■幸福か悪戯か
 トリックオアトリート、などと棒読みに近い発音のなっていないそんな呪文を唱えつつも、実際にお菓子をねだる人間が現在日本に居るもんだろうか?
 ハロウィンが近くなれば店などには南瓜を初め、ハロウィンっぽい飾りがちょこちょこ増えてくるものだが、外国のように家を回ってお菓子を強請る子供は今はいないだろう。このご時世、お菓子を貰おうと家の中に入ってしまって監禁という事件が起きないとも限らない。お菓子会社がこのイベントにのっかってパンプキン○○味、なんて期間限定物を出してみて、そういうものに弱い人間がそう軽く引っかかるぐらいのイベントでしかない。
 そもそも奥ゆかしい日本人が「お菓子を下さい」などと言う訳が無い。また、友人関係であろうと、わざわざそんなのに乗じてたかって来たら、「ああ、こいつはこんなに浅ましい奴だったのか」などと思われては堪らないだろう。基本的には、エイプリルフールと同じく夜になってから「そういや今日ハロウィンだったなぁ」と思い出す程度だ。
 「とっ、と、トリックオアトリート」
 「・・・・・・・・」
 しかし、その年は夜に思い出すことは無かった。お菓子か悪戯か?駆け引きを口に出したのは部員の如月だ。既に部室に残っているのは峨王が着替え終わるのを待つ、鍵を氷室から頼まれた俺と、一人遅く着替えをし続けていた峨王、そして俺が座る椅子の隣で百面相をしていた如月だけだった。
 峨王にたどたどしくその一言を必死に言い終えた如月は、峨王の機嫌を伺うようにおどおどと頭3つ分は上にあるだろう峨王の顔を見上げていた。当の峨王はシャツに手を掛けていた格好で一瞬動きを止めたが、「ああ・・・」とぼんやりと返答しながらシャツを頭から被った。ハロウィンというイベントに今気がついたかのような反応だった。
 「悪いが菓子は無ぇ」
 いや、別に如月は喰いモンが欲しくて言った訳じゃないんだろうけれど。
 突っ込みそうになった言葉は、如月が顔を赤くして「そ、れじゃ」と言葉を紡ごうとする必死な姿を見ることによって飲み込む。それにしても如月も何を言い出すんだか、と心の中で溜息を吐きながらコーラを口に含んだ。練習中は流石に飲めないから、久しぶりの甘い炭酸が口内に広がるのに一服する。
 「なんだ。俺に悪戯しようってのか?」
 ふん、と鼻で笑うかのように峨王が聞いた。その口ぶりからして、どうやら「やれるんだったらやってみやがれ。その後のことは保障しねぇからな」と言っている風だった。如月が怪我をするのは良くは思えない。俺は峨王を止めるよりも如月を諌めた方がいいだろうかと慌てて口を開いた。
 しかし、それよりも早く如月が口火を切る。
 「体を、触らして欲しいのだけれど」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・あ?」
 「・・・・・・はぁ?」
 一拍おいて峨王と俺とで素っ頓狂な声が上げられた。何を言い出すのかと如月を見れば、頬を赤く染めながら、(男がやれば気持ち悪いが、如月がやると気持ち悪さは半減していた。虚弱さによってカバーされているんだろうか・・・?)もじもじとしている。
 峨王は怪訝そうな顔をしながら俺を見て、そして理解できないものを見るかのような目をしながら指で如月を差した。人を指差すなよ失礼な奴だな。
 「まぁ、菓子持ってねぇんならそれぐらいやってやれっちゅう話。いいじゃねぇか。偶に他の奴らと筋肉触りあったりしてんだろ?」
 「いや、話が少しちげぇだろ。それならマルコ、トリックオアトリー」
 「ほれ」
 ポケットの中から女子から貰った飴を一つ放る。峨王は舌打ちをしながらそれを片手で受け止めた。
 「何で常備してんだよ」
 「お前から悪戯されたらかなりの確立で怪我すると思ったからだよ。あと、このイベントに乗じて何するか分からん知り合いが数名思いつくからだ」
 「・・・・・・・」
 準備のいい俺を呆れた目で見やりながら、峨王は飴をどうでも良さそうに鞄の中へと放った。それでもまだ無言で峨王を見つめてくる如月に気がつき、少し顔を顰めながら、面白くねぇだろ、と溜息を吐きながら腕を組んでその場で立った。
 シャツも着ずに、上半身裸の状態で見下ろしてくる峨王に射竦められながらも、如月は恐る恐るといった風に掌を峨王の腹へと伸ばした。
 腹筋を触りたいんだろうかとその成り行きを見守っていたが、いつまで経っても如月の掌が峨王の筋肉に添えられることは無かった。
 「・・・・・・・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・」
 峨王の肌から一センチほど離れた所に手を添え、ふるふると感動に浸っていた。触ってないのに感動するとは器用な奴だと思いながら、如月の反応に笑いそうになる。
 「おい・・・・・触るなら触れ。微妙な所で、気持ち悪ぃ」
 「えっ・・・・・・あ、うん、ごめんよ」
 慌てたように如月は謝るが、その掌は未だ動かない。見てるほうがじれったくなる様な状態だ。
 「っていうかこれ悪戯なのかっちゅう話なんだけど・・・」
 ・・・いや、触らないことこそが悪戯なのか。嫌がらせなのか?などと考えるが、如月はそんなこと頭に無いのか一人幸せに浸っている。峨王はこれ程いらつくことは無いとでも言いたそうな顔で、空中を睨んでいた。
 名目上は悪戯だから、拒否はできないんだろうか。変な所でやはり律儀な男である。
 背だけがひょろひょろと伸びた、人目で華奢だと思われる如月の姿を見れば、まるで正反対の姿形をした峨王のことを羨んでいるだろうというのは一目で分かる。しかし、如月は羨むには羨むだろうが、それ以前に峨王に対して崇拝の念を抱いているのだ。そう簡単に肌をも触れないのはチームメイトとしてどうかと思うが、これに関しては何も言えまい。
 思慕の情というには浅はか過ぎる。例えるのならば、
 「(・・・・・戦隊物に憧れる少年・・・?)」
 いや、違うな。それは憧れだ。いや、あってるんだろう、か。
 ぐるぐると一人考えていると、視界の端に取り付けられている時計が目に入った。短針は既に7時を差しており、窓越しに見た外は暗く藍色に染まっている。
 「如月、そろそろ鍵閉めてぇんだけど、良いか?」
 「あ、ごめん」
 慌てて如月は身を翻し、結局触ることの無かった掌を握り締めると、幸せそうな笑みを口に乗せ荷物を担いで足早に部室を出て行ってしまった。どこまでも、峨王関連なら幸せになれる奴だ。
 その後姿を二人で見送り、沈黙が降ってきた部室内でゆっくりと溜息を吐く。
 「相変わらず、あいつは良く分からん」
 「・・・・・愛されてんだよ」
 ようやくシャツを被った峨王の背中を笑いながら見ながら、俺は小さく笑った。
 仲が悪いわけではないのだ。心配することは何も無い・・・・・・筈だ。
 指先で回した鍵を掌で握り締め、鞄を持って立ち上がる。中に入っている、氷室から貰ったクッキーの袋がかさりと音を立てたが、けして悪戯されようと、これを誰かにあげる気の微塵もしない自分に、自然に自嘲する笑みを浮かべた。
 峨王には悪いが、今日は如月の幸福を純粋に喜ぶことにする。
2007/11・01


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