■凌霄花の焼け落ちるとき
やっと意識を取り戻した先は、元の病室だった。
まるで何事も無かったかのような左腕をぼんやりとした頭で確認しながら、火影さまの言葉に無言で頷く。
「性急しすぎたかもしれん」
「・・・・・・・・・・」
火影さまは僕の眠るベッドの横に腰掛けたまま、僕を見下ろしていた。部屋の中には火影さまと僕しかいない。
「一週間もすれば、体に馴染んでくる頃だと思っていたのだが・・・読みが甘かったようじゃ。様子を見ながら、落ち着いた頃に修行を再開しよう。それまで、体をしっかりと休めておくのじゃぞ」
「―――――――、僕は」
不安になりながらも、言葉をひねり出す。喉がからからに渇いていた。
「僕は、初代火影さまの力を、操れるようになるんでしょうか」
僕の見つめる先で、火影さまが困ったように笑った。
「なれると思っておる。力というのはの、望んだものが手に入れることができるのだ」
骨ばった老人の手が、ゆるやかに僕の髪を撫ぜた。
「けして簡単な道ではなかろうが、お主は既にその手段と方法が手に入っておる。よいか、貪欲であればあるほど、手に入れるものは大きかろう」
火影さまは、優しく笑う。ふっと頭から手が離された。ぼんやりとその手を目で追う。
でも、僕はそんなもの要らなかった。
僕は優しさなんていらない。だって、僕には今何も無いのに、優しさなんか、享受できるわけないんだ。
「病院内から出ることはできぬが、好きな所へ行くといい。監視は一応つけることになるが」
「はい」
火影さまはそういい残すと、ゆっくりと立ち上がり、そして部屋から出て行った。
その背を見送りながら、僕は未だ気を失う前の情景を瞼に映す。
変貌した左腕。切り捨てられた左腕。殺意を持って彼を襲った左腕。
「・・・・・・・・・・・・・はたけさんは・・・」
怪我、しなかっただろうか。
いや、した筈だ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
謝ろう。
もしかしたら、もう仕事を下りたのかもしれないけれど。
僕は、重い体を引き摺って、外へ出た。
異変は無く、ただ白い廊下が両側に伸びていた。
人の姿は見当たらない。
探す、って言っても、何処に居るのかもわからない。暗部について教わったとおりなら、違う仕事について、今は居ないかもしれないけれど。
そこでふと気がついて、あたりを見回す。やっぱり、人影も無かった。
「・・・・・誰か、暗部の方、居るんですよね?」
とりあえず話しかけてみる。返事も、姿も見ることも出来なかったけれど、おそらく居るんだろう。いなかったら、かなり恥ずかしい。
火影さまの言うとおり、僕を監視する人がどこかにいる筈なんだ。
「はたけさんに、もしも逢えたら、僕が迷惑かけてすみませんって謝りたいって、伝えていただけませんか?」
・・・・・・・・・返事は、無い。
いや、そもそも監視する相手の伝言をなぜわざわざ伝えなければならないのか。
当たり前か・・・・・・。
僕はとりあえずやることも無かったので、あの少年が言っていた通り、ノウゼンカズラについて調べようと思って、病院にある図書室へと足を向けた。
ついてくる足音も無かった。
植物図鑑って、こんなにあるんだ・・・・。
呆然と本棚の前に立ち尽くす。
植物図鑑、と書かれてある分厚い本は、壱から始まり、全部で六まであった。全部が厚さ5cmはありそうな重いものばかりで、どれから見るべきか一瞬躊躇したが、とりあえず壱から抜き出し、備え付けたの机へと向かう。
図書室には、係になっている白い服を着たお姉さんだけしか居らず、僕はがらんと空いた大きなテーブルへと一人で座る。
ばたん、と大きな音を立てて開くと、其処にはア行の頭文字がついた植物が、右から左に向かって所狭しと書かれてあった。僕は一応それに目を通しながら、その中にはア行とカ行の植物しか説明されていないのに気がつく。
ということは、ナ行は、・・・・・・・ア行とカ行が一巻、サ行とタ行が二巻なら、・・・・・三巻、かな。
一巻を棚へと戻し、三巻を引きずり出す。分厚い本をもう一度机へと持っていき、ナ行を探す。そこから、な、に、ぬ、ね、と段々後ろへと帖を捲り、やっと「の」、から始まる場所へと目を留める。
「のう、ぜん・・・・・・・」
字が細かいので、指先で辿りながら一つ一つ確認する。あまり時間もかけずに、僕はその項目を見つけた。
そこには、凌霄花と太字でかかれ、その上に読み方としてノウゼンカズラ、とカナ字で小さく書かれていた。
挿絵に描かれているその花は、夢の中で少年の首元に鮮やかに咲いた、橙色の可愛い花だった。
「・・・・・・・・・・・・・元々生えていた木に寄生して、絞め殺してしまう特性を、持つ」
説明部分を、頭にしっかり留めるように読み上げる。
「いずれは元の木を乗っ取る・・・・・・」
ふと、少年が言っていたことを思い出した。
初代のチャクラに乗っ取られて、そのまま、樹木化してしまう、その、子供達が――――――。
ざわりと、腹のうちが波打った感触を覚えた。
ざわり。
ざわり、ざわり、ざわり、ざわり。
風を孕ませては、緩やかに喧騒を立てる花たちの声が、脳裏で響いた。
響く。
響く。
橙色の海の中、少年が体にノウゼンカズラを絡ませながら振り返る。
咲き乱れるように、笑った。哂った。咲った。
『言っただろう?』
少年がわらう。
『いつか、一緒になる、体なんだから』
みしみしと音を立てて、足元から這い上がってくる橙色の花が。
その、蔓が。蔦が。殺意を持って、僕を締め上げる。
『全部読んだか?なぁ、親友』
僕は、はっと視線を机の上に戻す。
夢の中なのか、それとも、本当のことなのか。
草花が打ち鳴らす音の中で、僕は字を追った。
『 「花上の露目に入れば目暗くなる」―――――――知ってるか?ノウゼンカズラには、光を奪う、毒があるんだぜ』
するりと這い上がる蔓が、僕の瞳に触れられた。
閉ざされる視界の中、少年の微かに見える口元がぐにゃりと歪んだ。
蛇が這い回るような音を立てて、蔓が延びる。
違う、蔓じゃない。
蛇だ。
血肉を捜す大蛇が、僕の腕の中で泣きじゃくる僕の妹を探している。
世界は赤い。こんなにも。
そして酷く惨酷で、酷く無情で、凄惨で、弱者をいつでも蹂躙する。
その摂理を、知っている。
「――――――――――」
おまえのすべてを、わたしがうばう。
廻る世界。落ちる全て。消える大切なものも。指先の温度も。
悲鳴も涙も、救いでさえも。
暗くなる目の前の片隅に、銀色が光る。
「テンゾウ!」
誰だ。
2007/9・6