■あなたにいいたいこと



「お前が共にいてくれる。これほど心強いことはない」

 背の伸びた君主は背と共に余裕を持つようになり、己に向けて呟かれる言葉も、柔らかく威厳を感じさせるものになった。昔の、周りの者より頭一つ分、下手をすると二つ分は小さい体は、どれだけ背伸びをしようとしても、様々な不安は付きまとうようで、本陣でどっしり構えるように座る彼の、小さく震える小さな膝を、己は何度見ただろう。武者震いだと言って眩しそうに戦場に目を向ける彼の、澄んだ金色の眼が、人の死を見送ってぶれるのを、何度見ただろう。
 背が低いというだけで、体つきが未発達なだけで、戦では不利になりがちだ。国主として立つ主が見下されるのはそれだけで口惜しい。そして部下にそんな口惜しい思いをさせるのも嫌だった主人は、自分自身のその体が嫌だったそうだ。
 彼はそれでも己の肩に乗り、己の体の小ささというのを特に気に病む様子も無く、戦場を駆けた。主人は自分の背に乗ることで己を大きく見せるなんてことができるとは思っていないようで、ただ、遠くを見回すために、早く移動するために、己の背を使った。最大限利用できるものを利用して、ただ人のために尽くして下さった。
 そんな殿が、好きだった。
 誰よりも誇らしい人だった。
 太陽――、だった。
 希望だったのだ。



 長曾我部軍が西軍についたという話はあっという間に徳川軍に広まった。元々関係は深かった。敵として戦場で見えたことも、無いわけではなかった。が、それよりは共に戦場を駆けた日の方が多かったのではないだろうか。徳川軍の中でも長曾我部軍に友と呼べる者がいるという者は多かったし、長曾我部元親を慕う者も、居ないわけではなかった。各々が驚きと、衝撃と、悲しみで顔を曇らせるのを見回して、自分に伝えにきた伝令兵に、一度頷いた。理解して、それだけだ。戦場で出会ったならば、あの七つ片喰は焼き尽くせばいいのだ。そう覚えこんで、反転する。奥で同じように伝令を聞いた己の主人の顔を伺いに、がりがりと地面を削って進んだ。雨が降っていたせいか、柔い地面に轍が残った。
 君主は既に話を聞き終えた後らしく、構わないさ、と笑った。
「元親はそういう男だ。元親がいるのならば、三成も安心だろう。構わない、というのは言いすぎたかもな、ふふふ」
 ふと、彼は顔を上げて己を見つけ、なんだ、そこで何をしているんだ忠勝、と笑った。己が黙ったまま控えて、庭に膝をついて止まると、主人はきょとん、と目を見開かせて、ふっと溜息をつくように笑った。
「すまないが忠勝と二人にしてもらえるか」
 伝令達はさっと素早くいなくなってしまう。己のことを伺うように見て、そして主人を心配するように見た重鎮は、よろしくたのむ、と己に言った。何をたのむのだろうか。己にはよくわからなかった。
「心配してきてくれたのか? お前はいつでも細やかなことに気を配るなぁ」
 主は庭先で頭を垂れる己の頬に手を当てて、かんらと笑ってみせた。それでも太陽の光が雨雲の隙間から微かに漏れただけで、彼の心はもう暗雲に隠されてしまった。熱を吐き出す音がゆっくりと、静かに響く。首を少し上げると、しゅーっ、と廃熱される音が空気に溶けた。
「怒りも悲しみもないよ。ワシのことは気にすることはない」
「・・・・・・」
「お前が怒ってくれるし悲しんでくれるからな。ははは、流石にこれは、お前に甘えすぎか。いや、本当に冗談でもなんでもなく、何も感じていない。不思議なほど穏やかだ。むしろ許された気分でさえいる。だって考えてもみろ。あの素晴らしい男が、元親が、三成と一緒にいてくれるんだぞ? 三成はもう、安心だよ」
 なら貴方の安心はどこにあるのですか。彼に預ける背は、もういらないのですか。
「ワシの背中は昔からお前のものだ、忠勝」
 己の主人は笑うだけだ。
「そしてワシの安心は平和の中にある。ワシを支えてくれた三河の民のためにある。元親といることがワシの平和ではない。忠勝」
 一度肩を竦めて、主人は困ったように首を傾げてみせた。
「あまりワシを苛めないでくれ」
 ―――もうしわけございません。
 もうしわけございません、家康様。
 貴方の背を守ることが、己の一番嬉しいことで、貴方と一緒にいることが、己の一番幸せなことだった。
 その上、貴方の幸せさえ望んでしまったこの己のこの身の程知らずを、お許しください。
「いいや、嬉しいよ。忠勝が自分の好きなことを、好きにできるようになってくれて」
 ・・・・・・・・・。
「ありがとう、忠勝、ありがとう・・・・・・」
 ・・・・・・・・・。






「う――――・・・う、ぐ、うううう、う・・・・・・・」
 槍を杖代わりにして、なんとか立っているだけの男を前に、己はただ槍を振うだけだった。炎を散らし、肺を焼き、臓腑を抉り、足を折る。ただ単純な暴力の攻撃に、あっという間に男は虫の息だった。地面には花火のように散らかった肉や血が弾け飛び、辺り一面を炎が舞っている。
「ほ、本多、てめぇ、・・・かっ」
 ごほ、と咳き込む男の口から、次々と血の塊が吐き出される。口から腹まで真っ赤に染めた鬼が、虚ろな目で己を見た。否、己の後ろを見た。槍に戻らない伸びた錨が、遠くの地面に突き刺さっていた。
「い、いえ―――いえやす、・・・・・・」
 手前、と言いかけて、男はずるりと前に倒れこんだ。体重を支えられなかった槍ごと、地面に突っ伏す。己は槍を前に構えた姿勢をといて、その場にゆっくりと直立した。槍の回転が止まり、空気を裂いていた音が止まる。ゆっくりと奥の門扉から己の主と同盟相手の伊達政宗が歩いてきていた。
「長曾我部元親、か」
 倒れた白髪の男を見下ろして、伊達政宗はそう言った。七つ片喰の旗が男の炎で燃やされている。遠くで雷鳴が鳴っている。己の呼び寄せた落雷に、伊達政宗の雷が反応しているようだった。太陽は奥で隠れていたと思ったら、微かに日の光を零し始めていた。
 彼は、太陽は、雷を落とされた罪人を見てしまった。
 炎が燻りはじめた頃、日の光が死んだ男を照らした。体中がめちゃくちゃに破壊された男をじっと見て、主人はその身体を仰向けに動かした。中途半端に開いたままの瞼を閉じて、その手から武器を離させる。
「忠勝」
 がしゃん、と重い音が足で響いた。この身体は既に次の敵を求めて動き始めていた。遠くで慟哭が響いていた。太陽を喰らいにやってくる月を、今すぐ壊すのが己の役目だった。太陽は一度瞼を閉じて、己を見上げた。
「よい働きだった。怪我は無いな? すぐに次の行動に移ろう」
「鉄砲隊の配備は終わってるぜ」
「ありがとう、独眼竜」
 彼らは再び歩き出した。己もそれに従って車輪を動かす。それだけだった。たったそれだけの話だったのだ。
  2010/12・29


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