■凌霄花の焼け落ちるとき
 視界は闇に閉ざされていた。
 上も下も右も左も。当たり前に、前だって後ろだって、暗澹とした黒色に飲まれている。
 「・・・・・・・・・・・・誰か、いません、か」
 それでも誰かを探そうと、一歩踏み出した。そこがちゃんと歩けることに安堵しながら、辺りを注意深く見回しながら歩み始める。
 何故か、この視界の無いと言っても過言では無いこの場所には、己だけでは無いことがわかっていた。人影が見えた訳ではない。人の居る気配なんてのも分からない。それでも。
 この場所には、自分以外の異物が居ることが、何故か分かっていた。
 「どこに―――・・・」
 それが知っている人間なのかなんてことも分からない。それでも足を止めることはしない。
 止まってしまったら、そうだ、あの植物に捕まえられそうだったから―――――。
 後ろだけは見ない。見たくない。

 やっと、目を向けた先にぼんやりと立つ人影を見つけた。
 背を向けていて誰だか分からないが、背格好が己と同じぐらいだった。暗闇の中で麻痺していた薄れた危機感のせいで、慌てて駆け寄る。
 手を肩に掛けようとして、やっとそこで動きを止めた。
 人影は黒い髪をした少年だった。ぼろぼろに薄汚れた白い服をきていた。やせ細った体は虚弱というよりは死に掛けの人間を髣髴とさせる。
 「・・・・・・・・・・・君は」
 「よお」
 少年が振り返った。

 黒く濁った両目の縁から、まるで涙を垂らしたかのように細い蔦が頬を伝ってしゅるしゅると伸びている。まるで蛇がその身を食い破って外へと出るようにその葉をくねらせ、少年はにやぁ、と笑って見せた。
 悲鳴を上げることすら忘れて、己に酷似している少年を見つめる。
 少年は声も出せずに見つめてくる己をふん、と鼻で笑うと、「見つけてくれたと思えば、これか」と嘲笑い、既に五本の指からざわざわと植物を生やした、既に肉の見えない手を、己の左肩にぽん、と乗せた。

 「仲良くしようぜ。これから一緒になるんだからよ」

 途端、左肩に何とも言えない不思議な感触がして、ふっと手の乗せられている肩を見る。
 少年の手から生えた植物が、まるで生き物のように己の肩に絡みついたかと思うと、そのままずるりと痛みも覚えさせず、己の中へと入り込んできた。






 「――――――っ、わぁああああっ!」
 「!!」
 ばさっと体を包んでいた布団を引き剥がし、身を起こした。
 ベッドの中だった。黒いというよりも白い場所だった。はっ、はっ、と荒い呼吸が止まない。
 「はっ、はぁ、は、はっ、はぁっ、はぁっ」
 「・・・・・・・大丈夫?」
 「はぁ、はぁ、は、・・・・・はっ」
 ぽん、と背中に手を当てられて、やっと人が居ることに気がつく。自分の右側で己の顔を覗き込んできている男が居た。
 見たことも無い銀色の髪をしている。鼻ごと口元を黒い布で隠しているが、それでも顔が整っている形をしているのは明白だった。左目を閉じた状態で、まるでウインクをしたまま固まってるような感じだが、それが平常時ですとでも言うような自然な様子だったので、片目を閉じることに馴れているのか右目でしか己を見てきていなかった。左目にはその上を奔った傷がある。
 「・・・・・・・・・・・・だ」
 誰だろうか。
 というか、むしろここは何処だろうか。
 はっとして周りを見回してみる。窓が大きな、開けた部屋だった。ベッドの横に設置されている椅子は二つ。棚もあり、その上にはぺちゃんこになった点滴のパックが放置されてあった。
 「貴方、誰ですか・・・・・・?というか、ここは、・・・・・・僕は、・・・・・・・・・・なんで僕、え?」
 「え?」
 男も驚きながら首を傾げた。何故貴方が首を傾げる。傾げたいのはこっちだ。・・・いや、おかしいのはこっちか。
 何が何だか理解できずに、おろおろと所在なさげに視線を宙に漂わす。男はきょとりとこっちを見ていたが、恐らく目覚めたばかりで混乱しているのだろうと踏んだのか、「ちょっと人を呼んでくるから」と言って立ち上がった。
 ふっと、やっとこの男が一回前に目覚めた時に老人や女性と一緒にいた男達の片方だということに気がついた。呼んで来るのは老人か女性だろう。
 ならば、大人しく待っているのが得策だろう。この人たちは、あの暗い穴倉の中に居た蛇のような男達とは違う気がした。
 分かりました、と一応返答して、男が出て行くのを見送る。
 しかし。

 言葉とは裏腹に、己の腕は勝手に男の服を反射的に掴んで、男が退出しようとするのを止めていた。

 「・・・え」
 「・・・・・・・あ、え?・・・・・っ、すっすみません!」
 ばっ、と手を離して、驚いて見下ろしてくる男の視線から逃げるように俯く。何をしているんだ僕は。
 それでも、恐る恐る男を伺う。銀髪の男はぽかん、という風に己を見下ろしていたが、少しだけ考えると己の頭に頭を置いてきた。そのまま、くしゃりと撫でられる。
 「俺の名前ね、はたけカカシっていうの」
 「・・・・・・・・・へ?」
 予想もしていなかった自己紹介に、口を半開きのまま男を見上げる。良く見ると、結構若いことに気がついた。
 男の方が確実に己より年上だということは分かるが、それほど違いが無い。見ると体の形が分かりやすい黒い衣類に覆われた男は、男というより少年と称したほうが当てはまるようで、かなり細身だった。それなりに筋肉の付いた引き絞られたような華奢な腕を己の頭から離し、まるでさっきの自己紹介がなかったかのように、呆然とする己の前でふらりと男は部屋から出て行った。
 「・・・・・・・・・・」
 ぱたん、と閉められた扉を見ながら、男が己の聞いた質問にだけ答えたことに気がついた。
 誰、というか名前よりも何者なのかが知りたかったのだが、頭に乗せられた掌がまるであやされるような優しい手だったのにぼうっとして、心の中で男の名前を復唱する。
 はたけカカシ。
 「・・・・・・・・・・・・変な名前」
 思わず全てを忘れてそんな言葉が口からぽろりと出てしまって、僕は悪夢の中の出来事も忘れて、まるで生まれて初めて笑ったかのような感覚で、ふと笑みが零せた。
 もしかして、己が彼を引きとめたのが、まだ質問に答えていないと怒ったのかと勘違いしたのではないかと思えるほど、さっきの男はどこか抜けているように見えたからだ。
2007/8・20


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