■正しさたずさえ君はどこ行く

 どさどさ、と大きな音を立てて降り積もった雪が木から落ちた。ぎょっとして振り向いた金吾の手を構わず引っ張る小平太が、「いやぁ、降ったなぁ」とにこにこしながら大きな声で言った。
 「先輩。七松先輩」
 「どうした」
 小平太の歩く早さについていけず、小走りになる金吾が堪えきれず小平太を呼べば、楽しくて仕方が無い様子で鼻と頬を真っ赤にしながらきょとんとした視線を送る。「はやい、はやいです」と息も絶え絶えに金吾が叫ぶ。
 「走れば暖かくなるぞ」
 「むしろ暑いぐらいです、だから、ちょっと休みましょう」
 寒いなんて一言も言っていないのに、七松は目を大きく見開いて、そうか、疲れたか?と遅すぎる台詞を吐いた。疲れました。凄く疲れました。足ががくがくします。金吾ははぁはぁとひっきりなしに口から白い息を吐いて、小平太の大きな手に縋った。
 「じゃぁ休むか」
 小平太は金吾を俵を担ぐようにして肩に乗せ、近くの岩の上に飛び乗り、二人分の座れる場所を雪をどかして設けると、そこに二人で腰掛けた。
 昨日の夜中に大量に降り積もった雪は金吾の腰近くまであった。近年稀にみる大雪である。朝早くから学園長から金楽寺の和尚さんの所へ行って雪かきを手伝って来いと頼まれた小平太と金吾は、先生から言われていた雪かき場所を滝夜叉丸や三之助や四郎兵衛達に任せて、飛び出すように出てきたのだった。初めは金吾が一人か二人連れて行ってきなさいとおつかいを頼まれたのだが、それを近くで聞いていた小平太が我先にと金吾を担いで出てきたのだった。お使いを頼まれたのが今やどちらかわかったものではない。
 金楽寺に行ってみれば学園よりも降ってないようで、二刻も掛からずある程度の雪かきを終えることができたので、小平太と金吾はおしるこを頂いて帰る途中であった。
 「学園の雪かきは終わったかな」
 「そうですね・・・もう終わったと思いますよ。学園総出ですし。帰るときは丁度お昼ですかね」
 「腹減ったな」
 「朝からずっと動きっぱなしですしね」
 おしるこだけでは腹は膨れない。冬以外の季節であれば、どこかの木の実を拝借するという手もあるのだが。道の途中にある茶店も、今日は雪かきに追われて店どころではないようだ。



 身を寄せ合いじっとしていたが、会話がないことに痺れを切らして、金吾は最近噂されている話について聞いてみることにした。時間を潰すには丁度良いし、事実金吾も気になる内容である。小平太はぼんやりと雪の積もった畑の上をうろうろとする鴉を観察していた。
 「七松先輩、就職決まりました?」
 「ん?おお」
 「すごいですね」
 小平太はんー、と煮え切らない返事をしながらがりがりと頭を掻き、「いや、仙蔵達はもっと早かったしなぁ」と苦笑交じりで言った。
 「どこですか?」
 「伊作と同じとこ」
 「善法寺先輩と?中在家先輩とではなく?」
 「長次は福富家の用心棒になるらしいよ。ついでに南蛮船から送られてくる本の物色もできるって喜んでた」
 「ああ・・・」
 「伊作と同じところに入れたのは私的には良かったかな、伊作と一緒にいれば多分死なないし」
 「死ぬって」
 大げさな言い分に、金吾は少し笑った。この人の口から人間の生き死にについて語られる日が来ようとは。金吾の反応を他所に、小平太は珍しく真面目な顔をしていた。
 「いやだ」
 「うん?」
 「そういう顔、しないでください」
 そんな、大人みたいな顔。
 金吾の泣きそうな声に驚いた顔をして、小平太は快活に笑って見せた。
 「似合わないか」
 「似合いません。僕の知ってる七松先輩は、」
 「でもなぁ、金吾。ずっと笑ってるわけにはいかないだろう」
 そんな解りきってること聞きたくなんて無い。金吾は叫びそうになった。
 冷たい空気に冷やされた世界の中、春を待ち焦がれて銀世界の中に梅の花が咲いていた。太陽に溶かされて雪が水滴に変わっている。肩に触れる小平太の体温が、酷く遠いもののように思えた。
 「七松先輩、死なないでください」 
 「無茶言うなよ金吾」
 「七松先輩」
 縋るような声を上げる金吾の背中を撫でて、小平太はすっくと立ち上がり、座り込んだままの金吾に手を差し伸べた。
 「そろそろ帰ろう」
 どこへ?
 貴方は居なくなるのにどこへ帰るんですか。
 突然、ぼろぼろと金吾の頬を伝って熱い液体が両目から零れた。歪んだ世界で小平太が子供の我侭に困ったような、大人の表情をしていた。
 そんな顔をしないでください。解りきったことに対して割り切った顔をしないでください。そんなのになりたかったんですか。僕はそんなのになりたくないのに。
 どこへいくんですか。人を殺しに行くんですか。せんぱい。ななまつせんぱい。
 小平太の大きな掌が金吾の頬を包んだ。じわりと熱を持つ頬と、冷たい空気に冷やされて氷のように濡れる涙が鬩ぎあって、小平太の手はあっという間に冷えてしまった。
 「泣き虫は変わらんなぁ、金吾」
 貴方は変わってしまった!ほんの少し前まで、子供のように皆と走り回って、手を伸ばせば触れられる距離に居たのに。
 「せんぱい、しなないで」
 「金吾。我侭言っちゃだめだ」
 「しなないで」
 我侭なんて言わないでください僕らはまだ子供のはずなのに。大人みたいに、そんな一言で僕らを否定しないでください。
 こんなことなら、ずっと戻らなくていいのに。
2009/1・5


TOP