■冬来たりなば



「学園長先生、失礼します」
 日暮れの頃、庄左ヱ門はそう言って学園長の庵を訪れた。今月の委員会の予算案を提出しに来たのだ。とは言っても実質予算なんてものはほぼ無いようなもので、ただ鉢屋が会計委員会からこっそりと盗んできた帳簿から無駄金を洗い出し、それを予算として使うという犯罪のような行為なのだが。
 学園長に予算の金額が書かれた紙を渡しながら、ふと、部屋の中に置かれたままの碁盤を見つけた。途中で止まっているその盤の戦局を見ながら、「誰か来ていたんですか」と聞いた。
 老人は皺の多く刻まれた手で丁寧に紙を捲りながら、「鉢屋三郎が来ておった」と一言呟いた。庄左ヱ門はきょとんと自分の目が丸くなるのを感じながら、もう一度碁板の戦局を見る。力量は拮抗しているようだが、どれもこれも決定打に欠けるような手ばかりだった。碁をするというよりもただ時間を稼ぐためだけのお遊びにようだ。庄左ヱ門が黙って見ていると、学園長は金額の書かれた書類を再び庄左ヱ門に渡し、ご苦労、と労う。
「鉢屋にも後で見せておきなさい」
「はい。ところで、鉢屋先輩は今どこにいらっしゃるんですか」
「鉢屋なら学園外じゃ」
 え、と庄左ヱ門が声を上げるより早く、学園長は「儂の命令ではないぞ。学年の課題じゃ」と言って、にんまりと笑った。悪戯をする鉢屋を彷彿とさせる笑い方で、庄左ヱ門は敵わないな、と心の中で苦笑した。



 藪漕ぎをしながら進む鉢屋は、背後でぴったりと着いてくる雷蔵の足音と、その遙か後方を追ってくる忍の足音を聞いていた。
「しつこいな」
「忍はしつこくなきゃ」
「それもそうか」
 やれやれ、と業とらしく首を振ると、雷蔵がそれを見たのか、小さくふふ、と笑った。
「もうここで倒す?」「私は賛成だ」「僕も賛成だ」「敵は一人だ」「二人で潰そう」「着実に」「丁寧に」「僕は前で」「私は後ろだ」
 途端、背後を追う雷蔵の走る音が止まる。しかし藪漕ぎのする音がしばらく続き、一度大きく風が吹いたと同時に、どこかへ消えた。追いかけてきた忍も動きに気づいたのか一度動きが止まったが、再び追うように動き出す。鉢屋も少し走ったところで立ち止まり、ぐるりと旋回して藪の中に息を潜めて隠れた。獣の走る音と風の音、忍達の静かな攻防が始まる。
 近づいてきたところで、鉢屋は再び走り出した。それに気がついた追っ手が鉢屋を追う。そしてその後ろを、雷蔵が追う。逃げる者と追う者、追う者と追う者。形勢が変化し、それに気づいた追っ手も焦りだした。明らかにスピードが落ちている。前の者に攻撃を仕掛けるか、後ろの者に攻撃をするか迷っているのだ。
「迷い癖は忍にあるまじきことだ」
「お前が言うか?」
「くうぅっ」
 追っ手だった男はついに立ち止まり、闇雲に両側に手裏剣を放つ。藪の中から突然出てきた手裏剣に反応ができるわけがない。しかし、既にそこに二人は居ないのだ。
「一人で来たのも間違いだった」
「二人いるなら二人で対処するべきだからね」
「敵を侮ってはいけない」
「まったく駄目だ。全然駄目だね」
 ぬぅっ、と男を挟むようにして現れた少年たちはまったく同じ顔をしており、ただそれに驚愕している間に、既に男の心臓には深々と正面と背後から刃が突き刺さった。



「おっ追いついたか」
「一人倒した」
「また何人か追ってくるだろうけど」
 約束していた岩山の下に集合し、鉢屋三郎、不破雷蔵、竹谷八左衛門は遠くに昇る狼煙を確認した。任務の内容は指定された城に忍び込み、事前に隠された札を盗むことだった。竹谷が盗み、鉢屋と雷蔵が囮として追っ手をひっかきまわす。何の問題も無く、残るは捕まらないように夜明けまでに集合場所に戻ることのみだ。しかし三人はしばらく沈黙してじっと視線を交し合う。気まずい空気の中、耐え切れなくなったように、竹谷の足にしがみついている幼子が竹谷の後ろに隠れた。
「言いにくいんだけど」
「それ誰?」
「いや、その・・・逃げてる途中で山賊に攫われかけてたみたいだったんで・・・」
 曰く、一人離脱して逃走していた竹谷が、事前に決めていた場所に向かっていると、途中で山賊らしき男達に担がれて泣き喚く子供を見つけたらしい。任務の途中だったが時間もあるし、追っ手の気配も無かったので一応保護したらしい。子供の家はここから先にある農村らしく、帰りがけに連れて行ってやろうと判断したということだった。竹谷らしい発想だが、任務の途中にそんな面倒ごとに手を出すなんて、こいつはアホだろうか、と鉢屋は思った。
「・・・その、家まで、つ、連れてってやろうぜ」
「そうだねぇ」
「わかった」
「くっ・・・そう言うと思ったが、お前には血も涙もな・・・・・・・・あれ?」
 雷蔵と鉢屋が返事している途中で突然悶絶しだした竹谷が、予想外の返答がきたことにぎょっと顔を強張らせて固まる。雷蔵も少し驚いた顔で鉢屋を見ていた。鉢屋のことだ。今までの任務でこのようなことがあったことを思い出せば、「丁度いい、そのガキを反対方向に行かせて囮にしよう」とか言い出すと思ったのだ。ぎりぎり優しさを出して置いていけ、ぐらいだろうか。まさか任務などには冷徹な判断ばかり下す鉢屋がこんな無駄骨を、一言返事で了承するなど。
 固まって鉢屋をまじまじと見つめる二人に、鉢屋は別に気分を害したということもなく、いや、むしろ二人の度肝を抜けたことに上機嫌なのか、にやにやと笑って、どうした? と笑った。
「いや、その、予想外の答えだったもんで」
「・・・どうしたの? 熱でもある?」
「お前らな・・・」
 本気で心配そうな雷蔵と竹谷に口元を引き攣らせながら、鉢屋はそれでも自嘲気味に微笑み、竹谷にしがみついてぽかん、と自分を見上げる子供を見た。
「そうだな、確かに」
 薄闇の中でも輝くような黒い純粋な瞳を、目を細めて見ながら、「予想以上に、お熱らしい」とあっけらかんと笑った。子供を通して誰かを考えているようで、竹谷は訝しげな顔をしたが、雷蔵は答えがわかったのか鉢屋のようににやにやと口を歪めただけだった。
2010/6・10


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