■明日世界が終わるなら
 「もし 明日世界が終わったらどうするよ」
そう云って笑った男の口元 そこから覗いた牙を彷彿とさせる白い歯列が酷く印象的だった


―――――


夏の茹だるような暑さに目を覚まし ごろりと寝返りを打った
寝ぼけた頭に微かに残る夢の中で問われた言葉がちくちくと頭痛のように俺の頭を刺激する
はて 一体あれは誰からの問い掛けだっただろうか――
考えても寝ぼけてとろけた思考では一向に答えは浮かんで来ず 俺はすぐに考えるのを止めた
そのまま部屋の中に渦巻く熱気に身を委ね ごろごろと落ち着きなく寝返りを打っていたが どうにも暑くて敵わなくなった為 しょうがないシャワーでも浴びるかと身体を起こした


―――――


湯気を上げ 食欲を掻き立てる匂いをさせながら目の前で喰われるのを待っている食事を前に 俺と男は小声でいつものように会話していた
他愛ない話題の中 いつものように互いの常識の違いから多少歪んだ食い違った会話が成り立ってしまうものの それもいつものことと相手にばれないように小さく息を吐いて俺はスープを啜った
そんなとき 男がふと思い付いたように口を開いて問い掛けの言葉を投げ掛けてきた
俺は一瞬だけ 思考を停止させた


―――――


熱いシャワーを浴びると とろけていた思考も漸く元に戻ってきたらしく 俺はバスルームに入ってきたときのふらふらとした足取りとはまるで正反対のしっかりとした歩調でバスルームを出ていった
起きてきたときには留守だった同居人がいつ帰ってくるかもわからないので 部屋の中でくらい上半身裸でいたかったけど仕方なくシャツを羽織った
キッチンへと足を運び冷蔵庫を開けると 中から滲み出てきた冷気が火照った身体をじんわり冷やしてくれる
冷気の心地良さに想わず目を閉じて息を吐くが すぐに電気代のことだとか中の温度が上がってしまうだとか生ものが傷んでしまうだとかそんなことが頭を巡って 俺は目を開けると目当ての物を取り出し冷蔵庫の扉を閉めた


―――――


食事を終えて俺は独房の中でベッドに横たわっていた
いつも何かしらちょっかいをかけてくる隣人は大人しく 一人で考え事をするに丁度良かった
食事中に男に問いかけられた言葉を頭の中で反芻する
どれだけその問いかけを反芻しようとも答えなんて一向に見えてこない
それでもそれについて考えようという気になれないのは きっと俺がそれについて考えることを拒絶しているからなんだろうと想う
俺はごろりと寝返りを打って 思考を打ち切った


―――――


手にした缶ジュースのプルタブを外し 中身を喉の奥へと流し込みながら俺はリビングのソファへと腰を下ろす
冷たい液体が喉と胃を冷やし そしてそこから身体全体が冷えていくのを感じ 俺はホッと息を吐く
あまり昼間からエアコンをつけるのもどうかと想うので 夕方までエアコンの恩恵は我慢しなければならないのだが それにしてもどうにも暑い
ただ家の中でじっとしているだけでどうしてこんなに暑いのかと空にでも怒鳴りたくなってしまうのだが そんなことをしたってどうにもならない
それにこの年々暑さが増していくような感覚に陥ってしまうのが気のせいでなく事実であるのなら 地球温暖化が深刻な事態になっているというのも頷けるものだ
そんなことを考えながら俺はふと 夢の中で問いかけられた言葉を思い出していた
「明日世界が終わるなら か……」
そんなこと考えたってどうしようもないことだろう なんて想いながら俺はジュースをもう一口口へと含んだ


―――――


走る 走る 走る
「俺」は走る
走って走って 走り続ける
あいつに見つからないように あいつから逃げ切れるように
でもそんな追いかけっこもすぐに終わる 終わってしまう
あいつが「俺」のすぐ後ろまで迫っている
どうして こんな なんで どうして――!?
「俺」はひたすら 今そんなことを考えたってしょうがないだろうということを頭の中で巡らせ続ける
ただ一つ解ること それは
――裏切られた!
畜生 あの爺さん 裏切った 裏切られた!
そうして「俺」の頭にあいつの手が 触れて
厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ
なんでこんなあんなうらぎられてどうしてなんでいやだいやだいやだしにたくないきえたくないくわれたくないいやだいやだいやddddddddddd

そうして「俺」は消えた


―――――


ぱちりと目を開ける
寝転んでいるうちにどうやら少し眠ってしまっていたようだった
今見た夢が夢でなく 現実に起こった誰かの――「俺」の記憶だと 俺は知っている
勿論俺は死んでいないし消えていないし喰われてもいない
だが俺の中に蓄積された誰かの記憶の中で 確かに誰かは 「俺」は死んだのだ
終わってしまったのだ
世界なんて終わらなくても 俺が終わってしまえば そこで俺の世界は終わりなのだ
そうして考えれば 幼馴染のあいつがいつも世界は自分のものと云っているのが 俺に当て嵌まらなくて良かったと想う
だって俺が終わってしまえばそこで彼女や仲間や弟や幼馴染たちの世界まで終わってしまうことになるから
だから 俺が世界でなくて良かったと 何となくそう想って 安心した


―――――


折角居間にきたはいいけど テレビを見ようという気にはならない
ボーっとしながら缶ジュースを傾けていたが 中身がなくなったのでテーブルの上へと置いた
なにもない といことがこんなにも暇なのかと想った
平和すぎるのも考え物だなとか少しばかり物騒なことを想いつつ 俺はソファへと深く沈みこんで目を閉じた
早く同居人たちが帰ってくれば良いのにとぼんやり想いながら


―――――


「もし 明日世界が終わったらどうするよ」
ふと思いついたように口を開いて 一体何を云うかと想えばそんな考えたってどうしようもないことを聞いてくる男に呆れつつも 俺は何故だかどきりとしてしまい 一瞬だけ思考を停止させた
「そんなこと聞いてどうするんだよ」
「なんとなくだよ あんたは一回もそんなこと考えたことないってのかい?」
「考えたことないとは云わないけど そんなどうしようもないこと考えたってどうしようもないだろ?」
「確かにそうだ どうしようもねぇよなぁ でもさ やっぱそんなことでも考えちまわねぇか?」
男の目はどこかぎらぎらしていて まるで獲物を求めて彷徨う鰐のようだった
そんな男にふぅと溜息を吐く
「考えることもあるけど すぐに考えるのをやめるよ」
「なんでよ?」
「考えたってしょがないことだし いつかはどうせ 世界が終わらなくたって俺もあんたも終わっちまうだろう?明日でも今でもいつかでも 絶対にそのときは訪れるんだから考えたってしょうがねぇ」
「くくくっ やっぱ俺あんたみたいなの好きだぜ?いつか終わることを考える奴はいても 明日や今終わるなんて考える奴そうそういないからな」
「嬉しくねぇけどありがとよ」
男はひとしきり俯きながら小声で嬉しそうに笑った後 顔を上げて口を開いた
「でだ 明日世界が終わったらどうするよ?」
「……しつこいな あんたも」
「いいじゃねぇか」
「……何もしない」
「へ?」
「だから 何もしないって云ったんだよ 明日世界が終わるんだとしても 俺は何もしない」
「ふーん なんでよ?」
「世界が終わるって云うんなら 俺一人が何かしたってどうしようもないほどのことが起こるんだろう?だったら何もしないさ 俺は」
俺の答えを聞いてつまらなそうに唇を突き出し眉根を寄せる男
そんな男の様子を無視して俺は 空になった食器を片付けに席を立つ
男が何か云いたげな目で俺を見ていたが 無視してその場を離れた


―――――


涼しい風が吹いて目を開いた
どうやら転寝をしてしまっていたようで 気付けば日が傾き茜に染まりつつあった
まだ帰っていないらしい同居人の心配をしながら 俺は大きく一回伸びをした
「明日世界が 終わったら……」
考えたってどうしようもない なんて想っておきながら気になって仕方がない
それはきっと 世界の終わりが言葉そのままの意味だけのものではないと 薄々気が付いていたからだろう
例えば今 中々帰ってこない同居人の二人がいなくなってしまったら
俺の目の前から消えてしまったら
それだけで俺にとっては世界の終わりにも等しいことなのではないだろうか
だとしたら
「明日世界が終わろうっていうのに 何もしないなんて そんなのできるわけねぇよな……」
この問いかけをしたあいつも この意味を含んでいたのだろうか
だとしたらなんて意地の悪い質問なのだろう
あのときの俺はそんなことも考えずにあんな言葉を返してしまった
きっとあいつの望んでいた答えはあんな答えではなかったのだろう
俺は口の端に苦笑を浮かべて立ち上がる
空になった缶を手に取るとそれを握り潰し ゴミ箱へと投げ入れる
歩いてキッチンまで行くと もう一度冷蔵庫の扉を開きさっきとは違う缶ジュースを取り出す
プシュっと良い音を立ててプルタブを外すと 中身を喉の奥へと流し込む
冷えたジュースで身体が冷えると 何となく頭もスッキリしたような気になる
そうして壁に寄りかかり そういえばあいつとはもう随分会っていないなと想う
最後に会ったのは果たしていつだっただろうか
そもそもあいつがまだ生きているのかどうかすら解らない
あいつのような生き方をしていたら早死にするか長生きするかのどちらかのような気がする
どちらにしろ あいつは衝動的であることを除けば要領もいい……と想うし きっと長生きしているだろうとは想う
未だに婚約者とは婚約者のまま 仲良くしているのだろうか
そんなことを想いながら ふと 俺の世界の一部はあいつがいなくなっても終わってしまうのだろうと想った
なんでそんなことを想ったのかなんて知らない 解らない
解りたいとも想わない
ただ ただなんとなくそう想ってしまっただけだ
たいして係わりもないような 友達と呼んで良いのかもわからないほど薄くて短い付き合いだったというのに
俺は頭を振って思考を追い出す
これ以上考えてもしょうがない どうしようもない
考えて結論がでたとして 一体どうしようというのか なんになるというのか
ジュースを一気に飲み干すと ぜぇはぁと荒い息を吐く
一人でいると余計なことを考えてしまってどうしようもない
早く二人が帰ってくれば良いのにと また想った


―――――


大切なものが多くなっていけばいくほど 俺の世界は徐々に終わりに近づいていく
守りたいのに守れないものが出来てしまったらどうすれば良いんだろう
「もし 明日世界が終わったらどうするよ」
嗚呼 それはきっと――

「あんたが死んでしまったとしても 俺の世界は終わってしまうよ」
「なんで?」
「きっとあんたを――だから」


―――――


夢の中で俺は 誰に何を云ったのだろう?
2009/1・3


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