■アイシ log 1
 モチーフとしては博物館なのだろうなぁとは思うけれど、マルコには嫌に白いこの真四角の建造物が病院のようにしか感じられなかった。
 外やらに恐竜の白骨像が設置されているほど、この学校のイメージは恐竜が強いことは知っている。(アメフトのチーム名だなんてそのまんまダイナソーズだし)
 確かに己らに似合う生物であろうと認めるが(その代表となる人間が最も近くに居るし)、この清潔感あふれる白いスクエアは血に飢える獣なんて彷彿とさせない。
 恐竜の力というのは単純に凶暴で、最強だ。
 狼やらライオンやらの方がまだ頭を使うだろう。
 作戦など考える必要なく、絶対的なその力は小賢しさも必要なく敵を潰すのだ。
 「(そうだ。勝つことが正義で、それならば力が正義になりえる)」
 力哉だけの力ではなく。ダイナソーズは上まで上り詰めるのだ。
 マルコは校舎から眼を逸らし、練習場へと足を進める。

 「(それなら、手段も厭わない。例え―――)」

 歩く後に轢き殺される屍しか残らずとも。

 マルコ 06.9.24



駆け込むように自宅の玄関まで走る。
もう雨はかからないが、体の芯まで冷え切っていたマルコは走ってきた勢いで扉を開け、後から続いてやって来た力哉を中に招き入れてから扉を閉めた。
耳元で鳴り響いていたざあざあという雨音が、壁一枚隔てたせいでぼんやりとした音に変わる。酷い静寂に、自分の荒い息遣いと力哉の「やれやれ」という声、そして体から滴り落ちる水滴が床に叩きつけられるぱたぱたという音が響いた気がした。
「あー酷い目にあった」
「お前が傘さえ持ってきてりゃあな」
「なんで最初から俺の傘頼りなんだっちゅう話。ってか持ってきてたよ。氷室に貸しただけだ」
荷物を床に下ろし、上着を脱ぐ。濡れたせいではらはらと顔に降ってくる前髪を掻き揚げて、マルコは溜息を吐いた。
悲しいことに、母は外出中らしい。鍵がかかっていなかったということは、父が家に居るのかもしれないが、息子が帰ってきただけで確認しにくるような面倒見の良い人ではない。大雨だろうが大雪だろうが雷が鳴っていようが、特に気にしない性質の男だ。
「お前相変わらず氷室に甘ぇな」
「は?」
呆れたような声音で上から降ってきた力哉の声に、ああ、さっきの傘かと気づく。
「雨の日に傘もささずに女の子を帰すほど、俺は冷たくねぇの」
「氷室だけにじゃねぇのかよ」
「俺博愛主義だから」
「男には冷たいくせにな」
「男はいいんだよ」
いい加減玄関で話しているわけにもいかず(下手して風邪を引いたら、部の連中に迷惑をかける上、怒られてしまう)(力哉ほど丈夫にできていないんだから)、とりあえずタオルを取ってこようと力哉を連れてバスルームに向かった。
力哉も勝手知ったる他人の家がごとく、平然としてマルコの後を歩いていく。どうせだからシャワーでも浴びていってもらおうか。中途半端に濡れたまま追い出そうとして、丁度良く母親に鉢合わせしたら叱られるだろうし。
体に張り付く衣服に顔を顰めながら、やっとついたバスルームの棚から、タオルを何枚か取り出し、力哉に投げる。
ああ、うっかりしていたが、歩いてきた場所が普通に濡れている。これはどっちにしても注意されるなーと床を眺めながら己の頭を拭いていると、力哉の手が己の頭に添えられた。
驚きつつも振り返り、じっと見下ろしてくる力哉を見上げて、マルコは訝しげな顔をする。
「・・・・・何?どうした」
「・・・・・・・・・・・・・・・・雨って、禿げるらしいな」
「暗に俺がハゲやすいとでも言いてぇのか」
沈黙の後に発せられた言葉にカチンと来て問う。
「雨に当たったっちゅうならお前もだろ」
「俺は、毛根が強いんだよ」
一体どういう会話をしているんだよと問いたくなるような応答を繰り返しながら(マルコはそうとう苛ついている)、ふと力哉はマルコの濡れた髪を指先で掬った。
綺麗な蒼と。
「・・・・・・お前毛ぇ細ぇじゃねぇか」
「いつからお前俺を虐めるようになったんだ・・・」
まるで息子の反抗期を見ている親になった気分だと嘯いてみせるマルコに、お前の息子になった覚えはねぇよと呟きながら髪を離した。
白い肌は、寒いのか凍えているせいでいつもより青白く見える。
ぱたりと水滴が落ちた。
「帰る」
「はぁ?服乾いてから帰れよ。っちゅうかシャワーぐらい・・・」
「いらん。お前こそさっさと着替えろ。死にそうだぞ」
肩に引っ掛けていたタオルを棚にかけて、己の荷物を持って力哉は出て行った。
その背中を見送りながら、マルコは小さく舌打ちする。
「根性無しめ・・・」

 力円はプラトニックだよね! 07.2.11



どこかで見たことがある、青だ。
峨王は昼休み時に屋上へと上り、一人でぼんやりと空を見上げていた。騒がしいのは好きだが、静かなのも、嫌いじゃない。
非常に良く晴れた快晴だった。雲と空の蒼が凄まじいほど違っていて、こう見ると雲が逆に蒼を穢しているようにもとれる、と思う。
でもまぁ、雲があるから青もこれぐらい引き立つのだとまたぼんやりと思い返しては、さて、とまた考えに耽る。
どこかで見た気がする蒼と、空の蒼が非常に酷似しているのだ。見慣れている気がする蒼でもあるから、もやもやは一層強くなる。
さぁ、どこで見たのだったか。
いつも見ている気もするが。
峨王はしばらく空を見てじっとしていたが、流石に昼食も食い終わり見続けるのにも飽きたのか、徐に立ち上がり教室へと戻った。
結局蒼の行方は分からずじまいだったが、非常に好きなこの透き通った蒼は、いつでも見れる気がしてならなかったから、峨王はそれよりも今日の部活では何をするか、そっちの方へと脳を働かした。
(本人が思っているより明らかに、空は既に峨王の掌の内にある。)

 二つの空の行方。 07.7.17



橙色が足元から這い上がってきて、視界を明るく彩る。
少し肌寒い秋の空気が肺に入ってきて、私は目の前を3mほど間を開けて歩くマルコを見た。彼は振り向くことなく、半分壊れた薄いノートパソコンを片手に歩いて行く。遅れないように、置いて行かれないように少しだけ早歩きでその背を追った。
彼の制服の上着が風を孕んでふわりと揺れる。橙色と灰色が目の前でちかちかと瞬いた。
峨王はすでに一足早く帰ったようで、辺りにはヴィーナスフォートから帰るカップルや、または向かうカップルが多く、間を空けて歩く私達はもしかしたら喧嘩中の恋人同士なのかもしれないとくだらない考えが頭をよぎった。私の方が、どちらかというか振られそうな方なのだろうな、と思って。
「峨王の奴も参ったもんだな・・・どこでも壊すから」
唐突に、マルコは少し呆れた声音で呟いた。大暴れする子供を見るような声だったから、ああ、彼にとってはあれは遊びなのか、と気づく。頭の奥が痛みを覚えるほど酷く冷たくなって、次に搾り出された私の声は震えていた。
「・・・・・・貴方が連れてきたの?」
「うん?峨王のこと?・・・まぁ、今更隠すこともねぇっちゅう話だしな」
苦笑も交えて、彼は言った。私は気づいてしまった彼らしくない姿に、静かな恐怖を覚える。彼は今にでも私が望む言葉を言ってくれたなら、どれだれ救われることか。
「・・・・・・・怒っているわよね」
「んー・・・まぁ、ここまで徹底してやってきたからな。お前のある意味裏切り行為?には、まぁ、哀しいかもな」
「ごめんなさい」
私は素直にただそう返すと、彼は笑って言った。想像よりも優しい目だったから、私はまた手を握る。掌の汗が、じわりと脳をとろけさせる気が、する。
「いいよ。もう、やらないだろ?」
静かな脅迫。信頼は呪いだと誰かが言っていた。私が深く頷くと、マルコは楽しそうに笑った。そして私に背を向けて、そしてまた歩き出す。
いつの間にか止めてしまった足に鞭打って、彼の歩く道を追い続ける。
彼の前には峨王もここを歩いたのだろうな、と思って、まるで今まで勝ち進んできた道のようだと思った。ただ、彼の歩く広い道を歩いていく。恋人達の横をすれ違っていく。道を自然に切り開いていく。
彼の背中をぼんやりとした意識の内側で見ていても、彼は結局私の望む言葉を言ってはくれない。
知っている。
彼は敵を目の前にしたとき、身内に目はけして向けてくれない。
しかしそれでも勘の良い彼はふと振り向き、遅すぎる声を私にかけた。
「怪我はなかった?」
ああ―――なにもかも遅すぎるのだ。
私はくらくらする頭をゆっくり左右に振った。彼は私の考えていることを気づいているのか気づいていないのか、そう、と一言呟くと安心したような顔で微笑み橙色の道を緩やかに歩いていってしまう。
爛れた赤に似ている。私はやっと気がついて、ああ、と溜息に近い嘆きの声を小さく上げた。

 怖いマルコ 07.7.24



「何だこれ」
部室に入ってきて早々、峨王が嫌そうな声を上げた。
視線の先には、扉に一番近い、氷室が良く好んで使うテーブルがある。窓から差し込む日の光が丁度良く、春先ではここで居眠りする部員を氷室が追い払うシーンを良く見る場所だ。
その、邪魔になりそうでならなさそうな微妙な位置に、水の入れられたコーラの瓶に花が一本生けられていたのだ。
白い、どこにでもありそうなそれだが、不思議なことに茎の部分が踏まれたように潰れていて、繊維のような縦に割れた緑の線が、水の中でゆらゆらと揺れていた。
「誰だこれ持ってきたの」
「氷室じゃないのか?そこの机って基本的に氷室しか使わないだろ?」
「え、氷室さんは僕と一緒に来たけど、そのときにはもうあったよ」
部員の一人が当たり前のように首を傾げたが、如月が途中で驚いたように返答する。花を生けるだなんてそんなことする奴なんて部員のなかでは想像もつかなかったから、消去法であれやこれやと人を上げてみるも、全て途中で思考を止めるしかなかった。
「マルコじゃねぇのか?コーラの瓶ってマルコだけだろ?」
「マルコが花ぁ?」
ええー、と不満げな顔をして、全身でその意見に反対だということを告げる。
それに、コーラの瓶なんて、マルコがいつでもどこでも飲む故にあちこちに瓶が放置されているのだ。結局ちゃんと片付けるが、瓶はペットボトルよりこの白秋アメフト部周辺では手に入りやすいと言える。
「だってよぉ、あいつ試合する相手チームに前もって花とか贈るんだろ?」
「いや・・・それはお前、餞っていうか・・・マルコが花持ってるのは別に想像つくけどさぁ」
着替え中の部員は氷室が持ってきたもんだと思ってたが故に気にしなかったが、マルコが持ってきたとなれば話は別らしい。納得のいかなさそうな顔をするが、一人が動きを止めてぽつりと言ってみる。
「マルコが花を愛でる姿が思い浮かばないっつーか」
「・・・・・・・た、確かに・・・?」
花はよく人にプレゼントするのは知っている。その姿が様になっているのも分かる。花束を手に持つ姿が似合うのも分かる。が。
「花を愛でるマルコ・・・なんか口に出すだけで歯が浮くような気がすんだけど」
「如月が花を愛でるのは分かるけどなー」
「何ですかそれ・・・」
褒められてるのか馬鹿にされているのか怪しいが、一応つっこんでおく。
「マルコくんは、花を愛でるのが似合わないというよりは生物を愛でるのが似合わないというか・・・」
「お前何気に酷いこと言うな・・・」
部員達の考察を頭の隅で聞きながら、ぼんやりと峨王は己のロッカー前で着替えを始めた。話し合いに参加するにも内容がアホくさいと思う。
「犬が寄ってきたら撫でてあげるし、猫がやってきたら首元をくすぐってあげるし、子供のボールがやってきたら返してあげるとか、そういうのは容易に想像つくんですけど、愛でるっていうレベルをするのは、何も思いつきませんよね」
それぐらい、マルコのことを、何も分からない。
峨王は早々にユニフォームに着替えると、ああだこうだと話し合う部員達の間をすり抜けて外へと出た。部室の前でいつものようにコーラを飲んでいたマルコと鉢合わせる。
「お、なんだ。他の皆は?遅くないか?」
「・・・マルコ」
不思議そうに首を傾げるマルコを見下ろし、峨王は一言教えてやった。
「潰れた部分をそのままにして生けると、すぐに腐って枯れるぞ」
「えっ、マジで!?」
愛でるのが似合わない以前に、こいつは愛で方を知らないのではないかと、峨王はマルコの驚いた顔をぼんやり見ながら思った。

 手折られる日を夢見ている 07.8.08



 峨王はけして己が望まないことはしてはこない。
 髪を撫でるその優しい手が、優越感ともどかしさを与えてくる。
 峨王にとって自分が特別だということが、いつでもどこでも分かる。しかし、それでも峨王は己に強制はしてはこないのだ。
 いつだって。先に折れるのは俺の方で。
 「な、峨王、今日家に・・・」
 きっと、体よりも先に心が喰われてしまったのだ。

 自分を見下ろす獣が、血に飢えて口元を愉悦に歪ませる。

 力マル 07.9.01
2007/10・03


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