■嘘吐きの行方
「なんだこれ」
久しぶりに菊の家に行って見ると、以前は無かったカラフルで目に痛い色の玩具の箱が部屋の隅に詰まれていた。座布団の上に胡坐をかいて座ると、菊は茶を机の上に載せながら、アルフレッドさんが持ってきたんです、と困った笑みを浮かべて言った。
「邪魔だな」
「別に、そんなことはありませんよ」
思ったことを口に出すと、菊は眉を八の字にして目を細める。きっとそれは嘘だ。使いもしないだろうに、こんな嵩張るものばかりが溜まっていくのが嫌に決まってる。アルフレッドの奴も困ったものだ。昔も同じ状況に立たされた覚えがあった。今送りつけられてくるのはどう使えっていうんだと言いたいような、実用性のない派手な配色の意味の分からないものばかり。
「要らないなら要らないって言わないと、ずっと送ってくるぞ」
「だから、大丈夫ですってば」
なんとかしてアルフレッドのことを悪く言わないように気をつけているが、すでにボロが出始めている。『大丈夫』って言葉を吐くほど邪魔になっているのだ。
俺はとりあえずアルフレッドのことは頭から追い出して、差し出された湯のみと茶菓子を見た。紅茶の方が好きだけれど、甘さと苦さが相まって丁度いい。ほっとする匂いがした。俺がじっと待っていると、ようやく菊が自分の分の茶と茶菓子を用意して、俺の向かいに座った。小柄な体形のせいか、少し俯くと女のようだと思う。睫毛があまり長くないが、髪が少し長いせいだと思う。柔らかい黒髪がふっと頬にかかったが、少し上向きになるとさらりと耳の横へ零れた。
「・・・何か?」
「いや、何でも」
俺はその黒い眼球から注がれる視線から逃げて、茶を喉に流し込んだ。熱い、がそれほど気になるわけでもない。茶菓子を少し切り分けて口に放り込むと、菊ももそもそと口に茶菓子を入れている。これほど音の無い空間というのも珍しいと思う。ヨーロッパの方ではどうしても金属の触れ合う音がするというのに、日本ではその気になれば呼吸の音だけしか聞こえないのではないか、と思うほど静かになる。息をすることすら躊躇いたくなるほどだった。
息苦しいが、嫌いじゃない。この空気が自分の知る世界のものではない、ということだけで、アルフレッドのわけではないけれど『わくわくする』気分であったし、菊と二人きりの簡素で平坦な空気も嫌いじゃなかった。
「・・・聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「はい」
俺が声をかけると、みっしりと沈黙で敷き詰められた空気が震えた気がした。その透明な硝子のようなものに囲まれていたのが、一瞬にして霧散していく感じ。俺は口元が緩むのを感じながら、背筋を伸ばし、綺麗に座る菊を正面から見た。
「アルフレッドのことは好きか?」
「嫌いではありません。・・・いえ、すみません。好きです」
菊は一度さらりと答え、しかし結局バツの悪い顔をして言い直した。
「フェリシアーノは?」
「好きです」
「ルートヴィッヒは」
「好きですよ」
「サディクは?」
「好きです」
「ヘラクレスは」
「好きです。・・・あの、これどういう意味があるんですか?」
「俺のことは?」
菊は目を見開いて黙った。
俺が見つめる先で、柔らかい輪郭の頬を強張らせて、菊は俺の顔を凝視する。
「俺のことは好きか?」
「す、きです」
俺はちょっと笑った。菊が目を見張るのをやめて、ようやくいつもどおりの表情に戻る。視線が揺れて、机の上の木目をなぞり、黄色人種の、しかし色の白い方である手が湯のみに触れて、ゆっくり持ち上げ、口に運ぶ。
相変わらず綺麗な動作で、菊は一服して机に再び湯飲みを置いた。俺はその一連の動作を見守り、菊の顔に再び目を移す。
「どれぐらい好きなんだ?」
「どの、くらいって・・・」
しどろもどろに菊は呟く。さっきまでの鋭利な様子はなりを潜めて、まるっきり優しげな雰囲気の素朴な青年へと成り代わっていた。過ごした時間はそこらの国よりもよっぽど長いというのに、菊はすぐにこうも簡単に崩れる。口で表現するのが苦手なのだ。引きこもっていたことも影響しているのかもしれない。
「・・・凄く好きです」
曖昧な表現に逃げて、菊は黙った。向けられる視線には困惑と羞恥が入り混じっている。菊は俺を見て、少し口を開いて、しかし言葉を出さずに再び黙った。
「何だ?」
「いえ・・・アーサーさんは」
私のことは好きですか。
菊は、俺から視線を離したまま言った。頬が紅潮している。俺はその顔を見て、結局湯のみへ移した。欠けた茶菓子を見て、そういえば喉が渇いていることに気づいた。喉がきりきりと痛む。俺は緊張していた。
「普通、だ」
「・・・普通ですか」
菊は、さっきのように眉を顰めて、しかし少し笑って言った。俺はその声を聞きながら、もう一度呟く。普通だ。強がりなんかじゃない。嘘なんかじゃない。
「じゃあ、アルフレッドさんは?」
なんでそこにあいつが出てくるんだ。
「嫌いだ」
「・・・じゃあ、いいです」
菊は柔らかく笑った。黒髪がさらりと頬にかかって、その隙間から黒い瞳が俺を穿つ。美しい夜の色をしたその二つの目と視線を絡めて、俺は小さく呻いた。何が「いいです」だ。そういうことを言うときは、たいてい怒ってるんだ。お前は。俺が黙って菊を見ると、菊は微笑んだまま俺を見つめ返していた。何を意味しているのか分からなかったし、それが嘘なのかも良く分からない。それでも俺は菊のように「いや、本当は好きだ」なんて言わない。どうしても言えなかった。お前だけを許容するだけでいられたらいいのに。熱いお茶で舌を湿らすと、美味しいですか、と菊が言った。俺は一度たじろいで、結局「普通」と返した。菊は笑っていた。
2009/4・22