■冬来たりなば



 鉢屋の読み通り、学級委員長委員会ご一行が目的の城下町の宿に着く頃、ぱらぱらと雨が降ってきた。湿った空気が充満していて、通された部屋からは畳の匂いが酷く香った。肩に提げていた荷を置いて、彦四郎と庄左ヱ門は外を覗いた。街道に沿ってそろそろ店じまいをしようとしていた商人達が、雨に気づいて大慌てで走り回っている。家の軒先に人が集まり、人通りのまだあった商店街から人の気配がすっかり消える。
「食事は外で取ろう。ここの宿は風呂と眠る場所しかないんでね。何、まだこの時間ならどの店も開いているだろう」
 鉢屋はそう言って学校から用意されたであろう金を懐に入れて庄左ヱ門と彦四郎に言う。二人は一応金目のものだけを身につけて一足先に外へ出て行こうとする鉢屋を追いかけて階段を下った。店先では鉢屋が傘を二本借りて、片方を庄左ヱ門と彦四郎に渡す。大人用の大きな番傘なので、今年で十になる二人が入って丁度ぴったりといったところであろうか。鉢屋は女将と少し会話を交わし、二人を呼んで外に出た。
 雨はさっきよりも強くなっていた。土砂降りというわけではないのだが、ばらばらと叩きつける雨粒が番傘越しに響く。鉢屋は淀みない動きですたすたと歩いていってしまう。その背を追いかけて二人も自然とはや歩きになった。傘を用意して、再び道には町人が出てくる。まだ時間にしては夕方だ。暗くなってきた通りに柔らかな赤い灯りがついて、庄左ヱ門も彦四郎も城下町特有の美しい街並みに自然と見蕩れた。
「鉢屋先輩、ここへは来たことがあるんですか」
「ああ。2,3回ほどだけどね。おいしい食堂を知ってる。そこに行こう」
 庄左ヱ門はこちらも見ないままのんびりと答える鉢屋の声を聞きながら、その中肉中背と言える背中を見た。彼は一体この町へ何の用で訪れて、何をして帰ったのだろう。それがなんとなく気になって、結局やめた。どうせ考えも及ばないような任務や課外実習とかで来たに決まっている。
 鉢屋の気に入りの食堂はそれなりに近い場所にあった。夕飯時よりは早いのだが、それなりに人が入り始めている。鉢屋は傘を仕舞って中へ入る。庄左ヱ門たちも傘をたたみ、雨を少し払ってから店内に入った。
 そこまで大きな店ではなかった。しかし年期の入った店内にはその主人や客の愛した結果がこびり付いているように見えて、庄左ヱ門はなんとなくいづらい気分になった。なんというか、常連の来るような店だと思うのだ。彦四郎も同じようで、感慨深げに店内を見回し、庄左ヱ門に寄ってぴたりと硬直する。店員がやってきて、鉢屋達を店の隅にある台へ連れて行く。壁にかかってある品書きを眺めて、鉢屋は天麩羅の定食を頼んだ。庄左ヱ門も慌てて目に付いたものを頼んだ。彦四郎もそれに倣う。
「あとぜんざいを三つ」
 鉢屋がさらりとそう言って、店員が下がる。そういえば甘味を買ってもらう約束だった。庄左ヱ門はぼんやりと鉢屋の顔を眺め、そういえばこの後の予定を聞くのを忘れていた、と気がついた。そもそもおつかいをするという話しか聞いていない。誰に、ということも分かっていない。ただほいほいと鉢屋の背中にくっついてきただけだ。学園長先生からのお達しだからとはいえ後輩二人に何も説明無しにここまで連れまわすのだ。話ぐらいしてくれたって構わないだろう。
「鉢屋先輩、これからどうするんですか」
「ん? まぁ、とりあえずおつかいの内容は宿で教えよう。一応、これも任務みたいなもんだしね。ただやることは明日にしよう。とある人に手紙を渡すだけだし。こんな夕方に訪れるのも失礼だしね」
「今日は?」
「歩き続けて疲れただろう? とりあえずご飯を食べたら宿に戻って、風呂に入ってさっさと寝よう。私はもう眠いよ。こんなに遠出したのは久しぶりだ。しかも後輩のお守りもしながらというのは初めてだったしね」
「すみません・・・足手まといで」
 彦四郎が申し訳無さそうな声音を上げれば、鉢屋は目を細めていや、と首を振る。
「面白かったよ。私も一年生の頃は君らと同じだっただろうかとか、普段考えないようなことを考えた。子供の動きというのも見るのは面白かったしね、勉強になった」
「・・・・・・・・」
 山を登っている最中にそんなことを考えていたのか、と庄左ヱ門は腹のうちで感心した。こういうものがあるから鉢屋三郎は変な性癖を持っているとか噂されるんじゃないだろうか。
 そんなことを考えているうちに店員がうどんと定食を持ってきた。食事中は自然と会話は無くなり、三人とも黙々と食事を開始する。考えていたよりもお腹がすいていたらしい。ぜんざいが食べれるかどうか不安だったが、かなりあっさりと平らげてしまった。鉢屋がお奨めするだけはあって、とても美味しいと思った、空腹が最高の調味料であったかもしれないが、それを引いても美味しいものだった。
 食事代は学園長から貰った経費で済ませたようだが、ぜんざいの金は鉢屋の自費らしい。外に出てからごちそうさまでした、と庄左ヱ門と彦四郎は鉢屋に頭を下げた。鉢屋はいやいやとそれを留めて、先に雨の中へと入っていく。雨の強さは少し弱まったが、まだ止む気配を見せない。
 宿に戻ると、既に湯が沸いていると言われた。どうやら出掛けに鉢屋が女将に声をかけていたのは、湯を沸かしておいてくれ、という内容だったらしい。私は後で入る、と鉢屋は庄左ヱ門と彦四郎を先に入らせた。
 学園の風呂よりも広いもので、良い湯加減でもあった。二人が風呂から上がって部屋に戻ると、鉢屋は荷を整えており、残りの金などを計算して、明日の食事にかける金について考えているらしかった。どうぞ、と鉢屋に言うと、鉢屋は上機嫌でさっさと風呂へ行ってしまう。
「一緒に入れば鉢屋先輩の素顔、見れたかもしれないね」
「え・・・あっ! そうか・・・失敗したね。思ってたより疲れてたみたいだ」
 鉢屋の居なくなった部屋で、すでにしかれている布団の上に寝転がり、庄左ヱ門と彦四郎はそう言って笑った。そこから少しだけ鉢屋の素顔について盛り上がった。聞いたことのある噂を片っ端から言いあって、鉢屋の素顔について想像しあう。気になるものではあるが、最後まで知れないほうがこうやって勝手に想像できるから楽しいのかもねぇ、なんて彦四郎が言うものだから、庄左ヱ門も思わず同意してしまった。そこでふと、鉢屋が広げていた荷が広げられていたままなのを見て、二人はのそのそと布団から這い出て、それを見た。教科書でしか見たことの無い、使い方もよく分からない凶器が並べられている。丁寧に扱われているその刃物を見て、これ、鉢屋先輩の私物かな、と彦四郎が言った。
 その刃物は学園の倉庫で見たことのないものだ。6年生でさえ使ってるのを見たことがない。手裏剣のようで、しかしそれにしては切り裂くような形状に近い。その近くには何かどろりとした液体の入っている貝殻があった。化粧道具である紅を入れる貝殻かと思ったが、中には茶色く濁った泥のようなものが入っている。その刺激臭で彦四郎が顔を蒼くする。
「毒・・・かなぁ」
「かもね」
 庄左ヱ門はそれを放置して、丁寧にそろえられている衣服を見た。その横の手甲や脚袢のあちこちに、小さな針が仕舞われているのを見つける。庄左ヱ門も似たような所に数本、棒手裏剣を忍ばせている。彦四郎も腕に巻きつけている布の裏に小さな刃物を仕舞っていた。捕まったときにそういうものを持っていると便利だから、忍者は常に一つか二つは持っているべきだといわれているのだ。
 そのとき、とんとん、と階段を上がってくる足音が聞こえた。彦四郎が顔を蒼くして、鉢屋先輩かも、といち早く自分の布団にもぐりこむ。庄左ヱ門はその時同じように布団に入ろうとして、一瞬躊躇い、そして鉢屋の荷に入っていたその手裏剣のような、三日月のような形をした刃物に手を伸ばし、1枚、それを自分の荷の中につっこんだ。そして布団に入る。
 予想通り、鉢屋が部屋に戻ってきて、おかえりなさい、と彦四郎と庄左ヱ門が言うのに、「なんだ、まだ起きてたのか」と不思議そうに笑った。鉢屋はやはり不破雷蔵の顔をしていて、とても自然そうに微笑む。髪の毛も柔らかい雷蔵の髪の毛で、彦四郎は少しだけ残念だと思った。
 鉢屋は自分の広げていた荷のもとへ歩み寄り、そしてそのまま丁寧に包んで、部屋の端に放った。どくん、どくん、と強く脈打つ庄左ヱ門の心臓が、ようやく平常を取り戻していく。彦四郎は庄左ヱ門が鉢屋の武器を盗んだことを知らない。鉢屋は気づいただろうか。しかし、鉢屋を見る限りまったく変化はみられない。二人に、私のものを盗んだか、と聞いたりもしなかった。部屋を照らしている火を見て、「消すよ?」と一言聞いた。彦四郎も庄左ヱ門も、ほぼ同時に返事をする。ふ、と風が小さく吹かれたような音がして、部屋が暗闇に落ちた。窓から入ってくる月光だけが室内を照らす。鉢屋が布団にもぐりこみ、そして、静寂が降ってくる。
 庄左ヱ門は自分の首に指先を押し付けて、布団にもぐりこんだまま脈を少し測った。正常に、どくん、どくん、とゆっくりと鳴っている。明日、鉢屋が荷を整理したとき、気がつくかもしれない。鉢屋が自分が何をいくつ用意したか完璧に憶えていればの話だが。その時、鉢屋は庄左ヱ門と彦四郎を疑うだろうか、それとも自分自身の勘違いを疑うだろうか。









 深夜、雨だけが降り続ける音が延々と鳴り響く時間、かたりと鉢屋たちの眠る部屋の窓が鳴った。外側から格子を上げて侵入しようとしていた男は、ゆっくりと中を覗き、そこでようやく一番手前側の布団に誰も寝ていないことに気がついた。
 忍術学園の人間と思われる子供が三人やってきたという知らせを受けて、彼は秘密裏に部下を二人連れてこの宿へやってきていた。殿や上層部の連中には行っていない連絡だ。忍頭からの命令で、過去数回忍術学園の連中に煮え湯を飲まされてきていたことを踏まえ、念のために先に手を打っておこうという話になったのだ。
 何をしにやってきたかは知らないが、有益なことをしてくれるとは思えない。しかし偵察に来て見れば、一人姿が見えない。厠にでも行っているのかもしれないと思い、背後に控える部下に声をかけようと思うと、すいっと音も無く黒光りする匕首が男の首に添えられた。夜色を反射して、その刀身は鈍く光っている。その手が部下のものであるのを見て、なにものだ、と男は聞いた。
「随分部下を信頼・・・信用してるんですね、頭。謀反とか、考えないんですか」
「謀反するならばもう少し場所と時間を考えるだろう。普通。それにお前は俺の知る限り、俺に気づかれずに俺の命を奪えるほど強くなかったはずだ」
「演技だった、とかは考えないんですか」
「そんなに上手い演技ができる奴ならもっと出世しとるわ」
 忍である男は肩を掴まれて振り返させられた。首にはまだ匕首が押し付けられている。自分に匕首を押し付けている男は連れてきていた部下の一人だった。その背後ではもう一人の連れてきていた部下が屋根の上に倒れている。
「そう、その通り。俺は貴方の部下ではない。貴方の部下に変装している下っ端の忍者です」
「下っ端なぁ・・・」
「高く買っていただけたようで重畳。・・・何やらこそこそと出てきたもんですから何か大事な仕事でもするかと見てみたら、こんな子供の泊まる部屋をこそこそ見てるなんてがっかりですよ・・・もうちょっと面白いことをやっていただきたいですね」
「・・・ここのガキが何者か知らんのか?」
「お偉いさんとこの隠し子とかですか?」
「・・・知らんのならいい」
 ふん、と忍は笑った。それを覆面の下で冷ややかに見つめ、変装をしていた忍は匕首をくるりと手の中で回転させ、木の柄部分で男の顎を殴打した。がごっ、と骨の噛みあう音を立てて、忍の体が崩れる。それを寸前で受け止めて、匕首を腰に仕舞う。雨の中、一人の男は静かに部屋の中ですやすやと眠る子供を見て、ふん、と鼻を鳴らすと、その場に倒れたままだったもう一人の男も担ぎ上げ、そっとその場を後にした。
2010/3・11


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