■憧憬が祈る背に

 どうして作法委員なんですか、と鉢屋は聞いた。艶やかな黒髪を翻し、今まさに廊下を右に折れようとしていた仙蔵はその足を止めると、「わたしに聞いたのか」と首だけ振り向いて鉢屋の姿を眼球に留めた。
 「立花先輩以外の誰がいるっていうんですか」
 「たまに天井裏に。間の悪い男に覚えがあるんだ」
 それは同室の暑苦しい会計委員長の?と聞こうと思ったが、仙蔵があまりにも似合わない快活な笑い方をしたので、それに踏み込むまではできなかった。
 仙蔵は肩を竦め、ようやく鉢屋に向かって真正面から向き合った。その欠片たりとも己に恥じるものがないような素振りは、鉢屋にとってとても気分のいいものだ。仙蔵と相対する人間は、彼の真っ直ぐな視線を真っ向から受け、むしろ自分が仙蔵と相対していることが光栄な気分になるか、またはその率直に切り刻んでくる視線に押し負け、自ら無様にも弱い部分を曝すか、二種類に分かれる。鉢屋は前者のようにむしろ不敵に笑みを刻み、静かに仙蔵の視線を受けた。
 「私が作法委員だとなにか不都合でもあるか?」
 「いえ、そうですね・・・保健委員でしたらとても驚きますが。個人的には、立花先輩に作法委員は似合ってると思いますよ」
 あくまでも、友好的に鉢屋は笑った。作法委員としてふさわしい、という言葉が褒め言葉なのか、それとも貶しているのか、仙蔵は判断に困ったが、結局のところそれを是か否か決められる者などいないな、と切り捨てた。無駄な思考や選択肢は切り捨てた方が、この化けの皮を貼り付けた後輩とはやりやすいのだ。無駄な考えに嵌って自らを貶めいれればいい、と仙蔵は心の中で冷笑する。
 「で、何が言いたいんだ?」
 「爆殺した死体に死化粧なんてする必要ないんじゃないかと思って」
 鉢屋の口調はどこまでも穏やかだ。うつくしい生き物を眺めるように目を細め、級友である雷蔵の得意とする柔らかな笑みを顔に刻む。普通の人が言われたらはっと顔を蒼褪めそうな台詞をにこやかに言い放った鉢屋を鼻で嘲笑い、仙蔵は楽しそうに口を歪める。緩やかに上げられた右手は仙蔵の首を一度ざらりと撫でた。
 「下品な奴だ。恥を知れ」
 「恥を知っていては忍はやっていけませんよ」
 「恥を知っても生きつづけるべきいきものが忍だ。履き違えるなよ青二才」
 「失言でした。先輩」
 おどけるように両手を上げる鉢屋を心の中で罵倒して、仙蔵はそれでも口から笑みを絶やさなかった。懐の焙烙火矢がやたら重く感じる。私だって火薬だけで人を殺すわけじゃない、と言えば、鉢屋は畳み掛けるように言った。
 「じゃあ、私を殺すとしたら、はやりお得意の火薬でしょうか?」
 「無論だ。丁寧にその顔の面焼き尽くしてやろう」
 ありったけの嫌味を込めて吐き捨てたが、鉢屋はそれでも笑った。むしろその言葉を聞いて喜ぶかのように、よろしくお願いします、まで言ったのだ。
 そのとき初めて、鉢屋の本当の顔が見たくなった。










 「はぁ、綺麗なもんですねぇ」
 桶に入れられる前の生首をしげしげと見つめて、感心したように鉢屋が言った。そうだ、合同演習だった。仙蔵は表には出さずに、静かに溜息を吐く。
 6年生と5年生が合同授業で戦の最中であるとある城への実習にきていた。勝敗が決まっていると言われている戦で、生徒達は基本的に偵察、見張り、印をとったりする仕事を割り振られていた。6年生の作法委員であった仙蔵は、今朝方の戦で死亡した敵方の足軽大将の首に死化粧を施す仕事を任された。生首の人形で今まで何度も練習をしてきたとはいえ、本物の生首相手ということで斜堂教員の指示の元、たった今作業が終わったところだった。
 人形相手とは違うのは、やはり触り心地や重さ、化粧の乗り具合であったり、気合を抜いたら胃の中をひっくり返してしまいそうだった。しかしそれは立花仙蔵としてのプライドが許さなかったし、それ以上に後輩に死体を目の前にして嘔吐したなんて印象を凭れては適わない、と思ったからだ。その上、作業部屋のすぐ入り口で警備を担当していたのは6年生が最も警戒する後輩である鉢屋三郎であったからなおさらであった。
 「触るなよ」
 「触りませんよ、気持ち悪い」
 鉢屋はさらりと返答して、漸く折り曲げていた腰を起こした。斜堂教員は一足先にこちらの大将に謁見の許可を貰ってくると退席してしまった。かちゃかちゃと化粧道具を片付ける仙蔵の起こす音だけが室内に響いた。
 「鉢屋、お前警備に戻れ」
 「私の今の担当はここなので」
 悪気の欠片も無く返答されれば、仙蔵もなんと返せばいいか分からない。いや、普段の仙蔵であれば舌先三寸で適当に言いくるめられただろう。しかし仙蔵は自分が理解している以上に動転していた。無様に皿を落とす真似はしなかったが、他人を観察することに秀でていた鉢屋にとってはそのずれを見つけるのはあまりにも容易い。
 「先輩、あの後考えたんですが」
 「なんだ」
 「やっぱり、爆殺したあとの首に死化粧するのは無理ですよ」
 ゆっくりと、綺麗にした生首を桶に入れようと手を伸ばした仙蔵の手が止まった。灯りを背後にして、鉢屋の表情は逆光のせいで見えない。艶やかな眼球が、怯えの色を一瞬見せた仙蔵を捉えた。
 「弾けた破片で顔にどう傷が付くのか分かりませんし、そもそも頭が無事でいるかどうかも分かりません。肉の抉れた頭をどうやって修正するんですか、立花先輩」
 「黙れ、鉢屋。戻れ」
 「先輩。綺麗に焼いてくださいね」
 鉢屋は柔らかく微笑んで、仙蔵の手を掴んだ。先ほどまで死んだ男の頬を撫ぜた冷たい手の甲を、偽りの面を貼り付ける片手で掴み上げ、それをそろそろと偽物の顔へと引く。さらりと化粧のついた鉢屋の頬を撫ぜて、仙蔵は逃げ出したくなった。
 「私の本当の顔を最後に見てもいいと、私が許したのは先輩だけですよ」
 「口説いているのか?もう少しセンスのいい言葉を選ぶんだな」
 「私たちみたいな半端ものにはお似合いでしょう?」
 ぱっ、と鉢屋が手を離すと、仙蔵は即座に手を引っ込めた。訝しげな表情を見せる仙蔵を、鉢屋は鮮やかに笑った。
 「もっと強い人かと思ってましたよ、先輩」
 「調子に乗るな」
 「あ、」

 わざとらしく幻滅してみせる鉢屋を睨みつけ、仙蔵は一度引っ込めた手を思い切り伸ばした。鉢屋が身を引くよりも早く、仙蔵の人差し指が鉢屋の頬を引っかいた。鉢屋の左頬から引っかかれた分だけ薄い皮のようなものが剥がれる。毟り取るように掴み取ったその薄い人工の偽の肉を掌に握り締め、咄嗟のことに目を白黒させる鉢屋を笑った。
 「私が一後輩の言葉に惑わされる男だと思ったか?見くびるなよ。貴様など、私の知らん所で勝手に朽ち果てろ。お前の顔など誰も興味ないわ」
 「せ」
 「持ち場に戻れ。告げ口されて教師にこってり説教されるのが趣味か?」
 「んぱい」
 「その顔、直しておけよ。怪談にでてくる化物そのものだ」
 蹴り出すように鉢屋を追い出せば、化粧された後もそのまま取り残された哀れな生首が、瞼越しに己を急かしているようだった。死人にくちなしとはよく言ったものだ。もしも死人が喋るなら、今の子供のやり取りを、一笑に伏しただろう。
 「多めに見てください。ごらんの通り、私はまだ子供です」
 そういや瞼も開けないか、と思ったが、そんなの見なくとも分かるわい、ときっと言ってくれるだろう。忍のような姑息ないきものと、貴方達武将は違うのだ。きっと私もあの馬鹿な後輩も、この武将のように首すら残らないに違いない。
 あんな男の素顔に興味を持ったのが間違いだった!優しく生首を桶に入れて、仙蔵は一人舌打ちをした。甘やかして、過大評価しているのだ。もちろん、私も、あいつも。
2009/3・4


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