■愚鈍な真実を抱き寄せてね

 何やってんだそんな所で。
 突如として掛けられた声に振り向けば、仁王立ちしている実兄が目つきの悪い赤い目で自分を見下ろしていた。むしろ、あんたこそこんな所で何してんだと言いたい。

 穏やかな昼下がり、太陽柔らかい陽気をあたりに撒き散らしている。俺は珍しく、滅多に入らない自宅の庭をふらついていた。上司に任された仕事を終え、手持ち無沙汰な上に、居候しているローデリヒさえ出かけてしまってやることが無かったので、もはやローデリヒの物と言っても差し支えないほど己の既知から離れてしまった自宅の庭を見てみようと思ったのだ。
 以前、己の家の、特に手入れもしていない庭に目を留めたローデリヒが、「こんな広い庭があるのに庭師の一人も雇わないなんてお馬鹿さんですね貴方は」などとぶつぶつ言っていたかと思えば、いつの間にか花園が出来上がっていた。
 仕事に没頭しているうちに庭全てを花塗れにしたローデリヒには頭が下がるが、そこまで変貌を遂げたことに気づかなかった己の鈍感さにも驚いた。場所だけはやけにある庭は、青々とした生垣に覆われて、中には己の知る由もない花が咲き誇っている。こういうことは得意なんだな、と久しぶりに奴を見直した。だからといって、居候先の庭を前面改装したのに良い顔できるわけではないが。
 
「お前ほど花畑が似合わん奴も珍しいな!」
「ほっといてくれ」
 不躾な兄はけらけらと大笑いしながらしゃがみこんだ己を見下ろしてくる。珍しくやってきたと思ったらこれだ。本当に何をしに来たんだろうか。だが、久しぶりに会った肉親に対して、やはり本能は嬉しく思っているんだろう、口元が緩んでいく気がする。
 こんな顔をしているのに気づかれたらまた調子に乗るに決まっている。ようやく立ち上がり、ギルベルトに背を向けて、再び庭の散策のために足を動かせば、当たり前のようについて来る足音があった。
「何かしたのか?」
「いや、珍しく連休があってね。暇だからお前の仏頂面でも拝んでおこうかと」
「大きなお世話だ」
 さわさわと風が緑を撫でれば、潮騒のように葉が擦れあう音が通り過ぎていく。自分の知らないうちに雇われた庭師が、水を撒いていて、ふとこちらに気づくと、青い帽子を一度脱いで頭を垂れてきた。茶色く焼けた肌の、初老の老人だった。同じように会釈を返す。「なんだ、庭師まで雇ったのか」兄が狐につままれたかのような素っ頓狂な声を上げた。そこまで驚くな。
「ローデリヒが雇ったんだ」
「じゃあ、この花園もあいつが?まぁそりゃそうだよな。お前がこんなに手の込んだことするとは思えねぇし。まぁ、この几帳面な花の並び方はお前がやったって言われてもおどろかねぇけど」
 相変わらず遠まわしにローデリヒを貶すような口調で、それでも感嘆の声を上げる。確かに、花園で育てられている花は互いに色を消しあわないように丁寧に選択された上で並べられている。ギルベルトは徐に一輪の花に手を伸ばし、ふん、趣味のいいことで、とせせら笑った。花を笑うことでローデリヒのことを嘲笑うような仕草に、どうせなら面と向かってやればいいのに、と思った。この兄は変な所で陰湿なのだ。
 まぁ、あのエリザベータがローデリヒのすぐ傍に騎士さながらに立っているのだから、そうなるのも仕方が無いか。
「なんだよ、今失礼なこと考えただろ」
「兄さんのやることの方が、人には失礼だと思うが」
「生意気だぞヴェストのくせに!」
 なんだヴェストのくせにって・・・。
 ギルベルトはあーあ、と一度大きな欠伸をして、まったく平和なもんだよな、とやさぐれるように吐き捨てた。
「あっという間に何でもかんでも、終わっちまうんだもんなぁ」
「そうか?」
「そうだよ。どいつもこいつも、すぐ変わっちまうんだもんな」
 空は驚くほど高く、青空が広がっている。何度も何度も見上げた空だ。呆れるほどの青さを、色んな場所で見続けた。俺よりも長い時間を、兄は見てきたのだ。
「ここは火薬の匂いがしねぇな、ヴェスト」
 恋焦がれるように、兄は言った。当たり前だ。こんな穏やかな日々に、火薬の匂いがしてたまるものか。
 空は高く、人が笑いあう声が聞こえる。周りは花だらけで、風にのって花の匂いが掠める。国として生きてきた自分たちにとって、予想もできないような、そんな穏やかな日だ。
 記憶の中、この男と一緒にいた日はどうだっただろう。曇天の下、人の悲鳴に耳を塞いで、周りは銃口塗れ。人が人を狙う目で辺りを見回して、風に乗って肉の焼ける匂いがする。兄はまだそんなものを見ているんだろうか。俺にはよく、分からない。
「昔、一緒に住んでた時の、庭の花園を覚えてるか?」
 ぼんやり物思いに浸っていると、兄は唐突にそう言った。滅多に見ない赤い目が、花から視線を離して俺を見ていた。銀色の髪が風に揺れる度に視線が奪われる。じっとそれを見て、俺は首を振った。
「覚えてない」
「だよなぁ」
 兄は、肩を竦めてこれだからヴェストは、なんて言いたげに首を振った。兄の昔からの癖だ。その姿があまりにも懐かしく感じて、俺は兄さん、と一瞬その名を呼ぼうとした。兄が遠くにいる気がした。
「まったく、どいつもこいつも進むのが早いんだよな」
 兄は、今はどこにいるんだろう。まだあの日のように?戦場のために生まれたから、戦場に生きつづけることが本望なのだろうか。
「走って追いつけばいいじゃないか」
「・・・・・・・・ばーか」
 兄は眼を細めて口を歪めると、すぐに隣に立ってやるよと相変わらず悪巧みをするような笑顔で言ってくれた。



 あの日を見るのと同じ目線でこの景色を見るより、今を見る目でこの景色を見たほうが、
 
 きっと綺麗だ。
2009/3・12


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