■恋焦がれるむかい

 立花仙蔵先輩は、一年生がお嫌いですか。
 唐突に声を掛けてきた鉢屋三郎は、声を掛けた立花仙蔵の顔をつけていた。
 仙蔵が土井半助から許可を貰い、火薬庫に保管されている火薬の中から己の実験用に材料を頂戴し、同級生から一足遅れて食堂で一人食事を済ませていると、学年が一つ下である変装名人鉢屋三郎がやってきた。やってきた当初は不破雷蔵の顔をしていたが、一人で黙々と食事に集中していて、三郎からかけられた声にふっと上を向くと、そこにあったのは鏡合わせのようにそっくりな己の顔で、仙蔵は珍しく釣りあがった目が丁度普通のように見えるほどに目を見張った。
 「ふむ、こういう気分なのか。不破は」
 己の顎を摩りながら目の前で柔らかく笑う己の顔を見て、仙蔵は納得したように一度頷いた。鏡のようだが鏡ではない。目の前の男は見た目だけが立花仙蔵に模された、まるっきり違う人間なのだと思うと、不思議と安らぐ気持ちがした。どれほど天才と謳われた男でも、自分という全てを模した人間ではない、という所が楽しい。むしろ藍色の制服を着ている立花仙蔵の姿は、去年の己を彷彿とさせた。楽しい、とすら思えて、仙蔵は一瞬笑った。
 「自分の姿を模されて、そんなに楽しそうに笑いませんよ、雷蔵は」
 「そうか。いや、自分の姿を模されることが不快だと思う人間の気分と、模されながらもにこにこと笑ってるあの不破雷蔵は思考が違うのだろうから、今少しでも楽しんでいる自分の気分と通じるものがあるのでは、と思っただけだ」
 三郎は仙蔵の顔のまま、少しだけ嫌そうに顔を顰めた。どうやら驚きも一瞬で終わり、むしろこの状況を愉しんでいる仙蔵が気に入らないのだろう。愉快犯的な部分があるからな、と仙蔵は一人で思った。自分の予想した通りに物事が進まないと不安感を覚える、所謂根っからの天才気質なのだろう。天才だ天才だと持て囃されるこの男の本質も、なるほど頷けるものであった。
 「では何故不破はお前に顔を奪われてそこまで笑っていられるのだろうな。楽しくないのだとしたら、嘲笑かもしれんな。天才の癖に凡人に扮するお前を馬鹿にしているのかもしれん。馬鹿な男だと」
 「そこまで言います?立花先輩、自分が思ってたより、性格悪いですね」
 「ほお、私は今までお前の中でどのような聖人君子だったんだ?是非聞かせてほしいな。私にもまだ善人としてやり直せるヒントがあるかもしれん」
 「無茶言わないで下さいよ」
 楽しげに肩を震わせ、三郎から話を聞こうと両手を組みだした仙蔵に、お手上げのポーズをとって、三郎が嘆いた。それに、元々己から問いを振ったというのに、こちらが質問攻めされる嵌めになりかけている。情けない顔をした三郎に、私の顔でそんな無様な格好をするなと叱咤を飛ばし、仙蔵は食後の熱いお茶をぐいっと胃に流し込んだ。
 「じゃあ、最初の質問に戻らせてくださいよ」
 「うん?なんだったかな・・・『あれ、立花先輩いらっしゃったんですか。お元気そうですね』だったか?確かに体調を崩しているわけではないから、お元気だといえばお元気だ」
 「戻りすぎです」
 三郎が食堂に入ってきて一声目を掘り返すとは意地の悪い先輩である。掘り返すのが得意なのは仙蔵の後輩の綾部喜八郎だけで十分だろう、と三郎は心の中で思った。
 「先輩は一年生がお嫌いですか、って奴です」
 「嫌いではない」
 仙蔵はにんまりと口元を歪めて断言した。目を細めて笑うと、狐のような顔である。三郎はへぇ、と意外そうに声をあげ、「じゃあ、好きですか?」と続けて聞いた。
 「そうだな、向こう見ずな所は好きだ。それを言うならろ組よりは組、は組よりい組の方が好みだな」
 「へぇ、実戦に強い方が好きかと思っていました」
 三郎が淡々と重ねれば、仙蔵はむしろ三郎を嘲笑うように首を傾げ、鼻を鳴らした。まったくお前は何を抜かしているんだ?とでも言いたげである。
 「実戦経験の差がなんだというんだ?それを言うなら勉強ができたってこれといって何が良いというわけでもあるまい。私は一年生の向こう見ずな部分を評価していると言ったのだ。技術云々は上級生になってから自ずとつくものだ。私だって一年生の頃は間抜けで己の力量一つわからない馬鹿だったさ。しかしそれがなんだというのだろうか?」
 仙蔵はむしろ自分に言い聞かせるように堂々と言い放つ。三郎は湯のみを両手で包み込んだまま、己の目の前に座る火薬を使うに秀でた先輩を観察する。仙蔵も、この発言によって己の性格などを分析していることなど百も承知である。むしろ己のこの言葉の中から立花仙蔵という人物をどこまで理解できるのか、仙蔵こそが三郎を観察しているといっても過言ではなかった。
 それ故に、謳うように仙蔵は言う。
 「百聞は一見にしかずという言葉がどれほど正論であるか、それこそ百聞は一見にしかずだろうと思えるほど、私は実習で物事を知った口だからな、もちろん一年生が組対抗で何かしたらは組が勝つことなど百も承知だ。しかし一年生同士の、むしろ忍ではなくただの子供としての発想に秀でた一年生が戦った所で、それは所詮忍の戦いではない。ただの個人的な才能での戦いだ。むしろそれは忍としての戦いになった時ただの重りでしかない。今一年生が学習すべきなのは逸早くこの世に馴れることである、と思わないか?」
 「それ故に向こう見ずを愛でる、ですか」
 「別に愛でてなんていない。私は基本的に誰かを愛でたりはしない。私が他人に覚えるのは敬愛と同格に対する対抗心、そして独占欲だ」
 「そこまで堂々と言うもんですかそれ」
 「私はこういう人間なのでね」
 三郎の観察眼に挑むように仙蔵は笑った。
 「どれ程この忍という生き物が狡猾に生きるかということを見定めることが、一年生の使命であると思う。そもそもこの学園に置いて、忍というものに対する意識というものをどう持つか、というのを決めるのが一年生だ。それ故に私は認識というものに重きをおいている。い組もは組も、もちろんろ組も、年齢的には仕方が無いが、それぞれ良い所を持っていると同時に欠点も多い。三つの組が総合すれば丁度いいのだろうが」
 仙蔵は静かに聞き入る三郎を一度馬鹿にするような目で穿つ。
 「まぁそう上手くいくこともあるまい。色々と面白おかしいことに首を突っ込んで、図太く生きて欲しいところだ。そうだな、冷静だが珍事に一々首を突っ込み、それを逆に面白がるようで自分のペースをまったく揺るがさないような子供になるといいな」
 「へえ」
 「お前が今妙に入れ込んでいる奴とか、私はとてもいいと思うがね」
 「――――――駄目ですよ。先輩には兵太夫とか伝七とかいるじゃないですか」
 口調は柔らかく、しかしどこか緊張した面持ちで、三郎は仙蔵を視線を絡める。仙蔵はそんなあからさまな三郎の反応を見て、一度肩を竦め、何を怯えているんだ?と笑った。
 「私は自分のことを過大評価も過小評価もしないが、お前は私並に独占欲が強いと見える」
 「そうですね。先輩が仰るなら、そうなんでしょう」
 「鉢屋、さっきも言ったが、私の顔でそんな無様な顔をするな。虫唾が走る」
 「―――――すみません」
 ぬるくなった茶を一気に飲み干し、仙蔵は「そろそろ授業が始まるな」と言って立ち上がった。食堂のおばちゃんはどうやら今は野菜を洗いにでも言っているのか彼らの座る場所からは姿が見えない。空になった盆を入り口の棚に戻し、ようやく顔を普段の不破雷蔵のものへと戻した三郎に、それじゃあな、と声を掛けて、仙蔵は廊下へと出ていった。
 入り口付近でふと思い出したかのように、艶やかな長い黒髪を翻し、ああそうだと呆けた顔をした三郎を見つめ、一言、「三郎、お前、私に似ないのは、私を慮ったのか?それとも、お前の技術不足か?」と悪戯に成功した子供のような声音で三郎を嘲笑った。
 「・・・くそっ」
 仙蔵が消えた廊下を睨みつけながら、三郎は毒づいた。未熟な己も、それを手玉に取る仙蔵も、全てが忌々しかった。
 「なんて無様だ・・・鉢屋三郎の名が泣くぞ・・・!」
 時間も忘れて、一人で拳を己の額に押し付け、三郎は己を罵倒する。冷め始めた湯のみが、無音の中、ひたすらに三郎の指先から温度を奪い去っている。はちやせんぱい、と脳髄の隅で幼い子供が三郎を呼んでいた。逃げるように、三郎は立ち上がり、太腿が机にぶつかったせいで湯飲みが倒れ、中に残っていたお茶が机に広がった。仙蔵の笑みと同様に、知らないうちに内側から崩れ始めていた三郎を、気づかないうちに彼を嘲笑っているようであった。
2009/1・10


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