■凌霄花の焼け落ちるとき
崩れ落ちる僕の体が、床に倒れる寸前で引き上げられた。
鮮やかな憧憬が頭を殴るような、そんな衝撃に目を見開き、全然力の入れられない体が人に支えられているのに気がつく。
「・・・・・・・・・あ、れ」
「大丈夫ですか!?」
慌てて図書室にいた係の女性が走り寄ってきた。首も動かすことが出来ず、ただ床を見つめ続ける。体を抱きとめる人も確認できずに、僕は目の前の白い机に声を無くすばかりだ。
「何があったんですか?」
「いや、大丈夫でしょう。・・・立てるか?」
ゆっくりと、下向きの体を仰向けにされる。操り人形のようにがくりと動かない体に、首が傾く。
視界が反転して、僕を支えてくれた人を目に映すことが叶えられた。見覚えのある銀髪、修行上の前で見た、あの狐面の暗部。
「・・・・・・はた、け、さ」
「失礼します」
はたけカカシは僕を担ぎ上げると、背中に乗せさせ、片手で支えた。空いたもう片方で少し荒々しく植物図鑑を閉じると、そのまま本棚へと丁寧に戻す。
僕ははたけさんの背中に負ぶさりながら、全然動く気配の無い両腕に力を入れてみた。それでもまるで自分のものでもないかのようにぶらりと宙に垂れているだけで、はたけさんが歩くたびにぶらぶらと揺れてみせた。
「それでは」
「あ、お気をつけ下さい・・・・・・・火影さまをお呼び致しましょうか?」
心配そうに僕とはたけさんを交互にみやる係の人に、はたけさんはひらひらと片手を降って見せ、図書室を後にする。
しばらく誰もいない真っ白い廊下を歩き続け、また、少し前まで横になっていた僕の病室へと戻ってきた。はたけさんは片手で扉を開け、中央に設置されている僕のベッドの上に僕を落とした。
「近頃、よく気を失うね」
「・・・・・・?」
動くことが出来ないので、落とされたときのはたけさんに背を向けた状態で彼の言葉を聞く。
「昨日の修行のとき、お前の腕を俺、切り落としたんだけどねぇ」
やっぱり。
左腕を切り落としたのか、それとも生えてきた木を切ったのか、まぁ大した問題でも無いだろう。痛みも無かったし、斬られた瞬間もとらえられなかった。
はたけさんは、それでも言葉を続ける。
「お前があの後、違う人になった気がしたんだけど」
ゆっくりと、確かめるように。
はたけさんは言った。
「気を失っているはずなのに、お前の体が暴走してね、あの後一乱闘あったわけ。覚えて無いでしょ」
「・・・乱闘?い、いつですか?」
知らない。そんなこと。
僕の慌てた言葉に、はたけさんは小さく哂った。
「覚えてなくていいよ。ねぇテンゾウ」
「・・・・・・・テンゾウって誰です?」
「・・・・え、聞いてない?お前の名前」
今度ははたけさんが素っ頓狂な声を上げる番だった。僕はぼんやりとその名を噛み締める。
はたけさんがふっと気がぬけた笑いを零す声が聞こえた。
ぎしっと音を立てて、はたけさんがベッドに乗り出してきた。
背を向けているせいで、その姿を見ることは叶わない。
人間の急所を全て狙われる程無防備な僕の目の前に、はたけさんの左手がゆっくりと付けられる。
「隠してることが、あるでしょ。お前」
「・・・・・・・・隠して、る?何をですか?」
「・・・・・・・・・・・あのね、お前にそのつもりは無いかもしれないけど」
溜息交じりのはたけさんの声が、耳元に囁かれる。
優しい声だった。
人を殺せるぐらいの。
「お前の本能が、隠そうとすることを、当のお前にとっては「言わなくてもいいこと」に属させようとしてるの。分かる?お前の本能が、お前の隠そうとするのを無意識に言わせないようにしてるわけ。拷問したり尋問したりじゃ、お前のそれは聞き出せない」
だって、脅迫されたって、言わなくていいことも言うようになるわけじゃないからね。
はたけさんは優しく呟く。動かない体のまま、僕は内心冷や汗だらだらだった。
怖い。
ものすごく、怖い。
「な、何するんですか?」
「なぁに」
はたけさんのお面が外されると、はたけさんの腕によって僕の頭が上を向かせられた。必然的にはたけさんと近距離で顔を見合わせる形になる。驚きと恐怖で小さく悲鳴が上がってしまった。
「これから時間をかけて体に慣らすのもいいけれど、お前も相当辛そうだし、それに火影さまに手間をかけさせるのも悪いしね・・・ちょっと、お邪魔させてもらうよ」
「う、う、あ」
はたけさんの、閉じられた左目が開かれる。見たことも無い鮮やかな真紅に一瞬見蕩れた。
そんなこともつかの間。
くるりと廻った眼球と同時に、ぐるりと世界が一転する。
噎せ返る花の芳香が世界を満たした。
「本能の方に聞いた方が早いと思ってね」
暗い世界に、あの少年が立っていた。
体中に蔓と蔦と葉と花を侍らせて。微かに見えるその二つの双眸が、ここに居てはならないはずの、はたけさんを睨みつけていた。
僕から手を離して、少年と対峙するはたけさんは余裕そうに笑って見せると、片手を握手を促すように少年に向けて差し出した。
「どうも、二度目だね」
「は、招かれざる客がきやがった。おい相棒、こいつを早いとこ追い出すぞ。アホ面だしてんじゃねぇ」
少年は鼻ではたけさんを嘲笑すると、僕に顎で促してくる。
いや、いやいやいや。
僕、関係なくない?
心の中で呆然とそう思うと、少年はぐわっと形相変えて、僕に歩み寄ってきた。そのまま力ずくで腕をひっぱられ、立ち上がらせられる。現実じゃないからか、体が動いた。
「あほか!ここはお前の中だろ!一番関係あんのはお前!ないのはあの白髪!ここは俺とお前の世界だろうが!」
「ちょっと。白髪呼ばわりはないんじゃない?それに二人だけの世界とか恥ずかしいこと言わないでよね。どっちかって言うと、居なくなるべきはお前じゃない?ま、今いなくなってもらっちゃ困るんだけど」
はたけさんはのろのろと、しかしそれでも警戒だけは解かずに、僕の腕を掴み上げる少年から僕を離そうとしてきた。
ざわざわと少年の体に絡まる植物が、敵対心を顕にしてはたけさんに牽制のつもりか這い登っていく。
「ちょっ」
「うっせぇ!お前は黙ってろ!いいか、もうこんな奴の幻術なんかかかんじゃねぇぞ。後で散々説教してやる。お前は故郷を思って復讐にだけ走ってりゃいいんだよ。俺が手伝ってやる」
ぐいっと少年の背後に、まるで少年に守られるかのようにひっぱりこまれ、僕はその言葉に声を無くす。
はたけさんがはっとして僕に手を伸ばそうとしてきた。
その手も、少年の出した蔓に阻まれる。
「・・・・・・・・・・・ふくしゅう?」
「ああ。あの蛇野郎、二人で八つ裂きにしてやろうぜ?きっと楽しいだろうなぁ。お前の家族も何もかもを殺したあいつに、俺達が言われた同じ言葉を言ってやろうぜ?」
ぶわりと。
頭の中を何もかもが駆け巡る。
命乞いをする両親に、あの男はなんて言ったのだったっけ。
『虫けらの』
「命乞いなんか」
『誰かが聞くわけが無いでしょう』
「テンゾウ!」
はたけさんが僕を呼んだ。
ちがう。それは、僕の名前じゃない。僕はそんな名前じゃない。
何も知らないくせに。何も理解してはくれないくせに。
「うるさい」
僕は叫ぶ。
「アンタなんて要らない」
僕が欲しいのは、安全な寝床や、貴方のような守ってくれる人や、優しさなんかじゃない。
「あんたなんて、いらない!!」
少年が、僕の友達が、笑ってくれた。
けして、もう見ることは叶わないであろう、親友の顔で。
「でてけ!!」
一瞬の喧騒の後。
暗い僕の世界から優しい銀色が消えた。
「さっすが。相変わらず、友達思いのいい奴で嬉しいぜ」
親しげに、少年の腕が僕の肩に回される。
名前も、全て思い出せていた。
この少年が、どうして死んだのか。
誰のせいで、死んだのか。
僕は小さく笑ってみせて、少年を抱きしめ返した。
人の温度も何も無い。
ただ後悔と悲しみだけが溢れ出て、僕は泣いた。
僕の友達はただ笑っていた。
2007/9・7