■冬来たりなば



 「おつかい?」
 「うむ。これを届けて欲しい」
 やるかやらないか、答えるよりも早く、学園長は皺だらけの手に持つたて文を鉢屋に渡した。
 「どちらまで?」
 「ヤケアトツムタケの兵糧長をしておる男だ。宛名は書いておる」
 鉢屋はその文に書かれている名前を一瞥し、わかりましたと頷いた。文を懐にしまうと、学園長は皺くちゃの顔を梅干のように更に皺を増やして、にやにやと笑った。鉢屋はその顔を観察しながら、どこか、少年のような笑い方をするな、と思った。
 「学級委員長委員会の者で行きなさい」
 「・・・一年生を連れて行けということですか?」
 ヤケアトツムタケといえば、戦もよくやる、一年生曰く『悪いお城』だ。そういうことに関して対応が図太い庄左ヱ門ならまだしも、実戦経験が少ないともっぱら噂の彦四郎を連れて行くとなると、鉢屋でなくとも不安になるだろう。
 「前頼んだ炭櫃の掃除の手際が良かったと聞いたのでな、仲は良いのだろう?」
 掃除と戦好きの城へのおつかいを同列に見るもんではないと思うのだが。鉢屋はそう思いながら、知らず知らずのうちに、口元が笑みの形を作っていた。
 「そうですね。仲はいいつもりです。まぁ、本当に好かれているかどうかなんてこと、本人でなければ知りえないことでしょうが」
 「ふん、言い得て妙じゃな。お前はいつからそんなに謙虚な奴になったのだった?」
 「たった今ですよ、学園長」
 鉢屋は、自分とこの老人は酷く似通う所がある、と思っている。きっと後輩達は目を丸くして、どこがですか、なんて心から不思議そうな声をあげるだろうけれど、きっと己の友人は、ちょっと考えて、そうだね、確かにね、と笑うだろう。
 「期待しておるのだ、三郎。お主にな」
 学園長は悪びれずに言った。天才という生き物のプライドを試しているのだ。鉢屋は目を細くして微笑む。いい手段だ。この人は私の使い方を知っている。期待していると言われて、それを無視できるほど、弱く利口な生き物ではない。私は私の尊厳があるのだ。
 「ご期待に添えられるよう、努力します。学園長。安藤教員には、『心配なさらずとも、上手く使ってみせますよ』とでもお伝え下さい」
 「口の減らない奴じゃ」
 それでも学園長は高らかに声を上げて笑った。快活に笑う老人は、重く伏せられた瞼の隙間から、ちらりと鉢屋を仰ぐ。眼に込められた老人の光りは、きっと昔から劣っていないのだろう、と鉢屋は思う。確かに、尊厳を傷つけられないために、というのもある。だが、自分は本当にこの老人を気に入っているのだ。瞳に篭った人を見極める鋭い視線が、鉢屋を穿った。老人の素晴らしい観察眼を持ってしても、鉢屋の正体は知りえない。鉢屋は笑った。
 「帰ったら、学園長、一局指していただけませんか。少し話がしたいのです」
 「構わん。無事に帰って来るんじゃぞ」
 はい。いってきます。鉢屋は一度頭を下げた。学園長が踵を返し、廊下の向こうに消えるまで、しばらく頭を上げなかった。
 口だけが笑みを作っている。ようやく頭を上げて、鉢屋は身を翻す。



 一直線に私室に戻ると、同室の不破雷蔵が机に向かって、毎月家へと送る仕送りにつける文を書いていた。鉢屋が挨拶もそこそこに荷造りを始めたのを見て、雷蔵はまじまじと鉢屋の顔を見た。淡々と荷物を纏める鉢屋を見て、雷蔵はふっと笑った。
 「楽しいことがあったんだ?」
 「そう。これからおつかいに行ってくる。一年生を連れてだから、帰るのは明後日ぐらいになると思う。私の机の棚の上に、明日提出する課題があるから、先生に出してくれ」
 「わかった。一年生となんて、珍しいね。怪我をさせちゃ駄目だよ」
 「ああ」
 「君もね」
 雷蔵の言葉に、きょとんとした顔で振り返り、鉢屋は気が抜けたように笑った。
 「うん、分かってるさ」
 「僕がいないからって、無茶しちゃ駄目だよ。君はすぐに悪いことをするから」
 「お前に言われるなんてね」
 鉢屋は溜息を吐きながら呟く。かつて忍軍相手に「ちょっとからかってやろう」なんて言い出した雷蔵のことを思い出したのだ。雷蔵はそれでも悪びれず、「僕はいいんだよ。程度が分かっているから」などとぬけぬけと言い放った。三郎は肩を竦めるのを諌められない。どの口で仰るのやら。
 「危ないことはしないでね」
 「例えば?」
 「どうせ君は僕が言った事を採用して、やって帰ってくるんだろう?」
 「何を分かりきったことを!お前の意見を無下にするような心優しい鉢屋三郎ではないぞ?」
 一拍置いて、二人で同時にげらげら笑った。こんな軽口も相変わらずだ。お前ら何してんだ、と虫取り網を担いだ竹谷がやってきて、笑い転げる二つの顔をぽかん、と見た。かーん、と鐘を打つ声が学園中に響く。授業が終わることを知らせていた。
2009/5・30


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