■華やかな日々の終わりに

 洗濯物を取り込むように祖父に頼まれ、裏庭に出てみると、他家とを仕切る板の向こう側に繋がる細い裏路地に、子供が屯っているのを見つけた。庄左ヱ門よりも明らかに小さい子供で、6歳前後であろうと推測される。その子供達が四人ほど円を作り、その円を作る子供の中に、成人男性よりは線が細いが、明らかに年上の少年が混ざっていた。その背が見知った人のものであることに目を見張り、庄左ヱ門は思わず声を上げた。
 「鉢屋先輩」
 予想通り、彼は肩口で振り返り庄左ヱ門を見て、目を見開いた。顔はお馴染みの不破雷蔵のものであった。
 「やぁ、庄左ヱ門」
 鉢屋はにこやかに笑いながら、人懐こい顔を作る。すっくと立ち上がれば、板戸の向こうに居る庄左ヱ門と鉢屋を交互に見て、屯っていた子供達が蜘蛛の子を散らすようにあっという間にどこかへ居なくなってしまった。
 「今のは・・・」
 「ちょっとしたお使いを頼んだんだ。私はもう帰って寝たい」
 鉢屋はころころ笑いながら、懐から懐紙に包まれた小さな塊を取り出し、それを庄左ヱ門に放った。庄左ヱ門はその時洗濯物を抱きかかえていたから、それは弧を描いて洗濯物の上にぽとりと落ちた。
 「なんですか、これ」
 「鼈甲飴」
 見れば、鉢屋ももう一つ取り出した懐紙から透明で黄色いものを剥がして、口にほうりいれていた。「私が家で作った」どうやら、さっきの子供達へのお使いの御礼はこれらしい。
 「なんですか、さっきみたいに、悪巧みでもするような」
 「報告は自分で行くべきなんだろうけど、さっきも言っただろ?私はもう帰って寝たいんだ。疲れてしまってね」
 鉢屋はそう言いながら着物の胸元を抓み、裏地を庄左ヱ門にちらりと見せた。鉢屋の着ている着物は以前も見たことのある不破雷蔵とまったく同じ柄の着物だったが、胸元から覗く裏地は濃い藍色をしている。忍び装束であった。
 今学園は春休みだ。帰省する者としない者がいるが、大抵の生徒は帰路に着く。訝しげな表情を察して、鉢屋は少し笑った。いわく、5年生の最終課題として出されたもので、先刻まで数名で組を作ってどこぞで色々してきたらしい。課題の内容は勿論内緒だったが、鉢屋が今すぐ帰って寝たいというぐらいなのだから、庄左ヱ門の想像外の課題だったのだろう。見たところ怪我はないようだったが、変装の得意な鉢屋のことだ。どこに傷を負っているのか分かったものではない。引きとめていることに気づいて、思わず庄左ヱ門は眉間に皺を寄せた。
 「あ・・・引きとめてすみません。ゆっくりお休みになってください」
 「ん?じゃ、お言葉に甘えて。って言いたいところだけど。ちょっと話しよう。さっきまで一人っきりで何時間も喋れなかったから、少し人恋しいんだ。家に帰ったらすぐに寝ちゃいそうだしね」
 ならすぐ帰って寝るべきではないのか、と思ったが、庄左ヱ門は尊敬する先輩以上の念を持つ鉢屋と会話をすることを無理やり諦められるほど大人ではなかった。洗濯物を籠に放りこみ、板戸に寄って、鉢屋との距離を縮める。鉢屋は柔らかく微笑むと、二つの手を伸ばし、庄左ヱ門の頬を優しく包んだ。
 「庄左ヱ門、宿題はやってるかい?」
 「はい。今の所、順調に」
 それは重畳。と鉢屋は笑い、真面目な後輩の頭を嬉しそうに撫でた。春の暖かい陽気に包まれているなか、鉢屋の手は驚くほど冷たい。ひやりとした温度にうっとりする庄左ヱ門を愛しそうに見つめ、鉢屋は、そういえば、と呟く。
 「お前は成績優秀だったんだっけ」
 いえ、別に、そういうわけでは。庄左ヱ門は自分の頬が熱くなるのを感じた。鉢屋にそう褒められるのは誰に褒められるより嬉しい。それはきっと、鉢屋は歯に衣を着せることを喋らないことを知っていることや、普段、忍の行為に関してやけに評価が厳しいことを知っているからだ。また、祖父達とも違い、忍の厳しさや授業の難しさも理解しているからだと思う。いつかこの人のように誰からも尊敬されるような人になりたい、と思う。今は鉢屋の背を追うのが楽しくて仕方がなかった。
 頬を染めて嬉しそうに口を歪める庄左ヱ門を見下ろして、鉢屋は羨ましそうに言った。
 「庄左ヱ門はいいね。私もお利巧に生きたいな」
 え、と言うにはもう遅い。鉢屋の手は驚くほどあっさりと、庄左ヱ門の頬から離れた。指の触れていた場所だけがやけに敏感になっている。鉢屋の顔は逆光で見えなくなっていた。先輩、と庄左ヱ門が呼ぶより早く、じゃあ、また学校が始まったら、と鉢屋は言って、あっという間に身を翻す。ぽかん、と庄左ヱ門が見送る中、鉢屋の背中が路地裏を突っ切り、そして人ごみに消えた。
 庄左ヱ門、どこにおる、と家屋の中から祖父が呼ぶ声がして、慌てて庄左ヱ門は籠を持ち上げて家の中に戻った。心臓が早鐘のように鳴っている。頬が熱く、洗濯物の上に乗っていた鼈甲飴が、カツン、と音を立てて縁側に落ちた。ころころと転がって、柱にぶつかって止まる。庄左ヱ門はいいね。その声だけが脳裏から離れない。はて、あの人はどのようにして笑うのだっけ。庄左ヱ門は良く分からなくなってしまった。
2009/5・2


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