■こたえがほしいわけじゃない

 鉢屋三郎の眼球はひっきりなしに何かを追っている。
 それは彼が変装の天才とまで称される所以の一つで、一般の人間が一つの対象物を視認している時間精一杯を、鉢屋三郎は観察に用いる。初めて会った人間の表情の一つ一つの移り変わりから仕草や喋り方の特徴まで、全てを鉢屋三郎は視る。異常なまでに。
 人に変装する、故に我ありとでも言いたげに。
 あの人の生きる速さに、誰もついてはいけない。
 他人に生まれて他人のままで死に、そしてまた違う人間として生まれて。
 その繰り返し。
 ぼくらはそれを呆けた面で見るしかないのだ。
 無様に地面を這い蹲って。
 「庄左ヱ門」
 ふと気がつけば、木の上に身を潜めていた庄左ヱ門のそのまた上から、人をからかうような声が降ってきた。反動を殺して鉢屋三郎が庄左ヱ門の隣に下りてくる。顔は見慣れた不破雷蔵のものだった。
 「庄左ヱ門みーつけた」
 「見つかっちゃいましたか」
 さほど残念そうでもない声音で、庄左ヱ門は溜息混じりに言った。鉢屋の思いつきで先刻始めた『かくれんぼ』は暇つぶしの類であったからだ。
 彼らが所属する学級委員長委員会は特にこれといった委員会活動を設けていない。忍術学園の長である学園長の突然のきまぐれで起こる変な大会の運営活動が無い場合、通常の委員会活動時間中は学園内の掃除をすることになっていた。掃除が早く終わってしまい、時間を持て余していた三人は「じゃあ三人でかくれんぼでもするか」という鉢屋の唐突な思いつきでかくれんぼに勤しむ羽目になっていた。最初の鬼は言い出した鉢屋である。
 「彦四郎は見つかりましたか?」
 「いや、どうやらちょっと遠くまで行ったみたいでね、まだ見つけてない。まぁ、この私から逃げ切れるとは思えないが」
 そりゃ、五年生から一年生が逃げ切るなんてのは無理じゃないですかね、と庄左ヱ門は思ったが、鉢屋が予想以上にこのかくれんぼを愉しんでいるようで、庄左ヱ門は少し驚いた。かくれんぼをしよう、と言い出したのは鉢屋であるが、5年生である上に成績優秀で天才とまで言われるあの鉢屋三郎が、こんな一年生二人との遊びでこんなに意気揚々とするとは思っていなかったのだ。
 「好きなんですか?」
 「何がだ?庄左ヱ門と彦四郎のことはもちろん大好きだぞ?」
 「違います。かくれんぼです」
 相変わらずの軽口を平然と言ってくる鉢屋を相変わらず子供らしからぬ冷静さで切って返す。すでに庄左ヱ門の反応に馴れたせいか、鉢屋は一度肩を竦め、いや、別にそういう訳ではないけれど、と小さく答えた。
 「この間授業でやったんだよ、かくれんぼ」
 「授業で」
 教師は何を考えてるんだ。
 庄左ヱ門が言わんとしたことを汲み取ってか、鉢屋はいやいやと首を振る。「遊びじゃなくて、本気で」
 「本気のかくれんぼってなんですか」
 「だぁから、実戦形式で。隠れるのは土の中でも屋根裏でも木の上でもどこでも可。変装して逃げてもいいんだよ」
 「つまり潜入して身をくらますことの練習に、かくれんぼですか」
 「庄左ヱ門と会話していると君が一体何年生だったか忘れてしまうときがあるよ」
 「忘れてくださるとありがたいです。貴方と対等になれますから」
 「―――――庄左ヱ門」
 咎めるような鉢屋の声が飛んだ。庄左ヱ門はすぐ隣にるくせに嫌に遠い場所にいる鉢屋との距離が憎くて憎くて仕方がなかった。その距離を無くすためなら自分に出来る限りのことはなんだってする気概だった。
 何年生だか忘れてしまう?じゃあ何年生だと思います?貴方との距離はどれほど詰まりますか。
 「庄左ヱ門、聞け」
 「はい」
 「お前が一生に視る大部分にどれ程の価値があるだろう?」
 隣に視線を移せば、鉢屋は庄左ヱ門の座り込む太い枝の根元にしゃがみこみ、庄左ヱ門を睥睨していた。
 「私が察するにお前はおそらくこの国から出ることはないだろう。弟もいるし、こう言っては何だがいい歳になる祖父がいる。炭屋の跡取りになる道もある。外国に出て技術を得て億万長者になろうという夢があるようにも見えない。そしてこの国に私がいて友がいる。これほどの条件があって、お前は世界でも回って見聞を広めるということをするとは、私には予想ができない」
 「そうですね」
 「お前は世界が自分で思っているよりも美しくそして尊いことを知るだろう。私よりも理解する日がくるだろう。何せあの一年は組の人間なのだから。戦場に活路を見出し忍びの生き方に多くの希望を見出すだろう。私が永遠にできない芸当だ」
 「何を仰りたいんですか」
 「私を追うのはやめなさい」
 さらりと鉢屋は言った。
 「私を追う限り、お前は何にもなれないよ」
 「なぜ」
 「私が何者でもないからさ」
 鉢屋の眼球は今は庄左ヱ門だけを追っていた。二つの瞳が庄左ヱ門の視線と絡み、そして一瞬で離れた。庄左ヱ門が何か言おうとするのを、無言のまま跳ね除ける。いいね、と鉢屋は念を押して言った。庄左ヱ門の縋ろうとするその声を、押し留めるように叱咤する。
 「鉢屋先輩」
 「いい子だ」
 追うような庄左ヱ門の声に首を振り、一度庄左ヱ門の頭を撫でた。はちやせんぱい。唇だけが、鉢屋を追う。
 「彦四郎を探してくる。見つかったら、解散だ」
 「かくれんぼは」
 「もうしない」
 鉢屋は肩を竦めて、木から飛び下り、軽い音を立てて着地した。「お遊びはもうやめよう」
 「私たちは捕まったら死んでしまう生き物なんだから」
 鉢屋は一度綺麗に笑って、あっという間にいなくなってしまった。庄左ヱ門はそれを見送りながら、じゃあ僕はもう死にましたか、と問おうとして、自分の情けなさに一人で泣きそうになってしまった。
2009/1・5


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