■霧の向こうで
 山岳地帯を真っ直ぐと通っていく大名の行列を、その真上に近い崖上から眺めながら、カカシは無線越しに連絡係へと「異常なし」と一言だけ伝えた。
 小さなノイズと共に、了解、と単語のみが返ってきて、ぷつりと途切れた。湿った空気が肺を満たして、朝に近づいているせいか温度の変化により霧が立ち込め始め、視界をゆっくりと閉ざしていく。
 もう少し下がった方がいいかな、と思い始めた頃、行列の最後尾がカカシの真下を通っていった。首を傾げながら、もう一度無線に回線を繋ぐ。
 「こちらD地区。最後尾が通過した」
 「了解。休憩地点まで戻ってきてくれ。・・・C地点から連絡が来ていないが・・・連絡されていないか?」
 それだ。カカシは頭に引っかかった疑問に閉口した。己よりも後ろの地点の暗部は、己の地区を最後尾が通過したら次の地点の者に連絡する手はずになっている。つまり、C地区からもっと前に最後尾通過の連絡が来なければならないのだ。
 「C地区に配置されているのは誰だ?」
 「・・・テンゾウだな」
 「・・・了解。一応俺が探しに行って来る。もし見つからなかったら連絡を入れるから、応援を寄越してくれ」
 カカシはそう言い残し、無線を切ると、既に視界の殆どを奪い始めている霧の向こうへとその身を投じた。



 只でさえ視界の悪い森の中、霧が発生してしまえばもはや全て見えないものに近い。
 テンゾウは何故連絡を寄越してこないのか?もしかしたら敵に襲われたのかもしれない。大々的なイベントごとに近い大名の行列に乗じて襲ってくる忍は少なくは無いはずだ。
 または、敵を発見してそれを止めに行ったか―――――しかし、それは否だ。敵と混戦状態に入った場合、それも連絡するのが通達されている。
 やっとテンゾウが配置されているC地区へ着いてみれば、どうやらカカシが元居たD地区よりも霧は薄く、かろうじて周りが見渡せた。しかし、戦闘痕もなければ戦闘音もしない。テンゾウが襲われた、又は襲った可能性は極端に下がった。
 「(どこにいるんだ?)」
 無線が使えなくなって、仕方が無いから連絡所まで行ってしまっただろうか。ならば入れ違いになっただけで己に連絡できないのも頷ける。―――しかし、だとしたら連絡所から己まで通達が来るはずだ。
 「―――――――――――――・・・・・?」
 ゆっくりと辺りを見回したとき、カカシはやっと微かに離れた場所に血液を発見した。それは雑草の端に溢れており、地面が血液を吸って黒く染みへと変貌していた。
 やはり、何者かと戦闘に――――――などと思って近づいてみれば、一つ不思議なことがあった。戦闘によって血液が飛んだとしても、地面が血で濡れていて、しかしその上に被さるように生えている植物に1滴も血液が付着していない。
 「・・・まさか」
 頭を過ぎったその不安に、慌てて辺りを見回す。霧でほぼ視界は閉ざされていたが、そう遠く無い場所に点々と血痕が残されてあった。
 一瞬にて目の前が暗くなることを感じながら、ただ血の匂いを追ってカカシは奔った。







 テンゾウは予想していたよりも近くへと倒れていた。外傷はなく、木の根元に身を潜めるようにして体を縮ませている。
 血液が不足しているのか顔色は蒼く、生理的に零れた涙が目元の地面を黒くしていた。気を失っているようで、カカシが近くへ降り立ってもぴくりとも動かなかった。
 指先が冷たく、吐き出される吐息は微かに零れて、微かに暖かい。げほっ、と背中を痙攣させて咳き込めば、血の塊が口元を濡らした。
 「テンゾウ!」
 「はっ、かふっ、・・・・・・・・げほっ・・・げほっ」
 体を上向きにして抱きかかえれば、喉奥に溜まった血の塊でまともに呼吸ができないせいか、数回咽てから、のろのろと瞼を開けた。瞳の奥に生気が感じられず、ただ暗く濡れた二つの黒い双眸がカカシを見つけた。
 「せんぱ・・・・・・・」
 「薬はどうした」
 「飲みました・・・」
 弱弱しく返される言葉は今にも途切れそうで、ぜぇぜぇと荒い息が共に吐かれた。喉が掠れているのか禄に会話もできなさそうなので、カカシはとりあえずベストを脱いでテンゾウの頭の下に広げた。硬い地面の上に置くのもなんだかな、と思って反射的にとった行動だったが、再び地面にテンゾウの体を寝かせれば、先程よりも痛そうではなくなった。
 「やっぱり、こういうときって動かさない方がいいよね?」
 「一応・・・ごほっ・・・薬は飲んだので・・・少しすれば動けると思いますが・・・・けふっ・・・けふっ・・・今・・・全身が痛くて、動けなくって・・・指先も麻痺してて・・・」
 それってかなりヤバイ状況ではないんだろうか。しかしテンゾウが大丈夫と言ったのだから、言われた通りに安静にしていれば平気だろう。地面に腰を下ろせば、申し訳無さそうにテンゾウが顔を顰めた。
 「けほっ・・・は・・・・じ、自力で休憩所まで行こうとしたんですけど・・・・げほ、ごほっ・・・・っ―――――、は、とちゅ、で、動けなくなっ・・・」
 「分かった。無理に喋らなくていいから」
 体がぴくりとも動かせない、ということは、そのせいで連絡ができなかったんだろう。連絡に時間をロスさせるよりも早く休憩所まで行ったほうがいいという判断だったんだろうが、それよりも早く発作が来てしまった、と判断するべきだろうか。
 「寒くない?」
 「・・・・けほっ、だ、大丈夫で、す」
 手持ち無沙汰になり、カカシは投げ出されているテンゾウの手を拾いあげ、冷え切った指先を己の手で包み込んだ。
 じわりとテンゾウの手に沁みこんでいく体温に、は、とテンゾウが微かに吐息を吐く。
 「あったかいでしょ」
 「・・・はぁ」
 気の無い返事だとも思ったが、テンゾウが嬉しそうに笑っていたので、思わず言葉をなくしてしまう。
 手を握り締めたままテンゾウの顔に顔を近づけ、血液が付着しているせいで痛々しく濡れた唇を見つめる。
 「凄いキスしたい」
 「・・・っ、はは、先輩、キスしたら、何が起こるか、分かりませんよ」
 血液に含まれる初代火影の細胞のせいでテンゾウがこんな状態になっているのだ。細胞、というよりは初代火影のチャクラの塊、といった方が近い。カカシの身に何が起こるかなんて予想もつかないのだ。
 笑うと筋肉が痙攣して痛むのか、顔を顰めながらテンゾウは笑った。だよねぇ、と困ったようにカカシは呟きながら、涙の溜まった瞼に一度唇を落とした。塩味がじわりと侵食してきて、べぇ、と舌を出す。またテンゾウが笑って、「い、痛い」と嗚咽を洩らした。
 馬鹿な子だなぁ、と苦笑を零しながら、血液不足のせいで冷たいままのテンゾウの手を、温まるまで握り締めようとのんびりと思った。
 テンゾウを見つけたことを連絡しなければならないが、しかし、この冷たい後輩の手を離すのが億劫なので、とりあえずしばらくこのままでいようと、忍としては失格の考え方で、カカシは今度は逆の瞼に口付けを落とす。
 霧もまだまだ、晴れる気配が無かった。
2008/1・19


TOP