■冬来たりなば



 朝食は宿で取ることができた。五穀米と大根の味噌汁、胡瓜と人参の漬物と焼いた鮭が一切れある簡素なもので、彦四郎は食堂のおばちゃんの朝食を恋しく思ったが、鉢屋が素早く平らげ、また庄左ヱ門も何も不平不満を言うこともなく食事を終えようとしているのを見て、慌てて食らった。
 荷物を持って城へ行き、兵糧長へ手紙を渡すというおつかいを終えたらそのまま帰ることになるらしい。一日でまた歩いて帰るのは無理なので、帰り道にある旅籠へ泊まり、学園に着くのはまた明日のことになるそうだ。部屋に物を残さないように点検をしてから忘れ物などの確認をして、3人は宿を出た。鉢屋は自分の荷物の中から武器が一つ無くなっていることを庄左ヱ門にも彦四郎にも聞きはしなかった。忘れてきたのだろうか、と訝しがる様子も無かったので、きっと無くなっているのに気づいていないのだろう。庄左ヱ門はどくどくと鳴る自分の心臓の音が強い気がして、脈をこっそりと測った。音が強い気がしたが、速さに変わりはない。平常心を保てている、と判断し、庄左ヱ門は彦四郎の隣に並んだ。
「朝食が味気なかったな」
「あっ、鉢屋先輩も思いましたか」
「帰りに団子でも食おうか」
「駄目ですよ。寄り道しちゃ」
「庄左ヱ門は真面目だなぁ」
 なんやかんやと言いながら、鉢屋に促されるがままに城の裏側に周る。業者や商人、または仕事で訪れる者だけの専用の裏門から入り、門番をしている兵士に兵糧長に手紙を渡しに来た、と鉢屋が伝えた。品物の点検をしている一団をしげしげと見つめていたら、庄左ヱ門も彦四郎も置いていかれそうになり、慌てて兵士に案内されていってしまいそうになる鉢屋を追いかける。裏庭を通って城とは渡り廊下を繋いで離れにある倉へ向かう。どうやら兵士の詰め所らしく、休憩中のような若い一団が茶を啜りながら団欒をしていた。
「おい、お前ら、誰でも良いからこいつらを兵糧長の所へお連れしろ」
「はい!」
 一番歳の若そうな青年が慌てて立ち上がり、走って鉢屋達の元へやってくる。倉へ案内した門番の兵士は蜻蛉返りのように裏門に戻っていく。どうぞ、こちらです、と緊張した面持ちで兵士が三人を促した。
 渡り廊下を渡って城内に入ると中は閑散としていた。どこか遠くで怒鳴りあう声が聞こえてきたので、彦四郎と庄左ヱ門は訝しげな顔をしていたら、若い兵士が「作戦会議をしているんですよ」と喋った。一番後ろを歩いていた鉢屋が、そんなことを言っていいのか、と心の中で突っ込めば、その顔に気づいたのか、兵士は口をつぐんだ。どうやら新米らしい。
「こちらです」
 通された部屋は地下に繋がっていた。城攻めにされたとき、立て篭もるための食料を保管している倉のようだった。兵士が「あ、あの、すみませんが」と、保護者であると思った鉢屋に向けて頭を下げる。
「私、これから武器倉庫の点検に行く仕事があったのを思い出しましたので、代わりの案内の者をまた来させますので、私はちょっと、失礼します」
「ああ、はい」
 とんだ失態である。自分から仕事を買って出たが、本来の仕事をすっかり忘れて立候補してしまったらしい。鉢屋が頷けば、失礼しますっ、と青年は捲くし立てて、走って行ってしまった。
「農民上がりだな」
「そうですね。威張り散らすような人よりは全然いいと思いますけど」
「男ならもっと堂々とするべきだとは思わないかい?」
「さぁ・・・」
 とりあえずおつかいをしなければならないので地下への階段を下っていくと、人の話し声が聞こえてきた。非常食の在庫を確認しているらしく、数を数えている声が響いている。鉢屋が先に降りて、すみません、忍術学園の使いの者ですが、ヤケアトツムタケの兵糧長殿はいらっしゃいますか、と聞いた。声が微かに反響してから、お前らは仕事を続けろ、と低い声が聞こえてくる。
「私がそうですが」
「初めまして。私は忍術学園5年ろ組の鉢屋三郎です。彼らは1年い組の彦四郎、同じくろ組の黒木庄左ヱ門です。学園長からの使いで手紙を届けにきました」
「はあ! 学園長殿の。・・・ならば少々お話があります。聞いていますか」
 ぱっと男は笑うと、途端に声を小さくしてそっと鉢屋に囁く。鉢屋は平然とした様子で一度頷き、もう一枚懐から手紙を取り出した。
「一応は。・・・庄左ヱ門、彦四郎」
「はい」
「私は少しこの人と話がある。お前たちはちょっと上に行って暇を潰していなさい」
「おい、佐久山。この子達に城を案内してやれ。半時ほどな」
「はい」
 在庫を紙に書き取っていた男が庄左ヱ門と彦四郎を促して再び廊下へ連れて行く。鉢屋と兵糧長は手紙の内容についてこそこそと会話をしているようで、その内容は聞き取れなかった。恐らくおつかいの手紙はブラフで、学園長から頼まれた任務があるのだろう。庄左ヱ門はそれがどうにも気になったけれど、大人しく佐久山と呼ばれた男について城の中をうろつくことになった。



 城の構造を分からないように滅茶苦茶に歩かされた、と言えるべき案内だった、と庄左ヱ門は後で思うだろう。順を辿っているようでそうでもない。結局城の中を大抵見て周れたはずなのに、どこをどう行けばいいのかよく分からなかった。しかし城の中というのは色々と不思議なもので、厳格なわけでもなく、通路で擦れ違う兵士はにこやかに挨拶をしてくれたし、女官からは饅頭を貰えた。
「最近戦をしていないからね、皆気が緩んでいるんだ。逆に問題も出てきたりしたのだけれど、子供を見るとやっぱり皆、故郷を思い出すんだろうね。君たちが来てくれてよかった。皆何だかんだで癒されてるようだったしね」
 裏庭に出て、日陰の縁側に座って饅頭を食べていると、佐久山がそう洩らした。
「問題?」
「あの先輩からは何も聞かされていないのかな? じゃあ俺が説明するわけにはいかない。きっとあの子は君らのことを案じて黙っているのだと思うからね・・・しかし、こんなこと、ここに連れてきた時点で巻き込まれるのは確実なんだから、話さないといけないんじゃないかな」
 佐久山はううん、と首を捻って不思議そうに呟くが、事情が何も分かって居ない庄左ヱ門も彦四郎も顔を見合わせるしかない。とにかく鉢屋がここで一騒動を起こそうとしているのだということは分かった。庄左ヱ門はその言葉を聞きながら、きっと鉢屋は自分たちのことを案じて喋らなかったわけではあるまい、と思った。あの男のことだ。どうせ全てが終わって自分たちが酷い目に会った時の反応を興味深げにじろじろ見たいだけに違いない。そう知ることができただけで随分楽になった。
 そういえばもう半時経ったのではないだろうか。庄左ヱ門がそう思っていると、廊下の向こうから怒り顔の大柄な男がのしのしと歩いてくるのに気づいた。おっと、と佐久山が隣で小さく呟くのを聞いて、二人は手に持っていた饅頭の残りを口に押し込んだ。
「佐久山、貴様ここで何をしている」
「菅野殿がお客様と難しい話をなさるとのことで、お連れの子達を連れて暇を潰させていたところです。何かありましたか」
「その菅野と客が消えやがったぞ」
「えっ?」
 声を上げたのは彦四郎だ。庄左ヱ門もぽかんと口を開いてやってきた男を見上げる。そんな子供の小さな眼に視線も寄越さず、男は憎憎しげに目の前の兵糧係の男を睨みながら、「そして先ほど、兵舎で忍者隊3班の奴らが全員死んでいるのが発見された」と吐き捨てた。
 鉢屋先輩だ、と庄左ヱ門は心の中で思った。彦四郎も同じことを思ったのか、ぽかん、と口を開けて男を見上げる。
「3班っていうのは・・・先月10人ぐらい一気に入った外部の忍者隊でしたっけ」
「ああ、キナくせぇと思ってたが、まさか突然死にやがるとはな。奴らが死んで困る奴は誰もいねぇが、城内で人が死んだってのが問題だ。しかも残党の奴らの4班が今怒り狂ってやがる。あの客の奴と菅野が殺したって決め付けてな」
「危ないですね」
「ああ。あのキチガイどものことだ。そこのガキを捕まえて消えた二人を炙りだそうなんて考えるかもしれねぇ。犯人もそうだと決まったわけでもねぇのに、馬鹿な野郎どもだ」
 じっとその話を聞いている三人をじろっと見下ろし、おい、と男は低く呻くように吐き捨てる。
「逃げろって言ってるんだが、わかんねぇのか?」
「・・・・・・・・・」
 佐久山は、ふっと笑うと、懐から小さな鍵を取り出して彦四郎に押し付けた。
「なんだ、那須島さんはこっち側の人だったんですね」
「こっち側? 何のことかわかんねぇな。まさかてめぇが殺したのか? 俺は準兵士長官としててめぇ勝手な殺人を起こした野郎はとっちめなきゃならねぇんだが」
「そんなわけ無いじゃないですか。俺は半時ずっとこの子らとうろうろしていたんですよ」
 目を白黒させる二人に佐久山はそっと囁いた。
「いいかい、事の真相は後で先輩くんと合流して聞けばいい。そこの廊下を曲がると最初に来た兵糧の置いてある地下室にある。そこの俺の仲間たちは内容を把握している。裏にある扉からこの鍵で外に出て、通路をずっと行くと外の山の中に出る。そこで朝日が出るのを待って、太陽が昇った方向にずっと行けば、菅野殿の居る旅籠に着くはずだ」
「あの、先輩は」
「あの子ならまだ仕事の最中なんだ。優秀な忍の卵なんだろう? きっと無事さ」
 さあ、行け、と二人は背を押され、ほぼ走るように言われた場所へ向かった。地下へ降りると在庫の確認をしている大人達がくるりと向いて、無言のままに指で一斉に同じ場所を指した。びくりと震えながらもそこへ行くと、棚の後ろに大人一人が少し屈んで通れる程度の小さな扉がついているのを見つけた。そこへ鍵を入れて捻ると、簡単に開いた。急いで、と誰かの声が聞こえて、二人は穴へ入った。すぐに兵士の一人が箱を引き摺ってきて、扉を隠すように設置した。ご武運を、と男は言っていた。
 真っ暗な道を二人は涙を堪えながら進んだ。突然起こった鉢屋の引き起こした事件に自分たちが巻き込まれていることは分かったけれど、その全貌はまったく分からないことが怖ろしくてたまらなかった。つまり鉢屋はあの兵糧長と学園長の前から画策していた任務を行なうよう命じられたのだろう。一ヶ月前にやってきた怪しい忍の集団を、身内の手ではなく外部の人間の手で排除させる役に抜擢されたのだ。おつかいという名の任務。鉢屋は庄左ヱ門と彦四郎を使って城の者達の注意を引かせて、その間に兵舎で休んでいた忍の一グループを殲滅した。もう一グループこれからまた潰すのだろう。しかしその一グループは反撃として庄左ヱ門と彦四郎を人質にとって鉢屋を燻りだそうとしている。
 彦四郎は危険なことが怖ろしかったけれど、庄左ヱ門はそれよりも鉢屋がこの危機を知っておきながらそれを二人にわざわざ黙っていることを選択したことが怖ろしかった。鉢屋は楽しんでいるのだ。この状況を。初めて身に降りかかる子供の危機に起こす行動力に期待している。気が狂っているのは誰だ。子供に人殺しを依頼した大人か、それを超越して自分の興味にしか頭にない子供か、この状況でもまだ、鉢屋のことが嫌いになれない庄左ヱ門か。
 湿った土の匂いで鼻が馬鹿になりそうなころ、上から少し灯りが漏れている天井を見つけた。彦四郎、出口だよ、と庄左ヱ門はそう言おうとした直後、二人の耳に劈くような叫び声が聞こえてきた。
2010/5・11


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