■暗澹の日
 皆が寝静まったダイグレンの一室。
 もしかしたら数名は、ほんの何時間前かの出来事についてのショックにより意識を眠りの中に深く沈めることができず、部屋でじっとしているかもしれない。しかし、ダイグレンの中をうろつく人間が居ないことだけは確かだ。
 明りのつけられないその部屋の中には、一つのベッドがおいてあり、その上には傷口を塞がれ血を拭われた男の遺体が安置されていた。体を白い布が覆い隠し、天井近くにある窓からは叩きつけられる雨粒が次々に流れ落ちていく。
 突然、その部屋の扉が開き、廊下から漏れた長方形の明りが男が寝かされたままのベッド少し手前を橙色に照らした。入り口に立ち尽くす少年の幼い影が引き伸ばされ、橙色の明りに暗澹とした暗闇を落とす。
 しばらく、少年は呆然とした表情で白い布に覆われた彼だと思われるそれを視線の先に映すと、導かれるようにのろのろと足を前へと引き摺り、歩み出した。
 滑らかな肌触りの白い布は、両腕ではがし取るというよりは少年の微かな力だけで引っ張ることにより、重力に従い男の体の上から滑り落ちる。
 既に人の形を保った肉塊となった男の体は、その全身を露わにさせても、男特有の青い髪を崩れさせただけで、少年が望むように「なんだぁ?」と呟きながらのんびりとその双眸を開けることは、けして、無かった。
 動かない男の体を見下ろし、少年はふと彼が胸元で手を組まされていることに気がつき、黙ってそれを外させた。誰かに祈ることなんて似合わないのに、誰がアニキらしくないことを死んでしまった今やらせたのだろうと憤慨した気持ちがどろどろと湧き上がってくるが、ふと触れた男の手が異様に冷たいという事実に絶句し、反射的に外した両手を取り落とす。
 ざあざあと煩わしい雨音は確実に少年の意識を奪うようにじっくりと時間を掛けて耳を犯していく。少年の意識の中の、男の言葉を全て奪い去るように。
 「―――――――、」
 少年を脅かすのは男を失うという恐怖、何も守れないという絶望、ただ指先が求める誰かの熱が、全て両親の手のように何も訴えてはくれなくなるという事実だ。
 少年の奥歯がかちかちと音を立て、男の両腕に触れていた、人生の殆どを穴掘りに費やしてきた少年の両手が一気に体温を失う。
 そこで突然、少年は寝台に両手と片足をかけ、身を乗り出し、男の腕を持ち上げると己の背中へと回させ、己の背中で手首を交差させた。
 冷たい男の体と、重い死体の腕に押されるように、男の体の上へと体を乗せる。少年の腕は男の体に縋りつくように抱きしめた。死後硬直によって固まった男の体と、血が巡らないせいで完全に無機物と化したかのような冷たさを持つ男に、己の体温を分け与えるかのように少年は男の遺体を抱きしめ続ける。
 どうしてこんなことになったのだろうかなどという後悔は既に思うには遅すぎ、哀しくも少年には大人にならなければならない選択肢を迫られている。
 少年はただ動かない男の腕の中でもはや尽きたと思われた涙を流し、ひりひりと痛み始めた引き攣る喉で嗚咽を上げた。
 開いたままだった扉が、ついに自動で閉まり、室内は再び暗闇に沈む。

 その情景は、皮肉にも全ての始まりが起こった彼らの生まれ故郷での村で、男が少年を地震から守ってくれた姿に酷似していた。
2007/11・11


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