■グレラガ log1
 ゆっくりと落とされた口付けに言葉を無くし、沈黙のまま身を離した親友を見上げれば、逆にロシウは困ったような顔でシモンを見下ろした。
「そんな顔を、しないでください」
どんな顔を、しているというのだ。
自然と顔が歪む気がすれば、「すみません」とロシウが謝った。
「すみません。――――――すみません、シモンさん」
謝罪は繰り返される。うな垂れたまま、ロシウが踵を返した。出て行くつもりだ。シモンは思う。
だが、とめる言葉も思いつかない。口付けをした理由は?問いただしたいのに、言葉は喉の粘膜に絡まってごくりと飲み干された。
「ろしう、」
声はかすれる。扉の前でロシウが足を止めた。
「俺のことが好きなのか?」
愚問だ。ロシウは答えない。答えないまま―――――出て行ってしまった。扉が閉まり、広すぎる部屋に一人、取り残された。
「・・・それとも、嫌いなのか?」
口元を押さえ、残った感触に眉を顰めれば、ロシウの表情が脳裏に浮かんだ。どうして泣きそうな顔をするのだ。どうして何も言ってくれないのだ。
「・・・・・・」
取り落としてしまったペンのインクが、書類に黒い染みを作っていた。俺のせいではないと思いつつ、その染みを凝視する。ペンを移動させることを忘れてしまえば、その滲みはじわりと沈んだ。

 ロシモ 2007/12/20



「君はニアという少女が本当は嫌いなんじゃないのかな?」
男はにやにやと薄気味悪い笑顔を顔に貼り付けたまま言った。
「俺が思うに、君は《兄貴》という人が存命時、彼にべったりだったはずだ。愛するべきは《兄貴》一人であり、尊敬するべきは《兄貴》一人であり、頼るべきは《兄貴》一人であり、縋るべきは《兄貴》一人であったはずだ。それが彼女の父の配下によりまるであっさりと世界の中心をごっそりと抜き取られた時――――君は憎悪したはずだ。それは自分の無力さでもあり、殺した敵でもあり、《兄貴》が死んでしまったときのうのうと生きている全ての生き物に対して、君は憎悪したはずだよ。否とは言わせない。《兄貴》という人が君の中でどれだけ大切なのかを考えれもみればね。それ故に、その怒りをただ戦闘行為という名の暴力で発散し、・・・しかしまぁその行為も自慰に均しく空しく霧散したわけだが――――君は結局その少女に出会い―――――そして救われた」
男は続けた。
「その救いがどれ程君を救ったのかなんてのは、未だに救われもしない俺には計り知れないほど幸福であるかは想像もつかないが、君はとにかく幸福であったはずだ。それは《兄貴》が生きていた頃に味わった幸福であり、君とって幸福を与え続けた《兄貴》という存在は、そのニアという少女の存在によって唯一無二ではなくなったはずだ。それがどれほど――――その君という存在の中で《兄貴》という人物が薄れたのかは、俺には分からない。しかし君は思うだろう。『ニアが俺の中に存在として現れても、兄貴は兄貴であり兄貴の存在は薄れもしなければ消えもしない』―――と。それは分かる。大体《兄貴》は17歳の青少年であり男であり君を引っ張り続けとにかく押し上げてきた。対してニアという少女は14歳の少女であり女であり君が守らなければならない、とにかく力にならなければならないと逆に君が力を貸す存在だ。しかし、君、真逆ということはつまり結局は同じということだよ」
男は続ける。
「君は俺の話を聞いて思うはずだ。「会っても居ない人のことを分かったように、何を言うんだ」とね。確かに、俺は君の《兄貴》がどれほど格好いいかなんて君からの惚気を何時間聞いたとしても、理解できるのは1割にも満たないだろうし、ニアという少女にしても俺が理解できるのはどれほど可愛いかぐらいだろう。しかしまぁ元々少女の愛らしさには少々詳しい俺が今更少女の可愛さに目覚めるなんてことは特にないだろうが―――君は思うだろう。「知った風な口を聞くな」とね。しかし俺が今知った風にしてるのは、《兄貴》でもなくニアという少女でもなく、目の前にいる君の事についてだけなんだよ。シモン君」
男は続きを言う。
「話を戻そう――――かつての君は『兄貴が死んだときのうのうと生き続けていた全ての生物に相応の罰でも下れば良い』―――まぁ其処まで思わなかったかもしれないが、少なくとも、『兄貴が死んだとき幸福だった奴が許せない』と、まぁ今思えば理不尽かもしれない思いを抱いたはずだ。その思いが届いたわけではあるまいが、ニアという少女は父親に捨てられた。君がいなければけして開かない箱に詰められて。そして君は、《兄貴》を失った悲しみに暮れながらも、その少女に同情したはずだ。誰かに捨てられたなんて、哀しすぎる。と。何故なら君は『残される悲しみ』というものがどれ程苦しいか悲しいか切ないか、もっと幼い頃から知っていた。だから彼女のために尽くそうとした。そして結果―――彼女に救われることになった。つまり君は、『《兄貴》を思って喪に服すことをやめた』」
男は、喋り続ける。
「それが悪いこととは言わないさ。むしろ良い事だろう。少なからず、君が救われ未来に足を踏み出したとき、周りの人間は喜んだはずだ。しかし、君は心のどこかで理解していた。周りが喜んだのを知り、君はこれからのことに意思を向けると同時に、『《兄貴》が死んだことに対して未だ喪に服していたのは、既に自分だけだったのだ』という事実に。《兄貴》は既に世界にとっては『亡くなってしまった英雄』であり、『彼が生きていたら』などという仮定は捨てられていた。縋っていたのは、君だけだった」
男は、男は――――。
「君は戦いの最中、思っただろう。『もしもニアに会っていなければ、自分は《兄貴》を追い続けることになっていただろう』と。君はその事実に畏怖したが、どこかでそれを望んでいたはずだ。今やその《兄貴》は君のその心に共に生きつづけることとなったが、君は思ったはずだ。『《兄貴》の背を追い続けるのは、なんて素敵なことだろう』と」
俺は何も言わずに、男の言葉を聴き続ける。
「停滞とは、安心だよ。シモン君。事実、幼い君は《兄貴》の背を追うのが酷く快感だった筈だ。いつまでも追い続けたいと思ったはずだ。《兄貴》と共に居る自分こそが《自分》であり、《シモン》という一個人は《カミナ》という人物をもって形成されるということを、君は信じていたからだ。そして《カミナ》が無くなった後、《シモン》は形成することができなくなり、居もしない《カミナ》を一人で追い続けることとなった。最終的には《シモン》という一個人を一人で確定することに成功した君だが、その周りには常に《ニア》がいた。今度は君は《シモン》ありきの《ニア》を形成した。君の中で、《兄貴》と《ニア》が同列になりそうになった。君は心の中で、それが完璧になることを、恐れている」
薄暗いスクエアの室内の中、男は中央の椅子に座り、背を丸め膝に肘をつけ、組んだ両手の甲の上から覗く、橙色のサングラス越しに俺を見た。
「君の中から《兄貴》を奪い続けるのは愛しい《ニア》であり、君の中で新しく君の背を追おうとするのは優しい《ニア》だ。君はそれをどう思っているのか?俺はそれを聞きたい。ただの興味本位だけれど」
男は薄く、笑った。
「君はニアという少女が本当は嫌いなんじゃないのかな?」
俺は笑って答えた。

「俺はニアを愛してる。それだけだよ」

 戯言とグレラガで混合 (艦長と兎吊木 2007/11/25



吊るされているようだ、と誰かが言っていた。
横で書類に埋もれながら延々とサインを書き続けるシモンさんから目を離し、僕は巨大なガラスの向こうに広がる町並みを眺めた。どこまでも無機質な灰色の町並みから覗く、顔の形をしたレリーフが色々な方向に向いている。
ダイグレン団の誰かが、シモンさんの方を見ながら、吊るされているようだと揶揄していた。シモンさんの近くにいた僕が聞こえたのだから、シモンさんも聞こえていたかもしれないが、彼は特に反応も見せず、毎日変化する町並みをじっと見ていただけだった。
高い所に、まるでカミナさんの像のような、第二の象徴にされて。
吊るされている。
確かに、そうかもしれない。吊るしているのならば、その紐はきっとこの町の住民と、シモンさんの意地で、その紐を掴んでいるのはきっと僕だろう。
足元が浮いたまま、首に紐を食い込ませて、紐がきつくなるにつれて、毎日のように、死んでいる。
「・・・・・・・総司令」
「なんだいロシウ君」
「休憩にしましょう」
「マジで!?」
がばりと身を上げたシモンさんは、5年前のあの頃のように無邪気に笑いながら「くああ、」と獣染みた声を上げながら体を伸ばした。ぱきぱきと凝り固まった関節が悲鳴を上げたのに幸せそうに笑みを零して溜息をつきながら机に突っ伏す。
「あー・・・疲れた」
「・・・・・何か飲みますか?」
「ん、・・・・泥水で」
はっとして見てやれば、シモンさんは机に片方の頬をつけたままにやにやしながら僕を見上げていた。
「ロシウ」
「・・・・・なんですか」
シモンさんは、あの人に似た酷く楽しそうな笑みを浮かべたまま言う。
「やりたくないことは死んでもしなくていいんだぞ」
「・・・意味が、分かりません」
僕は注文されたものを取りに部屋を出る。僕の背中を追ってきた囁きが、閉じられた扉の向こうで壁にぶつかって消えた。

吊るされている、とダイグレン団の一人が俺に言ってきた。
趣味で占いごとをやったりするらしい男は、一枚のタロットカード(というらしい紙切れ)を差し出して言った。
ロシウが色々大変なのは分かっていたので、占いは信じなかったが、彼の言うことは素直に聞き入れた。
ロシウが消えた扉を目で見やりながら、机の上によじ登ったブータを手で撫でつつ、やれやれと溜息を吐きながら囁く。
「吊るされてるのはどっちだか分かってないんだなぁ、ブータ」

 ロシモ(縛り首の神様)The Hanged Man 2007/11/24



「宇宙の海って青いの?」
 静謐な蒼色は問いかける。暗い室内に突然現れた青年に臆することも無く、大きなダブルベッドの上に寝そべりながら。
 黒いコートから覗く裸体はパソコンの光に照らされ青白く浮かび。二つの青い目玉と青い髪が暗闇に彩色を齎す。
 青年はのんびりとそれを否定した。
「いいや。どこにいっても、暗い」
 脳裏に浮かぶのはその暗闇に食われた戦友と、底で見た地獄。
「希望も何もかも、全部飲み込む、光の無い深海だ」
「ふぅん。海は嫌い?」
 少女は笑った。その笑みはまるで目の前の青年を脅かすかのような海を思わせる静けさを保たせたまま、細波のように小さく響く。
 青年は笑う少女を感情の篭らない、どこか優しい目で見返すと、小さく嫌いじゃないよと呟いた。
「はじめて見た海は、たまらなく楽しかった。苦しいことが全て吹き飛んだ。楽しくて楽しくて仕方が無かった。はじめて見た海はどこまでも広かったよ」
「でも、どこの海でも底は同じ」
 少女の指先が白いシーツをなぞる。
「屍骸が積もる、地獄の穴だよ」
 少女は底抜けの無邪気さで笑い声を上げた。青年はその姿に、一瞬だけ愛しい人を思い出して、そして小さく頭をふった。
「君は、俺の知ってる人に似ている気がしたけれど、気のせいだったな。ニアやアニキの蒼は空の蒼だ。君の蒼さは空じゃない」
「空。ふふふ、そうだね。僕様ちゃんの蒼は空なんかじゃないよ。空なんて、高すぎていけない」
 少女はゆるやかにベッドの上から抜け出すと、裸にコートをひっかけるだけの状態で、壁に背を凭れ掛けさせたままの青年へと歩み寄り、背の高い青年の頬へと白く細い指を這わせた。
「でも知ってる?結局人間が落ちちゃうのは、光も何も許しはしない、広大な海だけなんだよ」
 青年は小さく笑い返しながら、そっと彼女の手を払いのけた。
「それでも俺らが向かうのは、いつだって天だけだ」

 宇宙の海は蒼いのかしら? (艦長と死線 2007/11/18
2008/1・19


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