■冬来たりなば



 忍装束だけでは肌寒くなってきたので、そろそろ炭櫃の用意をすることになった。無論、倉庫の奥に入れられている炭櫃は春と夏を過ごした間に埃を被り、また蜘蛛の巣まで張っている。それを掃除するのは用具委員の仕事なのだが、日課のようにだらだらと裏庭の掃除に勤しんでいた学級委員長委員会が眼をつけられた。
 用具委員顧問の吉野先生曰く、用具委員会は今度行なわれる武道大会のために、貸し出し用の道具の整備という仕事があるらしい。今年は寒くなるのが早いらしく、学園長先生の申し出が丁度重なってしまったそうだ。実質、学級委員長委員会の統率役を買って出ている鉢屋は、それを二言で承諾した。代わり映えしない掃除に嫌気が差していたのだろう、と庄左ヱ門は思う。
 教えられた倉庫の鍵は錆ついていた。しかし鍵穴に鍵を差し込んで捻れば、予想より簡単に鍵は開いた。がしゃ、と何かが擦りあう音が立つ。鉢屋はそれを平然と扉に引っ掛け、戸を引いた。立て付けが悪いせいか、がりがりと砂利を食む音がする。
 うわぁ、と彦四郎が引き攣った声を上げた。倉庫の中にある棚にはびっしりと炭櫃が整列して並べられている。燃え滓が発火しないように、倉の中には窓が無く、灯りは外の太陽の明かりだけだ。鉢屋が懐から種火を取り出して、壁にかかっている皿に蝋燭を置いて、火を灯した。倉の中がぼんやりと照らされる。
 鉢屋は手馴れたもので、棚の隅にある炭櫃を取り上げると、手で埃を払い、ふっと息を吹きかけた。手に持っただけで鉢屋の手がべっとりと灰色のもので汚れた。
 「こりゃ駄目だな。全部掃除しないといけないようだ」
 「今日だけじゃ、終わりませんよね」
 そうだな、と鉢屋が短く答えると、彦四郎がうへぇ、と嫌そうな声を上げた。
 「まぁ、冬まではまだある。3日ぐらいあれば全部終わるだろう。何も新品同様にしろって言う訳じゃないんだ」
 「掃除したものは、確か空き教室に持っていくんでしたっけ」
 「ああ。じゃ、私と庄左ヱ門が炭櫃を掃除するから、彦四郎は綺麗にした炭櫃を教室まで持って行ってくれ」
 鉢屋は淡々と仕事を割り振った。持ってきていた古布を外へと広げ、端から十個外へ運び出す。舞い上がった埃が太陽の光りを浴びてちかちかと瞬いた。見ているだけで鼻が痒くなってくる。
 倉庫の中にある火鉢に統一製はなく、炭櫃が殆どだったが、火桶と火櫃が4分の1を占めていた。新品とは言いがたいものが数個あり、鉢屋がこりゃ駄目だな、と2つほど置いた。見れば、底の方がひしゃげて穴が開いている。炭を入れてもあれでは抜け落ちてしまうだろう。
 それから、夕焼けが迫ってくるまで三人はせっせと埃や虫の屍骸を取り除いた。鉢屋は鼻歌まで歌ってむしろ楽しそうである。雑巾はあっという間に黒く染まった。中に灰を詰めながら、彦四郎は鉢屋の顔を見て、「こういうの、好きなんですか」と聞いた。
 「ん?何?」
 「先輩、こういうちまちましたこと好きですよね」
 「ん?うん、まぁね。部屋の掃除は嫌いだけど、化粧道具とかよく揃えたりするよ。よく雷蔵に笑われるけれど」
 鉢屋はそう言ってふっと息を吹いて埃を飛ばした。見れば太腿から膝が埃塗れだ。庄左ヱ門もその姿を見て、ようやく自分も埃塗れになっていることに気づいた。風呂に入りたくなってくる。
 「こういうこと、よくやるんですか?」
 「こういうことって?雑用?」
 「はい、まぁ」
 鉢屋は一度肩を震わせて笑った。雑用という言葉に怯んだ庄左ヱ門が面白かったのかもしれない。「だって、やることないだろ?」と鉢屋はあっけらかんと言い放った。
 「大会があるときしか、禄にすること、ないしね。掃除だって暇だからやってるもんだし」
 まぁ、歩きまわって学校内に異変が無いか確認するってのも、あるけど。そう付け加えられた言葉に、彦四郎は、へぇ、と嘆息した。そういうところも見ているのか、と今更この飄々した先輩を見直す。
 「てっきり、道楽でやっているものかと」
 ぽろりと零れた言葉を防ごうと、慌てて口に手を覆いかぶせても、もう遅い。庄左ヱ門も思わず笑った。鉢屋だけが、きょとん、と眼を見開いている。そして、ふ、と息を吐くと、あっはっは、と声高く笑った。
 「私がそんな掃除好きに見えるのかい、彦四郎」
 「いえ、そういう訳でなく」
 彦四郎はしどろもどろに言った。目が泳いでいる。庄左ヱ門は淡々と炭櫃を拭い、中に灰を詰めた。数度、彦四郎の視線が助けを求めるように庄左ヱ門の顔を伺ったが、彼はそ知らぬふりをしていた。薄情者!彦四郎は涙が出そうであった。
 「じゃあお前は私が掃除も禄にできぬ無作法者だと?」
 「いえ、そういう意味でも、なくて」
 にやにやと鉢屋は口に笑みを浮かべた。彦四郎は顔を赤くしたり青くしたりと忙しない。庄左ヱ門は溜息を吐いて、持っていた炭櫃を彦四郎に渡した。「はい、これ。終わったよ」
 彦四郎はこれ幸いと逃げるように炭櫃を担いで校舎へ消えた。少し戻ってこないかもしれない、と庄左ヱ門は思う。鉢屋は鉢屋で、「庄左ヱ門は優しいなぁ」と笑いながら、今度は火鉢を抱え込みながら雑巾で拭っている。完全に彦四郎で遊んでいるのだ。
 「性格が悪いですよ、鉢屋先輩」
 「私を善人だと思う者がまだいたとは驚きだ」
 鉢屋はぬけぬけとそう言い放つ。自分が他人に及ぼす影響なども全て理解しているくせに、彼はそんなことも禄に気にせず簡単に教師が認める手腕を見せる。そういうところが惨酷だ。
 「先輩は悪い人ですね」
 「君だって善人とは言えまい。彦四郎を思うなら、もっと早く逃げさせてあげるべきだったはずだよ」
 「僕は別に自分が善人だなんて一言も言ってはいません」
 庄左ヱ門は一度だけ鉢屋のように人が悪い笑みを見せた。
 「彦四郎のことも慮りますが、僕は鉢屋先輩のことも慮ったんです」
 貴方が楽しんでいる姿に水を差すなんてこと、そう簡単にはできやしませんよ、と庄左ヱ門は軽口のように言う。さらりと言われた後輩の言葉に言葉を無くし、鉢屋は可哀想に、と嘆いて見せた。
 「素晴らしい後輩であり素晴らしいご同輩だ!」
 「僕は悪人ではありませんから、ご同輩ではありません」
 恐れ多くも鉢屋三郎のご同輩なんて!庄左ヱ門は笑った。
 「身に余る光栄ですよ」
 「なんて子」
 鉢屋はくつくつと喉奥で笑みを殺した。積み上げられた炭櫃の中で燃える時を待つ炭がころりと転がる。彦四郎はまだ帰らない。
2009/5・16


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