■空気に溶けた呪い
 かちかちと時計の音が止まることなく流れていたが、音の立つことの許されない病室では嫌に五月蝿かった。時間通りに行動しなければならない任務だったが故に、時計が五月蝿いのはあまり深い問題ではないのだが、ヤマトは過去の偉大な先輩と二人きりというこの状況に、心臓の音なんだか時計の音なんだかさっぱり分からず、ただ口を閉じて相手が何か話すのを待つ限りだ。
 その偉大な先輩は暗部時代読んでいなかった近頃本屋で見かける18禁小説を無言で読んでいる。
 なんだこれ。新手の試練か?もしくは僕を試してるんですか先輩!!という緊張感溢れるこの状況だが、その試練を与えさせていると勘違いされている当人は小説を読むのに余念が無い。もしかしてこの人、僕が今ここに居るのを無視してるんだろうか・・・とヤマトが思い始めた頃、カカシはやっとふー、と溜息を吐きながら本を閉じた。溜息を吐きたいのはむしろこっちですよと反射的に思ったが、カカシがすいっと視線をヤマトに向けてきたものだから、ヤマトは昔の名残で居住まいを正した。
 「遅かったね」
 「――――――・・・九尾のことですか」
 何のことですか、と言いそうになったが、ここは先読みしないといけないかと思いつく限りの遅い判断を指摘してみる。それが丁度良く当たったらしく、カカシはうん、と頷いた。
 「実際の所、ナルトの九尾を重要視するんだったら、俺が上忍としてスリーマンセルの隊長するより、お前が隊長なった方がいいと思ってたんだけど・・・それが叶ったのは俺がそれを思ってから4年後とはね」
 「ナルトの封印がそう簡単に解ける訳が無いというお考えだったんでしょうね、三代目は。それに、実際15歳になるまで、というか今もまだ封印は解けずにいる訳ですし」
 というか、むしろ己が引っ張り出されるこの状況の方がありえないのではないかと思う。暁やら砂の一尾との交戦など、ナルトが普通に九尾のチャクラを使わずに生きていれば、現在己が隊長としてつくことも無かっただろう。
 四代目の息子ということで、元々持っているチャクラは目の前に居る天才と呼ばれる男のチャクラの量を遥かに凌ぐ。今更九尾がなんたらというよりもともとの力で腕を上げれば、何も問題は無いのではないだろうか?
 しかし、今更そんなこと言ってももう遅い。
 この後門の前でそのナルト達と初の面会だ。暗部の根から来た腕の立つ忍も来るらしいし、不安で不安で仕方が無い。
 「それに、カカシせんぱ・・・カカシさんが、隊長になったのは素晴らしい判断だったと思いますよ。というよりは、それしか道が無かったのかもしれませんが。僕は、子供に何か教えたりするのは、不向きですし」
 過去のせいで他人とのコミュニケーションも苦手だというのに、子供相手なんてのはもっと駄目だ。大蛇丸の研究所から助け出された後も、細胞の暴走や元々合わないチャクラを無理やり詰め込まれたことによっての拒絶反応で、小さい頃なんか会う人全てが医療忍者ばかりだった。まともな子供時代を過ごすことのできなかった人間が、子供の気持ちなど分かるわけも無い。
 「あのねぇ・・・子供子供言ってるけど、ナルト達はもう15だよ?中忍・・・いや、ナルトは下忍だけど。サクラっていう頭の良い・・・偶に暴走するけど、子も居るし。まぁ―――、根の子は知らないけどさ。大丈夫だよ」
 「色々と心配すべき台詞が沢山聞こえたんですけど・・・まぁ、できる限りはやらせていただくつもりですけどね・・・」
 「そう、その意気だ。負けちゃ駄目だよテンゾウ。いつだってここで応援してるからね」
 「18禁小説読んでですか?」
 「失敬な。他にもやるよ。体が鈍らないように筋トレとか」
 筋トレとか18禁小説読みながら、応援されるとは・・・。
 「はいはい、分かりましたよ・・・せ、カカシさんはここでエロ本読みながら筋トレして足でも攣っててください」
 「ええー!今なんか呪いの言葉挟まったよ!・・・あとさ、先輩って言うかカカシさんっていうかどっちかに決めたら?」
 「先輩は僕のことをテンゾウって呼ばずにヤマトって読んでくださいね」
 「じゃあテンゾウは俺のことをカカシ様って呼んでね」
 「意味わかんないですよ・・・」
 会話脱線しすぎ。
 煩わしい時計の音に急かされるように腰を浮かし、そろそろ退室しようと頭を垂れようとすると、ぐいっと腕を引っ張られた。
 病人の上に長い付き合いの知り合いだったが故にまったくといっていいほど警戒していなかったせいか、引っ張られるがままにベッドにつんのめる様にして片足を乗り上げてしまう。そのベッドに横になる男の足を踏んでしまうと一瞬が体が引き攣ったが、まさかそんな馬鹿な真似はしないだろう、カカシは動きづらいベッドの中で身を引いた。
 「なんですか・・・僕遅刻魔で有名なカカシ様の二の舞にはなりたく無いんですが」
 「お前ね・・・ちょっと怒るとすぐ馬鹿にするような言い方になるの良くないよ?大人にならなきゃテンゾウくん」
 「だからヤマトですってば・・・」
 まったく進展しない。試しに掴まれた腕を引っ張ってみるが、手を緩める気は無いらしい。逆にカカシの腕までついて来そうになって、慌てて戻した。病人という立ち位置を利用して後輩の任務の邪魔をするとは・・・予想もつかない嫌な性格してるなぁ、とヤマトは改めて色んな意味で有名だった暗部の大先輩を心の中で褒めちぎった。
 「いってらっしゃいのキスをしてあげよう。おいで」
 ぐいっと腕を引っ張られるが、過去に味わったその力よりも遥かに優しく、天才でも体の病弱さにはけして勝てないのかと思い知る。
 今ちょっとだけ力を加えればカカシに特に怪我をさせることなく逃げることもできるが、不思議なことに逃げようとは思いつけなかった。
 「ちゃんと効力もあるから。そう嫌な顔しなさんな」
 「効力?まさか安全祈願じゃないでしょう」
 「うん。むしろ呪い?」
 にやりと口を覆う布越しに、カカシの口元が歪んだ。
 「ヤマトが命をはってでも俺の仲間を守ってくれるように」
 「・・・言われずとも」
 分かってますよ、という続きの言葉は「本当に?」と艶やかに笑うカカシの笑みに殺される。
 「俺の仲間はナルトとサクラとサスケと、見たことも無い根の子と、お前と、木の葉を愛したすべての人だよ?分かってた?」
 「・・・・・・・・・成る程、確かに、呪いですね」
 呆れたように溜息を吐いて、ヤマトはゆるりと頭を降った。カカシに引き寄せられるというよりは自分から乗り出すようにベッドの背にもう片方の手をついて、そのままにカカシの額にキスを落とす。
 「え」
 「・・・・・・・元々僕は木の葉を愛する全ての人に恩を返すつもりなので、別にカカシ先輩からそんな怖い呪いかけてもらう必要なんて、無いです」
 驚いて離された腕で苦し紛れに顔を抑えるが、ぽかんと見上げるカカシの視線によって、ヤマトの頬が紅潮していく。
 「ふふふ、じゃあ今のキスは?テンゾウのキスにはなんか効力とかあんの?」
 「・・・ヤマトです。こ、効力は、無いと思いますけど、でも、カカシ先輩が早く自分の手で木の葉を守れるように祈っておきましたから」
 ぐ、とヤマトが怒るようにカカシを指差していった。
 カカシはその答えに一層笑みを深くして、えへへと嬉しそうに声を出して笑う。
 「効くといいね。っていうか、きっと効いちゃうね。ふふ、ふふふふふ、テンゾーは若いなぁー」
 「くっ、先に子供みたいなこと言ったのは先輩の癖に・・・」
 苦し紛れにぶつぶつ呟きながら、ヤマトは逃げるように病室を後にしようと扉に向かって歩いていく。その背を見送りながら、幸せそうにカカシが哂う。
 「俺の大切な奴らを、宜しくね」
 向けられた声に返答は無かったけれど、カカシは安心しながら睡魔に身を任せて瞼を閉じた。
2007/8・9


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