■鶯はやってきた



「あれ、家康は?」
「もう帰ったぜ」
 箒片手に教室に飛び込んできた慶次は教室を一度眺め回してから、机に胡坐をかいて座って元親とPSPの対戦ゲームに勤しむ政宗に尋ね人の行方を聞いた。政宗は顔も上げずにそう返して、果敢にもLP5で特攻してきた元親の操るキャラクタを正面からばっさり叩き切ってやった。ぎゃーっと悲鳴を上げた元親に、ご馳走さん、と声を掛けて、褒賞のポッキーを自分の鞄に投げ入れた。家康に分け合って食えと渡されたものだったが、遊びついでに賞金扱いに格上げされたものだ。経験値を受け取り、ゲームの電源を切る。勝ち逃げかよ、と元親がぼやくのを無視して、政宗は教室から出た。背中に掛けられるばいばーいという声に手で返事をすると、「ちょっと待った!」と慶次がその肩を鷲掴む。
「一緒に帰ろうぜ伊達男っ!」
「その箒、家庭科室のじゃねーの?」
「すぐ返してくるからちょぉっと待って!」
 慶次はそう言ってぱっと身を翻した。普通の男性の平均身長より頭一個分飛びぬけた茶色の髪が、あっという間に廊下を横に曲がって消えるのを見送り、政宗は携帯を開け、小十郎からメールが来ていないことを確認する。そしてするりと人の流れを抜けて昇降口へ向かった。


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 やっほー独眼竜、昼飯食ったぁ? と間抜けな言葉を引っ提げてやってきたお祭り男は、雪のちらつく中を春に歩き回るような軽装でやってきて、政宗を初め奥州の面々に馬鹿にしたような目で見下されたのだった。
「いやー、なんか、越後より雪積もってるんじゃない? まぁ今あっちは甲斐の虎が復活したって謙信がお祭りが来たみたいに喜んでるから春が来たみたいな陽気なんだけど。あ、まぁかすがちゃんはまるで極寒の冬が来たみたいな顔してるんだけどさ」
「お前何しに来たんだよ・・・」
 七輪で餅を焼きながら、慶次は投げ寄越された半纏を身に纏い、ああ暖かい、とにこにこ笑った。
「んー、甲斐の虎が復活したから、謙信もまた戦するって張り切っちゃって。因縁の対決に口挟むほど野暮じゃないんでね、ちょっと邪魔者は全国行脚に出てみましたって感じ? あとまぁついでに、家康の創った天下がどんな風になってるかって思ってさ」
「・・・・・・hun?」
 政宗は柱に背を凭れさせ、鼻を赤くした慶次を疑るようにじろじろと見回した。全国行脚というわりに酷い軽装だが、そもそも昔、遊びであちらこちらをふらふら回っていた時でさえこの男は歌舞伎者のように変な格好だった。上杉軍の者になったときだって、雑賀衆に入った時でさえそうだった。本当なのか嘘なのか判別はつけられない。
「家康のところには行ったのか」
「行ったよ。ここはもう終点近いんだ。最上さんとこには寄らないからね」
「上杉と武田の戦については何か言っていたか?」
「うん。チクっちゃった」
 へへ、と頬をぽりぽりと掻いて、そこで慶次は躊躇うように視線をうろうろと逃げさせた。ah? と唸る政宗にいや、その、と口をもごもごさせて、家康が言うにはさぁ、と肩を竦めた。
「戦は止めるんだってさ。まぁ、俺も止めて欲しかったんだけど」
「止めて、止まるのか?」
「力ずくでも止めるんだって」
「介入すんのか」
「んー、といっても、やっぱりあの二人じゃん? 言って聞くわけないし、家康も因縁とかには、まぁ、少し思うところもあるらしいし。でも大規模にならないように、戦をする気がない農民に強制させるのならそれは止めるんだって。最終的には1対1の喧嘩にさせるつもりかも。被害を最小限に止めるためにもう色々やってるらしいよ。難しくて、俺はあんまり聞かなかったけど。あの二人が幸せに生きてくれたら、俺はもうなんだっていいしさ」
「あいつの天下だしな。勝手にやるだろうよ」
 真田の奴もきっと何かをやるだろうし、家康もただで終わらせるつもりはないだろう。平和な天下を望んでも、それを創るために全力を注いでも、戦の時代を生きたという家康のその血が、その因縁や宿縁を、見過ごせる訳が無い。
 人の生きた証というものを、大切にする男だった。そういう人間の意志や、心情というものに人一倍憧れを、羨望を抱いている男であるから、尚更だ。
 惨めに生きるのなら死にたいという人間を、そのまま死なせてやる男だった。
 生きたいという人間を、精一杯生かしたがる代わりに。
「いい時代になってきたよ。皆が皆富んだわけじゃないけど、皆自分のために精一杯生きてる。ただ名誉のために殺しあうことがなくなったってだけでいいことだと思うし、飢餓や疫病は大分減ったしね」
「お前は憎んでねぇんだな」
「誰を?」
 きょとん、と目を丸くした慶次に、政宗はすかさずたたみかけた。
「家康をさ」


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「おおい政宗ぇ、なんで置いていくのさぁ」
 情けない悲鳴を上げて追いかけてきた慶次は、政宗が振り返って立ち止まった目の前まで駆けてきて、その前でぜぇはぁと足を止めた。腰から折り曲げて肩を上下させる慶次に、なんだ、思ったより早かったな、と政宗は言って、すぐに踵を返してまた歩き出す。慶次はひっでぇ、と唇を尖らせてなんやかんやと喚いたが、すぐに、ねぇねぇそういやさぁ、濃先生さぁ、と話題を振ってくる。この男が口を閉ざしたことを政宗は一度も見たことが無い気がする。真剣勝負でさえ、そう、死ぬ寸前でさえ軽口を叩くような男なのだ。


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「まつねえちゃんを攫ったのは最上さんだし、まぁ、家康の監督不行き届きが原因って言っても間違いじゃないんだろうけど」
 菜箸でもちをつつくと、かさかさと乾いた音がする。ぱちり、と炭が音を立てて小さく火の粉を吐いた。
「まつねえちゃんは何も酷いことをされなかったみたいだし、むしろまつねえちゃんたった一人攫われただけで済んだって方が、俺としちゃ驚きかな。家康が大変だったってことも分かるし」
「恨みも憎しみもねぇのか」
「西軍の策に較べたら可愛いもんじゃないか? ってまぁ、最上さんを赦すとかは全然ねぇんだけど。このご時世、騙したり裏切ったりは日常茶飯事だし、それも勝つためだし、別になんも、今は怒ってないよ」
 まつねえちゃんが西軍に殺されたから東軍入れ、なんて元親みたいなことされなかっただけ、百倍マシだよ。と慶次は呟いて、餅をひっくり返し、ごめん、と一言、謝った。
「御免。今のは冗談。そういうのの差なんて無いよな。でも、別に、怒ってないし、憎んでないよ。まつねえちゃんも利も俺の大切な人だけど、あの時代はそういう時代だったし。恨むのが筋違いって感じも、するんだよな、実際」
「そうかい」
「まつねえちゃんはいっぱい人を殺したよ。利家だってさ。俺は人を殺したことは、多分無いと思う。利もまつねえちゃんも俺にとってはめちゃくちゃ良い人で、めちゃくちゃ優しい人だとしか思えないけど、きっとまつねえちゃんや利に親を殺された子供だって、ごまんといるんだよな。別に誰かと誰かを比較したいって訳じゃない。ただ俺は、それが自分自身だとしても、絶対に復讐しないようになりたいって思うんだ」
「殺されてもか」
「憎しみは人の目を曇らせる。それを俺は学んだ。最上さんのことは好きにはなれないけど、殺したいほど憎くは無い。もしも最上さんがまつねえちゃんを殺したとして、絶対に赦せないし殺したいとも思うだろうけど、俺は殺さない。絶対に。だからもういっそ、過ぎたことは悲しむだけ悲しんで、泣き喚いて、それで終わらせちまおうって思って」
「ガキみてぇな結論だな」
「ガキで結構! 人殺しの大人よりマシさ」
 慶次は皿の上に乗せられていた海苔のうえに焼いた餅を載せ、くるりと巻いて、醤油につけて食べた。あっちぃ、と喚きながらむしゃむしゃと食べる子供のような大男を見て、政宗もこれもまた、一つ乗り越えた人間の姿、と口の中でぼやいた。
「てめぇも変わったんだな」
「も?」
 慶次は首を傾げたが、誰が変わったのかは聞かなかった。政宗は己の変化と、好敵手である真田幸村の変化、慶次の変化、孫市の変化、と一つ一つ腹の裡で数えた。さてこの中心に立つあの太陽は、変わったのだろうか、と背の小さな頃の彼を思い描いて、政宗ははっ、と小さく笑ってしまった。
 変わらないと言っていたのは当の本人ではないか。


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 孫市とはうまく行ってンのか、と政宗が問うと、慶次はうわっなに、珍しい、と笑った。
「幼馴染の恋の行方は気になるもん?」
「別に、そういうんじゃねぇよ。お前は女をとっかえひっかえ替えるからな。そろそろ危機じゃねぇかと」
「ないない、ずぇったい、無い!」
 ぶんぶんと頭を振って全力で否定する慶次は、はた、と動きを止めて、ああっでもなぁ、と身もだえした。
「三成とも孫市、仲いいしさぁ、元親とも仲いいじゃん? それに政宗だってさぁ・・・・・・」
「はぁん? 馬鹿か。俺はあんな気の強いじゃじゃ馬はゴメンだぜ」
「そこがいいんじゃん!」
 へへぇ、と顔を綻ばせる慶次は、今度はさめざめと泣くフリをして、あとさぁ、家康がさぁ、とぼやく。予想だにしない方向からの名前に、政宗はああ? とあからさまに反応してしまった。百面相をしていた慶次も話し相手の反応は気になるらしく、反応した政宗に食らいつくように身を乗り出して、この間さぁっ、と声を荒げた。
「孫市に今のところ知り合いの中で一番男らしいのって誰だと思う、って聞いたら、家康だって言ったんだよ! どう思うこれ!?」
「ah・・・ま、安心しろ。あいつは厄介だったり面倒だったり理解できない男が好みだからな」
「あ、そうなの。・・・・・・ん? それって遠まわしに俺のこと厄介で面倒で理解できないって言ってる?」
「そういやお前家康に何の用事だったんだよ」
「うぐっ・・・・・・、木曜日のペアの実習で使うプリント無くしちゃったからコピーさせてもらおうと思って・・・・・・」
「Foolishness」
  2010/12・5


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