■逢引偽造
 あ、とカカシは目の前にいた男に気がついて足を止めた。
 白い整然とされた薄暗い廊下の続く、暗部関連の棟になっている懐かしい場所にカカシは久しぶりに来ていた。
 暗部時代は毎日のように歩いていたこの場所も、今となっては記憶も薄れてきている。
 任務後などに返り血や自分の血で汚れてしまっている状態でこの白い廊下を歩くのはかなり気がひけていたのは覚えていたが、(後ほど聞いたが、棟内を汚さないように、業と汚れの目立つ白で統一しているらしい。無意識的に、この場所へ任務終了の報告するときに一度身を正してから来るようにさせるための方法だったそうだが、任務で汚れがどうしたという認識になっている暗部にはあまり意味が無かったそうだ)今となってはあまり思い出したくない記憶が殆どだ。
 任務には基本的に誇りを持っていたし、例えそれが汚れ役のようなものだとしても、木の葉の忍の一人として暗部で居ることには良い経験になっているとも思う。それでも、今更思うと己は暗部には向いていないのではないかと思うぐらいだ。
 その中でも、良い記憶というのは必ずある。暗部を抜けた後もちょくちょく会ったりしている仲のいい後輩がいるのだ。
 その信頼できる後輩であるテンゾウは、カカシの視線の先、廊下の右側への曲がり角の所で、壁に背をつけて立っていた。
 「てんぞ・・・」

 「それとこれとは話が違うでしょう」

 カカシが声を掛けようとすると、いくらか怒気の篭ったテンゾウの声がそれに被さった。つい言葉と途切れさせ、ぽかんと見てしまう。
 どうやら、カカシの死角になっている場所には誰か居るらしい。テンゾウは感情のあまり出ない表情を珍しく怒りに染めていて、眉根に皺を寄せていた。あからさまに相手に怒っている。
 猫みたいだな、と心の底で思いながら、いつ己に気がつくだろうかと、カカシは少しだけテンゾウたちの会話を聞こうと足を止めて気配を消した。

 「確かに、今回足を引っ張る結果にさせてしまったのは僕のせいですが、謝罪はした筈です。見返りを求めるなんて、そこまでの問題では無いと思います。何故今回に限ってそんなことを要求するんです?今までの小隊でも、そういうことを言ってきたんですか?」
 「・・・・・・・はは、お前でも怒ることがあるんだな」

 カカシには見えない場所から、声だけが響いてきた。低い、恐らく己よりも年上の忍だろうと察する。テンゾウが敬語を使っているところからして、もしかしたら先輩の奴かも、と推測しながら、知っている限りの暗部の面々を思い出す。
 でもまぁ、テンゾウは基本的に初対面の人とか、年が上の人には皆敬語だし、先輩というわけでも無いかな、とも思う。
 男のからかう様な言葉に、テンゾウがむっと顔を顰めた。本当に怒っているようだった。
 
 「感情の無い、根っからの暗部であるべき人のような人間が居るわけが無いでしょう。見た目や下馬評で人一人、全て知った気にならないで欲しいですね」
 「ふ・・・・・冗談だとでも頑として避けるとでも思ってたんだがな。本当みたいじゃないか」

 ぴくりと、脳が反射したというよりは体が反応したように、テンゾウの右手が痙攣した。しかしそれも、握ることによって男への危害を殺す。

 「まぁ、男と付き合う男なんて、大して問題じゃないしな・・・今更そんなん誰も気にしねぇよ。むしろ、女と普通に付き合うほうが、暗部の中じゃ珍しい方だが」
 「だから?貴方が男色だとかそんなことはどうでもいいですが、それを任務での失敗に託けて迫るなんて、忍以前の問題ですよ。遊びで男を抱いてみたいとか抱かれてみたいとか、どっちかは聞きませんけど、気になるんだったらそういうお店にでも行ってきたらどうです?」

 ・・・・男色とか、抱くとか抱かれたいとか、えええちょっと何話しちゃってんの君達。
 話の内容に気づき始めながらも、何でそんなのを二人で話してるのかと呆然とするカカシに気づかず、テンゾウと男は段々と険悪なムードになってきていた。

 「遊びとは言うじゃねぇか。なぁテンゾウ、俺は結構お前のこと気に入ってんだぜ・・・?」
 
 すっと、男の右手だけが角から見えて、テンゾウの肩を通り越し、背後の壁に手をつかれた。テンゾウは呆れたような視線を男の右手に移し、しかしそれでもすぐに男を睨む。

 「僕は」
 「・・・・・・――――――――!!!」
 
 次の瞬間、男の手が衝撃を受けたように素早くテンゾウの隣から引かれた。はっとしてテンゾウも視線を男から外す。
 ついに耐えられなくなったカカシが、にこやかに笑みを浮かべながら歩いてきた所だった。
 「え、せ、せんぱい?」
 「よ、ちょっと久しぶりだねぇ、テンゾウ」
 ひらひらと気軽気に手を振って、カカシがのんびりとテンゾウの肩によりかかる。驚きでぱくぱくと口を開け閉めするテンゾウが酷く可愛らしく、カカシはにこにこと浮かばせる笑みに、幸せそうな気の抜けた笑みも含ませた。
 「里で気が抜けてんのはいいけどね、気配ぐらいは気をつけなきゃ」
 「すみません、ちょっと、取り乱して、て・・・」
 おろおろと汗を滲ませて後退するテンゾウに、圧し掛かるようにして詰め寄る。先程の会話が聞かれたことに気がついたのだろう。視線を逸らしたままだ。
 「で、アンタは俺の可愛い後輩と何話してたのかな?」
 「っ―――――――、いやっ、あのっ」
 男は、どうやらカカシよりも年上のようだったが、暗部暦としてはカカシの下につく人間だった。過去に何度か見たことがある。
 「んー?」
 「カカシ先輩っ!」
 ぐわっ、と、黙っていたテンゾウがカカシの肩を掴んで顔を向き合わせた。突然の後輩の行動に反応することもできずに、右目を見開きぱちぱちと瞬きする。
 「何?・・・・・・あ」
 「・・・・・・はぁ」
 一瞬気を抜いた瞬間、テンゾウに詰め寄っていた男が消えていた。テンゾウも安心したように溜息を吐き、「いきなり掴んですみません」と謝罪しながら肩の手を離し、申し訳無さそうに頭を下げる。
 今のはあの男を逃がすためだったのかと気がついて、逆にテンゾウの肩を掴み上げる。
 「なーんで、逃がしたのかなぁ?」
 「うっ・・・・・・・いや、今の人、次の任務でも小隊長役になる人なんで、トラブルは少ない方がいいなぁ・・・と、思いまして・・・・」
 語尾が段々消え入る。悪いと思っているのだろう。
 カカシは面白く無さそうに顔を顰めると、テンゾウの肩から両手を外し、くしゃりと頭を撫でる。
 「何の話してたの?」
 「えー、あー、・・・・・・・・・そのですね」
 たじたじになりながら、テンゾウはカカシから視線を逸らしたまま、言い難そうに答える。
 「今回の任務で、ちょっと、隊の一人が危険にさらされまして・・・任務に少し支障をきたして、助けにいったんです。言い訳っぽいですけど、ちゃんと任務は成功しました、が、やっぱり危ない目にもあったんで、謝ったんですけど・・・」
 過去のカカシの教えを忠実に守っている返答に、じわりと心が温かくなったのを感じた。カカシは即座にテンゾウを褒めてやりたい気になったが、話の続きを促すように無言で待つ。
 「結構僕、こういうことを、その・・・先輩と組んでた名残でやっちゃうんですが・・・いや、先輩の方針が良いことは分かってます。分かってるからこそやるんですけど、やっぱり許されない方じゃないですか。なので、次の長期任務のときにちょっと・・・・まぁさっきの会話内容を誘われまして」
 「お詫びとして?」
 「らしいですが」
 恐らくあの男、前々から狙ってたのではなかろうか。わざわざ理由付けまでしやがって、なんということを・・・。
 カカシから苛々したような気配がゆらりと立ち上るのに、慌ててテンゾウが落ち着かせようと口を開く。喧嘩でも起こされたら堪らない。
 「っていうか、テンゾウ、すっぱり断りなよ。まさか、期待してたんじゃないよね・・・」
 「馬鹿なこと言わないで下さいっ」
 するりと首筋にカカシの白い手が這わされて、慌ててテンゾウが身を捩る。かっと顔を赤くすると、言い難そうに説明した。
 「・・・最初、あの人、カカシ先輩を紹介してくれって言ったんです。それは駄目だって拒否したので、二回も続けて言うのにも苦しいなと思って、二回目の要望はどうにか落ち着かせようとしたんですけど、カカシ先輩ぐらい口達者にはなれませんでした・・・」
 「俺に任せてくれれば、力ずくでも説教してやったのに・・・」
 「駄目ですって・・・!!そ、それより、先輩、何をしにこんな所まで?」
 会話を逸らそうと、苦し紛れに思いつく質問を零す。カカシは、必死で話を逸らそうとする後輩の姿に免じて、とりあえず持っていた巻物を見せる。
 「火影さまに渡しにね。こっちに来てるって聞いたから」
 「あ、それなら寮の方です。案内しますよ。え、っと、アカデミーの生徒のこと、教えてもらえますか?」
 完璧に脱線した会話を選ぶテンゾウに、まぁいいかと溜息を吐きながら、前を歩く耳元にそっと囁く。
 「久しぶりに、テンゾウが誰のものか、根底から教えてあげるよ」
 「っ――――――――!」
 ばっと耳を押さえて、テンゾウが臨戦態勢に入る。ほんとに動きが猫みたいだと思って、にこやかに首元を撫でてやると、ううう、と情け無い声を上げて、黒猫が喘いだ。
 
2007/8・31


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