだった。テラスの床に座り込んでタオルケットを肩にかけて、しばらく海を眺めることにした。少し安心した。



 黒い海は、網波さんがいつも言う「大きくて強い存在」とはまた違うように見えた。水面は月明かりや島のライトを反射してきらきらしていたけど、どんよりと暗く沈んでいた。お腹のあたりが熱を持ったように感じた。俺は夜の海の方が、なんとなく、好きだと思った。
「サッカーを始めたのはずっと前からだったんだ」
 俺は一人言を言い始めた。気分的には海と会話するつもりだったけれど、なんとなく、自分の背中の方にいる何かに話しかける気分でもあった。思っていることを口に出すのは大切だって、有名なサッカー選手がインタヴューで言っている記事を思い出したのだ。誰にいうわけでもなく、俺は言って見た。勿論返事はなかったけれど、海の音が相槌を打ってくれたようで、構わず続けた。
「MFをやってた。GKになったのは、FFの大会をテレビで見てたときに、円堂さんがかっこよくて、憧れて始めた。戸田先輩には迷惑をかけたけど、練習にいつもつきあってくれた。陽日斗中の皆が応援してくれた。校長先生に筋がいいって褒められて、舞い上がってたんだ」
 俺の始まりは、円堂さんだった。豪炎寺さんがサッカーを諦めてたときに円堂さんに会ってサッカーを取り戻せたように、鬼道さんが自分らしいサッカーを手にいれたときのように、俺もまた、円堂さんに導かれて、今の俺になった。懐かしい思い出だった。テレビの向こう側にいた俺のヒーローと、今は肩を並べて世界に挑戦している。まるでシンデレラだ。
「FFが終わって、来年こそ勝ち上がって、円堂さんに会うんだって息巻いてた。そうしたら、一ヶ月経ったか経たないかの頃に、雷門中サッカー部が、福岡に来た。円堂さんに、初めて会えたんだ」
 あの時は―――本当に嬉しかった。握手をしただけで涙がでそうだった。頭が沸騰して、あの時自分が何を喋っていたか憶えていない。力強い手のひら、テレビごしに見ていた笑顔、あの大きな目が、俺を真っ直ぐに見てくれた。足が震えた。
「マジン・ザ・ハンドができるようになって、落ち込んでいた円堂さんのために少しでも役にたてたことが、すごく、嬉しかった。円堂さんが傷ついているところなんて、見てられなかった。俺は、俺なりに、円堂さんの力になりたかった。円堂さんはテレビの向こうの存在じゃなかった。俺と一歳違いの、中学生なんだって、思い知った。その後、キャラバンに乗せてもらえるようになって、円堂さんたちと色んな場所に行って、色んな人と戦って、色んなことを経験した。大冒険だった。本当に、楽しかったんだ」
 全部終わって―――家に帰って、寝て、起きて、今まであったことがまるで夢のように思えた。テレビに映る円堂さんは、相変わらずかっこよくて、長い夢を見ていた気分だったけれど、同じ画面に俺がいて、おかしくて笑った。学校に行って、体育館でその映像をまた見て、クラスの友達とまた笑った。一生の誇りになった。俺は円堂さんと同じピッチに立ったんだ! 数日間は、夢心地だった。
「響木監督に呼び出されたときは、部屋で飛び跳ねた。本当にジャンプして、母さんに怒られた。大急ぎで準備して、東京に行った。久しぶりに会った網波さんも、木暮くんも、皆変わりなくて、毎日会ってるような気さえした。日本代表に選ばれた時だって、世界に挑戦できるってことより、―――正直、円堂さんたちとまた同じチームでプレイできることが、嬉しくてしょうがなかった」
 ざざぁ、ざざぁ、潮騒は唸っているようだった。黒い海は寄せては引いて、手招きしているようにも見える。胸がざわつく。音楽の時間に聞いた「魔王」を思い出した。不気味だけど、何故か落ち着く。ぼんやりと昔のことを思い出していると、どんどん心が冷めていくのを感じた。あの頃は円堂さんがリベロになったりして、俺は慌てふためいていた。不安でいっぱいで、それでも自分のできることに必死に食らいついていた。でも、今はどうだ? 俺は、あのときより弱くなっているんじゃないのか。しばらく黙って、遠くを見た。何も見えなかったけれど、頭が空っぽになって、今までの不安がどんどん消えていくのを感じた。と、そのとき、背後でからからと音がした。扉が開いたと考える暇もなく、やってきた人が喋った。
「立向居? 何してんだ?」
「っえ!?」
 突然背後からかけられた声に驚いて振り返れば、テラスの扉を開けて円堂さんがぽかんと俺をみていた。「なんでまだ起きてるんだ?」とそう聞かれても、気が動転しているせいで何も喋れない。金魚のように口をぱくぱくと動かすしかなかった。トイレにでも起きたのだろうか。少し眠そうだと思った。
「えっ、あっ、あっ・・・」
「・・・もしかして、必殺技のことで悩んでるのか?」
「あっ、えっと、その・・・」
 円堂さんはにかっと笑うと、ちょっと話そうぜ、とテラスに出てきた。俺が慌てている間に、円堂さんは俺の隣にどかっと座り込んで、涼しいなー、と笑った。夜なのに太陽がある、と馬鹿なことを考えてしまった。
「夜の海ってちょっと怖いな。昼はあんなに綺麗なのに」
「あ、そ、そうですね・・・」
「眠れないのか?」
「・・・・・・そういうわけじゃないんです。ちょっと、俺、頭の中を整理したくて」
「何か話したいなら聞いてやるよ。でも、明日の練習に響かないうちには寝ようぜ」
「は、はい」
 もっともだ。明日寝不足になってみんなに迷惑をかけるところだった。俺ははっとして胸を撫で下ろした。円堂さんが来てくれてよかった。
「整理、できたのか?」
「え・・・、あ、その」
 円堂さんはごろり、と横になった。俺もなんとなく、習って横になった。星空を見上げると、円堂さんが「なんか、キャラバンの夜を思い出すな」と言った。同じことを考えていてどきっとした。
「そう・・・ですね」
「あの時って、皆一人一人と話しができたけど、最近はそういうことできてないから、少し寂しいよな。俺、キャラバンの上で一対一で話すの、結構楽しかったんだぜ」
「俺も楽しかったです。・・・円堂さんに色々相談できて」
「今もできるじゃないか」
「・・・はい」
 円堂さんはそう言ったきり、しばらく黙った。俺も黙って空を見上げて、少し考えて、喋ることにした。
「俺、気づいたんです。俺にとってのサッカーって、円堂さんだったんだなー、って」
「俺がサッカー?」
 円堂さんは訝しげな声をあげたけど、追求はしてこなかった。俺は言葉をゆっくり選んで言う。
「円堂さんにとっての円堂さんのお爺さんっていうことじゃなくて、そう、例えば、イギリスのエドガーさんが、言っていたでしょう? 国の期待を背負ってサッカーをしているって。それってつまり、サッカーをする理由は国の人の期待ってことでしょう? 俺にとって、それは、円堂さんだったんです。円堂さんは、楽しいから、強い人と戦えるからサッカーが好きなんでしょう? 俺は、円堂さんの代わりになれるからサッカーのGKをやっていて、そして円堂さんの役にたてるから、サッカーが好きなんです。・・・勿論、昔はそうじゃなかったですよ。サッカーって競技が純粋に好きでした。でも、今は本当に、円堂さんがかっこよくて、円堂さんみたいになりたくて―――それで、今の俺があるんです。だから、俺にはサッカーで強くなる理念とかが、円堂さんが、出発地点なんです。・・・不思議ですね。それで、だから、・・・どうして俺なんかが、代表に選ばれたんだろう、って、思って」
「・・・・・・」
「チームのゴールを守るっていうのは、勿論あります。でもそれは、GKとしての役割で、当たり前のことじゃないですか。勝ちたいってのもそれも当たり前のことです。俺が、サッカーをやってて楽しいのは」
 俺にとってのサッカーは。
「円堂さんのいるチームで、GKとして強くあることが、誇りなんです」
 そんなだから―――必殺技ができない。
「俺が強くなるのは、どうしても円堂さんを追いかける形になってしまう。それが駄目だと思って、どうすればいいんだろうって思って」
 どうして円堂さんを追ってしまうんだろう。そんなこと、わざわざ聞かなくてもわかっている。
 円堂さんが、好きなんだ。
 円堂さんが、大好きだ。円堂さんのことで、頭がいっぱいだ。
「俺にとって、日本代表であることって、チームって何だろうって、考えて」
 よく―――わからなくなってしまった。
 自然と言葉は途切れてしまった。タオルケットを掴んだ手のひらが、冷たくなっていることに気づいて驚いた。力を入れすぎて、指先が白くなっていて、その手で足を触ると鳥肌が立った。
 円堂さんは何を考えているのだろう。もしかしたら、呆れられているかもしれない。見下されて、仕方なのない奴だと、思われたかもしれない。でも、しょうがない。だって本当のことなのだ。俺の本心だった。
「・・・・・・俺もさ、エドガーに言われるまで勝つことしか考えてなかったんだ」
 円堂さんはそう言って、じっと空を見上げていた。大きな目に星が映っていて、ちかちかと瞬いているように見えた。
「サッカーが勝つことと負けることだけに分けられるんじゃないってことぐらいはわかってる。それよりも大切なことがいっぱいあることだってわかってた。でも、今までと今立ってる舞台ってのは、違うんだな、って思ったんだ。自分だけで楽しんでるんじゃ駄目なんだって。当たり前なことなのに、なんで気づけなかったんだろうな。FFだって、学校の代表でもあったのにさ」
 俺と円堂さんの考えは勿論違うものだった。俺は恋だったけど、円堂さんはただの好きだった。でも、やっぱりその根っこは同じものなんだと思って、そうなんですか、と言った俺の声は、少し和らいでいた。
「皆そんなもんなんだよきっと。自分のものさしを使っちゃうんだよな、多分。どれだけ周りを見ようとしても、それもまた、ものさしになるわけだろ?」
「そう・・・そうですね」
「無理に変える必要はきっとないと思うぜ」
 円堂さんは一度足をぐいっと上げて、それを振り下ろす力でぴょんっ、と身軽に起き上がった。釣られて上半身を起こし、座り込む俺をにかっと笑いながら見下ろして、「きっとさ、これじゃ駄目だ、って思った瞬間に、もう変わってるんだよ」と、そう言った。
「もう、変わってる」
「それが目に見える変化か、見えない変化かって違いは、あるかもしれないけど」
 円堂さんはごしごしと鼻を擦って、上手く言えないけど、とちょっと言いよどんだ。
「立向居は、大丈夫だって信じてるから」
「・・・・・・!」
 胸につっかえていたもやもやが、一気に霧散したのを感じた。円堂さんにたった一言話しかけてもらっただけで、俺の不安はどこかへ飛んでいってしまった。そろそろ寝ないと、と円堂さんが手を差し伸べようとしてくれたけど、俺はそれよりも早く立ち上がった。「はい、ありがとうございました!」久しぶりに正面から円堂さんに相対できた気分だった。手はいつの間にか温度を取り戻していて、早く練習がしたいと思った。円堂さんのためじゃないといったら勿論嘘になる。俺が一番認めてほしいのは円堂さんなんだ。それでも、俺はチームの一員として、世界に挑む決心がついていた。落ちるなんていやだ。俺はこのチームで、世界一になるんだ。
2010/7・10


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