■ブログ短文集
 
■竹谷と鉢屋

「一生のうちにお前の素顔を拝める日は来るのかねぇ」
何を言い出すのかと思えば。
板間の上にごろりと寝ころがった竹谷の放った唐突な台詞に、そちらを向けば、偶然にも竹谷のぼさぼさの髪の毛の中に白髪があるのを見つけて、鉢屋は片手でそのたっぷりとした髪を掬い上げた。どうせなら枝毛でも探してみようかと思ったが、見つけてどうするという気もする。何本あったかということを久々知の後輩の、名前をなんといったか、4年生に転入してきた己らより一つ年上の新米忍たまに伝えるということも考えたが、それは流石に級友にする仕打ちとしては酷いかと思い直し、結局ばさりと再び床に落とした。
「気になるのか?」
「気にならない方がおかしいと思うけどなぁ。雷蔵だって、お前の素顔が気になってるさ」
「そりゃお前の想像だろうが。雷蔵は俺の顔になんか興味ないよ」
竹谷の髪の中から見つけた白髪を抓もうと、もそもそと髪を割っていると、ふと地元で見た野猿同士が虱を取り合っている図を思い出した。あれほど微笑ましい図ではなかろうが、しかしそれにしては、竹谷のなんて図々しいことか。せめて座れよ。いやいや、そもそも私たちは猿じゃないし、虱をとってるわけでもないし、関係ないのか。そんなことをつらつらと思っていれば、「それこそお前の想像じゃないのか?お前は雷蔵の考えてることが分かるのかよ」と憤慨したような声が返ってきた。
「全てとは言わないが、ある程度は分かるさ。少なくとも、雷蔵の親より雷蔵は理解しているね。私の変装術を舐めないで頂きたい。お前の癖だって、お前の親より知っているぞ?」
「だからといって心が読めるわけ無いだろ」
「確かにそうだけれど、でも、雷蔵が私の顔に興味がないのは確かさ。それだけは言い切れるね」
ようやく白髪を抓めたと思うと、竹谷が体をごろりと反転したので、思わず離してしまった。指先から離れていった一本の白色を視線で追って、むっと顰められた竹谷の顔を見返す。
「なんでそういいきれるんだ?」
「私が一年の時から釘を刺しているからさ」
「釘を刺していると言ったって、心まで変えられるわけないだろ」
「そりゃぁどうだろうなぁ。お前こそ、雷蔵の心がわかって言っているのか?うん?」
「ああ言えばこう言う」
竹谷は呆れたように口をへの字にすると、ああ、と欠伸をしながら体を海老のようにぴんと伸ばした。板の上で寝ころがるから、体が痛いのではないだろうか。そう思うのだが、竹谷はどうにも起きようとしない。
「分からないものを知ろうとする探究心ってのは、他人に左右されるものじゃないと思うんだがなぁ」
「何を勝手に理論でも立ててるんだお前は。恥ずかしい奴め」
鉢屋は再び竹谷の髪の中から白髪を拾い上げると、断りもなくぶちりとそれを引っこ抜いた。「いでっ」と体を一度硬直させた竹谷を嘲笑い、鉢屋は長い白髪を床にふっと落とす。逃走した虫を散々探し回ったせいでの過労のせいかもしれない。卒業するときまでにこいつが総白髪になっていたらどうしようか。もちろん、新しいかつらを作るだけであるが。
「知って得するものなんて、そんなに多いとは思わないけどなぁ」
「得とかそういう問題じゃなくて、友人としてお前を理解しようとしてだなあ」
情けない声を上げる竹谷を呵呵と笑い、鉢屋はふと、生物委員会で総白髪になるよりも、私がこいつを総白髪にしてしまうかもしれないなぁ、なんてどうでもいいことを想った。
「私を理解したいのならば、私の変装全てに引っかかっておくれよ」
変装していない鉢屋三郎など、それこそ偽物でしかないさと、鉢屋は目を細めて、それはもう楽しそうに口を歪めた。



■庄左ヱ門と鉢屋と彦四郎と綾部

ざくざくと地面を穿っていく鍬を見て、庄左ヱ門はたまらず声を掛けた。
「鉢屋先輩、何もそこまでしなくとも」
灰色の柔らかな髪の毛がひょこりと揺らぎ、強く見開かれた紫の目玉がくるりと庄左ヱ門を捉える。きゅ、と閉じられた唇は乾燥していて、やけに整っている顔立ちなのに、その性格はつかみ所が無く、先が予想できないとよく言われる綾部喜八郎そのものの顔で、鉢屋三郎は「いいや、私は許さないよ」とやけにつっけんどんな言い方で返した。
「一年生に変装を見破られるなんて、私のプライドが許さないんだよ。こうなったら徹底的に綾部になって、せめて彦四郎を騙してやるのだ」
「そもそも学級委員長委員会の教室の前に綾部喜八郎先輩がいることがおかしいんですよ」
もそもそと鉢屋に進言するも、「おかしい状態であろうともそれを騙してこそ鉢屋三郎だ!」と男は堂々と言い放つ。なんともいい加減な言い草であるが、そもそも他の委員会の前ならともかく、変装の名人と言われる鉢屋三郎がいる委員会の教室の前に、現れそうも無い人物が突然いたら、それは疑ってかかるものだろうに。庄左ヱ門は口を歪めて、どんどん泥だらけになっていく麗人の背中を、縁側に座って見ていた。今日はやはりどこか掃除しにいくのだろうか。しかし、現在委員長委員会をしめているこの先輩がこの状態なのだから、何もせずに終わるやもしれぬ。庄左ヱ門は思った。
「おおい、庄左ヱ門、何やってるんだ」
暖かな日差しの中、うとうとと瞼が落ちそうになってくるのを感じ取った矢先、突如渡り廊下の向こうから彦四郎が手を振ってやってきた。
「鉢屋先輩が門の前で待ってるぞ」
「なんでまた・・・・・え?」
先輩の予想だにしない行動に一度顔を顰めるも、庄左ヱ門はその不思議な言葉に一拍遅れで身を竦めた。鉢屋先輩が門の前で待っているって、え、じゃあ、この目の前で穴を掘っているこの男は。
「綾部先輩、こんな所に穴掘らないでくださいよぉ」
「歩ける所は全て共同だよ」
庄左ヱ門が硬直する中、既に下半身を穴の中に沈める綾部喜八郎は、さらりと無表情のまま彦四郎に応対した。
「え、え、ええええええええ」
情けない声を上げた庄左ヱ門の方を見向きもせず、綾部はざくりざくりとひたすら穴を穿つ。掘る。意味はあるのかとんと理解しかねるが、まったく真面目そうに、真剣そうに土を掘り出していた。
「私は最初は綾部喜八郎と名乗っていたよ」
「えっ、あああ、すみません!!」
展開が読めていない彦四郎が眉根を顰める前、庄左ヱ門の裏返った声が裏庭に響いた。



■竹谷vs鉢屋

か、と頭に熱が上り、反射的に目の前に立っていた鉢屋の胸倉を掴み上げたのは、実際のところ、失敗だった。一瞬で剣呑な色を宿した鉢屋は、唇を詰まらなさそうに真一門に閉じると、眠たげな半眼で静かに俺の胸倉を掴む手を見下ろし、すぐに俺と視線を交わした。
「竹谷」、と、雷蔵が引き攣った声を上げた。しかし、その言葉が俺に掛けられたものなのか、それとも鉢屋に掛けられたものかは分からなかった。その後に「やめろ」と続くのか、それとも「危ない」と続くべきだったのか、俺が判断を下すよりも速く。(そりゃもう、目で追えないような素早さで)(大会優勝者の名は伊達ではないということである)
鉢屋が人差し指と中指のみを真っ直ぐに伸ばした、じゃんけんでやるような形に手を変えると、そのまま2本の指をまっすぐ俺の二つの眼球に対になるように突き出してきた。それを膝を落とすことによってぎりぎりで避けると、額を鉢屋の指が擦った。皮ぐらい向けたかもしれない、なんて思えば、避けた事によって緩んだ俺の顔を嘲笑うように見下して、そのままチョキの形をしていた鉢屋の右手が、俺の前髪を引っつかんだ。ぐっと上に引っ張られたかと思うと、そのまま踏ん張った方向と真逆に、鉢屋が俺の頭部を床にたたきつけた。ばがっ、とまるで西瓜を叩き割ったかのような音が、直に脳髄に響いた。痛いというよりは、本当に頭が砕けて痛みを感じなくなったのではないかと思えるほどだった。舌を噛んだ。頭よりも舌の方が痛い。無様にも宙を舞う俺の腕。冷めた目をした鉢屋の顔。こんな顔をみたら、きっと、100人に100人がこっちが鉢屋って分かるに決まってる。
「はちや!」
雷蔵の声。ぎしっ、と廊下が軋んで、漸く俺の頭が痛みを覚えた。血が出たのではないか。立っている状態から頭だけ床にたたきつけられたせいで、どたた、と盛大に音を立てて俺の両足が廊下に漸く落ちた。遅いぞ俺の体。しかしもっと遅いのは俺の脳だ。まったく、何も動かせない。
「頭冷やせ。阿呆」
「う・・・」
鉢屋の冷めた声が、ぐらぐらする俺の頭に響く。くそ、七松先輩に勝つような武術の達人が、なんでこうも容赦ねえんだよ。あ、容赦が無いから勝てたのか・・・。俺は気だるい体に鞭打って、左足を鉢屋の懐に叩き込んだ。俺が動けないのだと踏んでいたのだろう、目をかっと見開いて、鉢屋が腕を横にずらす。腕で受け止めるつもりだ。俺は右足で鉢屋の足を寝ころがったまま払った。ずだっ、と鉢屋が膝を床につける音。続けて鈍い、俺の足が鉢屋の脇腹に入る音。どん、と音がする。入った。
「たけやぁああ!!」
鉢屋が叫んだ。珍しい。俺はなんとなく笑えてきて、やっと気づいた。
「ああ、なんだ、今の方法、お前が食満先輩に負けたときのじゃん!」
「てめぇ!」
弱点とは中々克服されないらしい。口の中を切ったので、中庭に向かって唾を吐けば、赤い血の混ざった唾液がべっと落ちた。鉢屋が起き上がる。
もはやその目は剣呑な光どころではない。屈辱に染められた、俺を殺してしまいそうな目つきだった。プライド高いからな、こいつ。4年生でもこんな恐い目つきできるの、こいつぐらいなんじゃないだろうか。目つきだけで人が殺せるなんての、つまりこういうのなんだろうか。鉢屋の掌が、俺の視界から消えた。眼で追いきれない。足が払われて、力が抜けた。何もかも速すぎる。また減量したんだろうか。いつか死ぬぞ。ああ、いつかは死ぬか。そういうものだから。
直後、鉢屋の拳が俺の顎を下から上に向けて殴り上げた。顎に衝撃が来たせいで、完璧に目の前が揺れる。足が縺れたことに力も入れることもできずに、そのまま床に無様に転がった。全身を強打して、板間に倒れる。二度目、頭をぶつけた。
「おい、馬鹿。やめろ」
久々知の声がすると、既に俺の胸倉を掴んでいた鉢屋の動きが止まった。どうやら後ろから羽交い絞めにあっているようだ。くらくらとして、目も開けられない。心配そうな雷蔵の声がして、どうやら保健委員を呼んでくるらしい。口を切っただけなのに。いや、頭も打ったっけ。ああ、痛い。堪えきれないほど痛い。やっぱり喧嘩は、駄目だ。今更だけどそう思って、瞼を閉じたまま、多分目の前にいるであろう鉢屋に、「ごめん、悪かった。三郎」と謝罪した。返答は無かった。



■雷蔵と久々知

ひゅう、と立ち上った煙が風に紛れて優しく揺れた。空に上るにつれて、霧散する。銃を支える腕は見た目よりもしっかりしていて、普段優しげに微笑まれる目玉は静かに見開かれ、その目標を捕らえて離さない。「撃て」俺が言うと同時に雷蔵の指が引き金を引けば、向こうの案山子の頭部が吹っ飛んだ。
「流石」
「当たった?」
火薬の破裂した音が響いて、遠くで小さく赤子の鳴き声のように鳴いた。雷蔵は律儀に目標から目を離さない。「完璧」俺の答えを聞いて、ようやく雷蔵が銃を降ろした。
「大雑把なくせに、銃器は得意なんだな」
「標準の指定は私が決めるんじゃなくて、風向きとかに勝手に決められてるから。考えなくていいんだ」
雷蔵は先生に合格点を貰ったことに口元を綻ばせて、再び弾を装填するために火薬を手にした。無言で銃を支えれば、ありがとう、と小さく笑った。
「でも実際、戦場とかで人を撃つようなことになったとき、雷蔵は迷わずに撃てるのか?」
久々知としては、特に深い意味も持たない問いだった。忍としてならば人を殺めるなんてことは当たり前だし、逆に生かすことだって当たり前だ。しかし心優しいこの迷い癖のある友人がそんな忍に向いていないことはよくわかっている。だから、あの案山子の頭部を吹っ飛ばしたように、迷いもしなければ惑いもせず、人を殺せるのか、少し気になったのだった。
返答を希望しているわけではない。もちろん、雷蔵ならば、「どうだろう」と笑って返すのではないかと思ったのだが。
「撃てるよ」
雷蔵はさらりと、昼食のメニューを決めるよりも軽く、優しく答えた。
「そこに火種と火気と、私がやるべき任務があれば。なぁ、迷う必要なんてないじゃないか。兵助」
それが優しい男の出した答えであり、久々知は少し驚いた反面、ああ、なるほどそういうことかと納得した。
「雷蔵のことを勘違いしていたよ」
「私だって忍者だよ」
冷たい鉄に掌を這わせ、雷蔵は小さく噴出した。
「夕飯一つ決められないが、任務ぐらいは忠実にこなしてみせるさ」



■鉢屋と庄左ヱ門

「こんにちは」
「やぁ庄左ヱ門」
障子を開けて入ってきた彦四郎に向けて、そちらをちらりと見ただけで鉢屋は軽く笑って手をあげ返事をした。再び片手で抑える文面へと視線を戻せば、廊下で呆然と立ち竦んだ庄左ヱ門が情けない声を上げた。
「なんで分かるんですかぁ?」
「それは私が変装に関してプロだからさ」
「別に無理して気取らなくても一年生はまだ来ませんよ」
べりべりと顔に付けていた特殊メイクを剥がし、懐にしまっておいた手ぬぐいで化粧を拭いながら、学園からの借り物の鬘を取れば、いつも通りの庄左ヱ門の顔が現れた。なんだ、と鉢屋は気を抜いたように肩を竦め、むすっと脹れた顔をする庄左ヱ門を笑った。六年生になった鉢屋三郎は何かと変装という特徴を前面に押し出すようになっている気がする。去年の影が濃かった六年生に張り合おうとしているのかもしれない、と庄左ヱ門は分析している。
実際のところは、去年一年生であった庄左ヱ門や他後輩達に何だか尊敬されていない気がして、今年の一年生相手には『格好いい先輩』という印象を持たせたがっているだけ、という理由もあるのだが。
「なんだ、何か気に入らないのか?」
「この流れだったら察しても悪くないと思うんですが。ああ、今の、どこがいけませんでした?土井先生にだって褒められたのに」
庄左ヱ門は机の上に鬘を置いて、へなへなと力の抜けた声を上げた。おそらく一年教室からこの学級委員長委員会の教室まで気を張ってきたのだろう。
「ふぅん、今日教わったのかい」
「はい」
「いい線をいっているけど、惜しいなぁ」
鉢屋はくつくつと肩を揺らして笑い、顔だけ似せればいいものではないのだよ、と庄左ヱ門の頭を撫でた。
「では、鉢屋先輩は何故そんなに変装が得意なんですか?」
「私の場合は、普段から変装してるから」
それは不破雷蔵に限ったことではないのか?と庄左ヱ門が疑問に思うも、鉢屋は優しく微笑んだまま、庄左ヱ門の肩から何かと摘み上げた。
「私は変装しているからこその鉢屋三郎だからね。変装しているということに関しては違和感を持たれることはないのだよ」
「あ!」
鉢屋が庄左ヱ門の肩から拾い上げたものは、2のはの名物、喜三太のナメクジであり、鉢屋はどうやら入ってきた瞬間に庄左ヱ門の肩に乗っていたそれを見て判別したらしい。
何が変装しているからこその鉢屋三郎だ、と一瞬憤慨したものの、鉢屋は顔を赤くした庄左ヱ門の手にナメクジを返し、「相手の特徴に感づくのも大切だが、変装をしている自分の身こそ一番気をつけなければならないものさ」と、正論かどうか良く分からない言い回しでうやむやにし、クラスメイトが泣いているかもしれないよと、先輩らしくその幼い背中を押し出した。
2009/1・3


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