■墓石に刻んだ僕の名を
 しとしとと降り続く雨が、戦の終わりの炎を消していく。山の向こうから立ち上る灰色の煙を吸い込んで、暗く淀んだ雲が広がっていく。
 「先輩」
 煙の向こう、瓦解した建物の隙間にしゃがみ込む銀髪を見つけて、テンゾウは声を掛けた。
 血を吸い込んで赤黒く染まった地面が、雨をも吸い込んで黒く滲んでいる。踏んだ地面に軽く足が沈んで、重い音が響いた。戦闘によって熱を持った体が雨によって冷めていく。
 戦争と言っても過言ではない、大規模な戦によって約一ヶ月にも渡り人の命が奪われ続けた。形式上では木の葉隠れの忍が手を出せない状態であったが故、暗部のみが秘密裏に暗躍することだった。
 最終的には泥仕合に近いような、忍も一般人も関係のない、凄惨な戦いになってしまったが、ついに先日雨隠れの大名一族全滅という形で終止符が打たれた。
 5歳ほどの子供ですら手に凶器を持つような、目を覆いたくなるような惨状だったが、結局テンゾウもカカシも死ぬことは無かった。暗部の被害も甚大だったが、戦の規模からすればまだ軽い方だったようだ。
 「何してるんですか」
 「ん」
 テンゾウが歩み寄れば、どうやら建物の下にあるものをどうしようかと見ているようだった。この村は戦火が及ぶ前に人々に山へ逃げるよう政令が出されていたので、恐らく死者はいない筈だ。地面にしゃがみ込むカカシの背後から、覗き込むようにして崩れた家の隙間へ視線を向ければ、もぞもぞと小さな生き物が蠢いているのが見えた。
 「―――――猫」
 「うん」
 奇跡的にも、壊れた建物に下敷きにされることもなく、その隙間に雌猫が蹲っていた。みゃあみゃあと小さな泣き声を延々叫び続けている。その腹に小さな体を押し付けあっている、毛も生えていない小さな生き物もいた。――――子供だ。
 「こんな状況で産んだんですね」
 「そうだね。たくましいね」
 周りには攻めてきた軍隊の人間の死体がごろごろしている。何十人と屠ってきたのは己も含め、木の葉の暗部などだ。この近くでも殺した気がするから、あれはもしかして僕が殺したものかもしれない、とテンゾウは胴体が千切れている死体をふと眺めて思った。
 「でも、死んでしまうね」
 「・・・・・・そうですね」
 しとしとと振り続ける雨は確実に彼らの体力を奪っていくだろう。食べ物もなく、世話をしてくれる人も居ない。にゃあ、にゃあ、と普段ならば可愛いと思う泣き声が、助けを請う絶叫に聞こえてくる気さえしてくる。
 手を伸ばすことなんて当たり前だけれどできないし、きっとカカシが手を伸ばせばそれを制するのはテンゾウだ。この戦では木の葉の暗部が戦に参加しているということを感づかれてはならない。一切の痕跡を残してはならないし、誰かを助けてもいけない。
 猫ぐらい、などと言われるかもしれないが、少しの気の緩みが何かを瓦解させるということをテンゾウとカカシはよく分かっている。これから帰る途中だって、猫に気を取られて何が起こるかなんても分からないし、もしも死んでしまった場合、結局どこかに置いていくことになっても、痕跡が残ることとなる。
 助けたのにどうせその手で殺して燃やす嵌めになることだってある。本末転倒だ。
 「あ」
 カカシとテンゾウが見守る先で、一匹の小さな命がぴくりとも動いてないことに気がついた。死んだ。単純な結論が頭に浮かび、一層他の猫の鳴き声が大きくなる。
 「テンゾウ」
 「はい」
 「人の死を悲しまないのに猫の死に悲しむ俺ってやっぱり駄目かな」
 何が駄目かなんて分からない。立ち竦むテンゾウから、カカシの表情は伺えない。
 「敵に悲しむことはないですよ」
 「味方が死んだのにあまり悲しくないって言ったらどうする?」
 「・・・・・・・・」
 ふと思い出されるのは初めて会ったに近い同僚達だ。目の前で奪われていく命相手に持った感情は、死にたくない、ということのみ。相手の命を奪うのに躍起になって、背後で命をなくした男のことを、テンゾウは果たして振り返っただろうか。
 「・・・・・猫が死んだの、悲しいんですか?」
 「・・・んー、実を言うと、よくわかんないな」
 肩を竦めてカカシは言う。
 「でも、悲しんであげるならさ、今すぐ他に生きてる子猫を助けようと躍起になるべきじゃないかな。子猫が死んで悲しいのに、まだ俺は任務の為に、この子達を救おうと手を伸ばす気も起きない」
 「そうですか」
 「こういうの、偽善っていうのかな」
 小さく首を傾げながら立ち上がったカカシの顔を無表情に見つめ、テンゾウはそっと言った。
 「子猫を救う事が善きこととは限らないのでは?」
 「でも、それは確実に悪じゃない」
 カカシの指がテンゾウの頬を伝った雨を拭う。意味なんてないだろうに、と小さく笑い、テンゾウは続けた。
 「子猫が死んだことによって鼠がそれを食料とするかもしれません。そうすれば鼠は生き残ることができる。生き残らせることが善き事ならば、カカシ先輩は鼠を生かしたことによって善人になれる。違いますか?」
 「・・・・・・そんなのは、言い訳だよ」
 カカシはそんな淡々としたテンゾウの理論に苦笑を零した。テンゾウは泣きそうにも見えるカカシに笑みを見せながら、冷たい手を握り締めた。
 「僕はただ貴方が少しでも苦しまなければいいと思っているだけです」
 「自己満足だ」
 「そんな駄目な人間はお嫌いですか」
 テンゾウの言葉は酷く柔らかだ。既に冷え切った体を押し付けあって、カカシはテンゾウの頭を無言で撫でた。
 「好きだよ。―――――お前が死ななくて、良かった」
 それも自己満足でしょう。テンゾウはカカシに肩に額を押し付けたまま小さく笑い、「お互い様です、」と泣きそうな声で無事を喜んだ。
2008/2・26


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