■ディグレ log2

ほっと吐き出された吐息は、普段ならその存在自体忘れてしまうほど透明すぎる筈なのに、その時は面白いほどの白さで煙を立ち上らせ、アレンは一人ベンチに腰掛けたまま、ほぉ、ともう一度深く白い息をゆっくり吐き出した。
ゆらりと風に吹かれて揺らめいたその後は、跡形も無く空気に溶ける。鼻の頭を赤くしたまま、アレンは地面につかない足をぶらぶらと揺らした。
「アレン」
と、暇そうにしていたアレンを呼びながら、一人の男が歩み寄ってきた。黒コートに身を包んだ優しそうな風貌の壮年である。片手に白いカップを持って、もう片方の手にはいつも持ち歩いている黒い鞄が提げられていた。
雪で真っ白に染まった道に、男の足跡だけが遠くへ続いており、駅員がそれを遠くで見ていた。
「マナ」
「後少しすれば汽車が来るそうだよ。寒いかい?」
「ううん」
マナと呼ばれた男はふるふると首を振ったアレンを優しく目を細めて眺めた。片手に持っていたカップを差し出す。
渡されるがままにそれを両手で掴み、アレンがその中を覗くと、中に入っていたのは白い液体だった。カップから立ち上る煙は先程アレンが口から吐いた吐息と似ているが、カップの煙は消えることを知らない。
「ホットミルクだよ。駅の人がくれてね」
「飲んでいいの?」
「もちろん」
カップに口を近づけると、立ち上る煙がむわりとアレンの顔を覆った。鼻だけがかじんで温かいのか感じることはできなかったが、熱くなっている縁に唇を近づかせ、嘗め取るようにホットミルクを喉へと滑らす。
喉を滑り落ちたホットミルクは心臓付近で一度その熱が消えたかと思わせると、少し間を開けて胃の中に染みた。じわりと上から下に熱が下りてきて、アレンは思わず顔を綻ばせる。
「おいしい」
「よかった」
鼻水が垂れてきたことに対して体が無意識に反応して、ずっと鼻を啜ると、マナが無言でティッシュを差し出してきた。カップを片手で持ったまま、鼻をかむ。指先で触れた鼻が酷く冷たくなっていたのに驚きながら、きっと赤くなってるんだろうなと想いを馳せ、恥ずかしさに顔を顰めた。
「・・・・マナ、飲んだ?」
「飲んだよ」
「・・・嘘だ」
「嘘じゃないよ」
ふと気がついた疑問に、訝しげにマナを見上げると、マナは何ともいえない程困った顔をしていた。こういうときだけ働く息子の良すぎる勘に困り果てているのだろう。
「飲みなよ。寒いでしょ?」
「寒くないよ」
「嘘だ」
「嘘じゃないから、全部飲みなさい」
諭すように言われても、アレンはむっと顔を顰めさせるだけで、ついに押し付けるようにカップをマナへと押しやった。
「飲んで!手、離すよ。離したら零れるよ。掴んでよ」
「こら、やめなさいアレン」
「マナが飲むの!」
脅迫かのようにマナへ押しやった状態で手を離し、マナが渋々受け取るのを見届け、アレンはえへへと一人楽しそうに笑った。
「おいしいよ」
「お前って子は・・・・・」
呆れたようにマナは溜息を吐くが、アレンはそんな風に言われてもにこにこと笑うだけだ。
白い煙の立ち上る、真っ白な雪のような液体と睨めっこをして、マナはようやく口内を液体で湿らせた。ふわりと冷たい空気に揺れる溜息。
「・・・・・・おいしいね」
「でしょう?」
満足げな息子の声に苦笑を洩らしたマナの背後の方から、遅れるに遅れた汽車がやってくる音が鳴り響いた。

 アレンとマナ 2007/10/16



・・・・・・・・・・あれ?
黒い天井を見上げながら、ティキは目をぱちくりと瞬かせた。
何をしていたのだったっけ。襲い来る激痛と悔恨、悲しみの連鎖、赤毛の神父と白い悪魔。
「・・・・・・・・・ん?」
ソファに寝かされている。体が動かない。何処だろう。ここは、何処だろう?
ぼんやりしていると突然頭の上から少女の頭部がにょっと飛び出してきた。見慣れたぼさぼさの黒髪。我らが長子、ロード・キャメロットだ。
「・・・・・・・・・・・あれ?」
「おっはよぉーティッキー。ねぼすけには朝ごはん上げないよ?はい起きる起きるー」
起きる起きると言われても体に力が入らないんで何もできないんですけど。
そんな言葉を言おうと口を開くと、いきなり目の前が潤んできた。次々と頬を伝うのは透明な液体で、ティキの喉奥から漏れるのはそんな不平ではなく、嗚咽にしかならない小さな泣き声。
「・・・・・・・・っ、っぁ」
生きてる。生きている。
「お目覚めですかティキ・ミック?」
涙で霞む視線の先の、ロードの背後から現れたのは白いコートに身を包み、シルクハットを被った崇拝すべき己の支配者だった。彼がいるだけで全てが安全だということに体が弛緩した。
「・・・・っ、せんねん、こうっ・・・・・!」
「お疲れ様です。もう安心ですよ。色々と不手際がありましたが――――無事だったのにそれを越えるいいことなんてありませんからねぇ。・・・・奪われたノアの力は、既に治させています。もう少しすればすぐに良くなりますよ」
優しい声。馴染んだ空気。何よりも、家族がそこにいる。
「すみません、俺――――」
「だいじょうぶだよぉ」
ぎゅう、と体が抱きしめられる。心地よい温度。甘い匂い。
「大丈夫だよぉ」
安心するその囁きも。全部が現実に戻ってくる。
「一人にしてごめんね?」
細い手首もお菓子の甘ったるい匂いも全部全部、苦手で仕方が無かったのに―――。
これ以上と無いほどに安心する。家族の全て。
「また一緒に遊ぼうね」

迷子の子供は家へと帰った。

 ロドティキ(捏造 2007/20/15
2007/12・29


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