■凌霄花の焼け落ちるとき
 「――――――、は」

 目を覚ますと、そこは透明な入れ物の中ではなく、正方形のマスが整然とはりつけてある天井だった。薬品の匂いが鼻腔を擽る。暗い穴倉のような場所ではない。窓は無かったが、部屋の中は正方形で固められる天井に取り付けられてある電灯で照らされていた。
 ふかふかの枕によって軽く頭が上げられていて、視線を下に移すと自分の体が確認できた。胸から下が白い布団で覆われているが、その上に出された両腕には点滴用のチューブが右腕2本、左腕一本、上へ向かって伸びていた。
 恐る恐る、指先に力を込める。ぴくりと痙攣するように動いて、ああ、この体と腕は繋がっているのだと思った。
 喉がひりついていて、呼吸はできるが上手く声が出なかった。口内が寝起きのあめた感触がした。唾液の味と言われてもぴんと来ないのかもしれないが、朝起きて歯磨きもせずにご飯を食べるときの味のようなものだ。
 右手の先をはっとして見やるが、そこに恐れていた緑も紅も見当たらなくて、ほっと溜息を吐く。
 
 ずっと暗い夜の中を彷徨って、手の先から植物になる悪夢を見ていた。

 大丈夫だ。己は人だ。
 ぐっと手を握り締め、その感触に安堵する。
 それにしても、ここは何処なのだろうか。ふと気がついて辺りを見回すも、そこに見知った風景は見当たらなかった。
 何も無いにも程がある。密室、というのが一番当てはまるような気がする。
 生活用品どころが、ゴミ一つ見当たらない。がらんとした静謐な部屋の中には、己の身一つと、己の横たわるベッドと、両側に立っている点滴の薬品の詰まったパックがぶら下がっているそれだけで。
 ―――――、立てるだろうか。
 ぐ、と体に力を入れてみるが、毛布があり得ないほど重い気がした。ずしりと身にのしかかって、下半身が動かない。
 どうしようか?
 点滴がある、ということはここは病院等ではないのだろうか。ならば、点滴用のパックを変えなければならないということだ。透明なこのビニルの入れ物がぺちゃんこになったら、取り替えるか外すために人が来るだろう。
 視線を点滴のパックに目を移す。結構無くなっていた。左腕の一つだけが取り替えたばかりのようにパンパンだったが、チューブとパックを繋ぐ膨らんだ容器にぽたぽたと水滴が垂れているものは結構早かった。
 これが全部終わるまでの時間なんか全然分からなかったが、それでも永遠に放置は無いだろう。
 というよりも、己は助かったのだろうか。
 ふと、その事実に気がついてみる。遅すぎる考えだ。
 そう、己がずっと閉じ込められていた湿った空気の入れ物の陳列されている部屋の中しか己は見たことが無い。もしかしたら部屋が移されてこれからまた変な薬でも入れられるのではないか?
 その事実に喉が引き攣った。そうだ。何をそんな安心しているのだ。
 この点滴が、いいものとは限らないじゃないか。助かった?本当に?
 何を助かったというのか。何が助かったというのか。
 突然気がついたその疑問に全身が粟立つ。

 逃げなければならない。

 恐怖が正常な思考を狂わせた。軋む体に顔を顰めさせながら体を起こした。頭がみしっ、と圧迫されるような音を立てたが、そんなこと知るか。
 体を起こそうと無理な体勢を取ると、ずる、と点滴の針が動いた。
 「ぃ、・・・・・・・」
 痛みが脳に響く。ほら、点滴はやっぱり痛い。
 でも、そんな痛みなんて、今までの恐怖と比べればクソ以下だ。点滴を抑えるガーゼをびり、と取り外し、点滴のチューブを抜き取る。痛い。
 右腕二本、左腕一本を抜き取り、じくじくと痛む腕を放置したまま体をベッドから出そうと身を捩る。足が麻痺して動かないせいで、ベッドから落ちてしまった。
 べちっ、とタイルに体を叩きつけてベッドからは脱出した。
 服は容器に入れられている時と違っていた。あのときはただ白い頭からかぶって着る様な形のシャツに膝丈までのハーフパンツだった。今は前が開くような着物風の白い上着に、踝までの長いズボンだった。腕からじわりと溢れた血が長袖の上着を汚す。
 知ったことか。
 ベッドに手を置き、立ち上がるように身を起こす。右足ががくがくと震えるが、左足がいち早く感覚を覚えてきた。左足を軸にして、ベッドに手をやり立ち上がれた。
 「はっ、はぁ、かはっ・・・・・・はっ」
 ぜぇぜぇと息が乱れる。苦しくて、頭の奥がぼんやりしてきた。すっと視線をあたりに見回すと、本当に何も無かった。ベッドだけ、だ。
 しかしそこで、少年は四つの異物に気がついた。部屋の床に、まるでベッドを四角に囲むようにして札が貼られている。ぽかんとそれを見つめるが、その札からは字がはみ出ていて、床にまで墨で何か描かれていた。描かれていた、といっても、少年にとっては見たことも無い変なもの、という印象しかもてない。ああ、神社とかに貼られているものに似ている、としか思えなかった。
 「ふ、・・・・・・く」
 息を吐いて、一歩踏み出す。部屋唯一の扉に向かって。出て、とりあえず安全かどうかを確認するんだ。こんな所で死ぬのを待つなんてやってられない。例えあれが己を助けてくれるものだとしても、この場所がそう病院なんてのだとは思えなかった。
 これは監禁だ。窓が無いなんておかしい。それに、少年の記憶の中で微かに思い出されるその病院というのにはナースコールと呼ばれる人を呼ぶ装置があるはずだ。
 それに。
 少年の記憶の中で、長髪の男が思い出される。
 蛇に睨まれた蛙を思い出すあの恐怖を与えてきたあの男には、誰も勝てない気がした。誰よりも恐ろしい雰囲気。人を人として見ていない。あんな人間のいる場所から、誰が助けてくれるというのだ。
 ずる、ずる、と右足を引き摺るように扉へと向かう。あと5歩ぐらいでつきそうなとき、ふと、少年に異変が起こった。
 ぐにゃりとまるで空間の歪む、というべきか奇妙な感覚が身に起こった後、踏み出された左足付近から、ぱきっと音がしたのだ。
 「――――――・・・?」
 視線を足元へと向けると、瞬間少年の顔に恐怖が刻まれる。
 冷たい床を割って出てきたのは緑の鮮やかな植物だ。ぱき、ぱき、と音を立てて次々と溢れ出てくる。
 「あっ、ぁ、あああ、うぁあああああああっ!!!」
 記憶の中で指先を割って出てきた植物がフラッシュバックする。腰が抜けてしりもちをついてしまうが、植物は生えるのを止まることが無かった。植物は蔦のように茶色の枝を少年の左足に絡めると、まるで血管を這い渡るように細くみしみしと少年の足にしがみついてきた。左足の親指から始まり、するすると澱みない動きでついに踝まで到達する。そこまできたと思えばまだ止まることをやめずするすると上に這い上がり、ついに脛部分を覆ってしまいそうになった。
 「わぁああああっ!」
 手で払い、千切ってそれを止めようとするも、切れたそこからどんどんこちらへと詰め寄ってきた。
 埒があかない、と止めるためにどうにかしようと考えをめぐらす。そこでやっと、そういえば、札の貼ってある場所から外に出るといきなり生え出したことに気がついた。すぐに足を引っ張って内側に入ろうとするも、左足の膝までがひっかかって出ることが叶わなかった。
 「あ、ああああ、はなっ、離して・・・!」
 左足から植物を引き剥がそうと右腕を伸ばすと、ぱきっ、と音を立てて指先が変形した。変形した、というよりは何かが突き出てきたというべきか。
 緑色の、地面から生えれば可愛いと思える双葉が、右手の人差し指を突き破っていた。
 「―――――――・・・・っ、あっあああああっ!!!あああああああああああ!!!」
 「なんじゃ!どうした!」
 突然、意識からすっとばしていた扉が勢い良く開いた。涙で歪んだ視界に、白い服を着た老人と、仮面をつけた黒衣の人間二人、そして薄い金色の髪をした女性が慌てて部屋に入ってきていた。
 少年の状態を見ると、ぎょっとして全員が言葉を無くす。
 「あっ、あああう、うっ、た、助けて・・・」
 「落ち着け!興奮すると勢いが早くなる!」
 一番最初に正気に戻ったらしい女性が機敏な動きで素早く少年に近づいた。跪いて、泣きじゃくるその背に手を置き、優しく撫でてやる。
 「ゆっくり呼吸して、大丈夫だ。この植物はお前には危害を加えることは無い」
 「あっ、あ、あああ」
 「大丈夫だ!」
 ぎゅう、と抱きしめられて、少年がはっ、はっと荒い呼吸をしながらぼんやりと女性を見上げた。女性は焦った心を落ち着かせながら、「大丈夫だよ」と呟き、己の上着を手早く脱ぎ、少年の左足にかけた。そして少年の右手を掴み、少年の目の前へと誘う。
 「いいか、これはお前の手だ。指先はどうなっている?」
 「はっ、あ、う」
 女性はぎゅっと少年の植物の突き破る人差し指を握った。少年の視界から植物が消えた。
 「親指を見るんだ」
 「ふっ、う、う、」
 少年は嗚咽を上げながら親指を見つめた。「次に小指を見ろ」と女性に言われると、視線を小指に移す。段々呼吸が収まってきた。
 「その隣を見て、・・・・そして中指。これはお前の手だ。人差し指は?」
 「・・・・・は、」
 ぱっと女性が人差し指から手を離した。人差し指はいつもの少年のまだ小さな指先に戻っていた。
 「いいか、大丈夫だからな。右足を見るんだ」
 「く、は」
 ひゅ、と少年がゆっくり息を吐きながら、段々感覚の戻ってきていた右足を見る。どれほどあの容器の中にいたのか分からないが、日の当たっていないせいで酷く色をなくしていた。
 ぐいっ、と女性が右足の踝近くを親指で押した。びしっ、と少年の右足が痛みを覚える。
 「っ、い、た」
 「痛いな?」
 女性は少年の様子を確かめながら、左足に掛かっていた上着を取り外した。右足を反転したかのような左足が放り出されていた。慌てて少年が左足を抱える。
 「はっ、はっ、はっ」
 「ふー・・・・・」
 かたかたと震えながら縮こまる少年に以上が無いか確認して、女性が少年の背から手を離した。
 「まさかこんなに早く起きるなんて思ってなかったし、もう歩けるなんて思ってもなかったよ・・・もう平気だ」
 「一時はどうなるかと思ったわ・・・しばらく、本人に封印をかけとくべきじゃな」
 「・・・・・・・・・・っと」
 どさりと突然倒れた少年を、女性が慌てて受け止める。少年は青い顔をしてぐったりとしていて、忍に見られるチャクラ不足の様子そのものだった。
 「部屋も変えるべきだね。・・・危ないとはいえ、子供をこんな部屋に一人放置しとくなんて、逃げ出したくもなるだろ」
 「それも、そうじゃな・・・危ないこともしないよう監視もつけるべきかのぉ・・・」
 「まぁそれぐらいはするべきだろ。忍の子じゃないみたいだ。きっと気配にも気づかないだろうしね」
 老人は待機していた暗部に、部屋を用意するようにと、医療忍者を呼んで来いと命令する。一人が微かに頭を垂れ、すっと影に消えた。残った銀髪の暗部が、女性に呼ばれて少年に近づく。
 老人も少年に近づき、少年の体にチャクラが出すことができないような封をかける。
 それを身ながら、女性は暗部に向き合った。
 「・・・カカシ、今日は部屋の用意と休ませる準備ができるまでお前がこの子を見てな。三代目が術をかけたから、見てるだけでいいから」
 「了解しました」
 「任せたよ」
 女性はそういい終えると、床に放置していた上着をひっつかみ、足早に部屋を去っていく。その背を見送りながら、術を終えた老人が身を起こす。やれやれと肩を竦めると、少年を抱き起こし暗部に預けた。
 「まだ微かに息のある者もいる。綱出の奴もなかなか見に来ることもできんかもしれん。お前が暗部の中から何人か腕のいい奴を選んでこの子の警備に当たってくれ。お前だけでも構わんが・・・」
 「じゃ、俺だけでやらせていただけますか。知り合いが大蛇丸を捕まえるためにどいつもこいつも引っ張っていっちゃいまして」
 「ああ。ワシも落ち着いたら見にくるからの。お前も、根をつけつぎるなよ」
 「ありがとうございます」
 部屋を出て行く老人を見送りながら、暗部の男はふと少年を見下ろした。ぼろぼろと頬を涙や汗で濡らす少年は起きる気配が無い。
 「悪いな・・・俺じゃ役に立てなくて」
 少年を起こさないように足音も立てずに廊下に出ると、そのまま先程出て行った暗部が呼ぶほうへ歩いていった。
 
2007/8・19


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